ブログ

サイト管理人のブログです。

ブログ一覧

高知学112 高知の村1-馬路村

「田舎」といえば市や町ではなく、「村」を連想します.

ところが今、全国的に「村」は貴重となって、1,741自治体中183しかありません.

四国では香川、愛媛には村がなく、徳島は佐那河内(さなごうち)村一つです.

一方、高知には村が六つあります.

馬路、北川、芸西、日高、大川、三原です.

順次訪ねてみましょう.

最初は馬路村です.

 

2019年7月14日 最終版

 

(滑り台で校庭へ.魚梁瀬小中学校)

 

1.高知の村

 

村の数が減少したのは、合併が進んで町や市になったためである.

ではなぜ高知で進まなかったのか.

「あいつらと一緒になれるか!」などという、いごっそう気質もないとは言えないかもしれない.

しかし基本的に高知県は広い.

東は室戸岬のはるか先で徳島県の和歌山に近い辺りから、西は足摺岬の北で愛媛県の九州が見えるところにまで広がっている.

しかもその間は、出入りの多い海岸、一歩入れば深い山々、など各地域が孤立しやすい地勢である.

詳しく見れば六つの村は、それぞれにそうなる理由がある.

 

 

2.馬路村

 

高知に来なくても「ごっくん馬路村」など、ことさらに山の村イメージを強調したゆず製品に接した方も多いだろう.

自分も20年以上前、東京にいるときから鍋には馬路のポン酢を使っていた.

馬路村の96%は山林、さらにその75%は国有林だから、馬路は「国有林の村」なのである.

2019年現在の人口は777人で、高知最小であって一時村議会の存立が議論になった大川村の407人に次ぐ.

しかし2010年から2015年までの人口減少率は18.8%で、高知でもっとも大きい.

大川村の衰退は銅鉱山の閉鎖のためであったが、馬路村は国有林政策と関係する.

 

(馬路の集落)

 

3.馬路へ

 

馬路村はもともと別の村であった、馬路(うまじ)地区と魚梁瀬(やなせ)地区に分かれている.

それぞれが林業の基地であり.営林署がそれぞれにあった.

昔、森林鉄道は海岸からまず安田川沿いに馬路に向かって敷かれ、その後さらに奥の魚梁瀬まで延ばした.

 

(元森林鉄道の鉄橋-トラックの通行で破損し修復中)

 

その後並行して奈半利川沿いにも魚梁瀬までの線路がつくられた.

現在の道路はほぼ森林鉄道と同じ道筋で、安田川、奈半利川の2ルートがある.

安田川を遡る.

 

(安田川)

 

鮎釣りのシーズン、おとり鮎や鑑札提供の看板が目立つ.

 

(直販所)

 

直販所には「ダムのない」とあるが、確かに他の川と違って安田川は雨が続いても濁らない.

上流が馬路である.

釣師へ「鮎買取ります」の貼紙があり、8時から2時までとあるので、宅配便の当日発送の時間に合わせているのであろう.

 

4.馬路

 

馬路には海岸を通る国道55号線から分かれて約30分で着く.

 

(直販所からゆず工場が見える)

 

ゆずの工場はだれでも見学可能だが、およそ考えられるあらゆる種類のゆず応用飲料、食品がつくられている.

化粧品工場もあってこれもいろいろだが、さすがに山村イメージは前面に出していないようだ.

 

(左の農協の建物が元の営林署)

 

元の営林署から奥が馬路のメインの通りである.

昔は道路というより森林鉄道の軌道敷で、線路が2本あって、便乗のお客もここで乗り降りして賑わった.

 

(馬路の川原)

 

丁度日曜で、鮎師と共に川遊びの一家がいる.

お母さんが覗き込んでいるのは魚ではなくスマホのようだ.

 

5. 魚梁瀬

 

魚梁瀬へはさらに30分山に入る.

峠から集落が見える.

 

(橋の向こうが魚梁瀬)

 

魚梁瀬ダムの建設によって昔の集落は湖に沈み、台地に移転した.

もっともダムそのものは北川村にあり、湖が馬路村魚梁瀬なのである.

 

(森林鉄道の車庫)

 

台地の一角は公園になっていて、森林鉄道の保存車庫がある.

日曜には、1,000円で一周400mの線路を2周、体験運転ができる.

 

(魚梁瀬小中学校)

 

小中学校は全校生徒17人である.

しかし木の床は美しく磨かれ、これから使うプールは汚れ一つなく清冽な水を湛えている.

今まで見た四国の学校ベストスリーを挙げるなら、この魚梁瀬、愛媛県の久万高原中学校、日土小学校だ.

 

(魚梁瀬の街路)

 

ニュータウンがつくられ、すべてが新築で移転したのが1965(昭和40)年である.

50年以上経つのだが、老朽化した家、空家が年々増えている.

 

(元魚梁瀬営林署)

 

昔の森林鉄道で搬出された木材は天然の巨木で、径も大きいが曲がりもあった.

今トラックで搬出される木材は、戦後植林されて50年以上経った森林からであり、径は小さいが真っ直ぐである.

カイワレ大根のパックを連想させる.

魚梁瀬ではもう天然木の伐採は行われなくて、間伐を行ってひたすら大きい木を育てる方向である.

樹齢300年以上の杉が1万本はあるらしい.

ただそうすると生産拠点である営林署を現地に置く必要がなくなる.

魚梁瀬営林署は1999年に廃止された.

 

(黄色の建物は農協の販売所)

 

魚梁瀬に活気が見られない要因だが、それでどうだというのだろう.

 

(千本山、県境の山々は霧)

 

目の前には自分の庭に等しい池と山がある.

 

 

林道はダム湖の周囲を巡って勾配がないから、自転車で巨木の山や紅葉の谷に行ける.

安芸の高校への通学に設定されている朝6:22のバスに乗れば、高知市内で一日用足しをして19:41に山に帰って来られる.

公園に温泉があるから家で沸かす必要はない.

診療所は週2日だが、ヘリポートがあり緊急時にドクターヘリが来てくれる.

 

(観光旅館・満木荘)

 

一泊二食8,500円の旅館があるから、友人が来ても宴会ができる.

 

関連記事リンク:

17 森林鉄道のパイオニアとレールの発掘

63 高知の山林を訪ねる

高知学トップページに戻る

 

(おわり)

 

2019年7月10日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学111 高知から松山へ.国鉄特急バスの道

高知と四国の他県、香川、愛媛、徳島とは、どのように繋がっているだろう.

「壁」があるわけでもないし、今ではトンネルがあって、国境の峠はない.

人の行き来を遮るものはないし、人種が違うわけでもない.

江戸時代の「藩」が残った行政上の区分である.

 

2019年6月10日 最終版

 

(改築中の道後温泉本館)

 

1.高知と他県

 

高知と他県との繋がりの程度は、高速バスの運行状況からわかる.

高知・高松:13往復

瀬戸大橋ができるまで、本州と四国間の行き来は、高松と岡山県の宇野を結ぶ連絡船によっていた.

今は高松を経由しないが、行政の出先機関や四国支店は高松にあるため、この結果になっているのだろう.

JRでも直通の特急がある.

高知・松山:10往復

松山は四国最大の都市であり、瀬戸内海沿岸は工業地帯である.

昔から交通はバスが主体で、高速道路のない時代でも1時間に1本、15往復、国鉄の座席指定特急バスが運行されていた.

JRは多度津で乗換だが、遠回りになるため利用客はいないし、接続ダイヤもない.

高知・徳島:4往復

同じ四国でも、両県の結びつきは極めて少ないことがわかる.

JRでは一応、阿波池田で土讃線の特急と徳島線の特急が接続するダイヤになっているのだが、乗換える乗客はいない.

徳島線の特急は吉野川沿岸の町々を結ぶためのものである.

 

 

2.国道33号線を佐川へ

 

(高知の中心、はりまや橋)

 

高知から松山へ、今は山脈を横切って瀬戸内に出る高速道路の利用が普通である.

ここでは、はりまや橋の道路標識通りに、昔特急バスが通っていた国道33号線を進む.

伊野、日高を過ぎて佐川に入ると辺りは田園になる.

 

(佐川地質館)

 

佐川には、かつて鉄道の専用線迄あった石灰岩鉱山と共に、コンパクトなカルストもある.

そんなことから地質館があり、入口を入るとまずテラノザウルスが吠えかかる.

中庭では小学生が石をハンマーで叩いて、化石を探していた.

学芸員によれば、本当は現地で探せばよいのだが、遠いので土を運んできたそうだ.

あった!と次々に割った石を見せている.

大抵は二枚貝の化石だが、アンモナイトはないの、と訊く子どももいる.

年に二つくらい見つかるのだがね、との答えだった.

 

3.仁淀川のダム

 

(筏津ダム)

 

仁淀川の岸に入るとダムが現れる.

最初にある筏津は、1958年にできた発電用ダムである.

落差は25.5mで、巨大ダムを見慣れた目からすると、いかにも牧歌的である.

発電出力は1万kWで、原子力発電所の1/100相当だ.

 

(筏津ダム湖)

 

渇水に備えてか、いまダム湖は満杯である.

香川の灌漑に使う早明浦ダムでは取水制限をしているのだが.

 

(仁淀川の谷間)

 

先には渓谷が続く.

ダム湖の下にこのような谷間があったのだ.

 

(大渡ダムの堰堤上)

 

大渡(おおど)ダムは、1986年につくられた国交省直轄の治水、灌漑、発電などの多目的ダムである.

落差96mで、これがいまダムと言って連想する姿であろう.

 

(大渡ダム湖)

 

ダム湖には、対岸を結ぶ釣橋がかけられている.それだけ沈んだ面積が広いのだ.

 

(茶畑)

 

岸には茶畑が多い.

仁淀川町の名産はお茶である.

この辺りで愛媛県に入り、同じ川なのだが、名前は仁淀から面河(おもご)に変る.

 

4.愛媛県

 

(上黒岩遺跡)

 

道の近くに上黒岩岩陰遺跡がある.

1961年、傍の家に住む中学1年の男の子が、埋まっているものを見つけた.

発掘調査が行われ、14,500年から10,000年前、縄文の早い時期の土器、人骨などが発見された.

女性と思われる線刻が施された、手のひら大の平らな石も見つかっている.

発見地は屋根で覆って保存され、傍には展示館がある.

 

(遺跡の傍)

 

なぜ縄文人はここに住んだのだろう.

1万年前の地形はわからないが、魚や動物を獲る山や川はすぐ傍にある.

大きな岩の陰だから、風雨を避けるには良かっただろう.

しかし「急傾斜地崩壊危険区域」だから、山崩れで埋まったのかもしれない.

 

(久万高原町)

 

久万は、松山から来る特急バスの最初の休憩地であった.

道幅は広くのびのびとして、木造校舎の中学校は趣がある.

もうここは松山の通勤圏である.

三坂峠を下りに下る.

ハイブリッド車は、発電ブレーキで電池がすぐ「満タン」になる.

 

(三坂峠から)

 

松山の平野が見えてくる.

焼物の町、砥部まで来ると道路は次第に混雑し、松山の市街に入る.

 

5.寒風山

 

瀬戸内の魚を食べ、部屋数7の旅館に泊まり、広いデパ地下に行く.

高知への帰途は、寒風山トンネルを通る国道194号線である.

 

(西条市の194号線)

 

194号線は松山の東、西条から寒風山トンネルを抜け、仁淀川沿いに出る.

古くからの峠道だが、横断道として機能するのは、1999年の新寒風山トンネルの開通以来であろう.

33号線と比べて格が落ちるようにも思うが、新しいだけに道幅は広く、屈曲が少ない.

その割に交通量が少ないので、ツーリングのバイク集団によく出会う.

 

(寒風山トンネル)

 

トンネルは5,432mと長いので、横に避難トンネルがつくられ、ところどころで本線と繋がっている.

 

(仁淀川、越知町)

 

33号線で遡った仁淀川に出る.

辺りは一面の砂利の河原である.

 

(面河川、小松谷)

 

上流では家より大きい岩が転がっていたのだが、砕けてここに至ったのだ.

 

 

(おわり)

 

関連記事リンク

45 仁淀川と伊野、佐川

57 瓶ヶ森と天狗高原

高知学トップページに戻る

 

 

2019年6月3日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学110 標高600m、棚田を見渡す八畝スカイライン

高知を縦断して流れる吉野川.

沿岸の大豊町、本山町、土佐町に棚田が広がっています.

土讃線の大杉駅、高速道路の大豊ICを真ん中にして、東西の30kmが棚田地帯です.

東は国道439号線の京柱峠近く、西は早明浦ダム辺りまでです.

棚田は川の南岸にあり、北岸にはありません.

南岸と北岸では地質が異なり、北岸は山の傾斜が急で、水田をつくることが困難なのです.

大杉駅近くから南岸の山に上がり、棚田の上、標高600m辺りを東へ山道が通っています.

一車線で道路標識もありませんが、個人的に「八畝(ようね)スカイライン」と呼んでいます.

 

2019年5月13日 最終版

 

1.棚田に上がる

 

(炭焼き)

 

大豊ICを出てトンネルを抜け、国道32号線の交差点を直進して山に上る.

しばらくは炭焼窯などがある森の中の道だが、上がると視界が広がるスカイラインだ.

 

(山上の道)

 

やや広い一車線なので、反対から車が来ても場所を選べばすれ違いができる.

ダート道ではないから四駆の必要はないが、望ましいのは軽または小型乗用車である.

ミニバン、大型SUVはやめた方がよい.

というのは、あちこちでやっている災害復旧工事の迂回路の多くが極狭路のためだ.

 

(何年も通行止だったが、ようやく8月までらしい)

 

 

(棚田の田植え)

 

5月、棚田には水が張られ、田植えが始まった.

 

(対岸の山々)

 

水田の先に見える山との間の谷底を吉野川、土讃線、国道32号が通っている.

河床の標高が200mなので、道との標高差は400mである.

 

2.ぽつんと一軒家

 

 

(山上の道)

 

道は山腹をうねって続く.

林道や生活道なので、カーナビはあまり役立たない.

登山と同じく、1/25,000の地図がよい.

分かれ道もあるが、タイヤの跡の多い方を辿ればよいので、迷うことはない.

 

(一軒家)

 

「ぽつんと一軒家」のテレビ番組があるが、ここでは候補に困らない.

そのような家に入る道には、入口に表札が置かれている.

 

(対岸の一軒家)

 

谷を隔てて対岸の山にも一軒家が見える.

屋根が光っているのでそれとわかる.

 

3.八畝と怒田

 

棚田がもっとも大規模に広がる地域が、八畝と怒田(ぬた)である.

 

(イチョウ)

 

八畝の入口には、ランドマークとなる樹齢500年とされる大きな乳銀杏がある.

昔からお乳がよく出るように、祈願されてきたということだ.

 

(怒田)

 

ここから怒田地区の全体が見渡せる.

山の上から谷底まで、棚田が広がっている.

今いる八畝の棚田は、川まで下りて上がって、怒田から見ないとわからない.

 

4.地すべり地帯

 

(地すべり防止)

 

棚田は地すべりの産物である.

山の中で耕作ができる緩い傾斜地は、地すべりの結果である.

水田で必要な水は、地すべりが起きやすい地下水を大量に含む土質から得られる.

「八畝」とは、地すべりが進んで水平が保てず、高いところを削り低いところを埋め、棚を細分化することから来ているらしい.

「怒田」とは、地すべりで田に亀裂が入ることからだという.

高知県の古い看板があるが、地すべりの結果は地域に留まらず徳島県一帯にも及ぶので、対策は国の直轄事業となっている.

 

(集水井)

 

産業技術総合研究所・地質調査総合センターによって、全国の地質図が作成され、ネットで閲覧することができる.

この棚田地域は緑色変成岩、緑泥岩などからできている.

御荷鉾(みかぶ)帯と呼ばれるが、風化、破砕しやすく、大量に水を含み易い性質がある.

底では変質して水を通さない粘土になる.

洗面器に泥を溜め、傾けた状況にあるのだ.

土地の水抜きが大きい課題である.

周囲の穴から水を集める集水井や排水トンネルがあちこちにつくられている.

傍に寄ると流れる水音が聞こえる.

 

(怒田から見た八畝)

 

山腹にはいくつかの筋が見えるが、人工の排水路である.

 

(GPS位置センサ)

 

そんなに危ないところなのか、と思われるかもしれない.

GPSによる位置情報センサが点在し、地盤の変動がリアルタイムでモニターされている.

予想もしなかったところで地すべりを生じるより、ずっと安心だ.

 

(見下ろす谷間)

 

防災科学技術研究所から、航空写真より判定した地すべり地形分布図が公開されている.

地すべりが活発な地域は新潟と四国という.

スキー場も地すべりの産物のようで、高いところの急傾斜は上級者、末端の緩い傾斜はビギナー用になる.

本図による地すべり地形の面積では、全国に占める四国の割合は14%だそうだ.

 

(崩壊した河岸)

 

この地域では60年の計画で、地すべり対策工事が進められている.

いま半分を過ぎたあたりらしい.

八畝と怒田の間の南大王川、10年以上も前から河床を広げ、堰堤を築き、大工事が行われていた.

失礼ながら、早くも?岸が崩れている.

紺屋の白袴という気もするが.

そういえば、出発した高速道路の大豊ICの先の山腹で先日崩壊があり、上り2車線の橋が流された.

下り車線を利用して対面通行が行われている.

当事者のコメントでは、ここで崩れるとは予想もしていなかったという.

大規模工事には、どこかにまだ計算できない要素があるのだろう.

 

 

参考にした資料

・藤原治、斎藤眞 編著 :「トコトンやさしい地質の本」.日刊工業新聞社、2018.

・上野将司 :「危ない地形・地質の見極め方」.日経BP社、2012.

・鈴木堯士 :「四国はどのようにしてできたか」.南の風社、1998.

・地質図Navi:https://gbank.gsj.jp/geonavi/

・地すべり地形分布図 : https://dil-opec.bosai.go.jp/publication/

関連記事リンク:

高知第三の物部川を遡る

高知の山道、山の子ども

高知学ホームページに戻る

 

(おわり)

 

 

 

2019年5月8日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学109 高知から徳島へ.山間を通る「一直線」の道

高知から徳島へ.車では三つのルートがあります.

普通は高知道、徳島道の高速道路を通るルートで、2時間半ほどです.

京阪神への高速バスもこの経路ですが、一旦瀬戸内に出て再び山に戻り、吉野川筋を下ることになります.

第二は室戸岬を廻るルートです.

尖った三角形の二辺を通る大迂回で、時間はかかりますが、爽快な海の風景です.

第三は真っ直ぐに山地を縦断する国道195号線です.

これを行きましょう.

 

2019年4月28日 最終版

 

1.高知から大栃へ

 

(物部川.向こうの山間から流れ出る)

 

195号線は高知では物部川を遡る.

四ツ足峠を越えて徳島県に入る.

そして那賀川に沿って下る.

高知から西へ、物部川が山地から平野に入るところが土佐山田である.

 

(土佐山田駅前)

 

土讃線土佐山田駅前の十字路にある標識は、195号線で右高知、左徳島、とある.

徳島なら常識的には右に行って高速だが、国道的には誤りではない.

土佐山田から195号線を大栃まで、JR四国バスが運行されている.

その前身は国鉄自動車、さらに前は(鉄道)省営であった.

鉄道を敷設する計画があったことが関係しているのであろう.

 

(神母ノ木)

 

物部川上流の山々は豊かな森林である.

今はダムがあるが、昔は山奥の木材は大栃で筏に組まれ、神母ノ木(いげのき)まで下った.

ここで筏を解き、一本一本を人工の舟入川に流す.

この辺り、筏師などで大変賑わった町だったのだ.

右の丘の上には高知工科大学がある.

 

(アンパンマンミュージアム)

 

沿岸はやなせ・たかし氏の出身地であり、ご本人が計画したアンパンマンミュージアムがある.

傍に小さなホテル、奥には絵本の図書館がある.

アンパンマン施設は横浜などにもあるが、山の中で小さいけれど、心温まる施設ではないだろうか.

 

(大栃橋)

 

土佐山田から約20km、高知側最後の町が大栃である.

国道は北岸に移るが、その橋は風格あるトラスである.

しかし狭いため新しい橋を建設中である.

アーチ橋で、ガードマンに組立日程を聞いたので、また見に来よう.

 

(物部川河岸)

 

物部川は山を深くえぐって流れ、集落や道路は崖の上にある.

従って、両岸の行き来は狭い山道を上がり降りして、低い場所にある橋を渡っていた.

 

(仙頭大橋)

 

今は、高い土地を直接結ぶ橋がつくられている.

焦茶の錆色なので、通りがかりの人から役場に「錆びているではないか」と注意が入るという.

しかしこれはCuなどを含んだ耐候性鋼で、一旦表面に錆の膜ができるとそれ以上は進行しない.

塗装の必要がないのでメンテナンスフリーなのだ.

利用するどれだけの住人がいるかだが、森林もあるし、山越えをすれば安芸市の畑山温泉に通じる.

 

(山の果樹園)

 

奥に行くに従って平地が少なくなる.

昔はこの辺りでも焼畑農業が行われていたという.

今はユズなどの果樹である.

 

(物部川の渓谷)

 

次第に川幅が狭くなり、道路は谷につくられたコンクリートの土台の上を通る.

以前は森林鉄道もここに敷設されていた.

車を止めて川を覗くと、河鹿の声が聞こえてくる.

無人の谷間に見えるが、昔からの街道がずっと上の山腹にあり、集落が続いている.

 

(べふ峡温泉)

 

県境の峠の麓が別府峡温泉で、奥の峡谷は紅葉で知られる.

その先は1,300mまで上がる林道が続き、下ると大栃に出る.

車の多いシーズンは一方通行であった.

1,800-1,900m級の白髪山、三嶺の登山にも利用された.

 

(西熊林道から.2001年)

 

しかし崩落で10年この方通行止になっている.

復旧はもう諦めているのかもしれない.

 

(四ツ足峠へ)

 

道はヘアピンカーブになり、県境の四ツ足トンネルに入る.

昔の峠には、土佐、阿波の境界にまたがるお堂があるという.

それを偲んで、トンネル中ほどの壁面に祠がつくられている.

 

(スーパー林道入口)

 

トンネルの先が剣山スーパー林道の入口である.

50km余り、日本最長のダート道とされ、バイクのライダーに知られている.

しかしこれまた長い間通行止になっている.

 

(那賀町木頭)

 

峠を下ったところが那賀町木頭、以前の木頭村である.

かつて建設省の国道拡幅計画に対して村長が、今で何の不自由もないから不要だ、と発言した.

公共工事が全盛であった当時、政策に異を唱える反骨者と受け取られた.

山の中の道は若干狭いところもあるが難儀するほどではない(その後拡幅したのかもしれないが).

しかし集落の中に対しては、大幅な立ち退きをするか、人の住まないところにバイパスをつくるか、ということになる.

 

(図書館の前)

 

文化センターにある図書館に行った.

実は木頭への目的は、村史により付近森林軌道の経緯を知ることにあった.

その後、図書館手づくりの町内マップをもらい、ギャラリーのあるカフェで遅いランチをとった.

窓から対岸の護岸工事が見える.

殺風景なコンクリートではなく、石積み風である.

 

(護岸工事)

 

ここから海岸近くに出るには、ダム湖の横を延々と通って、これまでと同じくらいの時間がかかる.

徳島市内までバスがあるが、3時間余りを要している.

徳島県といえば、吉野川沿いの田園と夏の阿波踊り、というのどかなイメージである.

しかしこれは北のごく一部で、大部分は深い山々である.

特に高知との県境一帯は、四国に残る数少ないツキノワグマが安心して暮らせる?無人の地域である.

縦貫道は続くが、来た道を戻る.

 

(ゲートボール)

 

運動場ではゲートボールをやっている.

町内福祉施設に来ている人たちかもしれないが、元気な人が多いのだ.

 

(ローバの休日)

 

(おわり)

 

関連記事リンク:

焼畑農業の椿山

桧と棚田の本山

高知学トップページに戻る

 

 

2019年4月23日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学108 高知東部の海岸.手結岬から室戸岬へ

高知の海岸は、太平洋に向かって丸く円を描いています.

東の端が室戸岬で、西の端が足摺岬です.

もっとも奥深いところが桂浜です.

東と西では海岸が全く違います.

東は隆起した土地で、海岸まで台地が迫り、集落や道路は海の傍にあります.

西は沈降した土地で、断崖が続き、近づき難い海岸が多いのです.

東部の海岸を辿ってみます.

 

2019年3月22日 最終版

1.手結岬

 

(手結岬)

 

海岸全体としては円弧なのだが、滑らかなカーブではなく、ところどころに少し突き出た岬がある.

手結岬はその最初で、越えるために標高50mだが小さな峠があった.

向こうに見えるクレーンは浦戸湾にある造船所で、その横の山は高知市街を見下ろす五台山である.

 

(春先の漁)

 

今日は漁船が多く、目に入るだけで36隻出ている.

春になるとシラス漁が盛んだ.

イワシの稚魚だが、2隻の船で細かい網を引いて集める.

生のものをドロメ、茹でたものをシラスと呼んでいる.

網元のスーパーの品書きでは、

「船上で氷で締め、2時間以内に持ち帰る.その後20分以内に茹でる」とあった.

 

(西分漁港)

 

ところどころに小さな漁港がある.

西分では9時半からセリが始まる.

ヒラメが何枚か上がっている.

沢山のグレ(メジナ)が箱の中で跳ねている.

 

(ノレソレ)

 

ドロメの網で揚がったレンコダイの小魚の中から、アナゴの稚魚であるノレソレをピンセットでつまんでより分けている.

ノレソレはそのまま食べるが、白魚のようなもので、味というより食感である.

あまり捕るのでアナゴが減少したとも言われるが、狙っても捕れるわけではないようだ.

子ダイには商品価値がなく、せいぜいダシにするくらいらしい.

クジラが居れば食べ尽くされそうだ.

 

(土佐カントリー)

 

港の上にはゴルフ場があり、3月に沖縄に次いで2番目の女子プロトーナメントが行われる.

 

(琴が浜)

 

西分漁港の東6kmほど、松林が続く琴が浜である.

粗い砂利の浜で、釣人の足跡があるが、左の岩の横から降りることができる.

何年か前の台風では下の砂利がすっかり流され、海底が見えて降りることができなくなった.

その後次第に砂利が積みあがって、今の姿になっている.

以前は人の背丈くらいの砂利の壁ができていたので、まだ半分くらいだ.

 

(崖のレストラン)

 

崖に突き出たレストランがある.

足場をつくり、先端に滑車のあるレール上で鉄骨を組んでいたので、何をするのだろうと思っていた.

骨組みができたところで、滑車を介してロープをかけ、ウインチで牽いて構造物を海に向かってせり出させた.

 

(安芸漁港)

 

安芸漁港の防波堤は日本一高いと謳っている.

ただしこれは津波のためではない.

津波なら港口を閉じる仕組みが必要だ.

 

(ノリのタンク)

 

新しいタンクが並んでいる.

作業中の若者に訊くと、アオノリの養殖だそうで、緑色の藻が流れに揺らいでいる.

高知大学のときから、室戸でアワビや昆布の養殖を研究していたHさんの技術のようだ.

 

(安芸中高校)

 

海岸に中高一貫の安芸中高校がある.

式典に出席したことがあるが、挨拶に混じって時折海鳥の声が聞こえてきた.

しかし津波への対応のため、高台にある工業高校に合併することになっている.

 

(安芸川)

 

この辺り、安芸川、伊尾木川、安田川と、山から直線的に急流が流れ出ている.

奥は豊かな森林である.

有機物の豊富な水が海に流れてプランクトンを育て、シラスの餌となるのだ.

鴨や鵜も中州に集まっている.

 

(伊尾木貯木場)

 

伊尾木川に沿って昔森林鉄道があった.

海岸で材木を下ろした貯木場は今も使われている.

35トン積のトレーラーで出荷しているが、昔の列車1本分はありそうだ.

ただし昔の森林鉄道の写真では、材木の形は太いものや曲がったものなど、一定していない.

今は太さもほぼ一定で、真っ直ぐである.

戦後に植林された木々が一斉に伐採されるためである.

 

(土佐湾の岬)

 

海岸に迫った台地の上は畑作地域である.

東を見ると、大山岬、羽根岬、行当岬が重なっている.

同じような形であり、一帯は徐々に海底から隆起して出来たのだ.

室戸岬はその陰でまだ見えない.

 

(化石採集地)

 

安田町の山の上にある27番札所、神峰(こうのみね)寺に向かう道の途中に「化石採集地」がある.

250万年前には海底であった、泥質の地層の中に貝殻が埋まっている.

化石といっても石のように変質しているわけではなく、土にそのまま埋まったようなものだ.

ツルハシや大きなシャベルで掘ることは駄目だが、小さなスコップで採集することは許されている.

これは昔から「石貝」として知られている.

弘法大師が漁師に貝を所望したところ、断られた.

その心根を改めるよう、食べられない土の貝にしてしまったという.

 

(室戸岬)

 

行当岬を回るとようやく室戸岬が見える.

24番最御崎(ほつみさき)寺や灯台に登るジグザグの道があるのでわかる.

 

(岬の海岸)

 

今日、岬の海は穏やかだ.

しかし水平線の先の海底にある南海トラフでは、今日もじりじりとフィリピン海プレートが日本の下に潜り込んでいる.

国土地理院が継続的に計測しているが、その運動によって室戸岬は毎年7mm沈んでいる.

次の南海トラフ地震は、2038年辺りの可能性が高いとされている.

そうすると、今海面から出ている小さな岩が見えなくなる頃だ.

地震が起きると、今度は一気に跳ね上がる.

昭和南海地震ではその量が1.1mだった.

この一帯はそれだけ高い岩場になり、波打際は大分向こうに変る.

 

(おわり)

 

関連記事リンク:

室戸の魚と台地の上

高知で地震を避難 1

高知学トップページに戻る

2019年3月17日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください