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高知学114 遍路の寺-讃岐その2 長尾寺、大窪寺、志度寺

いまお遍路のほとんどは自家用車(遠くの人ならレンタカー)によっています.

旅行社のツアーもありますが、季節は限られ、スケジュールに慌ただしいところもあります.

高齢になるとあまり歩きたくないのですが、遍路のお寺は交通不便なところが多いのです.

タクシーなどお金がかかることは避けたいので、できるだけ公共交通に頼りたいところです.

一方、歩き遍路で八十八か所一気に完歩、というのはさすがに少ないようです.

多くは区切ってお寺を訪ね、一旦帰ってまた次は前回のところから始めるやり方です.

一番ハードなのは、野宿で回ることでしょう.

遍路の原点ですが、地元で不評なのです.

汚い、辺りを散らかす、子どもが怖がる、お金を落とさない、などの理由です.

近くの駅では野宿防止のため、夜になると待合室に鍵をかけてしまいます.

 

2019年8月28日 最終版

 

1.87番 長尾寺

 

讃岐の遍路その2である.

高松からことでん長尾線、その終点から長尾寺は近い.

 

(長尾寺前)

 

88番への標識が見える、長尾寺の前の古い道には魚屋さんがある.

八百屋さんも見かけたが、今の時代、個人商店は高齢者にうれしい.

宿屋もある.

多くのお寺の門前には遍路宿があるので、遍路の泊まりには困らない.

自宅近くの遍路道にもある.

道から少し外れていることもあって満室は見たことがないが、一人二人と泊まって一隅で洗濯機を動かしている.

車だとビジネスホテルに泊まったりするため、この「お接待」は厳しいようで、廃業したところもある.

一方新規開業もあり、素泊り二千円、などと立札が出ている.

 

(長尾寺)

 

2.コミュニティバス

 

空模様が怪しくなってきた.

88番の大窪寺へ、さぬき市のコミュニティバスがある.

廃業した造り酒屋の前で掃除をしている婦人にバス停を尋ねた.

近くにあるが、待合室があるから大川バスの本社で待てばよいと教えてくれた.

 

(大川バス本社)

 

高速バスが発着する大きな本社だが、委託を受けて市のバスを運行している.

大抵のコミュニティバスは子どもの通学時間帯のダイヤで、部外者に利用し難い.

しかしここでははっきりと「大窪寺方面」と書かれている.

30分余り、着くのは昼時だがダイヤがうまくつくってあって、お詣りをして昼食をとる時間があり、到着から1時間半後に寺から戻れる.

 

(福祉センター)

 

マイクロバスの乗客は地元の人が二人、お遍路さんが二人、そして我々である.

コミュニティバスなので寄り道して運動公園と福祉施設を回る.

 

(雨の山道)

 

山に入ると本降りになった.

 

3.88番大窪寺

 

(大窪寺)

 

順に回ればここが最後のお寺、打ち留めなのである.

しかし歩き遍路の人の多くは、これで終わりという気持ちにはならず、またいつか回り始めるという.

 

(大窪寺の雨)

 

雨足が激しくなった.

本堂の廊下で雨宿り、じっと長い時間雨を眺めるのも思い出か.

休憩所で野宿で回る男性が濡れたものを乾かしている.

これから山を下って10番切幡寺に出て、あと五つで終わりだそうだ.

ガイドブックは1番から順だし、どこまで進んだかが判り易い.

しかし番号通り歩く決まりはないし、違える方が進み易い場合もある.

小降りになってきたので、手際よく荷物をまとめにかかっている.

食事から帰るともう姿はなかった.

 

4.86番志度寺

 

(志度寺)

 

大窪寺から長尾に戻り、バスはさらに志度寺へ向かう.

途中本社での15分休憩を挟んで1時間だが、どれだけ乗っても一乗車200円(休日は500円)である.

休憩で降りても有効である.

さぬき市のお接待だ.

 

(志度寺のお堂)

 

多くのお寺の境内は日本庭園であるが、志度寺は木や草が自然に生えたままになっている.

雨で藪蚊が多い.

近くにあるお寺を開設した上人は、命あるものだからと蚊さえ殺さなかったと立札の説明にあるが、そうはいかない.

 

(志度の街道)

 

志度寺を出て、ことでん志度駅へ向かう.

古い道にある個人商店の肉屋さんに道を尋ねる.

だれに訊いてもお遍路さんに懇切に道を教えてくれる.

スマホや地図を見るより「ふれあい」を感じるのだ.

江戸時代の眞念のガイドブックには地図や絵図はない.

通過する村の名だけが記されている.

近くの28番大日寺ではこんな具合だ.

「是より国分寺へ壱里半.ぼたひじ村、ぶようし村、といたしま村…」

大日寺を出て母代寺村に来ると父養寺村への道を尋ねる.父養寺に着くと戸板島の道を訊く.

これを繰り返す.

今はさぬき市のようにバスに1時間乗っても同じ自治体だが、昔は村の単位が小さかったためこれで十分なのである.

肉屋さんのショーケースの肉が美味しそうに見えたので、「持って帰れるものなら買うのだが」というと、

「そう気を使わないでも」と言われた.

 

(ことでん志度駅)

 

志度駅に電車がやってきた.

これで高松に戻れば、ことでん全三線完乗である.

 

 

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関連記事リンク:

5 お遍路さんはどんな人?どのように歩く?

75 コミュニティバス3 仁淀川町、中土佐町、安芸市

 

参考資料:

「四国遍路ひとり歩き同行二人」地図編、へんろみち保存協力会、2016.

眞念、稲田道彦訳注:「四国徧禮道指南」、講談社学術文庫、2015.

頼富本宏:「四国遍路とはなにか」、角川選書、2009.

 

(おわり)

 

2019年8月27日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学113 遍路の寺-讃岐 その1 出釈迦寺、曼荼羅寺、善通寺

八十八のお寺を巡る四国遍路、総延長は1,100km余りで、東京と大阪を往復する距離と等しいのです.

平安時代から、修行や巡礼のかたちで寺社や行場を巡る行脚が行われていました.

やがてそれが四国出身の空海、弘法大師への信仰と結びつきます.

現在の八十八か所にまとまったのは、江戸時代初期とされます.

その頃、僧・真念はガイドブックを記すとともに、迷いそうな個所には標石を立て、また山中に宿泊所をつくりました.

これによって遍路が随分歩き易くなりました.

自然発生的な経緯から、八十八のお寺の分布にはばらつきがあります.

高知県では、24番の室戸岬から38番の足摺岬の先まで、15のお寺が400km近くに渡って広がっています.

一方、かたまっている地域もあり、1番から始まる徳島近く、また88番で終わる讃岐などがそうです.

讃岐のお寺のいくつかを巡ってきました.

 

2019年8月23日 最終版

 

(善通寺のお遍路さん)

 

1.お遍路さんのいま

 

2019年の報道によれば、お遍路さんの全体数は最盛期から4割程度減少しているという.

これは、大型観光バスでガイドさんが旗を持って先導するような団体が減っているためらしい.

今も何回かに分けて巡るツアーの募集はされているが、車はバンを使って行動に小回りが利くようだ.

一方、本来の姿である歩き遍路は増加し、その中で外国人が増えているとのことだ.

自宅下方にある自転車道は遍路道になっているが、これは頷ける.

何年か前には、歩き遍路の団体ツアーも見かけたが、各人の歩行ペースは違うし、これは無理がある.

双六の上りへ急ぐのではなく、道中を楽しみつつ何かを求めるということなのだろう.

 

(遍路道のうどん屋.1番からの歩き遍路にはお接待)

 

2.73番出釈迦寺

 

(善通寺駅前)

 

土讃線の善通寺駅を降りる.

丸い山の下が善通寺で、山の向こうに出釈迦(しゅつしゃか)寺と曼荼羅(まんだら)寺の二つのお寺がある.

6km近くあるので、奥の出釈迦寺へタクシーで向かった.

 

(出釈迦寺山門から)

 

寺は高台にあり、晴天の今日、瀬戸大橋までよく見える.

 

(出釈迦寺本堂)

 

お遍路さんが一番多いのは春先だそうだ.

いまは8月、じりじりと日が照りつける.

誰もお参りがないようでも、いつのまにか一人、二人と境内に現れる.

そこが遍路の寺である.

 

(捨身ヶ嶽)

 

寺の背後の捨身(しゃしん)ヶ嶽は、幼い空海が山から身を投げて修行したという伝説の山である.

お堂が見え、熱心なお遍路さんはそこまで山道を登るということだが、とてもだ.

 

3.72番曼荼羅寺

 

曼荼羅寺は600mしか離れていない.

野道に入るとすぐ寺の茂みが見えてくる.

 

(曼荼羅寺本堂から)

 

遍路の寺には本堂、大師堂、納経所がセットになっている.

石碑や石像も多いが、ここは石のトーテムポールだ.

 

(山門から)

 

善通寺には下り坂になるので、歩いてもいいかと思っていたが、この暑さ.

タクシーを呼んで山門で待つ.

秋ならいい散策になるだろうが.

緑の稲田と、この地特有の富士山型の山が目の前である.

 

4.75番善通寺

 

(善通寺)

 

タクシーは善通寺の西側に着いた.

広い駐車場があって、うどん屋が立ち並び、大変賑やかである.

境内も広い.

善通寺は空海が生まれた地とされ、真言善通寺派の総本山である.

また金毘羅さんが近いので、セットで来る人も多いのだろう.

 

(善通寺本堂)

 

お遍路さんというと白衣の姿を思い浮かべるが、バイク姿もいるし様々である.

ハーフパンツの若者が手を合わせている.

 

(善通寺駅へ)

 

境内を駅に向かって東に出る.

駅まで徒歩15分とあるが、彼方の土讃線陸橋が霞んで見え、もっとありそうだ.

道の背後、真っ直ぐに午後の太陽があり、建物や並木の入れる影がない.

両側の商店のシャッターは閉ざされて人影もなく、余計に疲れる.

何でもないところでの苦闘が後々印象に残る、などと痩せ我慢で歩く.

大きな精麦工場があり、全部うどんになるのかどうかわからないが、さすが讃岐である.

 

(自衛隊トラックと精麦工場)

 

善通寺には、日清戦争後の1898(明治31)年に、全国六の内一つの陸軍師団が設置された.

初代師団長は乃木将軍である.

善通寺の街は「軍都」と称されて賑わった.

いま面積は縮小されているが、それでも四国最大の自衛隊駐屯地になっている.

「免許取り立て」の大型トラックが何台も練習で走り回っている.

南海トラフ地震への対応も重点施策らしい.

 

(善通寺駅)

 

善通寺駅にやっと着いた.

JR四国の駅は一時、趣味の悪い色や装飾で劣悪な景観であったが、今は落ち着いている.

キオスクはセブン-イレブンだが、控えめな看板である.

鉄道ファンとして、ここしばらく高松琴平電鉄に乗っていなかったので、琴平まで戻り、ことでんで高松に向かった.

 

(JR高松駅)

 

明日はまた三つのお寺を回る予定で、予報では雨だが、JR駅背後に月が出ている.

 

関連記事リンク:

81 歩き遍路の道1 大日寺から

44 自衛隊高知駐屯地の公開

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(おわり)

 

2019年8月22日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学112 高知の村1-馬路村

「田舎」といえば市や町ではなく、「村」を連想します.

ところが今、全国的に「村」は貴重となって、1,741自治体中183しかありません.

四国では香川、愛媛には村がなく、徳島は佐那河内(さなごうち)村一つです.

一方、高知には村が六つあります.

馬路、北川、芸西、日高、大川、三原です.

順次訪ねてみましょう.

最初は馬路村です.

 

2019年7月14日 最終版

 

(滑り台で校庭へ.魚梁瀬小中学校)

 

1.高知の村

 

村の数が減少したのは、合併が進んで町や市になったためである.

ではなぜ高知で進まなかったのか.

「あいつらと一緒になれるか!」などという、いごっそう気質もないとは言えないかもしれない.

しかし基本的に高知県は広い.

東は室戸岬のはるか先で徳島県の和歌山に近い辺りから、西は足摺岬の北で愛媛県の九州が見えるところにまで広がっている.

しかもその間は、出入りの多い海岸、一歩入れば深い山々、など各地域が孤立しやすい地勢である.

詳しく見れば六つの村は、それぞれにそうなる理由がある.

 

 

2.馬路村

 

高知に来なくても「ごっくん馬路村」など、ことさらに山の村イメージを強調したゆず製品に接した方も多いだろう.

自分も20年以上前、東京にいるときから鍋には馬路のポン酢を使っていた.

馬路村の96%は山林、さらにその75%は国有林だから、馬路は「国有林の村」なのである.

2019年現在の人口は777人で、高知最小であって一時村議会の存立が議論になった大川村の407人に次ぐ.

しかし2010年から2015年までの人口減少率は18.8%で、高知でもっとも大きい.

大川村の衰退は銅鉱山の閉鎖のためであったが、馬路村は国有林政策と関係する.

 

(馬路の集落)

 

3.馬路へ

 

馬路村はもともと別の村であった、馬路(うまじ)地区と魚梁瀬(やなせ)地区に分かれている.

それぞれが林業の基地であり.営林署がそれぞれにあった.

昔、森林鉄道は海岸からまず安田川沿いに馬路に向かって敷かれ、その後さらに奥の魚梁瀬まで延ばした.

 

(元森林鉄道の鉄橋-トラックの通行で破損し修復中)

 

その後並行して奈半利川沿いにも魚梁瀬までの線路がつくられた.

現在の道路はほぼ森林鉄道と同じ道筋で、安田川、奈半利川の2ルートがある.

安田川を遡る.

 

(安田川)

 

鮎釣りのシーズン、おとり鮎や鑑札提供の看板が目立つ.

 

(直販所)

 

直販所には「ダムのない」とあるが、確かに他の川と違って安田川は雨が続いても濁らない.

上流が馬路である.

釣師へ「鮎買取ります」の貼紙があり、8時から2時までとあるので、宅配便の当日発送の時間に合わせているのであろう.

 

4.馬路

 

馬路には海岸を通る国道55号線から分かれて約30分で着く.

 

(直販所からゆず工場が見える)

 

ゆずの工場はだれでも見学可能だが、およそ考えられるあらゆる種類のゆず応用飲料、食品がつくられている.

化粧品工場もあってこれもいろいろだが、さすがに山村イメージは前面に出していないようだ.

 

(左の農協の建物が元の営林署)

 

元の営林署から奥が馬路のメインの通りである.

昔は道路というより森林鉄道の軌道敷で、線路が2本あって、便乗のお客もここで乗り降りして賑わった.

 

(馬路の川原)

 

丁度日曜で、鮎師と共に川遊びの一家がいる.

お母さんが覗き込んでいるのは魚ではなくスマホのようだ.

 

5. 魚梁瀬

 

魚梁瀬へはさらに30分山に入る.

峠から集落が見える.

 

(橋の向こうが魚梁瀬)

 

魚梁瀬ダムの建設によって昔の集落は湖に沈み、台地に移転した.

もっともダムそのものは北川村にあり、湖が馬路村魚梁瀬なのである.

 

(森林鉄道の車庫)

 

台地の一角は公園になっていて、森林鉄道の保存車庫がある.

日曜には、1,000円で一周400mの線路を2周、体験運転ができる.

 

(魚梁瀬小中学校)

 

小中学校は全校生徒17人である.

しかし木の床は美しく磨かれ、これから使うプールは汚れ一つなく清冽な水を湛えている.

今まで見た四国の学校ベストスリーを挙げるなら、この魚梁瀬、愛媛県の久万高原中学校、日土小学校だ.

 

(魚梁瀬の街路)

 

ニュータウンがつくられ、すべてが新築で移転したのが1965(昭和40)年である.

50年以上経つのだが、老朽化した家、空家が年々増えている.

 

(元魚梁瀬営林署)

 

昔の森林鉄道で搬出された木材は天然の巨木で、径も大きいが曲がりもあった.

今トラックで搬出される木材は、戦後植林されて50年以上経った森林からであり、径は小さいが真っ直ぐである.

カイワレ大根のパックを連想させる.

魚梁瀬では天然木の伐採を終了し、100年、200年そのままにして、ひたすら大きい木を育てる方向である.

今も樹齢300年以上の杉が1万本はあるらしいが、江戸初期から通算すると100万本を伐ったという.

ただそうすると生産拠点である営林署を現地に置く必要がなくなる.

魚梁瀬営林署は1999年に廃止された.

 

(黄色の建物は農協の販売所)

 

魚梁瀬に活気が見られない要因だが、それでどうだというのだろう.

 

(千本山、県境の山々は霧)

 

目の前には自分の庭に等しい池と山がある.

 

 

林道はダム湖の周囲を巡って勾配がないから、自転車で巨木の山や紅葉の谷に行ける.

安芸の高校への通学に設定されている朝6:22のバスに乗れば、高知市内で一日用を足して、19:41に山に帰って来られる.

公園に温泉があるから家で沸かす必要はない.

診療所は週2日だが、ヘリポートがあり緊急時にドクターヘリが来てくれる.

 

(観光旅館・満木荘)

 

一泊二食8,500円の旅館があるから、友人が来ても宴会ができる.

 

関連記事リンク:

17 森林鉄道のパイオニアとレールの発掘

63 高知の山林を訪ねる

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(おわり)

 

2019年7月10日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学111 高知から松山へ.国鉄特急バスの道

高知と四国の他県、香川、愛媛、徳島とは、どのように繋がっているだろう.

「壁」があるわけでもないし、今ではトンネルがあって、国境の峠はない.

人の行き来を遮るものはないし、人種が違うわけでもない.

江戸時代の「藩」が残った行政上の区分である.

 

2019年6月10日 最終版

 

(改築中の道後温泉本館)

 

1.高知と他県

 

高知と他県との繋がりの程度は、高速バスの運行状況からわかる.

高知・高松:13往復

瀬戸大橋ができるまで、本州と四国間の行き来は、高松と岡山県の宇野を結ぶ連絡船によっていた.

今は高松を経由しないが、行政の出先機関や四国支店は高松にあるため、この結果になっているのだろう.

JRでも直通の特急がある.

高知・松山:10往復

松山は四国最大の都市であり、瀬戸内海沿岸は工業地帯である.

昔から交通はバスが主体で、高速道路のない時代でも1時間に1本、15往復、国鉄の座席指定特急バスが運行されていた.

JRは多度津で乗換だが、遠回りになるため利用客はいないし、接続ダイヤもない.

高知・徳島:4往復

同じ四国でも、両県の結びつきは極めて少ないことがわかる.

JRでは一応、阿波池田で土讃線の特急と徳島線の特急が接続するダイヤになっているのだが、乗換える乗客はいない.

徳島線の特急は吉野川沿岸の町々を結ぶためのものである.

 

 

2.国道33号線を佐川へ

 

(高知の中心、はりまや橋)

 

高知から松山へ、今は山脈を横切って瀬戸内に出る高速道路の利用が普通である.

ここでは、はりまや橋の道路標識通りに、昔特急バスが通っていた国道33号線を進む.

伊野、日高を過ぎて佐川に入ると辺りは田園になる.

 

(佐川地質館)

 

佐川には、かつて鉄道の専用線迄あった石灰岩鉱山と共に、コンパクトなカルストもある.

そんなことから地質館があり、入口を入るとまずテラノザウルスが吠えかかる.

中庭では小学生が石をハンマーで叩いて、化石を探していた.

学芸員によれば、本当は現地で探せばよいのだが、遠いので土を運んできたそうだ.

あった!と次々に割った石を見せている.

大抵は二枚貝の化石だが、アンモナイトはないの、と訊く子どももいる.

年に二つくらい見つかるのだがね、との答えだった.

 

3.仁淀川のダム

 

(筏津ダム)

 

仁淀川の岸に入るとダムが現れる.

最初にある筏津は、1958年にできた発電用ダムである.

落差は25.5mで、巨大ダムを見慣れた目からすると、いかにも牧歌的である.

発電出力は1万kWで、原子力発電所の1/100相当だ.

 

(筏津ダム湖)

 

渇水に備えてか、いまダム湖は満杯である.

香川の灌漑に使う早明浦ダムでは取水制限をしているのだが.

 

(仁淀川の谷間)

 

先には渓谷が続く.

ダム湖の下にこのような谷間があったのだ.

 

(大渡ダムの堰堤上)

 

大渡(おおど)ダムは、1986年につくられた国交省直轄の治水、灌漑、発電などの多目的ダムである.

落差96mで、これがいまダムと言って連想する姿であろう.

 

(大渡ダム湖)

 

ダム湖には、対岸を結ぶ釣橋がかけられている.それだけ沈んだ面積が広いのだ.

 

(茶畑)

 

岸には茶畑が多い.

仁淀川町の名産はお茶である.

この辺りで愛媛県に入り、同じ川なのだが、名前は仁淀から面河(おもご)に変る.

 

4.愛媛県

 

(上黒岩遺跡)

 

道の近くに上黒岩岩陰遺跡がある.

1961年、傍の家に住む中学1年の男の子が、埋まっているものを見つけた.

発掘調査が行われ、14,500年から10,000年前、縄文の早い時期の土器、人骨などが発見された.

女性と思われる線刻が施された、手のひら大の平らな石も見つかっている.

発見地は屋根で覆って保存され、傍には展示館がある.

 

(遺跡の傍)

 

なぜ縄文人はここに住んだのだろう.

1万年前の地形はわからないが、魚や動物を獲る山や川はすぐ傍にある.

大きな岩の陰だから、風雨を避けるには良かっただろう.

しかし「急傾斜地崩壊危険区域」だから、山崩れで埋まったのかもしれない.

 

(久万高原町)

 

久万は、松山から来る特急バスの最初の休憩地であった.

道幅は広くのびのびとして、木造校舎の中学校は趣がある.

もうここは松山の通勤圏である.

三坂峠を下りに下る.

ハイブリッド車は、発電ブレーキで電池がすぐ「満タン」になる.

 

(三坂峠から)

 

松山の平野が見えてくる.

焼物の町、砥部まで来ると道路は次第に混雑し、松山の市街に入る.

 

5.寒風山

 

瀬戸内の魚を食べ、部屋数7の旅館に泊まり、広いデパ地下に行く.

高知への帰途は、寒風山トンネルを通る国道194号線である.

 

(西条市の194号線)

 

194号線は松山の東、西条から寒風山トンネルを抜け、仁淀川沿いに出る.

古くからの峠道だが、横断道として機能するのは、1999年の新寒風山トンネルの開通以来であろう.

33号線と比べて格が落ちるようにも思うが、新しいだけに道幅は広く、屈曲が少ない.

その割に交通量が少ないので、ツーリングのバイク集団によく出会う.

 

(寒風山トンネル)

 

トンネルは5,432mと長いので、横に避難トンネルがつくられ、ところどころで本線と繋がっている.

 

(仁淀川、越知町)

 

33号線で遡った仁淀川に出る.

辺りは一面の砂利の河原である.

 

(面河川、小松谷)

 

上流では家より大きい岩が転がっていたのだが、砕けてここに至ったのだ.

 

 

(おわり)

 

関連記事リンク

45 仁淀川と伊野、佐川

57 瓶ヶ森と天狗高原

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2019年6月3日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学110 標高600m、棚田を見渡す八畝スカイライン

高知を縦断して流れる吉野川.

沿岸の大豊町、本山町、土佐町に棚田が広がっています.

土讃線の大杉駅、高速道路の大豊ICを真ん中にして、東西の30kmが棚田地帯です.

東は国道439号線の京柱峠近く、西は早明浦ダム辺りまでです.

棚田は川の南岸にあり、北岸にはありません.

南岸と北岸では地質が異なり、北岸は山の傾斜が急で、水田をつくることが困難なのです.

大杉駅近くから南岸の山に上がり、棚田の上、標高600m辺りを東へ山道が通っています.

一車線で道路標識もありませんが、個人的に「八畝(ようね)スカイライン」と呼んでいます.

 

2019年5月13日 最終版

 

1.棚田に上がる

 

(炭焼き)

 

大豊ICを出てトンネルを抜け、国道32号線の交差点を直進して山に上る.

しばらくは炭焼窯などがある森の中の道だが、上がると視界が広がるスカイラインだ.

 

(山上の道)

 

やや広い一車線なので、反対から車が来ても場所を選べばすれ違いができる.

ダート道ではないから四駆の必要はないが、望ましいのは軽または小型乗用車である.

ミニバン、大型SUVはやめた方がよい.

というのは、あちこちでやっている災害復旧工事の迂回路の多くが極狭路のためだ.

 

(何年も通行止だったが、ようやく8月までらしい)

 

 

(棚田の田植え)

 

5月、棚田には水が張られ、田植えが始まった.

 

(対岸の山々)

 

水田の先に見える山との間の谷底を吉野川、土讃線、国道32号が通っている.

河床の標高が200mなので、道との標高差は400mである.

 

2.ぽつんと一軒家

 

 

(山上の道)

 

道は山腹をうねって続く.

林道や生活道なので、カーナビはあまり役立たない.

登山と同じく、1/25,000の地図がよい.

分かれ道もあるが、タイヤの跡の多い方を辿ればよいので、迷うことはない.

 

(一軒家)

 

「ぽつんと一軒家」のテレビ番組があるが、ここでは候補に困らない.

そのような家に入る道には、入口に表札が置かれている.

 

(対岸の一軒家)

 

谷を隔てて対岸の山にも一軒家が見える.

屋根が光っているのでそれとわかる.

 

3.八畝と怒田

 

棚田がもっとも大規模に広がる地域が、八畝と怒田(ぬた)である.

 

(イチョウ)

 

八畝の入口には、ランドマークとなる樹齢500年とされる大きな乳銀杏がある.

昔からお乳がよく出るように、祈願されてきたということだ.

 

(怒田)

 

ここから怒田地区の全体が見渡せる.

山の上から谷底まで、棚田が広がっている.

今いる八畝の棚田は、川まで下りて上がって、怒田から見ないとわからない.

 

4.地すべり地帯

 

(地すべり防止)

 

棚田は地すべりの産物である.

山の中で耕作ができる緩い傾斜地は、地すべりの結果である.

水田で必要な水は、地すべりが起きやすい地下水を大量に含む土質から得られる.

「八畝」とは、地すべりが進んで水平が保てず、高いところを削り低いところを埋め、棚を細分化することから来ているらしい.

「怒田」とは、地すべりで田に亀裂が入ることからだという.

高知県の古い看板があるが、地すべりの結果は地域に留まらず徳島県一帯にも及ぶので、対策は国の直轄事業となっている.

 

(集水井)

 

産業技術総合研究所・地質調査総合センターによって、全国の地質図が作成され、ネットで閲覧することができる.

この棚田地域は緑色変成岩、緑泥岩などからできている.

御荷鉾(みかぶ)帯と呼ばれるが、風化、破砕しやすく、大量に水を含み易い性質がある.

底では変質して水を通さない粘土になる.

洗面器に泥を溜め、傾けた状況にあるのだ.

土地の水抜きが大きい課題である.

周囲の穴から水を集める集水井や排水トンネルがあちこちにつくられている.

傍に寄ると流れる水音が聞こえる.

 

(怒田から見た八畝)

 

山腹にはいくつかの筋が見えるが、人工の排水路である.

 

(GPS位置センサ)

 

そんなに危ないところなのか、と思われるかもしれない.

GPSによる位置情報センサが点在し、地盤の変動がリアルタイムでモニターされている.

予想もしなかったところで地すべりを生じるより、ずっと安心だ.

 

(見下ろす谷間)

 

防災科学技術研究所から、航空写真より判定した地すべり地形分布図が公開されている.

地すべりが活発な地域は新潟と四国という.

スキー場も地すべりの産物のようで、高いところの急傾斜は上級者、末端の緩い傾斜はビギナー用になる.

本図による地すべり地形の面積では、全国に占める四国の割合は14%だそうだ.

 

(崩壊した河岸)

 

この地域では60年の計画で、地すべり対策工事が進められている.

いま半分を過ぎたあたりらしい.

八畝と怒田の間の南大王川、10年以上も前から河床を広げ、堰堤を築き、大工事が行われていた.

失礼ながら、早くも?岸が崩れている.

紺屋の白袴という気もするが.

そういえば、出発した高速道路の大豊ICの先の山腹で先日崩壊があり、上り2車線の橋が流された.

下り車線を利用して対面通行が行われている.

当事者のコメントでは、ここで崩れるとは予想もしていなかったという.

大規模工事には、どこかにまだ計算できない要素があるのだろう.

 

 

参考にした資料

・藤原治、斎藤眞 編著 :「トコトンやさしい地質の本」.日刊工業新聞社、2018.

・上野将司 :「危ない地形・地質の見極め方」.日経BP社、2012.

・鈴木堯士 :「四国はどのようにしてできたか」.南の風社、1998.

・地質図Navi:https://gbank.gsj.jp/geonavi/

・地すべり地形分布図 : https://dil-opec.bosai.go.jp/publication/

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(おわり)

 

 

 

2019年5月8日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

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