ブログ

サイト管理人のブログです。

ブログ一覧

高知学123 香南市夜須町の「何でもない風景と道」3

どこにでもある「何でもない風景」.

しかしその中に、何か惹かれるものがある、何か記憶に残るものがある.

住んでいる香南市夜須町で、ウオーキングに行く自宅から2kmの範囲で記します.

その1は東、その2は西、今回は最終回の北です.

 

2020年3月1日 最終版

 

南は海だが、北は山.

山に行く道は、谷から尾根に上がって三つある.

東から順に.

 

1.江本農園から土佐カントリー

 

(江本農園)

 

自宅から谷筋を隔て「スイカ屋えもと」のハウスが見える.

空中にぶら下げて育て、果実に残した2方向の蔓がアンテナのように見える「アンテナスイカ」が売物だ.

 

(荒地の谷)

 

間の谷は耕作が放棄され、すっかり荒地になっている.

以前は何とか奥まで行けたのだが.

人が入らなくなれば豊かな自然が戻るように思われるが、そうではない.

小川には小魚が沢山泳いでいたが、台風の雨で流されたのか、今は見ない.

蛍もときどき自宅まで現れたが、何年も見たことがない.

 

(土佐カントリー)

 

奥に進むと土佐カントリーの横に出る.

白杭が目立つ足摺コース1番だ.

イノシシがミミズを求めてグリーンを掘り返すので、道には柵がある.

 

 

2.住宅地

 

次は、ひと山西になる道である.

 

(土手の草刈り)

 

段になった畑の土手の草がきれいに刈られている.

梯子をかけて草刈機を振り回す大変な作業だ.

以前は全部きれいに刈られていたが、今は刈り残しがある.

 

(森のトンネル)

 

山道を上り詰めて横に入ると、造成された住宅地の上に出る.

 

(山の住宅)

 

向こうに見えるのは土佐カントリーの足摺2番ホールだ.

 

(ごめん・なはり線)

 

高速道路はこの辺りを2本のトンネルで抜けているが、ごめん・なはり線も同様で、少しだけ顔を出す.

工事をしていたとき、下に飯場があった.

犬を連れて散歩をしたが、親方によく可愛がってもらったものだ.

 

(ウオーキング)

 

老婦人が車を押して上がってきた.

息切れする坂が続くが、この先に家はない.

どこまでと訊くと、峠まで、と微笑んだ.

使い込んだ手押車には、バランスのため煉瓦を1個積んでいる.

農作業はもうリタイヤされたらしい.

 

3.最北地点

 

草刈りの土手から上がると見晴らしの良い台地に出る.

 

(争いの地)

 

かつて境界紛争があったようで、「杭を移動した者は刑事告訴する」の看板が転がっている.

左に行けば自宅付近に出るのだが、笹が茂って、しばらく通っていなかったため道がどうしてもわからない.

紛争はどうなっただろう.

 

(標高150m)

 

アンテナと住宅が見える.

あのアンテナがウオーキングの最北点で、標高は150mである.

 

(海を見渡す)

 

そこでは下に自宅があるご夫婦が畑作をしている.

もっとも眺めの良い農地である.

 

4.田舎暮らし

 

昔からの集落は別として、新しい家々は「田舎暮らし」ということになろう.

歩いていると、田舎暮らしのアイテムがいろいろ見受けられる.

1)薪ストーブ

暖かい高知でストーブは要らないとも思うが、炎は心が安らぐ.

ホームセンターでキットを売っている.

 

(山のおうち)

 

2)露天風呂

やってみたくなるもので、五右衛門風呂を露天に据えた家もある.

ただ裸で風呂から出て追い焚きを行う、屋外で掃除も大変、など長続きはしないようだ.

屋外プールも同じである.

3)芝生

自宅にもあるが、植木と同様、草取り、芝刈りなどの作業が好きでないと草叢になってしまう.

パットは困難としてもアプローチの練習くらいはできるが、自宅ではすぐ飽きてしまう.

4)魚を飼う

座敷から下り下駄履きで池の鯉をポンポン、という姿はないが、水槽で多種の魚を育てている人はいる.

以前、動物園にあるような大きな鳥籠を設けた家もあった.

 

(建築中)

 

5)自宅をつくる

顔を合わせる元大工さんは、いつも何かしら家の増築をしている.

あちこちから集まる廃材を使っているが、最終の姿はご本人もわからないのではないか.

ふとんの輸出を業にしているオーストラリア人Sさんは、近所で夕方、休日に来てリフォーム中である.

小さい平凡な平屋がゴージャスな空間に変貌しつつある.

6)菜園

結局のところこれが一番のようだ.

プロ級のハウスから、少量を直販市に出すセミプロ、おかずの足しなどレベルはいろいろだ.

夜須の直販市は、フェンネル、アイスプランツなどハーブが多いのが特徴である.

我家ではいまソラマメが花で、こぼれ種のパクチー、セルフィーユが草叢になっている.

 

(住吉漁港)

 

海は近く、漁港はもちろんプロの漁師さんの生活の場である.

しかし田舎暮らしでは、意外に釣り好きの人はいなくて農業系である.

夜中から瀬渡しに、明方から遊漁船など、釣りには機動性のある市内のマンションが適合しているようだ.

 

(おわり)

 

関連記事リンク:

106 高知の中心から5km圏に何がある?

107 高知の中心から8km圏に何がある?

高知学トップページに戻る

 

 

 

 

 

2020年2月27日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学122 香南市夜須町の「何でもない風景と道」2

「何でもない」風景、日常7,000歩くらいのウオーキングで歩く、自宅から2km余りの範囲です.

先日、集りで大阪へ飛行機で行き、伊丹空港からモノレール、阪急で梅田へ、買物をして西梅田の会場に行ったらこれで7,000歩でした.

田舎ではみんな200m以上なら車で行きます.

都会の方がずっと歩くのです.

その1では自宅から東の方向でしたが、今回は西の方向です.

 

2020年2月17日 最終版

 

(廃線跡を歩く)

 

1.自転車道を西へ

 

自宅下に土佐電鉄の線路跡を利用した自転車道がある.

ウオーキングやランニングでもよく利用されている.

ここを通って夜須の町まで行くには、短い2本のトンネルを抜ける.

現在同じ区間を土佐くろしお鉄道、ごめん・なはり線が通っているが、ずっと山側に新しくトンネルをつくっている.

 

(登龍門トンネル)

 

古い二つのトンネルには名がついていて、扁額がある.

東は「登龍門」、潜って都会に行く若者の出世を願ったのだろう.

 

(海浜学校前)

 

トンネル西口には元「海浜学校前」のホームがある.

山の間を行くと海岸に出る.

臨海学校に来た子供たち、ここでわいわい言って降りたのだろう.

帰りはトンネルの向こうで警笛が聞えると、「来た来た」と騒いだことだろう.

もう1本の名は「制天工」である.

天工とは人工の逆で、大自然のことをいう.

短いトンネルで、大自然を制す、とはいささか大げさだが、それだけ鉄道への期待が大きかったのかもしれない.

 

2.手結

 

(夜須)

 

付近の山から夜須(やす)町の中心部が見える.

右下が古い手結(てい)港、その左に船が並んでいるのが新港.

これらの左の砂浜が旧海水浴場で、今はヨット、パドリングの基地.

川の左に広がる砂浜が、ヤ・シィパークと名付けられた新海水浴場で、津波避難タワーが建っている.

二つの浜の間が夜須川で、冬は鴨が来るしウナギもいる.

その先が中心部である.

 

(手結港)

 

手結の古い港は、1655年に野中兼山によって、陸を掘り込んでつくられた.

今では簡単に防波堤がつくられるが、当時荒波を避け、舟を浜に揚げることなく係留するために大工事を行ったのである.

修復、修景の工事が行われて、石垣と取り巻いて並ぶ家々が昔の姿を留める.

 

(銭湯)

 

横丁には元の銭湯がある.

煙突もあったが、倒壊の恐れがあるため取り除かれた.

海で冷え切った漁師さんが暖まりに来ただろう.

 

(ボードウォーク)

 

海水浴場には長いボードウォークがあって、ここで運動する人も多い.

ウオーキングの西端で、腰かけて一休みする.

 

3.灯台の道

 

自転車道のトンネルを通ってきたが、海岸の道もある.

 

(崖に立つ家)

 

丘の上のホテルの横から、高台に別荘風の家が立つ.

貸別荘もある.

 

(海岸の家)

 

海浜学校のあった場所には、市営のサイクリングセンターがある.

 

(水路の上で)

 

夕方、仕事帰りの車が止まって手軽に釣を楽しんでいる.

高校生もいる.

 

(手結岬)

岬の道の右に灯台がある.

足元の崖が台風で崩れているので冒険は危ない.

 

(灯台から西)

 

先に海水浴場の避難タワーが見える.

この辺りの崖は、台風の波で少しづつ崩れている.

下の浜は崩れた岩石だ.

日単位ではわからないが、年単位で見ると海岸は姿を変えている.

それが積み重なって、芸西村の海岸のように、南洋で出来た岩が日本までやってくるのだ.

 

4.夜須町中心街

 

(旧道)

 

旧道と夜須川に沿って奥に向かう道の交差点が、夜須の「銀座4丁目」である.

角に、家内が店主の魚を選ぶ目に信頼を置いている小さいスーパー、右は理髪店と美容室.

家内の足はアシスト自転車である.

銀行の支店は無くなったが、郵便局はある.

昔は映画館があったそうだ.

左にスナック、米屋、釣具店があって、国道に出ればコンビニ、スタンド、サーフショップ、喫茶店、車を買ったディーラーがある.

国道を渡ったヤ・シィパークには、これも家内行きつけの直販所やインド料理、アイスの店がある.

スナックや喫茶店でつくった弁当も売っている.

右に行けば元夜須町役場(今は市支所)、図書館、ホールと、家内がボランティアをしている福祉センター、自分が定期的に行く医院がある.

昔からの履物屋は更地だが、電器店、DIY店、洋品店(高齢者向になっているが)、薬局は健在だ.

さらに山の方向には、保育園、幼稚園、小学校、中学校がある.

賑やかですよね?

 

(おわり)

 

関連記事リンク:

15 高知の別荘地とその住み方

88 海の楽しみ、釣りとマリンスポーツ

高知学ホームページに戻る

 

2020年2月13日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学121 香南市夜須町の「何でもない風景と道」1

高知学、今度は「何でもない風景」です.

名所でも何でもない風景、そんなところが印象に残っていることがあります.

古都の一角、ホテルに帰る近道に暗い家並が続いていて、どこからか子どもの声が聞こえてくる…

広い川の土手に上ると、遠くに山並みが連なり、ひばりが鳴いている…

住んでいる香南市夜須町の「何でもない」です.

 

2020年2月8日 最終版

 

1.「何でもない」の範囲

 

(国土地理院、1:200,000地勢図・高知)

 

自宅から一時間くらい、7千歩ほどのウオーキングに出かける.

自然にいくつかのコースになっているが、一時間であると円で2kmあまりの範囲になる.

地図上に描くと上のようになる.

この極めて狭いエリアが、自分にとっての「何でもない」ところである.

「何でもない」風景は、世の中に無限にある.

 

 

2.「何でもない」南へ

 

歩きには夕方出かけるので、夕景が多くなってしまうのだが.

 

(自宅から南)

 

自宅は海が見える高みにあり、下に住吉漁港が見える.

坂を下り国道を横断した先は、元の土佐電鉄線路跡を利用した自転車道である.

 

(自転車道の桜)

 

2月5日、傍の桜が満開になった.

付近あちこちに桜があり、咲く時期がまちまちなのだが、カワヅザクラのここは異常に早い.

 

(住吉への道)

 

海に向かうが、右下の水田は一枚を除いて耕作放棄地になっている.

地域には、無人の家、崩れかけた家、取り払った空地などもあり、高齢化の表れである.

 

3.住吉漁港

 

(養殖の筏)

 

住吉はブリ養殖の基地になっている.

養殖筏の更新が行われている.

これを沖500mほどのところに持って行き、係留して養殖を行うのだ.

黒潮の流れで堆積物はないし、魚は活発に運動して、いいブリが育つ.

毎日2,3隻、餌のパックを満載した船が出て、一日世話をしている.

丘の上はホテル.

 

(防波堤)

 

港の入口の赤灯台の向こうに突き出ているのは手結岬で、やはり灯台がある.

さらにその先、霞んでいる辺りが桂浜である.

 

4.震洋隊

 

(震洋隊慰霊碑)

 

漁港の傍に震洋隊慰霊碑がある.

戦争末期、合板製のモーターボートに爆薬250kgを積んで敵艦に体当たりする「震洋」が計画され、6,000隻余りが製造されたという.

ここ夜須には160名の隊員と共に配備された.

1945年8月15日、ポツダム宣言が受諾され、戦争は終結する.

ところが8月16日、夜須の部隊に出動命令が下る.

準備中に1隻の艇が出火し、次々に誘爆して111名が死亡した.

経緯については諸説があるが、あくまでも戦闘行為の中でのアクシデントである.

戦死者の氏名、出身地が記されている.

北海道、東北が多く、四国はほとんどいない.

現世を捨ててここに来ているのだ.

毎年8月16日に慰霊祭が行われてきた.

国旗、海軍旗が掲揚され、哀悼の喇叭が吹かれる.

しかし遠隔地の遺族の参加が次第に困難になり、戦後70年、2014年をもって終了した.

 

5.「何でもない」東端

 

(西分漁港)

 

住吉漁港から小さい浜を隔てて東が芸西村の西分漁港である.

停泊しているのはシラスの漁船で、2艘がペアになり目の細かい網を引いて漁をする.

休日で堤防には釣人が多い.

 

(防波堤の岩)

 

付近には黒い岩が点在する.

地質学者によれば、フィリピンプレートが北上して日本の下に潜り込む際、上の部分が引き剥がされて順次接岸したのがこれらの岩だそうだ.

 

(琴が浜)

 

さらに東は松林が連なる琴が浜である.

静かなようだが、浜はダイナミックに姿を変える.

しばらく前の台風ではこの下の砂利がすっかり流出して、左の岩の下まで海になり、浜に下れなかった.

その後次第に背丈より高くまで積み上がってきた.

また以前の波打際は単純な円弧であったが、何故か途中に岬ができている.

 

(芸西村の住宅)

 

丘の上は最近新築が多い.

この辺りがウオーキングの東端である.

 

 

(おわり)

 

関連記事リンク:

48 高知で地震を避難1

99 手結の台風と久通の漁村

高知学トップページに戻る

 

 

2020年2月6日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学120 高知の村5 三原村、鴨の小川にどぶろく

高知の村、第5回は三原村です.

高知の人でも、三原村がどこか知らない人がいるでしょう.

足摺岬が先端の西の地域ですが、海岸は宿毛市、土佐清水市、四万十市、大月町で占められ、残った山間が三原村なのです.

しかし険しい山ではなく大部分が平らで、水田が広がっています.

置き去りにならないように生まれたのが、その米を生かした「どぶろく特区」であり、「三原村のどぶろく」なら場所はともかく知る人は多いのです.

 

2020年1月24日 最終版

 

 

1.三原村へ

(三原村)

 

どこでもそう思うのだが、その土地を味わうには、そそくさと日帰りで行くのではなく、泊まってあちこち巡るのがよい.

どぶろくは工場ではなく、個人的につくる場合が認められている.

三原村では7軒の農家がどぶろくをつくっているが、同時にほとんどが民宿を営んでいる.

その一つに泊まることにした.

中村から宿毛に至る高速道路の平田ICから入るのが順路である.

 

(中筋川ダム)

 

三原村に入る手前にダムがあるが、ダム湖に無数の点が見える.

鴨だ.

ダム湖は蛍湖とも呼ばれ、夏は蛍が多いらしい.

三原村から流入する水がよいのだろう.

 

(小川)

 

翌朝、小川の渕にやはり鴨がいたので、車を降りたら一斉に飛び立った.

気付いたのだが、最近どこでも小川はコンクリートの護岸になっている.

しかし三原村は昔のままの土手である.

台地状の土地で、険しい山々から来る急な出水がないためであろう.

だから鴨も蛍もいるのだ.

 

2. 三原村で泊る

 

(下切)

 

コンクリートの護岸をつくらない代り、というわけでもないだろうが、三原村の道路はかなり整備されている.

どぶろくを買いに2回来ているが、目指す民宿の印象が変っているので、訊くと最近前に広い道路ができたためだ.

 

(夕食)

 

夕食はサービスで二人にどぶろく1本付で、キノコ尽くし.

鍋、煮物、天ぷら、なます…そして土鍋のキノコ飯、1年分のキノコを食べた気がした.

昔は中華料理店でしか出会わなかったキクラゲが、最近はスーパーで売っている.

このお宅でも栽培しているそうだ.

これで馬路村で犬君が見つけたというトリュフができれば完全だ.

 

(民宿から)

 

足摺に近く高知県でも南端なのだが、山間で気温が下がる.

車の窓に残った昨夜の雨が凍り付いていて、おかみさんが薬缶の湯を持って来てくれた.

 

(神社)

 

三原村では集落ごとに結構大きい神社がある.

ご主人が話していたが、老朽で本殿を建て替えることになった.

宮大工に頼むお金は到底ない.

そこでCADを基にプレカットで部材を製作し、集落一同で組み立て、200万円で済んだという.

ないものは人を当てにせず、自分たちでつくるという気風なのだろう.

どぶろくもその現れかもしれない.

 

3.三原村を歩く

 

三原村を西から東へ縦断した.

 

(朝もや)

 

昨夜の雨は上がって、朝日で水蒸気が立ち込める.

西に行けば宿毛に至るが、村境で引き返し、今度は西へ.

 

(よろずや)

 

集落にはよろずや、つまり昔からのコンビニがあるので日常は不自由がない.

役場付近には農協の店もある.

道路の擁壁の工事をやっていて、時間制限の通行になっている.

どこでもそうだが、毎時00分から10分間が通行できる時間である.

昨夕ここではガードマンが迂回路を教えてくれて、畔道だったが支障なく通過した.

東に走るとまた時間制限に出会った.

20分あるので、教えてくれた迂回路に入った.

 

(森の道)

 

狭くはないが、森の中で見通しが効かない.

集落もない、出会う車もない、もちろんカーナビにも出ない.

右に左に、上に下に、どんどん走るが、とんでもないところに向かっているのではないかと不安になる.

 

(三原村の山)

 

少し開けて、見える景色は山ばかりだ.

三原村は平らなところと思っていたが、山も深い.

しかしついに下に県道が見え、一安心.

 

4.どぶろく農家

 

(看板)

 

どぶろくは主にその家の主婦が醸造している.

以前はつくっている家の前に幟が立っていて、それを目印に回って買っていた.

しかし留守の時に求められないので、今は会社をつくって一元的に売っている.

ただ「どぶろくマップ」もあるので、巡っても買える.

何でも行政頼みでなく、自分たちでつくり、販売し、ビジネスを広げて民宿もやる、そこがよいところだろう.

減農薬、無農薬の米にも取り組んでいる.

どうしても減収になり、半分の場合もあるそうで、裏付けの分析にもお金がかかるという.

 

(集落活動センターの販売)

 

いま「日本酒離れ」があり、どぶろくもその影響があるようだ.

どぶろくというと「村の酒盛り」のイメージがあるが、少し甘いし、麹は美容、健康によいから女性向と思うが.

 

(遍路宿)

 

三原村では時々お遍路さんに出会う.

足摺岬の38番金剛福寺から平田にある39番延光寺まで、山道だが三原村横断が最短ルートになる.

山を抜けたところに遍路宿があるので安心だ.

 

 

(トマトの温室)

 

三原村にはトマトの大温室がある.

ここは全量カゴメ向けだが、自前のハウスもあって、小瓶のトマトジュースがつくられている.

なかなか濃い味であった.

 

 

関連記事リンク:

28 三原、吉川のどぶろく

62 馬路、魚梁瀬の森林鉄道

高知学トップページに戻る

 

(おわり)

 

2020年1月20日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学119 高知の村4 北川村.モネの庭から無人になった最奥の集落、竹屋敷まで

高知には六つの村がありますが、第4回は高知東部にある北川村です.

北川村の面積は197平方kmで、高知最大の村です.

ただし人口は2019年現在1,176人、人口密度は1平方kmに6人で、大川村の4人、馬路村の4.5人に次ぐ少なさです.

海岸に近い役場の辺りを除き、山に行くにつれて人家は加速度的に減少し、やがて徳島県境まで無人の山地が広がります.

 

2019年12月14日 最終版

 

1.北川村と周辺

 

(役場付近の「メインストリート」)

 

北川村は奈半利町、田野町、安田町と接している.

奈半利町は3,078人、28.4平方km、108人/平方km

田野町は2,516人、6.5平方km、385人/平方km

安田町は2,467人、52.4平方km、47人/平方km

一方、4町村の役場はすべて半径2km以内にある.

車で走れば次々と境界の道路標識が現れる.

互いに近いけれども、北川村の人口密度6人と比べて極端な差があるのだ.

 

2.モネの庭

 

(モネの庭、4月)

 

高知の人が北川村で連想するのはまず「モネの庭」であろう.

画家、モネの庭園をイメージして丘の上につくられている.

名前だけだろう、などとは言われない本格的な庭園である.

折々の花と植栽に没頭する専門の庭師が、それだけの努力を払っているのだ(冬は花がないので休園).

 

(睡蓮の池)

 

上段にはモネと言えば睡蓮の池が広がる.

このとき睡蓮の花には早かったのだが、休日のサービスで女性が昔の服装で散策していた.

 

 

2.中岡慎太郎

 

幕末の志士で、坂本龍馬と共に暗殺された中岡慎太郎は北川村の庄屋の子息である.

資料館があり、生家が復元されている.

龍馬ほどではないが、閑静な山里に一人二人と訪れる人が絶えない.

 

(中岡慎太郎生家)

 

北川村は近隣の町と違って海岸には面せず、室戸への国道55号線から離れている.

そのためという訳でもないだろうが、短い高速道路で繋がっている.

資料館前の小さなカフェから見える.

カフェのランチには早く、マスターは「今ご飯を炊いているところで」と言ったが、コーヒーを飲んで待つことにした.

やがて炊飯器がカチンと鳴ったが、「蒸らしますから」.

その間おかずが料理され、炊き立てのご飯で食べた.

 

3.北川温泉

 

北川村は奈半利川に沿って奥に延びる.

もともと林業の村である.

高知東部は降雨量が多く深い樹林だが、山が急峻で川は急流、木材搬出の道はつけ難いし筏も使えない.

そのためトロッコと同じで、土木工事量が少なく急曲線が可能な森林鉄道がつくられた.

魚梁瀬(やなせ)からの木材を搬出した森林鉄道は現在道路になっている.

鉄橋やトンネルが残っている.

 

(小島、森林鉄道の鉄橋)

 

(北川温泉)

 

鉄橋の傍に北川温泉がある.

日帰り入浴ができるが、木造の立派なホテルである.

北川村にはセンスの良さを感じる.

露天風呂、せせらぎや風の音が聞こえるのだからBGMはいらないという声もあるが.

高知の観光では、この山奥で泊って山里を巡ることも得難い体験となるだろう.

 

(二股の橋梁)

 

先の二股で、さらに奈半利川を遡って魚梁瀬に向かう道と、支流小川川に沿って東洋町に向かう道が分かれる.

いずれも森林鉄道の線路跡である.

徳島から海沿いに高知に向かうとすれば、尖った室戸岬に向かって南下し、岬から今度は北上する、三角形の二辺を通る国道55号線になる.

山をショートカットすれば一辺で済む.

小川川の道がそうなのだ.

これは古代から高知へのルートとして使われ、山の尾根を伝う野根山街道である.

 

(四郎ヶ野峠、野根山街道の入口)

 

(道路のキジ)

 

ショートカットの道は国道493号線として存在する.

通ったら道にキジが飛び出してきた.

そう狭くはないのだが、北川村の奈半利川沿いの道は川に沿った屈曲ばかりで、絶えずハンドルを回し続けて大変疲れる.

いま長いトンネルや大規模な路線改良工事が進行していて、いずれ北川村経由がメインルートに復活するかもしれない.

 

(奈半利貯木場で)

 

現在木材の輸送はトレーラートラックによっている.

二股の橋は80年前、1940(昭和15)年につくられた鉄筋のないコンクリート橋である.

材木を山積みしたトレーラーがやってきた.

崩れればたちまちSNSに投稿すべく身構えたが、異常はなかった.

実際に馬路では、旧森林鉄道の鉄橋が重量で落ち込んだことがあったのだ.

 

(安倉)

 

石で埋め尽くされた小川川を遡るが、まだ集落が見られる.

 

(竹屋敷への分岐)

 

国道から分かれて最奥の集落、竹屋敷への道をとる.

ここも森林鉄道の軌道跡なのだ.

入口に「竹屋敷手前で崩壊のため通行止」とあったが、行けるところまで行くことにする.

 

(バス停)

 

右手に何人かの人影が見えたので驚いたが、これはかかしであった.

バス停の文字が消えかかった標識があるので、待合所であったらしい.

今はコミュニティバスも来ない.

花や南天が活けてあるので住民はいるようだ.

川向うの家に老婦人の姿が見えた.

 

(尾河)

 

すすきの原になった平地があるが、かつては集落や田畑があったと思われる.

 

(行き止まり)

 

次第に落葉が散り敷く道になったが、ついに通行止が現れて終わり.

 

(竹屋敷、2017年)

 

この先が竹屋敷の集落である.

昔は竹屋敷村で小学校もあった.

2010年であったか、最初に訪れたときは住民と立ち話をした.

森林鉄道はこの先まだ奥に伸びていたという.

2017年に再訪したときは犬がけたたましく吠えたが、人の姿は見なかった.

道にロープが張ってあるくらいだから、もうだれも居ないのだろう.

 

 

関連記事リンク:

62 馬路、魚梁瀬の森林鉄道

21 伊尾木川を46km遡る

高知学ホームページに戻る

 

(おわり)

 

 

2019年12月11日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

ブログ」への1件のフィードバック

  1. はじめまして。

    福岡への移住を検討していて河田さんのブログにたどり着きました。

    色々あって一年近く北海道から福岡まで毎月通っています。

    最初の頃は物見遊山で楽しかった福岡の往復も、半年ほど経つ頃には南北の人間気質の違いに直面し以降、来福を重ねる度に知れば知るほど土地の人間との付き合い方に悩んでいます。

    そうしたところ九州に近い四国に焦点を当てた河田さんのブログに出会い、南国に暮らす人々を理解する糸口を与えて頂いたような気持ちになりました。

    「いごっそう」「はちきん」をテーマにした高知学39の項では「移住者は全方位外交に徹し、助けてあげたいと思ってくれる人を増やし「前向きに」検討し、「丁寧な」対応を行い、「粛々と」進めることが望ましい」という一文にひざを打ち、福岡で接するお山の大将的な気質の方々との付き合い方を学んだよう
    な気がします。

    こちらはなにぶん冬が深く、辛抱と我慢を強いられる土地柄のせいか人間がおとなしく何事にも声を上げないところがあるのですが、南の国の事は福岡の事しか分からないことをお断りさせて頂いて申し上げると、南の方は頭と口が近いというか、物事を頭に留め置く時間が短くすぐにキレて投げ出してしまうところがあるように感じられたのですが、これも「所信表明」なのかと思えば納得ができるような気がします。

    まだブログのエントリーを読み始めたばかりなのですが、南国の人の気質を理解する光明を与えて頂いたことに一言お礼を申し上げたくコメントを差し上げました。

    北海道は朝夕の気温差が大きくなり、木々が色づいてきました。
    河田さんの暮らすところの秋は何色かと、まだ知らぬ四国の土地を地図で眺めています。

    末筆ながら時節柄ご自愛を。
    これから少しずつブログのエントリーを拝見します。

    失礼にならない程度にまたコメントできたらと思います。
    その節はまたよろしくお願い致します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください