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高知学119 高知の村4 北川村.モネの庭から無人になった最奥の集落、竹屋敷まで

高知には六つの村がありますが、第4回は高知東部にある北川村です.

北川村の面積は197平方kmで、高知最大の村です.

ただし人口は2019年現在1,176人、人口密度は1平方kmに6人で、大川村の4人、馬路村の4.5人に次ぐ少なさです.

海岸に近い役場の辺りを除き、山に行くにつれて人家は加速度的に減少し、やがて徳島県境まで無人の山地が広がります.

 

2019年12月14日 最終版

 

1.北川村と周辺

 

(役場付近の「メインストリート」)

 

北川村は奈半利町、田野町、安田町と接している.

奈半利町は3,078人、28.4平方km、108人/平方km

田野町は2,516人、6.5平方km、385人/平方km

安田町は2,467人、52.4平方km、47人/平方km

一方、4町村の役場はすべて半径2km以内にある.

車で走れば次々と境界の道路標識が現れる.

互いに近いけれども、北川村の人口密度6人と比べて極端な差があるのだ.

 

2.モネの庭

 

(モネの庭、4月)

 

高知の人が北川村で連想するのはまず「モネの庭」であろう.

画家、モネの庭園をイメージして丘の上につくられている.

名前だけだろう、などとは言われない本格的な庭園である.

折々の花と植栽に没頭する専門の庭師が、それだけの努力を払っているのだ(冬は花がないので休園).

 

(睡蓮の池)

 

上段にはモネと言えば睡蓮の池が広がる.

このとき睡蓮の花には早かったのだが、休日のサービスで女性が昔の服装で散策していた.

 

 

2.中岡慎太郎

 

幕末の志士で、坂本龍馬と共に暗殺された中岡慎太郎は北川村の庄屋の子息である.

資料館があり、生家が復元されている.

龍馬ほどではないが、閑静な山里に一人二人と訪れる人が絶えない.

 

(中岡慎太郎生家)

 

北川村は近隣の町と違って海岸には面せず、室戸への国道55号線から離れている.

そのためという訳でもないだろうが、短い高速道路で繋がっている.

資料館前の小さなカフェから見える.

カフェのランチには早く、マスターは「今ご飯を炊いているところで」と言ったが、コーヒーを飲んで待つことにした.

やがて炊飯器がカチンと鳴ったが、「蒸らしますから」.

その間おかずが料理され、炊き立てのご飯で食べた.

 

3.北川温泉

 

北川村は奈半利川に沿って奥に延びる.

もともと林業の村である.

高知東部は降雨量が多く深い樹林だが、山が急峻で川は急流、木材搬出の道はつけ難いし筏も使えない.

そのためトロッコと同じで、土木工事量が少なく急曲線が可能な森林鉄道がつくられた.

魚梁瀬(やなせ)からの木材を搬出した森林鉄道は現在道路になっている.

鉄橋やトンネルが残っている.

 

(小島、森林鉄道の鉄橋)

 

(北川温泉)

 

鉄橋の傍に北川温泉がある.

日帰り入浴ができるが、木造の立派なホテルである.

北川村にはセンスの良さを感じる.

露天風呂、せせらぎや風の音が聞こえるのだからBGMはいらないという声もあるが.

高知の観光では、この山奥で泊って山里を巡ることも得難い体験となるだろう.

 

(二股の橋梁)

 

先の二股で、さらに奈半利川を遡って魚梁瀬に向かう道と、支流小川川に沿って東洋町に向かう道が分かれる.

いずれも森林鉄道の線路跡である.

徳島から海沿いに高知に向かうとすれば、尖った室戸岬に向かって南下し、岬から今度は北上する、三角形の二辺を通る国道55号線になる.

山をショートカットすれば一辺で済む.

小川川の道がそうなのだ.

これは古代から高知へのルートとして使われ、山の尾根を伝う野根山街道である.

 

(四郎ヶ野峠、野根山街道の入口)

 

(道路のキジ)

 

ショートカットの道は国道493号線として存在する.

通ったら道にキジが飛び出してきた.

そう狭くはないのだが、北川村の奈半利川沿いの道は川に沿った屈曲ばかりで、絶えずハンドルを回し続けて大変疲れる.

いま長いトンネルや大規模な路線改良工事が進行していて、いずれ北川村経由がメインルートに復活するかもしれない.

 

(奈半利貯木場で)

 

現在木材の輸送はトレーラートラックによっている.

二股の橋は80年前、1940(昭和15)年につくられた鉄筋のないコンクリート橋である.

材木を山積みしたトレーラーがやってきた.

崩れればたちまちSNSに投稿すべく身構えたが、異常はなかった.

実際に馬路では、旧森林鉄道の鉄橋が重量で落ち込んだことがあったのだ.

 

(安倉)

 

石で埋め尽くされた小川川を遡るが、まだ集落が見られる.

 

(竹屋敷への分岐)

 

国道から分かれて最奥の集落、竹屋敷への道をとる.

ここも森林鉄道の軌道跡なのだ.

入口に「竹屋敷手前で崩壊のため通行止」とあったが、行けるところまで行くことにする.

 

(バス停)

 

右手に何人かの人影が見えたので驚いたが、これはかかしであった.

バス停の文字が消えかかった標識があるので、待合所であったらしい.

今はコミュニティバスも来ない.

花や南天が活けてあるので住民はいるようだ.

川向うの家に老婦人の姿が見えた.

 

(尾河)

 

すすきの原になった平地があるが、かつては集落や田畑があったと思われる.

 

(行き止まり)

 

次第に落葉が散り敷く道になったが、ついに通行止が現れて終わり.

 

(竹屋敷、2017年)

 

この先が竹屋敷の集落である.

昔は竹屋敷村で小学校もあった.

2010年であったか、最初に訪れたときは住民と立ち話をした.

森林鉄道はこの先まだ奥に伸びていたという.

2017年に再訪したときは犬がけたたましく吠えたが、人の姿は見なかった.

道にロープが張ってあるくらいだから、もうだれも居ないのだろう.

 

 

関連記事リンク:

62 馬路、魚梁瀬の森林鉄道

21 伊尾木川を46km遡る

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(おわり)

 

 

2019年12月11日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学118 日高村.高知の村3 高知市の近郊でオムライス

高知市の西は路面電車が通じている「いの町」ですが、その先、仁淀川を渡ると日高村です.

JRは高知駅から30分余り、松山に行く国道33号線と共に、日高村を東西に貫いています.

高知市の通勤圏であり、村のホームページでは「ほどよい村」と称しています.

日高村の人口は4,775人で、高知最大の「村」です.

もっとも「昨日日高村に行ってきた」というと「親戚がいるの」などと返事が返ってくるでしょう.

わざわざ行くところとは思われていません.

高知の村3、わざわざ行ってみましょう.

 

2019年11月21日 最終版

1.オムライス街道

 

(仁淀川橋梁)

 

国道33号線の仁淀川鉄橋、右が日高村方面になる.

左の橋のたもとで、瀬戸内に面した西条市からの国道194号線と合流するため、年中渋滞していた.

今はバイパスや高速があるのでそんなことはないのだが、イメージとして日高村イコール通過となっている.

 

(村の駅)

 

村当局もそれは認識していて、ドライバーを引き留めるべく「オムライス街道」と売り出している.

村内にトマトのハウス、養鶏場が多いことから、二つを結び付け「オムライス」なのだ.

村内の食べ物屋には、何かしらのオムライスのメニューがある.

 

(小村神社)

 

日高村の中心は混雑する国道33号線沿いになるのだが、その北端は仁淀川である.

小村(オムラ)神社を右折して仁淀川に向かってみる.

長い参道の神社で、奉納の幟が立っている.

 

2. 沈下橋

 

(右岸の日高村から左岸の国道194号線を見る)

 

河口に向かって左、東側になる左岸は194号線が通っている.

2車線の整備された道路だが、そうするとひたすら走るだけで、周囲を見たり車を止めたりする余裕がない.

 

(左岸の194号線から右岸の日高村を見る)

 

右岸の日高村は大体1車線であるが、集落は少なくほとんど車は通らない.

 

(名越屋沈下橋)

 

しばらく行くと名越屋(なごや)沈下橋に出会う.

これが高知市内から最も近い沈下橋である.

以前は高知市内にもあったのだが、改築されてなくなった.

沈下橋は水位の上下が激しい川に設けられる.

普通の橋であると、水面の高い場合を想定すると橋が非常に高くなって、出入りがし難い.

水量が多い時は通れないけれども、橋が水面下に沈むようにすればよい.

最近の出水で岸の竹がなぎ倒されている.

ここまで上がったのだ.

 

(ニゴイ)

 

橋から川底を見ると、大きい魚が沢山泳いでいる.

 

(河原に釣り人)

 

岸に椅子を出して川を眺めている男性に訊いた.

あれはニゴイで、小骨が多く旨くないとのことだ.

下にいる釣り人がコイを上げるかどうか見ている.

「蟹なら沢山いるよ」と渕を指す.

手のひら大の黒い影が5,6個見える.

上海蟹に近いというモクズガニであろう.

 

3.日高村の終点

 

(産業廃棄物保管場)

 

沈下橋というと四万十川の専売のように思われるが、仁淀川にもあるのだ.

両方とも同じ地質帯で、川の屈曲が激しく、河床の堆積が多くて流れは極めて緩やかである.

水はけが悪いから、大雨が降るとすぐに水面が上がる.

日高村側の岸には採石場跡があり、これを利用して産業廃棄物最終保管場がある.

巨大な倉庫である.

2011年に開設されたが、持込量が予想を上回り、予定より10年早く満杯になりそうなので次の場所が探されている.

 

(谷口)

 

日高村は谷口集落で終わり、ここから越知町になる.

どこでもそうだが、自治体の境界では俄かに道が細くなる.

 

4.台地

 

仁淀川に沿っている内に日高村の中心と離れてきた.

戻るため山越えをする.

 

(台地の茶畑)

 

山の上は傾斜の緩い台地になっている.

山が侵食された分流れ込んで、仁淀川の砂利になっているのであろう.

茶畑が広がる.

 

(グリーンフィールGC)

 

台地を利用してゴルフ場が二つある.

起伏が大きく斜面に落とすと苦労しそうだが、山の上は海岸とまた違った趣だ.

 

(錦山CCのオムライス)

 

ゴルフ場の食堂でオムライスを食べる.

やはり日高村、メニューの中心になっていて、いくつかのバージョンがある.

プレー中の昼食が一渡り終わった時間で、静かだ.

 

5.西の境界

 

(加茂小中学校)

 

日高村の主要な土地は、山に挟まれた日下川に沿って細長く伸びている.

西は佐川町に接しているが、その境界に「日高村佐川町学校組合・加茂小中学校」がある.

日高村からも行けるし、佐川町からも行ける仕組みになっている.

なぜこうなっているかだが、もともとここは「加茂村」であった.

町村合併のとき、どちらにつくかで折り合いがつかず、学校がこの形で残っている.

 

(土讃線)

 

西に土讃線が伸びているが、境界が見えるわけではない.

一般に意識として、高知市に向かう大きい流れがある.

町村合併もこの流れに沿えばよいが、たとえば日高村が佐川町に合併するなら、佐川の方が遠いから日高は「都落ち」した感が否めない.

高知市に近いいの町なら流れに沿うが、いの町の人口は21,000人で県内最大の「町」、地域は石鎚山に近い愛媛県境にまで広がる.

日高村は呑みこまれる.

 

(土佐市への道)

 

南に連なる山を越えれば土佐市である.

田んぼの中に銀杏が立つ小さな祠がある.

小さいけれども寄進された幟が翻っている.

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関連記事リンク:

45 高知の西、伊野、佐川

47 四万十川と中村

 

(おわり)

2019年11月18日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学117 紀伊半島の山村を訪ねて高知と比べる(その2、十津川)

高知県には六つの村、奈良県には七つの村があります.

四国にせよ、近畿にせよ、他の県では村がないか、あっても一つくらいです.

高知、奈良はイメージと違って山国であり、どうしても自治体が小さな単位になるのでしょう.

紀伊半島に村を訪ねます.

その1では、奈良県、吉野から国道169号線を南下して三重県まで来ました.

その2では、三重県、飛び地の和歌山県から再び奈良県に入って168号線を北上します.

 

2019年11月5日 最終版

 

 

1.三重県熊野市

 

(熊野市 桃崎)

 

三重県に入って桃崎まで来た.

60年以上前、友人と川沿いを歩くためここに来て泊まって、山奥の寂しい夕暮れだなあと思った.

海岸の熊野市まで20kmもないのだが、いま過ぎてきた川上村や上北山村と比べて廃屋が多く、一層寂しい.

「第三相互銀行」の支店跡がある.

こんな山里に?と思われるかもしれない.

しかし昔この辺りは、山持ち、林業、製材業者などで盛大に資金が動いていた.

支店長、行員が忙しく立ち働いていた姿を思い浮かべるのも難しいのだが.

紀伊半島の現状は、とりもなおさず林業の衰退を反映している.

 

2.北山村

 

(七色)

 

飛び地の和歌山県北山村に入る.

昔来たとき同宿の登山家に誘われ、筏に便乗して川を下った.

急流では筏に結ばれた綱を握って越えるが、腰まで洗われる.

流れが緩くなると寝そべって空を仰ぐ.

今はダムがあるが、下流は昔の姿である.

 

(北山川)

 

河畔の温泉宿に泊まる.

ここは昔、銅鉱山の選鉱場があったところで、採掘の坑道は山の向こうであり、トンネルを通って蓄電池機関車が鉱石を運んでいた.

その「人車」が復活されて乗ることができる.

坑道のところにも温泉があり、往復乗車券と入浴手形が一緒になっている.

片道10分ほどだが、車にばねというものがないので、突き上げる衝撃で十分に堪能できる.

昔の坑道は椎茸の栽培に利用されている.

 

(鉱山列車)

 

この辺り、断崖と深い淵が続く瀞八丁である.

「瀞ホテル」の旅館があり、何回も泊った.

崖に張り出す三階建ての贅を尽くした木造建築で、これも当時の林業の賑わいを物語っている.

 

(瀞ホテル)

 

かつては道がなく、川を船で行くしかなかった.

いま旅館の営業はしていないが、昼にカフェをやっている.

 

3.十津川村

 

169号線から168号線に入り、十津川に沿って北上する帰り道になる.

 

(十津川)

 

十津川は川幅が広く、砂利の河原が特徴である.

水深がないので船はスクリューが使えず、古い飛行機のエンジンでプロペラを回して推進するプロペラ船であった.

極めてやかましいが早いわけではない.

 

(2011年の十津川村崩壊地、実害がないので放置?)

 

なぜこのような石の河原になっているのか.

川はもともとV字谷であったという.

そこを深層崩壊した岩石が埋め、そして流され、小石に砕かれ磨かれ、今の姿になっている.

深層崩壊は、よくある地表面の保水力が無くなり、2mまでの浅い深さで滑る表面崩壊とは違う.

地層の深いところにあるクラック、歪の大きい地帯まで水が浸入して大規模に崩壊する現象である.

十津川の歴史に残る大災害は1889(明治22)年である.

時間雨量1,300mmの豪雨によって1,000個所で崩壊が発生し、土砂が川を埋めてダムとなり、さらに決壊することで被害を拡大した.

このとき最大で30m川底が高くなった.

住居、田畑、山林は完全に消滅し、住民は生きるすべがない.

移住が決意され、たった3か月後に2,700人が北海道の未開拓地に移った.

今の旭川近くにある新十津川である.

3か月後といえば11月で北国は冬、去るも地獄、残るも地獄であったことは想像に難くない.

 

(川上村の崩壊地)

 

類似の気象配置が120年後の2011(平成23)年に発生した.

恐れられた深層崩壊と河道閉塞を生じたが、1889年レベルに達しなかったことは幸いである.

北山川筋でも起きている.

8年を経過し新道が完成している.

深層崩壊地は地形的、地質的に推定が可能とされ、国交省より危険度マップが公表されている.

高知では吉野川流域の一部が入っている.

地域には予測のため各種のセンサが設置されているとのことだ.

 

4.十津川を遡る

 

 

 

(熊野本宮大社前)

 

熊野大社は平安の昔、山奥にある浄土への入口と理解され、遠く都から上皇、女院が参詣した.

その後も「熊野古道」から訪れる人たちが「蟻の熊野詣」というように絶えなかった.

本宮は1889年の災害で流出し、高台に移っている.

大社前の道路は、山の中だが電線が地中化され「観光地」らしい.

これまで通ってきた村々は、廃屋もあるが昔の「寒村」の惨めな面影はなく、道の駅や温泉などブラッシュアップされている.

日本の「田舎」は姿を変えたのだ.

 

(谷瀬の吊橋)

 

谷瀬(たにぜ)にある吊橋は1954年につくられ、長さ300m、高さ54mで、幅80cmの板を渡る.

どこまで行ける?

しかしこの橋は、明治の災害でこれより下の住居が流され、残った高台の家々を結ぶために設けられている.

 

(下市から)

 

山峡を抜け下市(しもいち)に出た.

出発の八木は近い.

大阪との境になる金剛山と葛城山が見える.

神武天皇は宮崎を出て、八咫烏の導きによって海と山を通りこの地に至った.

古事記、日本書紀によると紀伊山地を縦断したとのことだ.

 

(おわり)

 

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116 紀伊半島の村を訪ねる(その1)

110 八畝の棚田スカイライン

2019年10月31日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学116 紀伊半島の山村を訪ねて高知と比べる(その1、北山川)

高知には六つの村があります.

しかし四国では愛媛、香川には「村」がなく、徳島に一つあるだけです.

関西では大阪、京都、和歌山に一つづつで、兵庫にはありません.

しかし奈良県には七つあります.

和歌山で一つの北山村は、全国でただ一つ県の区画で飛び地になる自治体であり、和歌山の区域にはなくて奈良県と三重県の中にあります.

昔、付近の材木は筏で熊野川を下り、河口の和歌山県新宮に出していたのでその結びつきが強いのでしょう.

一度、飛び地状態を解消するかどうか住民投票を行ったところ、否決されたということです.

 

(橿原市から.山の向うは大阪)

 

2019年10月28日 最終版

 

1.高知と奈良

 

小さい単位の「村」が残る方がよいのか、合併して「町」になる方がよいのか、これはいろいろだ.

いずれにせよ、「村」に関して高知県と奈良県は似ている.

奈良というと鹿が遊ぶ東大寺や春日大社を思い浮かべるが、これは北のほんの一部で、大部分は修験道の行場でもある深い山である.

また、高知というとカツオやクジラが遊弋する海のイメージだが、その83%は山である.

両方とも山国なのだ.

 

(奈良県・伯母峰峠から)

 

高知県で最小の村、大川村は2019年現在で人口385人.

奈良県で少ないのは、野迫川村361人、上北山村427人で、飛び地の北山村は432人である.

多い方は十津川村3,165人で、高知学115 に記した高知県芸西村3,714人と近い.

しかし人口密度となると、平方km当り十津川村4.7人、芸西村93.8人と、奈良が格段に「過疎」である.

十津川村は奈良県の18%の面積を占めているのだ.

 

2.紀伊半島の縦断

 

明治時代に紀伊半島を縦断する鉄道として、紀の川沿いの五条から海岸の新宮まで、五新線が計画された.

まず五条から20kmほどの区間で工事が始まったが、結局1980年に中止され、縦断には道路しかない.

道路は最高峰1,900m余りの大峰山脈を挟んで、東の伯母峰峠から北山川を通る国道169号線と、西の天辻峠から十津川を通る168号線がある.

山間部に向かう拠点は橿原市の八木である.

そんなところ知らない?

いやこの辺りは、平安時代の京都、奈良時代の奈良よりさらに前、飛鳥時代の日本の古都なのである.

なにしろ神武天皇の御陵があるのだ.

 

(桜井線 畝傍駅)

 

皇族方が橿原神宮参拝で利用した畝傍(うねび)駅が風格を保っている.

 

(上市.近鉄特急)

 

高知と肩を並べる紀伊半島を訪ねたい.

縦断にはバスがあり、169号線の方は昔、途中で2回乗り換えがあったが、吉野山対岸の近鉄・上市(かみいち)から太平洋岸の熊野市まで行くことができた.

今は通院などの目的で、沿線自治体が共同運行するコミュニティバスが一日一往復である.

2時間余りかかって奈良と三重の県境まで行くのだが、その先三重県熊野市方面が繋がらない.

調べた結果、1泊して翌日北山村のコミュニティバスを利用すれば縦走可能らしい.

しかし泊まるのも問題で、付近にキャンプ場のバンガローがあるが、夏だけである.

今なお厳しいルートなのだ.

一方168号線十津川の方は、五条・新宮間、5時間ほどかかるが一日3往復の「特急バス」がある.

沿道人口もやや多いが、本宮大社や温泉などの観光地があるためだろう.

レンタカーを利用して169号を行き、北山村で一泊して168号を戻る.

 

3.川上村

 

(川上村・役場)

 

169号線を吉野川に沿って山に入ると川上村である.

どこの村も役場、道の駅、温泉ホテルがワンセットになっている.

 

(川上村の旧道)

 

今はほとんどの区間がトンネル、拡幅などで改良されているが、昔の道は狭かった.

軒先すれすれにバスが通るが、材木を満載したトラックで出会うと、車掌さんの笛の誘導でバックする.

 

(川上村の旅館)

 

年間雨量4,000mm以上で日本一の多雨地帯である高原の大台ヶ原、続く大杉谷は関西の代表的な秘境登山ルートである.

かつては麓の旅館で泊って登ったのだが、今はドライブウェイがある.

 

4.上北山村

 

吉野川が終わり、北山川の上流に出るには970mの伯母峰峠を越える.

屈曲が激しく難渋する道であったが、今は長大トンネルとループ橋が出来ている.

下ると上北山村である.

 

(上北山村)

 

イベントをやっていた.

屋台があり、ピザの車があり、なかなか賑わっている.

人口を調べるとき、男女別を見た.

どこの自治体でも女性が多いのが普通で、住んでいる高知の町もそうである.

女性が長寿だから.

しかし上北山村だけが違って、男性が多い.

 

(祭りのライブ)

 

一角でライブをやっている.

前の方に陣取って手拍子で盛り上がっているのは老婦人たちである.

老男性はもともとこういう場にはあまり出ないが、男性優位の村ならもっといてもよいが.

つかぬことながら、世話役をしている男性に訊いてみた.

「男が多いとはあまり感じませんがね」という答えであった.

 

5. 人口予測

 

村には「やまゆり学園」がある.

何か私立の学校のようだが、保育園、小中学校一貫の施設である.

全校で10名とのことだ.

 

(やまゆり学園)

 

2019年、上北山村にとって衝撃的な内容を含む書籍が出版された.

河合雅司:「未来の地図帳」、講談社現代新書、である.

2045年に本村では、20-34歳の出産期女性人口が一人になるという.

仮に二児を出産しても高齢者の死亡数には到底追いつかない.

これは国立社会保障・人口問題研究所が公開している、国勢調査を基にした「日本の地域別将来推計人口」によっている.

将来の推計は過去のデータの統計的処理から算出しているので、今後の地域情勢の変化などによって数値は変化する.

やまゆり学園の現在の生徒数は10人、保育園から中学まで20年後の女児はみな出産期になるから、男女半々として5人、地元に半分残るとして2.5人ということになるが.

高知県大川村の同様の推定は6人である.

 

6.下北山村

 

(下北山村、池原)

 

昔はバスを乗り継いだ下北山村、スポーツ公園を見下ろして山を越えると三重県熊野市に入る.

 

(その1 おわり)

 

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103 高知の秘境、海と山

80 早明浦ダム、元鉱山町の大川村

2019年10月24日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学115 芸西村.高知の村2 砂浜と松林、海を見下ろす住まい

芸西村は高知市から室戸岬に向かう途中にあり、太平洋に面しています.

人口は3,700人ほどで、高知の六つの村の中で、日高村に次ぐ多さです.

村の構成は、海岸部、農作地帯、山間部に分けられます.

高知県の構成を凝縮したように感じます.

なぜ村なのか、2006年、いま住んでいる夜須町を含め周辺町村が合併して香南市ができたとき、芸西村も参画していましたが実現しませんでした.

合併した夜須町、合併しなかった芸西村、13年経ってそう差はない気はしますが.

 

2019年9月22日 最終版

 

1.琴が浜

 

 

海岸を土佐くろしお鉄道、ごめん・なはり線が通っている.

東の奈半利から後免に出て、JRに乗り入れ高知に向かう.

芸西村にある西分駅で、外国のご婦人が二人、列車を待っていた.

高知へ行くのだそうだ.

丘の上に高層の観光ホテルがあるので、そこから歩いてきたらしい.

帰りは暗闇になるが、ホテルの明かりはよく見えるから迷うことはないだろう.

 

(西分駅)

 

昨日は白衣の外国人お遍路さん二人が待っていた.

 

(ホームから)

 

「海に近い」として予讃線の某駅が喧伝される.

しかし前を国道が通っているので、いささか感興がそがれる.

西分駅は、波の音と松を渡る風しか聞こえない.

 

(琴が浜)

 

前は5kmに渡って延びる琴が浜で、10cmくらいの大きさの小石の浜である.

波によって浜のかたちは大きく変わる.

何年か前の台風では、手前の砂利がすっかり流され、左の岩の下が深い淵になって、浜に下りることができなかった.

その後次第に砂利が積み上がって、今の形になっている.

 

2.農作

 

(和食駅から)

 

和食(わじき)駅から芸西村の中心部を見る.

底辺3km、奥行2kmの三角形の平地になっている.

芸西の最奥の集落は、向こうに見える山の先だ.

 

(ハウスの列)

 

農業はほとんどナス、ピーマンなどのハウス園芸である.

石油は暖房のほか、燃焼による炭酸ガスによって成長促進が行われる.

エアコンも使われる.

 

(ブルースター)

 

青色の星形の花を咲かせるブルースターは特産品である.

成長を制御するため夜間に灯りをつける.

野菜も花も直販市で安く手に入る.

 

(山道から)

 

芸西村の農業で問題は水である.

大きい川がない.

そのため山間に溜池が多く作られている.

狭い山道を上って、標高300mの山頂近くにあるジルゾウ池まで行ってみた.

 

(山上の水田)

 

山の上に水田があるのは、この池のおかげだろう.

 

(ジルゾウ池)

 

かなり広い池だが、水は澄んで幽邃な雰囲気が漂う.

 

3.最奥の集落

 

芸西村の山奥には、孤立した小さな集落が点在していた.

薪炭の生産が中心と思われるが、山肌を切り開いて田畑もつくられていた.

しかし町から直線距離でも8kmはある山の暮らしは厳しい.

そのため、1960年代から集団移転が取り組まれてきた.

消滅した集落は、板淵、大屋敷、ウルシ、シレゲなどである.

 

(久重)

 

久重(くえ)、白木山、道家(どうけ)は残っていて、コミュニティバスが運行されている.

以前は29人乗りのバスだったそうだが、2017年に乗ったときは、12人のバンが週2回、2往復であった.

今は5人乗りのレガシイで、要望のあったときに動くデマンド運行になっている.

海岸から何もない山道を30分かかって辿り着く山の中はやはり厳しいのだ.

久重が山の集落の中心点で、今は廃校になっている小学校があった.

傍に地域の戦没者の慰霊碑がある.

日露戦争では5名、大東亜戦争では15名の名が刻まれている.

戦死率は時期、戦地で異なり、玉砕ということもあるが、平均的に10%程度とみなされている.

そうすると、この土地から150名が出征したのだ.

 

(道家の氏神)

 

山のほとんどの集落は狭い尾根や谷間にあったが、道家は小川に沿って長く伸びる平地である.

水田が広がり「兎追いし…小鮒釣りし…」の風景であっただろう.

「村の鎮守の神様の 今日はめでたいお祭り日 ドンドンヒャララ…」でもある.

小学唱歌ワールドなのだ.

今は耕作放棄地だけで「田園まさに荒れなんとす」である.

 

 

4.芸西の住まい

 

高知県は海のイメージであるが、海の見える宅地は意外に少ない.

渚に近いと防波堤が邪魔するし、津波の心配もある.

崖の上は急斜面で宅地になり難い.

 

(芸西村・津野)

 

芸西村の農作地域を取り巻く台地は、傾斜の緩い斜面で見晴らしもよい.

 

(海が下)

 

そのため新しい住宅が増えている.

 

5.夕暮れ

 

(暮れる芸西)

 

高知県東部は、朝日は山に遮られて見えないが、西は海が開けているので夕陽はよく見える.

松林の中を線路が通っていて、西分駅は林の中である.

 

(シーハウス)

 

海に突き出たレストランのお客が、夕もやにシルエットになっている.

 

(土佐湾の夕陽)

 

(おわり)

 

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関連記事リンク:

13 羽尾・山奥の集落と集会

71 コミュニティバス1 香美市と芸西村

 

2019年9月20日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

ブログ」への1件のフィードバック

  1. はじめまして。

    福岡への移住を検討していて河田さんのブログにたどり着きました。

    色々あって一年近く北海道から福岡まで毎月通っています。

    最初の頃は物見遊山で楽しかった福岡の往復も、半年ほど経つ頃には南北の人間気質の違いに直面し以降、来福を重ねる度に知れば知るほど土地の人間との付き合い方に悩んでいます。

    そうしたところ九州に近い四国に焦点を当てた河田さんのブログに出会い、南国に暮らす人々を理解する糸口を与えて頂いたような気持ちになりました。

    「いごっそう」「はちきん」をテーマにした高知学39の項では「移住者は全方位外交に徹し、助けてあげたいと思ってくれる人を増やし「前向きに」検討し、「丁寧な」対応を行い、「粛々と」進めることが望ましい」という一文にひざを打ち、福岡で接するお山の大将的な気質の方々との付き合い方を学んだよう
    な気がします。

    こちらはなにぶん冬が深く、辛抱と我慢を強いられる土地柄のせいか人間がおとなしく何事にも声を上げないところがあるのですが、南の国の事は福岡の事しか分からないことをお断りさせて頂いて申し上げると、南の方は頭と口が近いというか、物事を頭に留め置く時間が短くすぐにキレて投げ出してしまうところがあるように感じられたのですが、これも「所信表明」なのかと思えば納得ができるような気がします。

    まだブログのエントリーを読み始めたばかりなのですが、南国の人の気質を理解する光明を与えて頂いたことに一言お礼を申し上げたくコメントを差し上げました。

    北海道は朝夕の気温差が大きくなり、木々が色づいてきました。
    河田さんの暮らすところの秋は何色かと、まだ知らぬ四国の土地を地図で眺めています。

    末筆ながら時節柄ご自愛を。
    これから少しずつブログのエントリーを拝見します。

    失礼にならない程度にまたコメントできたらと思います。
    その節はまたよろしくお願い致します。

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