高知学123 香南市夜須町の「何でもない風景と道」3

どこにでもある「何でもない風景」.

しかしその中に、何か惹かれるものがある、何か記憶に残るものがある.

住んでいる香南市夜須町で、ウオーキングに行く自宅から2kmの範囲で記します.

その1は東、その2は西、今回は最終回の北です.

 

2020年3月1日 最終版

 

南は海だが、北は山.

山に行く道は、谷から尾根に上がって三つある.

東から順に.

 

1.江本農園から土佐カントリー

 

(江本農園)

 

自宅から谷筋を隔て「スイカ屋えもと」のハウスが見える.

空中にぶら下げて育て、果実に残した2方向の蔓がアンテナのように見える「アンテナスイカ」が売物だ.

 

(荒地の谷)

 

間の谷は耕作が放棄され、すっかり荒地になっている.

以前は何とか奥まで行けたのだが.

人が入らなくなれば豊かな自然が戻るように思われるが、そうではない.

小川には小魚が沢山泳いでいたが、台風の雨で流されたのか、今は見ない.

蛍もときどき自宅まで現れたが、何年も見たことがない.

 

(土佐カントリー)

 

奥に進むと土佐カントリーの横に出る.

白杭が目立つ足摺コース1番だ.

イノシシがミミズを求めてグリーンを掘り返すので、道には柵がある.

 

 

2.住宅地

 

次は、ひと山西になる道である.

 

(土手の草刈り)

 

段になった畑の土手の草がきれいに刈られている.

梯子をかけて草刈機を振り回す大変な作業だ.

以前は全部きれいに刈られていたが、今は刈り残しがある.

 

(森のトンネル)

 

山道を上り詰めて横に入ると、造成された住宅地の上に出る.

 

(山の住宅)

 

向こうに見えるのは土佐カントリーの足摺2番ホールだ.

 

(ごめん・なはり線)

 

高速道路はこの辺りを2本のトンネルで抜けているが、ごめん・なはり線も同様で、少しだけ顔を出す.

工事をしていたとき、下に飯場があった.

犬を連れて散歩をしたが、親方によく可愛がってもらったものだ.

 

(ウオーキング)

 

老婦人が車を押して上がってきた.

息切れする坂が続くが、この先に家はない.

どこまでと訊くと、峠まで、と微笑んだ.

使い込んだ手押車には、バランスのため煉瓦を1個積んでいる.

農作業はもうリタイヤされたらしい.

 

3.最北地点

 

草刈りの土手から上がると見晴らしの良い台地に出る.

 

(争いの地)

 

かつて境界紛争があったようで、「杭を移動した者は刑事告訴する」の看板が転がっている.

左に行けば自宅付近に出るのだが、笹が茂って、しばらく通っていなかったため道がどうしてもわからない.

紛争はどうなっただろう.

 

(標高150m)

 

アンテナと住宅が見える.

あのアンテナがウオーキングの最北点で、標高は150mである.

 

(海を見渡す)

 

そこでは下に自宅があるご夫婦が畑作をしている.

もっとも眺めの良い農地である.

 

4.田舎暮らし

 

昔からの集落は別として、新しい家々は「田舎暮らし」ということになろう.

歩いていると、田舎暮らしのアイテムがいろいろ見受けられる.

1)薪ストーブ

暖かい高知でストーブは要らないとも思うが、炎は心が安らぐ.

ホームセンターでキットを売っている.

 

(山のおうち)

 

2)露天風呂

やってみたくなるもので、五右衛門風呂を露天に据えた家もある.

ただ裸で風呂から出て追い焚きを行う、屋外で掃除も大変、など長続きはしないようだ.

屋外プールも同じである.

3)芝生

自宅にもあるが、植木と同様、草取り、芝刈りなどの作業が好きでないと草叢になってしまう.

パットは困難としてもアプローチの練習くらいはできるが、自宅ではすぐ飽きてしまう.

4)魚を飼う

座敷から下り下駄履きで池の鯉をポンポン、という姿はないが、水槽で多種の魚を育てている人はいる.

以前、動物園にあるような大きな鳥籠を設けた家もあった.

 

(建築中)

 

5)自宅をつくる

顔を合わせる元大工さんは、いつも何かしら家の増築をしている.

あちこちから集まる廃材を使っているが、最終の姿はご本人もわからないのではないか.

ふとんの輸出を業にしているオーストラリア人Sさんは、近所で夕方、休日に来てリフォーム中である.

小さい平凡な平屋がゴージャスな空間に変貌しつつある.

6)菜園

結局のところこれが一番のようだ.

プロ級のハウスから、少量を直販市に出すセミプロ、おかずの足しなどレベルはいろいろだ.

夜須の直販市は、フェンネル、アイスプランツなどハーブが多いのが特徴である.

我家ではいまソラマメが花で、こぼれ種のパクチー、セルフィーユが草叢になっている.

 

(住吉漁港)

 

海は近く、漁港はもちろんプロの漁師さんの生活の場である.

しかし田舎暮らしでは、意外に釣り好きの人はいなくて農業系である.

夜中から瀬渡しに、明方から遊漁船など、釣りには機動性のある市内のマンションが適合しているようだ.

 

(おわり)

 

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2020年2月27日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学122 香南市夜須町の「何でもない風景と道」2

「何でもない」風景、日常7,000歩くらいのウオーキングで歩く、自宅から2km余りの範囲です.

先日、集りで大阪へ飛行機で行き、伊丹空港からモノレール、阪急で梅田へ、買物をして西梅田の会場に行ったらこれで7,000歩でした.

田舎ではみんな200m以上なら車で行きます.

都会の方がずっと歩くのです.

その1では自宅から東の方向でしたが、今回は西の方向です.

 

2020年2月17日 最終版

 

(廃線跡を歩く)

 

1.自転車道を西へ

 

自宅下に土佐電鉄の線路跡を利用した自転車道がある.

ウオーキングやランニングでもよく利用されている.

ここを通って夜須の町まで行くには、短い2本のトンネルを抜ける.

現在同じ区間を土佐くろしお鉄道、ごめん・なはり線が通っているが、ずっと山側に新しくトンネルをつくっている.

 

(登龍門トンネル)

 

古い二つのトンネルには名がついていて、扁額がある.

東は「登龍門」、潜って都会に行く若者の出世を願ったのだろう.

 

(海浜学校前)

 

トンネル西口には元「海浜学校前」のホームがある.

山の間を行くと海岸に出る.

臨海学校に来た子供たち、ここでわいわい言って降りたのだろう.

帰りはトンネルの向こうで警笛が聞えると、「来た来た」と騒いだことだろう.

もう1本の名は「制天工」である.

天工とは人工の逆で、大自然のことをいう.

短いトンネルで、大自然を制す、とはいささか大げさだが、それだけ鉄道への期待が大きかったのかもしれない.

 

2.手結

 

(夜須)

 

付近の山から夜須(やす)町の中心部が見える.

右下が古い手結(てい)港、その左に船が並んでいるのが新港.

これらの左の砂浜が旧海水浴場で、今はヨット、パドリングの基地.

川の左に広がる砂浜が、ヤ・シィパークと名付けられた新海水浴場で、津波避難タワーが建っている.

二つの浜の間が夜須川で、冬は鴨が来るしウナギもいる.

その先が中心部である.

 

(手結港)

 

手結の古い港は、1655年に野中兼山によって、陸を掘り込んでつくられた.

今では簡単に防波堤がつくられるが、当時荒波を避け、舟を浜に揚げることなく係留するために大工事を行ったのである.

修復、修景の工事が行われて、石垣と取り巻いて並ぶ家々が昔の姿を留める.

 

(銭湯)

 

横丁には元の銭湯がある.

煙突もあったが、倒壊の恐れがあるため取り除かれた.

海で冷え切った漁師さんが暖まりに来ただろう.

 

(ボードウォーク)

 

海水浴場には長いボードウォークがあって、ここで運動する人も多い.

ウオーキングの西端で、腰かけて一休みする.

 

3.灯台の道

 

自転車道のトンネルを通ってきたが、海岸の道もある.

 

(崖に立つ家)

 

丘の上のホテルの横から、高台に別荘風の家が立つ.

貸別荘もある.

 

(海岸の家)

 

海浜学校のあった場所には、市営のサイクリングセンターがある.

 

(水路の上で)

 

夕方、仕事帰りの車が止まって手軽に釣を楽しんでいる.

高校生もいる.

 

(手結岬)

岬の道の右に灯台がある.

足元の崖が台風で崩れているので冒険は危ない.

 

(灯台から西)

 

先に海水浴場の避難タワーが見える.

この辺りの崖は、台風の波で少しづつ崩れている.

下の浜は崩れた岩石だ.

日単位ではわからないが、年単位で見ると海岸は姿を変えている.

それが積み重なって、芸西村の海岸のように、南洋で出来た岩が日本までやってくるのだ.

 

4.夜須町中心街

 

(旧道)

 

旧道と夜須川に沿って奥に向かう道の交差点が、夜須の「銀座4丁目」である.

角に、家内が店主の魚を選ぶ目に信頼を置いている小さいスーパー、右は理髪店と美容室.

家内の足はアシスト自転車である.

銀行の支店は無くなったが、郵便局はある.

昔は映画館があったそうだ.

左にスナック、米屋、釣具店があって、国道に出ればコンビニ、スタンド、サーフショップ、喫茶店、車を買ったディーラーがある.

国道を渡ったヤ・シィパークには、これも家内行きつけの直販所やインド料理、アイスの店がある.

スナックや喫茶店でつくった弁当も売っている.

右に行けば元夜須町役場(今は市支所)、図書館、ホールと、家内がボランティアをしている福祉センター、自分が定期的に行く医院がある.

昔からの履物屋は更地だが、電器店、DIY店、洋品店(高齢者向になっているが)、薬局は健在だ.

さらに山の方向には、保育園、幼稚園、小学校、中学校がある.

賑やかですよね?

 

(おわり)

 

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2020年2月13日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学121 香南市夜須町の「何でもない風景と道」1

高知学、今度は「何でもない風景」です.

名所でも何でもない風景、そんなところが印象に残っていることがあります.

古都の一角、ホテルに帰る近道に暗い家並が続いていて、どこからか子どもの声が聞こえてくる…

広い川の土手に上ると、遠くに山並みが連なり、ひばりが鳴いている…

住んでいる香南市夜須町の「何でもない」です.

 

2020年2月8日 最終版

 

1.「何でもない」の範囲

 

(国土地理院、1:200,000地勢図・高知)

 

自宅から一時間くらい、7千歩ほどのウオーキングに出かける.

自然にいくつかのコースになっているが、一時間であると円で2kmあまりの範囲になる.

地図上に描くと上のようになる.

この極めて狭いエリアが、自分にとっての「何でもない」ところである.

「何でもない」風景は、世の中に無限にある.

 

 

2.「何でもない」南へ

 

歩きには夕方出かけるので、夕景が多くなってしまうのだが.

 

(自宅から南)

 

自宅は海が見える高みにあり、下に住吉漁港が見える.

坂を下り国道を横断した先は、元の土佐電鉄線路跡を利用した自転車道である.

 

(自転車道の桜)

 

2月5日、傍の桜が満開になった.

付近あちこちに桜があり、咲く時期がまちまちなのだが、カワヅザクラのここは異常に早い.

 

(住吉への道)

 

海に向かうが、右下の水田は一枚を除いて耕作放棄地になっている.

地域には、無人の家、崩れかけた家、取り払った空地などもあり、高齢化の表れである.

 

3.住吉漁港

 

(養殖の筏)

 

住吉はブリ養殖の基地になっている.

養殖筏の更新が行われている.

これを沖500mほどのところに持って行き、係留して養殖を行うのだ.

黒潮の流れで堆積物はないし、魚は活発に運動して、いいブリが育つ.

毎日2,3隻、餌のパックを満載した船が出て、一日世話をしている.

丘の上はホテル.

 

(防波堤)

 

港の入口の赤灯台の向こうに突き出ているのは手結岬で、やはり灯台がある.

さらにその先、霞んでいる辺りが桂浜である.

 

4.震洋隊

 

(震洋隊慰霊碑)

 

漁港の傍に震洋隊慰霊碑がある.

戦争末期、合板製のモーターボートに爆薬250kgを積んで敵艦に体当たりする「震洋」が計画され、6,000隻余りが製造されたという.

ここ夜須には160名の隊員と共に配備された.

1945年8月15日、ポツダム宣言が受諾され、戦争は終結する.

ところが8月16日、夜須の部隊に出動命令が下る.

準備中に1隻の艇が出火し、次々に誘爆して111名が死亡した.

経緯については諸説があるが、あくまでも戦闘行為の中でのアクシデントである.

戦死者の氏名、出身地が記されている.

北海道、東北が多く、四国はほとんどいない.

現世を捨ててここに来ているのだ.

毎年8月16日に慰霊祭が行われてきた.

国旗、海軍旗が掲揚され、哀悼の喇叭が吹かれる.

しかし遠隔地の遺族の参加が次第に困難になり、戦後70年、2014年をもって終了した.

 

5.「何でもない」東端

 

(西分漁港)

 

住吉漁港から小さい浜を隔てて東が芸西村の西分漁港である.

停泊しているのはシラスの漁船で、2艘がペアになり目の細かい網を引いて漁をする.

休日で堤防には釣人が多い.

 

(防波堤の岩)

 

付近には黒い岩が点在する.

地質学者によれば、フィリピンプレートが北上して日本の下に潜り込む際、上の部分が引き剥がされて順次接岸したのがこれらの岩だそうだ.

 

(琴が浜)

 

さらに東は松林が連なる琴が浜である.

静かなようだが、浜はダイナミックに姿を変える.

しばらく前の台風ではこの下の砂利がすっかり流出して、左の岩の下まで海になり、浜に下れなかった.

その後次第に背丈より高くまで積み上がってきた.

また以前の波打際は単純な円弧であったが、何故か途中に岬ができている.

 

(芸西村の住宅)

 

丘の上は最近新築が多い.

この辺りがウオーキングの東端である.

 

 

(おわり)

 

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2020年2月6日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一