高知学119 高知の村4 北川村.モネの庭から無人になった最奥の集落、竹屋敷まで

高知には六つの村がありますが、第4回は高知東部にある北川村です.

北川村の面積は197平方kmで、高知最大の村です.

ただし人口は2019年現在1,176人、人口密度は1平方kmに6人で、大川村の4人、馬路村の4.5人に次ぐ少なさです.

海岸に近い役場の辺りを除き、山に行くにつれて人家は加速度的に減少し、やがて徳島県境まで無人の山地が広がります.

 

2019年12月14日 最終版

 

1.北川村と周辺

 

(役場付近の「メインストリート」)

 

北川村は奈半利町、田野町、安田町と接している.

奈半利町は3,078人、28.4平方km、108人/平方km

田野町は2,516人、6.5平方km、385人/平方km

安田町は2,467人、52.4平方km、47人/平方km

一方、4町村の役場はすべて半径2km以内にある.

車で走れば次々と境界の道路標識が現れる.

互いに近いけれども、北川村の人口密度6人と比べて極端な差があるのだ.

 

2.モネの庭

 

(モネの庭、4月)

 

高知の人が北川村で連想するのはまず「モネの庭」であろう.

画家、モネの庭園をイメージして丘の上につくられている.

名前だけだろう、などとは言われない本格的な庭園である.

折々の花と植栽に没頭する専門の庭師が、それだけの努力を払っているのだ(冬は花がないので休園).

 

(睡蓮の池)

 

上段にはモネと言えば睡蓮の池が広がる.

このとき睡蓮の花には早かったのだが、休日のサービスで女性が昔の服装で散策していた.

 

 

2.中岡慎太郎

 

幕末の志士で、坂本龍馬と共に暗殺された中岡慎太郎は北川村の庄屋の子息である.

資料館があり、生家が復元されている.

龍馬ほどではないが、閑静な山里に一人二人と訪れる人が絶えない.

 

(中岡慎太郎生家)

 

北川村は近隣の町と違って海岸には面せず、室戸への国道55号線から離れている.

そのためという訳でもないだろうが、短い高速道路で繋がっている.

資料館前の小さなカフェから見える.

カフェのランチには早く、マスターは「今ご飯を炊いているところで」と言ったが、コーヒーを飲んで待つことにした.

やがて炊飯器がカチンと鳴ったが、「蒸らしますから」.

その間おかずが料理され、炊き立てのご飯で食べた.

 

3.北川温泉

 

北川村は奈半利川に沿って奥に延びる.

もともと林業の村である.

高知東部は降雨量が多く深い樹林だが、山が急峻で川は急流、木材搬出の道はつけ難いし筏も使えない.

そのためトロッコと同じで、土木工事量が少なく急曲線が可能な森林鉄道がつくられた.

魚梁瀬(やなせ)からの木材を搬出した森林鉄道は現在道路になっている.

鉄橋やトンネルが残っている.

 

(小島、森林鉄道の鉄橋)

 

(北川温泉)

 

鉄橋の傍に北川温泉がある.

日帰り入浴ができるが、木造の立派なホテルである.

北川村にはセンスの良さを感じる.

露天風呂、せせらぎや風の音が聞こえるのだからBGMはいらないという声もあるが.

高知の観光では、この山奥で泊って山里を巡ることも得難い体験となるだろう.

 

(二股の橋梁)

 

先の二股で、さらに奈半利川を遡って魚梁瀬に向かう道と、支流小川川に沿って東洋町に向かう道が分かれる.

いずれも森林鉄道の線路跡である.

徳島から海沿いに高知に向かうとすれば、尖った室戸岬に向かって南下し、岬から今度は北上する、三角形の二辺を通る国道55号線になる.

山をショートカットすれば一辺で済む.

小川川の道がそうなのだ.

これは古代から高知へのルートとして使われ、山の尾根を伝う野根山街道である.

 

(四郎ヶ野峠、野根山街道の入口)

 

(道路のキジ)

 

ショートカットの道は国道493号線として存在する.

通ったら道にキジが飛び出してきた.

そう狭くはないのだが、北川村の奈半利川沿いの道は川に沿った屈曲ばかりで、絶えずハンドルを回し続けて大変疲れる.

いま長いトンネルや大規模な路線改良工事が進行していて、いずれ北川村経由がメインルートに復活するかもしれない.

 

(奈半利貯木場で)

 

現在木材の輸送はトレーラートラックによっている.

二股の橋は80年前、1940(昭和15)年につくられた鉄筋のないコンクリート橋である.

材木を山積みしたトレーラーがやってきた.

崩れればたちまちSNSに投稿すべく身構えたが、異常はなかった.

実際に馬路では、旧森林鉄道の鉄橋が重量で落ち込んだことがあったのだ.

 

(安倉)

 

石で埋め尽くされた小川川を遡るが、まだ集落が見られる.

 

(竹屋敷への分岐)

 

国道から分かれて最奥の集落、竹屋敷への道をとる.

ここも森林鉄道の軌道跡なのだ.

入口に「竹屋敷手前で崩壊のため通行止」とあったが、行けるところまで行くことにする.

 

(バス停)

 

右手に何人かの人影が見えたので驚いたが、これはかかしであった.

バス停の文字が消えかかった標識があるので、待合所であったらしい.

今はコミュニティバスも来ない.

花や南天が活けてあるので住民はいるようだ.

川向うの家に老婦人の姿が見えた.

 

(尾河)

 

すすきの原になった平地があるが、かつては集落や田畑があったと思われる.

 

(行き止まり)

 

次第に落葉が散り敷く道になったが、ついに通行止が現れて終わり.

 

(竹屋敷、2017年)

 

この先が竹屋敷の集落である.

昔は竹屋敷村で小学校もあった.

2010年であったか、最初に訪れたときは住民と立ち話をした.

森林鉄道はこの先まだ奥に伸びていたという.

2017年に再訪したときは犬がけたたましく吠えたが、人の姿は見なかった.

道にロープが張ってあるくらいだから、もうだれも居ないのだろう.

 

 

関連記事リンク:

62 馬路、魚梁瀬の森林鉄道

21 伊尾木川を46km遡る

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(おわり)

 

 

2019年12月11日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一