高知学114 遍路の寺-讃岐その2 長尾寺、大窪寺、志度寺

いまお遍路のほとんどは自家用車(遠くの人ならレンタカー)によっています.

旅行社のツアーもありますが、季節は限られ、スケジュールに慌ただしいところもあります.

高齢になるとあまり歩きたくないのですが、遍路のお寺は交通不便なところが多いのです.

タクシーなどお金がかかることは避けたいので、できるだけ公共交通に頼りたいところです.

一方、歩き遍路で八十八か所一気に完歩、というのはさすがに少ないようです.

多くは区切ってお寺を訪ね、一旦帰ってまた次は前回のところから始めるやり方です.

一番ハードなのは、野宿で回ることでしょう.

遍路の原点ですが、地元で不評なのです.

汚い、辺りを散らかす、子どもが怖がる、お金を落とさない、などの理由です.

近くの駅では野宿防止のため、夜になると待合室に鍵をかけてしまいます.

 

2019年8月28日 最終版

 

1.87番 長尾寺

 

讃岐の遍路その2である.

高松からことでん長尾線、その終点から長尾寺は近い.

 

(長尾寺前)

 

88番への標識が見える、長尾寺の前の古い道には魚屋さんがある.

八百屋さんも見かけたが、今の時代、個人商店は高齢者にうれしい.

宿屋もある.

多くのお寺の門前には遍路宿があるので、遍路の泊まりには困らない.

自宅近くの遍路道にもある.

道から少し外れていることもあって満室は見たことがないが、一人二人と泊まって一隅で洗濯機を動かしている.

車だとビジネスホテルに泊まったりするため、この「お接待」は厳しいようで、廃業したところもある.

一方新規開業もあり、素泊り二千円、などと立札が出ている.

 

(長尾寺)

 

2.コミュニティバス

 

空模様が怪しくなってきた.

88番の大窪寺へ、さぬき市のコミュニティバスがある.

廃業した造り酒屋の前で掃除をしている婦人にバス停を尋ねた.

近くにあるが、待合室があるから大川バスの本社で待てばよいと教えてくれた.

 

(大川バス本社)

 

高速バスが発着する大きな本社だが、委託を受けて市のバスを運行している.

大抵のコミュニティバスは子どもの通学時間帯のダイヤで、部外者に利用し難い.

しかしここでははっきりと「大窪寺方面」と書かれている.

30分余り、着くのは昼時だがダイヤがうまくつくってあって、お詣りをして昼食をとる時間があり、到着から1時間半後に寺から戻れる.

 

(福祉センター)

 

マイクロバスの乗客は地元の人が二人、お遍路さんが二人、そして我々である.

コミュニティバスなので寄り道して運動公園と福祉施設を回る.

 

(雨の山道)

 

山に入ると本降りになった.

 

3.88番大窪寺

 

(大窪寺)

 

順に回ればここが最後のお寺、打ち留めなのである.

しかし歩き遍路の人の多くは、これで終わりという気持ちにはならず、またいつか回り始めるという.

 

(大窪寺の雨)

 

雨足が激しくなった.

本堂の廊下で雨宿り、じっと長い時間雨を眺めるのも思い出か.

休憩所で野宿で回る男性が濡れたものを乾かしている.

これから山を下って10番切幡寺に出て、あと五つで終わりだそうだ.

ガイドブックは1番から順だし、どこまで進んだかが判り易い.

しかし番号通り歩く決まりはないし、違える方が進み易い場合もある.

小降りになってきたので、手際よく荷物をまとめにかかっている.

食事から帰るともう姿はなかった.

 

4.86番志度寺

 

(志度寺)

 

大窪寺から長尾に戻り、バスはさらに志度寺へ向かう.

途中本社での15分休憩を挟んで1時間だが、どれだけ乗っても一乗車200円(休日は500円)である.

休憩で降りても有効である.

さぬき市のお接待だ.

 

(志度寺のお堂)

 

多くのお寺の境内は日本庭園であるが、志度寺は木や草が自然に生えたままになっている.

雨で藪蚊が多い.

近くにあるお寺を開設した上人は、命あるものだからと蚊さえ殺さなかったと立札の説明にあるが、そうはいかない.

 

(志度の街道)

 

志度寺を出て、ことでん志度駅へ向かう.

古い道にある個人商店の肉屋さんに道を尋ねる.

だれに訊いてもお遍路さんに懇切に道を教えてくれる.

スマホや地図を見るより「ふれあい」を感じるのだ.

江戸時代の眞念のガイドブックには地図や絵図はない.

通過する村の名だけが記されている.

近くの28番大日寺ではこんな具合だ.

「是より国分寺へ壱里半.ぼたひじ村、ぶようし村、といたしま村…」

大日寺を出て母代寺村に来ると父養寺村への道を尋ねる.父養寺に着くと戸板島の道を訊く.

これを繰り返す.

今はさぬき市のようにバスに1時間乗っても同じ自治体だが、昔は村の単位が小さかったためこれで十分なのである.

肉屋さんのショーケースの肉が美味しそうに見えたので、「持って帰れるものなら買うのだが」というと、

「そう気を使わないでも」と言われた.

 

(ことでん志度駅)

 

志度駅に電車がやってきた.

これで高松に戻れば、ことでん全三線完乗である.

 

 

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関連記事リンク:

5 お遍路さんはどんな人?どのように歩く?

75 コミュニティバス3 仁淀川町、中土佐町、安芸市

 

参考資料:

「四国遍路ひとり歩き同行二人」地図編、へんろみち保存協力会、2016.

眞念、稲田道彦訳注:「四国徧禮道指南」、講談社学術文庫、2015.

頼富本宏:「四国遍路とはなにか」、角川選書、2009.

 

(おわり)

 

2019年8月27日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学113 遍路の寺-讃岐 その1 出釈迦寺、曼荼羅寺、善通寺

八十八のお寺を巡る四国遍路、総延長は1,100km余りで、東京と大阪を往復する距離と等しいのです.

平安時代から、修行や巡礼のかたちで寺社や行場を巡る行脚が行われていました.

やがてそれが四国出身の空海、弘法大師への信仰と結びつきます.

現在の八十八か所にまとまったのは、江戸時代初期とされます.

その頃、僧・真念はガイドブックを記すとともに、迷いそうな個所には標石を立て、また山中に宿泊所をつくりました.

これによって遍路が随分歩き易くなりました.

自然発生的な経緯から、八十八のお寺の分布にはばらつきがあります.

高知県では、24番の室戸岬から38番の足摺岬の先まで、15のお寺が400km近くに渡って広がっています.

一方、かたまっている地域もあり、1番から始まる徳島近く、また88番で終わる讃岐などがそうです.

讃岐のお寺のいくつかを巡ってきました.

 

2019年8月23日 最終版

 

(善通寺のお遍路さん)

 

1.お遍路さんのいま

 

2019年の報道によれば、お遍路さんの全体数は最盛期から4割程度減少しているという.

これは、大型観光バスでガイドさんが旗を持って先導するような団体が減っているためらしい.

今も何回かに分けて巡るツアーの募集はされているが、車はバンを使って行動に小回りが利くようだ.

一方、本来の姿である歩き遍路は増加し、その中で外国人が増えているとのことだ.

自宅下方にある自転車道は遍路道になっているが、これは頷ける.

何年か前には、歩き遍路の団体ツアーも見かけたが、各人の歩行ペースは違うし、これは無理がある.

双六の上りへ急ぐのではなく、道中を楽しみつつ何かを求めるということなのだろう.

 

(遍路道のうどん屋.1番からの歩き遍路にはお接待)

 

2.73番出釈迦寺

 

(善通寺駅前)

 

土讃線の善通寺駅を降りる.

丸い山の下が善通寺で、山の向こうに出釈迦(しゅつしゃか)寺と曼荼羅(まんだら)寺の二つのお寺がある.

6km近くあるので、奥の出釈迦寺へタクシーで向かった.

 

(出釈迦寺山門から)

 

寺は高台にあり、晴天の今日、瀬戸大橋までよく見える.

 

(出釈迦寺本堂)

 

お遍路さんが一番多いのは春先だそうだ.

いまは8月、じりじりと日が照りつける.

誰もお参りがないようでも、いつのまにか一人、二人と境内に現れる.

そこが遍路の寺である.

 

(捨身ヶ嶽)

 

寺の背後の捨身(しゃしん)ヶ嶽は、幼い空海が山から身を投げて修行したという伝説の山である.

お堂が見え、熱心なお遍路さんはそこまで山道を登るということだが、とてもだ.

 

3.72番曼荼羅寺

 

曼荼羅寺は600mしか離れていない.

野道に入るとすぐ寺の茂みが見えてくる.

 

(曼荼羅寺本堂から)

 

遍路の寺には本堂、大師堂、納経所がセットになっている.

石碑や石像も多いが、ここは石のトーテムポールだ.

 

(山門から)

 

善通寺には下り坂になるので、歩いてもいいかと思っていたが、この暑さ.

タクシーを呼んで山門で待つ.

秋ならいい散策になるだろうが.

緑の稲田と、この地特有の富士山型の山が目の前である.

 

4.75番善通寺

 

(善通寺)

 

タクシーは善通寺の西側に着いた.

広い駐車場があって、うどん屋が立ち並び、大変賑やかである.

境内も広い.

善通寺は空海が生まれた地とされ、真言善通寺派の総本山である.

また金毘羅さんが近いので、セットで来る人も多いのだろう.

 

(善通寺本堂)

 

お遍路さんというと白衣の姿を思い浮かべるが、バイク姿もいるし様々である.

ハーフパンツの若者が手を合わせている.

 

(善通寺駅へ)

 

境内を駅に向かって東に出る.

駅まで徒歩15分とあるが、彼方の土讃線陸橋が霞んで見え、もっとありそうだ.

道の背後、真っ直ぐに午後の太陽があり、建物や並木の入れる影がない.

両側の商店のシャッターは閉ざされて人影もなく、余計に疲れる.

何でもないところでの苦闘が後々印象に残る、などと痩せ我慢で歩く.

大きな精麦工場があり、全部うどんになるのかどうかわからないが、さすが讃岐である.

 

(自衛隊トラックと精麦工場)

 

善通寺には、日清戦争後の1898(明治31)年に、全国六の内一つの陸軍師団が設置された.

初代師団長は乃木将軍である.

善通寺の街は「軍都」と称されて賑わった.

いま面積は縮小されているが、それでも四国最大の自衛隊駐屯地になっている.

「免許取り立て」の大型トラックが何台も練習で走り回っている.

南海トラフ地震への対応も重点施策らしい.

 

(善通寺駅)

 

善通寺駅にやっと着いた.

JR四国の駅は一時、趣味の悪い色や装飾で劣悪な景観であったが、今は落ち着いている.

キオスクはセブン-イレブンだが、控えめな看板である.

鉄道ファンとして、ここしばらく高松琴平電鉄に乗っていなかったので、琴平まで戻り、ことでんで高松に向かった.

 

(JR高松駅)

 

明日はまた三つのお寺を回る予定で、予報では雨だが、JR駅背後に月が出ている.

 

関連記事リンク:

81 歩き遍路の道1 大日寺から

44 自衛隊高知駐屯地の公開

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(おわり)

 

2019年8月22日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一