高知学111 高知から松山へ.国鉄特急バスの道

高知と四国の他県、香川、愛媛、徳島とは、どのように繋がっているだろう.

「壁」があるわけでもないし、今ではトンネルがあって、国境の峠はない.

人の行き来を遮るものはないし、人種が違うわけでもない.

江戸時代の「藩」が残った行政上の区分である.

 

2019年6月10日 最終版

 

(改築中の道後温泉本館)

 

1.高知と他県

 

高知と他県との繋がりの程度は、高速バスの運行状況からわかる.

高知・高松:13往復

瀬戸大橋ができるまで、本州と四国間の行き来は、高松と岡山県の宇野を結ぶ連絡船によっていた.

今は高松を経由しないが、行政の出先機関や四国支店は高松にあるため、この結果になっているのだろう.

JRでも直通の特急がある.

高知・松山:10往復

松山は四国最大の都市であり、瀬戸内海沿岸は工業地帯である.

昔から交通はバスが主体で、高速道路のない時代でも1時間に1本、15往復、国鉄の座席指定特急バスが運行されていた.

JRは多度津で乗換だが、遠回りになるため利用客はいないし、接続ダイヤもない.

高知・徳島:4往復

同じ四国でも、両県の結びつきは極めて少ないことがわかる.

JRでは一応、阿波池田で土讃線の特急と徳島線の特急が接続するダイヤになっているのだが、乗換える乗客はいない.

徳島線の特急は吉野川沿岸の町々を結ぶためのものである.

 

 

2.国道33号線を佐川へ

 

(高知の中心、はりまや橋)

 

高知から松山へ、今は山脈を横切って瀬戸内に出る高速道路の利用が普通である.

ここでは、はりまや橋の道路標識通りに、昔特急バスが通っていた国道33号線を進む.

伊野、日高を過ぎて佐川に入ると辺りは田園になる.

 

(佐川地質館)

 

佐川には、かつて鉄道の専用線迄あった石灰岩鉱山と共に、コンパクトなカルストもある.

そんなことから地質館があり、入口を入るとまずテラノザウルスが吠えかかる.

中庭では小学生が石をハンマーで叩いて、化石を探していた.

学芸員によれば、本当は現地で探せばよいのだが、遠いので土を運んできたそうだ.

あった!と次々に割った石を見せている.

大抵は二枚貝の化石だが、アンモナイトはないの、と訊く子どももいる.

年に二つくらい見つかるのだがね、との答えだった.

 

3.仁淀川のダム

 

(筏津ダム)

 

仁淀川の岸に入るとダムが現れる.

最初にある筏津は、1958年にできた発電用ダムである.

落差は25.5mで、巨大ダムを見慣れた目からすると、いかにも牧歌的である.

発電出力は1万kWで、原子力発電所の1/100相当だ.

 

(筏津ダム湖)

 

渇水に備えてか、いまダム湖は満杯である.

香川の灌漑に使う早明浦ダムでは取水制限をしているのだが.

 

(仁淀川の谷間)

 

先には渓谷が続く.

ダム湖の下にこのような谷間があったのだ.

 

(大渡ダムの堰堤上)

 

大渡(おおど)ダムは、1986年につくられた国交省直轄の治水、灌漑、発電などの多目的ダムである.

落差96mで、これがいまダムと言って連想する姿であろう.

 

(大渡ダム湖)

 

ダム湖には、対岸を結ぶ釣橋がかけられている.それだけ沈んだ面積が広いのだ.

 

(茶畑)

 

岸には茶畑が多い.

仁淀川町の名産はお茶である.

この辺りで愛媛県に入り、同じ川なのだが、名前は仁淀から面河(おもご)に変る.

 

4.愛媛県

 

(上黒岩遺跡)

 

道の近くに上黒岩岩陰遺跡がある.

1961年、傍の家に住む中学1年の男の子が、埋まっているものを見つけた.

発掘調査が行われ、14,500年から10,000年前、縄文の早い時期の土器、人骨などが発見された.

女性と思われる線刻が施された、手のひら大の平らな石も見つかっている.

発見地は屋根で覆って保存され、傍には展示館がある.

 

(遺跡の傍)

 

なぜ縄文人はここに住んだのだろう.

1万年前の地形はわからないが、魚や動物を獲る山や川はすぐ傍にある.

大きな岩の陰だから、風雨を避けるには良かっただろう.

しかし「急傾斜地崩壊危険区域」だから、山崩れで埋まったのかもしれない.

 

(久万高原町)

 

久万は、松山から来る特急バスの最初の休憩地であった.

道幅は広くのびのびとして、木造校舎の中学校は趣がある.

もうここは松山の通勤圏である.

三坂峠を下りに下る.

ハイブリッド車は、発電ブレーキで電池がすぐ「満タン」になる.

 

(三坂峠から)

 

松山の平野が見えてくる.

焼物の町、砥部まで来ると道路は次第に混雑し、松山の市街に入る.

 

5.寒風山

 

瀬戸内の魚を食べ、部屋数7の旅館に泊まり、広いデパ地下に行く.

高知への帰途は、寒風山トンネルを通る国道194号線である.

 

(西条市の194号線)

 

194号線は松山の東、西条から寒風山トンネルを抜け、仁淀川沿いに出る.

古くからの峠道だが、横断道として機能するのは、1999年の新寒風山トンネルの開通以来であろう.

33号線と比べて格が落ちるようにも思うが、新しいだけに道幅は広く、屈曲が少ない.

その割に交通量が少ないので、ツーリングのバイク集団によく出会う.

 

(寒風山トンネル)

 

トンネルは5,432mと長いので、横に避難トンネルがつくられ、ところどころで本線と繋がっている.

 

(仁淀川、越知町)

 

33号線で遡った仁淀川に出る.

辺りは一面の砂利の河原である.

 

(面河川、小松谷)

 

上流では家より大きい岩が転がっていたのだが、砕けてここに至ったのだ.

 

 

(おわり)

 

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2019年6月3日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一