高知学121 香南市夜須町の「何でもない風景と道」1

高知学、今度は「何でもない風景」です.

名所でも何でもない風景、そんなところが印象に残っていることがあります.

古都の一角、ホテルに帰る近道に暗い家並が続いていて、どこからか子どもの声が聞こえてくる…

広い川の土手に上ると、遠くに山並みが連なり、ひばりが鳴いている…

住んでいる香南市夜須町の「何でもない」です.

 

2020年2月8日 最終版

 

1.「何でもない」の範囲

 

(国土地理院、1:200,000地勢図・高知)

 

自宅から一時間くらい、7千歩ほどのウオーキングに出かける.

自然にいくつかのコースになっているが、一時間であると円で2kmあまりの範囲になる.

地図上に描くと上のようになる.

この極めて狭いエリアが、自分にとっての「何でもない」ところである.

「何でもない」風景は、世の中に無限にある.

 

 

2.「何でもない」南へ

 

歩きには夕方出かけるので、夕景が多くなってしまうのだが.

 

(自宅から南)

 

自宅は海が見える高みにあり、下に住吉漁港が見える.

坂を下り国道を横断した先は、元の土佐電鉄線路跡を利用した自転車道である.

 

(自転車道の桜)

 

2月5日、傍の桜が満開になった.

付近あちこちに桜があり、咲く時期がまちまちなのだが、カワヅザクラのここは異常に早い.

 

(住吉への道)

 

海に向かうが、右下の水田は一枚を除いて耕作放棄地になっている.

地域には、無人の家、崩れかけた家、取り払った空地などもあり、高齢化の表れである.

 

3.住吉漁港

 

(養殖の筏)

 

住吉はブリ養殖の基地になっている.

養殖筏の更新が行われている.

これを沖500mほどのところに持って行き、係留して養殖を行うのだ.

黒潮の流れで堆積物はないし、魚は活発に運動して、いいブリが育つ.

毎日2,3隻、餌のパックを満載した船が出て、一日世話をしている.

丘の上はホテル.

 

(防波堤)

 

港の入口の赤灯台の向こうに突き出ているのは手結岬で、やはり灯台がある.

さらにその先、霞んでいる辺りが桂浜である.

 

4.震洋隊

 

(震洋隊慰霊碑)

 

漁港の傍に震洋隊慰霊碑がある.

戦争末期、合板製のモーターボートに爆薬250kgを積んで敵艦に体当たりする「震洋」が計画され、6,000隻余りが製造されたという.

ここ夜須には160名の隊員と共に配備された.

1945年8月15日、ポツダム宣言が受諾され、戦争は終結する.

ところが8月16日、夜須の部隊に出動命令が下る.

準備中に1隻の艇が出火し、次々に誘爆して111名が死亡した.

経緯については諸説があるが、あくまでも戦闘行為の中でのアクシデントである.

戦死者の氏名、出身地が記されている.

北海道、東北が多く、四国はほとんどいない.

現世を捨ててここに来ているのだ.

毎年8月16日に慰霊祭が行われてきた.

国旗、海軍旗が掲揚され、哀悼の喇叭が吹かれる.

しかし遠隔地の遺族の参加が次第に困難になり、戦後70年、2014年をもって終了した.

 

5.「何でもない」東端

 

(西分漁港)

 

住吉漁港から小さい浜を隔てて東が芸西村の西分漁港である.

停泊しているのはシラスの漁船で、2艘がペアになり目の細かい網を引いて漁をする.

休日で堤防には釣人が多い.

 

(防波堤の岩)

 

付近には黒い岩が点在する.

地質学者によれば、フィリピンプレートが北上して日本の下に潜り込む際、上の部分が引き剥がされて順次接岸したのがこれらの岩だそうだ.

 

(琴が浜)

 

さらに東は松林が連なる琴が浜である.

静かなようだが、浜はダイナミックに姿を変える.

しばらく前の台風ではこの下の砂利がすっかり流出して、左の岩の下まで海になり、浜に下れなかった.

その後次第に背丈より高くまで積み上がってきた.

また以前の波打際は単純な円弧であったが、何故か途中に岬ができている.

 

(芸西村の住宅)

 

丘の上は最近新築が多い.

この辺りがウオーキングの東端である.

 

 

(おわり)

 

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2020年2月6日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一