高知学107 高知城から8km圏に何がある?

高知学106では、高知の中心である高知城から半径5kmの地域を訪ねました.

今回は8km圏です.

東京の中心、皇居から8kmとなると、目黒不動、下北沢、笹塚、中野、王子、北千住など、明治時代まで町外れとされた地域です.

高知では山の中になり、2005年に高知市と合併した、旧土佐山村、鏡村の地域に当ります.

 

2019年2月25日 最終版

 

1.南国市から

 

(山へ)

 

南国市の農免道路を山に向かう.

「農免道路」とは聞きなれない名である.

農業で使うガソリンの税金を免除してほしい、との要望に対し、やらない代りに相当する金額でつくられた農道だ.

財源の問題であって、道路には変わりはない.

高知道の南国インター付近から、向こうの山に入る.

 

(奈路小学校)

 

山に入って行くと、坂の下に小学校が見える.

運動場で子どもたちが遊んでいるが、生徒数はどれくらいだろう.

 

(棚田の看板)

 

辺りの棚田には「給食米産地」の看板が立つ.

 

(奈路の水路)

 

しかしこの辺り、小さな谷間で水が豊かではない.

そのため江戸時代に、山を潜った水路がつくられている.

潤す面積が4町歩、というと200m四方に当り、さほど広くはないがそれでもこの苦労だ.

日本の農業、稲作にはとにかく水の確保が必要なのだ.

 

(用水の上)

 

清冽な流れの音が聞こえ、20mとあるので行こうとしたが、足場が悪くて戻る.

 

2.土佐山

 

(蟹坂から)

 

南国市と今の高知市との境になる蟹坂の峠を上る.

やがて元土佐山村の中心地に出る.

 

(右は旧土佐山村役場)

 

旧役場は一部がレンタルオフィスとなった.

いろいろの種類の公営住宅もつくられている.

 

(土佐山学舎の幟)

 

「土佐山学舎」を誘導する幟が立っている.

学校の幟には意気込みが伺われるというものだ.

かねて土佐山は小中一貫校だったが、新制度発足に伴って、小中の枠にとらわれない「義務教育学校、土佐山学舎」に変った.

9年の期間を4,3,2に分け教育する.

英語、ITなど内容はフレキシブルのようだし、部活は必須となっている.

いま全校生徒は150人ほどだが、特認校で学区がないので半数は高知市街から来ている.

スクールバスで30分ほどである.

 

(交流館)

 

山の上に貸ホールの「交流館かわせみ」がある.

周辺は山だから、いくらバンドの練習でどんちゃかやっても何の支障もない.

昔、アメリカの山の都市で学会があった.

泊るのは町中のホテルだが、会場は雪の積もった山の上である.

一旦バスで上がるとエスケープできない.

鹿も顔を見せる.

いやが上にも議論と親交が深まるというものだ.

 

3.土佐山観光

 

(ごとごと石)

 

谷間に「ごとごと石」がある.

突き出た崖の上に石が乗っていて、揺らすと動くのだが決して落ちないという.

ただし今、力を込めて押しても全く動かない.

地元の人に訊くと、昔は片手で揺らせたのだが、あんまり皆が押すので、すり減って動かなくなってしまったのだそうだ.

受験で「落ちない」、ごとごと石のお守りが道の駅で売られている.

「落ちそうで落ちない」から「絶対に落ちない」となったので、一層霊験が高まったというものである.

 

(オーベルジュ土佐山)

 

山のホテル、オーベルジュ土佐山がある.

市内のOホテルが運営していて送迎バスがある.

静かな山の中を楽しんでもらうことがコンセプトで、客室にはテレビがない.

ただし今、スマホは圏外ではないが.

ランチのつもりであったが、寄り道で時間を過ぎてしまった.

3kmほど奥の嫁石梅祭りに屋台を出しているそうなので、そちらに向かう.

 

(梅祭り)

 

五分咲きくらいであるが、仲間づれや、花にカメラを構える人がいる.

かなりの奥の集落だが、無人の家屋が見当たらないので、ドラム缶の焚火にあたっている世話役に訊ねた.

いやそうではない、この上にもあそこにも家があった、との答えであった.

4.鏡

 

この辺り、高知の町中を流れる鏡川の上流である.

市域の水の安定供給のため、ダムがつくられている.

 

(鏡ダム)

 

しかし鏡川だけでは流量が不十分で、吉野川の支流から15km近い水路トンネルで水を足している.

四国の中央を縦断して流れる吉野川は、早明浦ダムだけでなく四国全県を潤すのだ.

 

(忠霊塔)

 

元鏡村の中心地を過ぎた高台に「忠霊塔」がある.

地域から出征して戦死された方々を弔う碑である.

高知県内には合計220基があるという.

敗戦後、占領軍に見られてはまずいということで、「忠霊」の文字を削ってしまった地域があるが、ここはそのようなことはないようだ.

台座に多数の戦死者の名が刻まれている.

当然、出征者は戦死者を上回るから、それだけの若者がこの土地にいたのだ.

「大東亜戦争」のとき、大阪の田舎の小学生(正確には国民学校)であった.

兵隊に行く若者が、運動場や駅頭で見送りの人たちに挨拶する.

毎回我々も加わるので、自分もその挨拶ができるようになった.

 

(鏡川橋)

 

川に沿って下って行くと次第に家々が増し、市内外れの路面電車、鏡川橋停留所に至る.

 

(おわり)

 

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2019年2月20日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一