高知学86 高知の岬と灯台、海の風景

高知県は、室戸の東から足摺の西まで、海に面している.

海は高知を特徴づける風景である.

その中でも、岬とそこにある灯台は、海のシンボルである.

また、海はダイナミックであり、常に動いている.

毎日潮の干満は2回あるが、大潮のときに潮位の差は2m近くになる.

台風では穏やかだった海が一変する.

それによって浜の姿は変わり、海岸は崩れる.

 

2018年2月21日 暫定版

 

1.室戸岬

 

(室戸岬に近づく)

 

徳島方面から来ると、室戸岬に近づくにつれ、山がますます海岸から聳え立ってくる.

火山の溶岩丘のように、むくむくと隆起している.

いま岬は、南海トラフの沈み込みに引き込まれて、年間7mm沈下している.

やがて耐えきれなくなって、跳ね上がって地震を起こし、この山はさらに高くなる.

 

(室戸岬灯台)

 

室戸岬は太平洋に突き出た難所であり、1899(明治32)年に灯台が設置された.

照葉樹林の中に聳え立っている.

最初は石油ランプを使っていた.

灯台もコンクリートではなく鉄製で、リベットで組み立てられている.

 

(灯台のレンズ)

 

灯台の近くには、札所の最御崎(ほつみさき)寺があり、少し歩くと真正面に灯台が現れる.

どのガイドブックにもこの写真が出ているが、これは誰でも撮れる.

灯台の塔が公開されていて、登ることができる場所はある.

しかし、このように正面から相対するところはまずないだろう.

灯台は、それぞれに決められた時間で点滅して、船から識別できるようになっている.

しかし石油ランプや大光源は点滅が困難なので、投光レンズを回転させて閃光にしている.

普段は中に入れないが、年1回、見学の催しがある.

 

2.羽根岬

 

近くの海岸に行くと、東に台地が長く伸びているのが見える.

室戸岬も同じ形なのだが、手前に似た形の岬が突き出ていて、その陰になって見えない.

夕方、岬には灯台の明かりがともる.

30km離れた羽根岬灯台である.

灯台は、GPS始め電波航法の発達によって役割が低下しているという.

しかし小さな漁船はあるし、視認できる「暗夜の灯」には安心感があるだろう.

 

(丘の上の羽根岬灯台)

 

灯台は海から見えればよいので、下から見上げてもなかなか見えないことが多い.

羽根岬もそうで、形も「白亜」の円筒形ではなく箱型なので、余計わからない.

 

3興津岬

 

我家の近くにホテルがあり、そのチャペルの横の林の間に、遠くに点滅する光が見える.

天気の悪い日や、大気が霞んでいるときは見えない.

空気が澄んでいるときは、海面に反射した光もわかる.

これは洋上を66km離れた、興津岬灯台である.

この距離は東京-大船間に相当する.

ただし我家は海抜40mだが、海岸に行くと地球は丸いので見えない.

 

(興津岬の山)

 

どんな灯台なのか、行ってみることにした.

国道を外れ山を下って行くと、興津の集落が見える.

2kmの砂浜があって、夏は海水浴場になる.

灯台があるのは、中央の山の上である.

 

(いりこを干す)

 

海岸でいりこを干している人たちに道を尋ねた.

狭いが、小さな車なら行けると言う.

ついでに味見をさせてくれた.

 

(興津岬灯台)

 

舗装されていない山道を、曲がりに曲がって上ると灯台が現れた.

昔は「灯台守」が居て、家族共々住んで運用していた.

いま、どこも自動化されて、官舎の跡は空地になっている.

 

(山頂から)

 

「灯台下暗し」で、塔の下からは海がほとんど見えない.

しかし更に上がるとお堂があって、見晴らしがよい.

花が植えられているので、下から檀家が上がってくるのだろう.

 

5.足摺岬

 

 

 

6.佐田岬

 

 

 

(つづく)

 

 

高知学85 高知の食卓、高知の食事 1

高知の料理というと、カツオのたたきと皿鉢料理ということになる.

しかしもちろん、高知県民が毎日たたきを食べているわけではない.

皿鉢料理は、一つの大皿に、刺身、寿司、てんぷら、フルーツ、羊羹などを盛ったものである.

家庭で日常食べるものではなく、宴会の料理である.

といって居酒屋の宴会では、ちまちまと盛り付けていると、重箱のおせち料理のようで、見た目は良いが量に乏しい.

そこで、寿司、刺身、てんぷら、唐揚げ、その他店の料理が、それぞれの大皿に載せて出される.

出席者それぞれが、自分の前にある大皿から、積まれている小皿に取り分け、互いに回しあう.

「家庭の料理」となると、これは一般化が難しい.

「私事で恐縮ながら」、我家の料理を例に述べる.

 

 

2018年2月12日 最終版

 

1.カツオ

 

毎日食べないにしても、高知のカツオの消費量は日本一である.

カツオの多くは、遠洋航海の一本釣り漁船で世界中から獲られてくる.

釣り上げられたカツオは、針を離れると船上を滑って冷凍庫に直行する.

高知のあちこちで、たたきにして冷凍パックしたものが販売されている.

 

(カツオの遠洋漁船)

 

一方、近海でもトローリング(流し縄)で釣られている.

これは冷凍されることなく市場に出る.

 

(トローリング)

 

(たたきを焼く)

 

我家では近くのものを、食べる直前にガスの火で焼く.

では冷凍パックが味で落ちるかというと、そんなことはない.

太平洋の真ん中で泳いで脂が乗っているし、高温の炎で焼く「藁焼き」である.

ステーキ肉や焼き方に、いろいろあるのと同じである.

 

2.サバ

 

高知では、サバはカツオに次ぐポピュラーな魚である.

頭と尻尾をつけて軽く押した、サバの姿寿司は皿鉢料理の定番である.

足摺から室戸まで至る所で揚がり、はちきれそうな砲弾型をして並んでいる.

 

(塩サバを焼く)

 

塩サバは、我家ではノルウエー産をスーパーで買う.

フェンネルの葉を裏表に敷いて焼く.

こうすると、身がふっくらとする.

 

(フェンネルの花)

 

フェンネルには葉が緑色と銅色のものがあり、庭でよく育つ.

根元の白い球茎が大きくなる品種があるが、サラダやスープになるので、近くの直販市で売られている.

フェンネルは生臭さを消す効果があるという.

しかしそれよりも、細かな葉で覆うと熱が直接魚に当らず、蒸焼きの効果があるのではないか.

氷に覆われた岩山のフィヨルドを思い浮かべながら、「北欧産サバの香草包み焼」にご飯が進む.

 

3.ブリ

 

ブリの若いのがハマチだが、養殖魚の代表である.

高知でも至る所の入江で育てられている.

天然でもよく獲れて、両者が並んで売られているが、値段は変わりない.

 

(準備中の養殖筏、網を張って沈める)

 

ブリの照焼きの切身は、我家では目の前の住吉漁港で養殖されたものを買っている.

隣村のスーパーで入手できる.

ここでは、沖合1kmあまりの肉眼でやっと見える外洋で育てている.

新鮮な海水であり、波によって魚の運動量も多いのだろう.

養殖は池の鯉のように、餌を投げ込んでおけばよいというものではない.

毎日夜明けに船が出て、昼過ぎまで海面下の網を揚げつつ細かいケアをしている.

帰った後は翌日の準備である.

台風が発生すると、うねりが来る前に、入江に筏を避難させる.

 

4.キンメダイ

 

高知では、干物に使う青色の網籠は家庭の必需品である.

我家では特別なとき、キンメダイを干す.

深海魚なので、海底が急傾斜になっている室戸沖が漁場である.

魚屋で、真向唐竹割にさばいてもらう.

大きい方が身がほっこりしている.

 

(干物をつくる)

 

「干物職人」によれば、以下が重要だそうだ.

塩加減:塩水に一晩つけるが、濃度は4%

干し加減:5時間ほどだが、風や日射で違うので、時々指で押して確かめる

 

(キンメダイを焼く)

 

5.クジラ

 

高知県東部は、クジラ漁で生活が成り立っていた.

高台に居る見張りから、クジラが来た!という知らせが来ると、20艘もの船が出る.

銛を投げ、網を掛け、中には上に乗って仕留める、命がけの仕事であった.

今も高知の魚売り場にはクジラ肉が普通である.

市場には「高知鯨株式会社」など「保護団体」が目を剥く看板がある.

ブローニング銃のOEMを行っているM製作所は、もともと南氷洋で使う捕鯨砲のメーカであった.

 

(クジラの刺身)

 

刺身、赤身ブロック、おでん種のコロなど販売されている.

自分は子どものときから、母親がつくる水菜で煮詰めたクジラ鍋を食べてきた.

よく言う「はりはり鍋」は、だし汁にさっと潜らせるあっさりしたものだが、これとは違う.

 

(「クジラ鍋」)

 

レシピは次のようである.

・醤油、砂糖、酒を同量、刻んだ生姜を山ほど入れて、たれをつくる.

・小さくカットした肉を加える.

・すきやき鍋に入れ、水菜をどっさり入れて、つくだ煮状になるまで煮詰める.

水菜が小さくなれば追加するが、ボウル一杯がすぐなくなる.

水菜は庭でよく育ち、刈り取ってもまた育ってくる.

ご飯がいくらでも食べられるし、残れば次の日に水菜を足してまた使えるから経済的である.

ただし、水菜はサラダに使う柔らかいものは不向きで、寒くなり硬くなったものでないといけない.

クジラ肉だが、鹿ノ子でないと駄目で、他のものでは不味い.

しかしいま鹿ノ子は入手不可能である.

代替品がないか、追及した結果「合鴨」に到達した.

クジラと同等に味わうことができる.

もともとクジラが居なくなったのは、アメリカが鯨油を取るために乱獲したからである.

太平洋に400 隻の捕鯨船が出て、1隻で年間100頭は捕獲した.

ジョン万次郎は、その捕鯨船に助けられたのだが.

戦後の南氷洋では、ノルウエー、ソ連、ほか各国が入り乱れて年間1万頭を捕獲した.

日本もその一つで、我々はそのクジラに育てられた.

室戸の捕鯨は年50頭ほどであったのだが.

 

(おわり)

 

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2018年2月7日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学84 歩きへんろの道を辿る3 禅師峰寺から清滝寺

八十八か所の四国遍路、高知の歩きへんろ道を辿る.

不精をして軽自動車で歩いている.

へんろ道は街道と違って、組織的な整備や普請がなされてきたわけではなく、自然発生的に生まれたものである.

従って絶対これ、というルートはないし、河川改修や農場整備で消えているところもある.

しかし、分岐や曲がり角など、とんでもない方向に行かないよう、昔から要所に、寄進による道しるべがつくられている.

特段の名所が無くても、急がず慌てず、のんびりと野良道を歩くのが、へんろの醍醐味であろう.

今回は高知市の南、32番禅師峰(ぜんじぶ)寺から、西へ35番清滝寺までとする.

 

2018年1月25日 最終版

 

 

1.禅師峰寺

 

(禅師峰寺)

 

禅師峰寺は、土佐湾に面した標高80mの小山の上で、大変眺めが良い.

西にクルーズ船も入る高知新港があり、その先、浦戸湾の対岸に桂浜が見えている.

 

(桂浜が見える)

 

山を下って、浦戸湾口に長く伸びた砂嘴にある種崎に向かう.

湾には浦戸大橋がかかっていて、歩道があることはあるが、狭くて危険である.

種崎と対岸の御畳瀬(みませ)を結ぶ無料の渡船の利用がよい.

1時間に1本あり、5分で着く.

 

(種崎から見た御畳瀬、左端が船着場)

 

2.雪蹊寺

 

上陸して長浜の堀に沿って進むと、雪蹊寺の前に出る.

御畳瀬も長浜も古い漁村であり、漁師さんの信仰を集めていたのであろう.

 

(長浜)

 

歳末で、境内には正月用品を売るテントが出ていた.

 

(雪蹊寺)

 

門前には、新築された小綺麗でかつ安い遍路宿がある.

高知市内に行けばいくらでも宿はあるが、バス往復の時間がかかる.

ここならロス時間ゼロで歩き出せるから、お遍路さんにとってうれしい存在である.

 

3.種間寺

 

田園に出て種間寺に向かうが、水田の中に小山が点々とあり、道がいろいろの方向に通じて迷いやすい.

そのため、昔からの道しるべが多い.

ただし、苔むして字が判り難い.

実用的に言えばタワシで洗いところだが.

 

(道しるべ)

 

やがて田畑の中の種間寺が見えてくる.

素朴なたたずまいの村の寺である. 

 

(種間寺)

 

(種間寺本堂)

 

札所でのお詣りである.

それぞれのお寺には、昔からのご詠歌があり、本堂に掲げられている.

江戸時代の作法では、ご詠歌を三回唱えることとなっている.

しかし今、お遍路さんが鈴を振ってご詠歌を唄う姿は見たことがない.

歌われなくなったのはそう昔のことではないと思うが、何故なのだろう.

思うに、ご詠歌は自分を無にして、ひたすらに仏を讃え、その加護を願うものである.

お遍路さんの心情が違ってきているのではないだろうか.

一方的な帰依ではなく、これだけがんばっている自分を支えてほしい、という積極性が大きいのではないか.

 

4.清滝寺

 

野の中の一本道を行くと、仁淀川の岸に出る.

昔は高い堤防や橋は無かったから、このお堂の辺りで河原に入り、渡し舟を利用した.

 

(仁淀川)

 

対岸が土佐市高岡町で、町の外周を清滝寺に向かう.

高速道路から山の中腹にお寺が見え、随分高いところにあるなあ、と思っていたが、これが清滝寺であった.

 

(清滝寺)

 

(登り口)

 

今では、どの山のお寺も車道が通じているが、道幅は狭い.

車の遍路では、軽の方がストレスなく行けるだろう.

以前この道を40人乗りのバスが上がって、途中でつかえて動けなくなったことがあったそうだ.

 

(本堂と大師堂)

 

札所の寺には、本尊をお祀りする本堂と、弘法大師を祀る大師堂がある.

大抵は少し離れたところにあり、大師堂の方が小さい.

しかしここでは、二つが同じ大きさで並んでいるので、本堂が二つあるように感じられる.

大きな如来像の下は、「胎内潜り」の場である.

暗黒の中に入るのはいささかためらわれる.

通りかかったご住職に、荷物を背負って入ったお遍路さんがつかえたことがあったが、右手で壁を辿ってゆけばよいと教えられた.

 

(胎内くぐり)

 

やがて、暗闇の中に祭壇が浮かび出る.

 

 

(おわり)

 

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81 歩きへんろの道.大日寺から善楽寺

45 土讃線2.伊野、佐川、須崎

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2018年1月20日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学83 JR四国バースデイ切符で四国4県を早回り

JR四国には、誕生月に格安で全線特急が乗り放題となる「バースデイ切符」がある.

12月なので、四国4県、高知、徳島、香川、愛媛を日帰りで回って帰ることにした.

切符にはグリーン車用と普通車用があるが、グリーン車は土讃線、予讃線だけだし、予約が必要で思いつくまま、とはゆかない.

9,500円の普通車にした.

 

(2018年1月11日 最終版)

 

1.土讃線 

土佐山田712発 南風4号 阿波池田811着

 

(土佐山田駅前)

 

長距離切符があるので、最寄駅、土佐山田の無料駐車場に車を停める.

昔、駅前には食堂があり、ガラス棚からおかずを選んで暖かい朝飯が食べられたのだが、無くなって久しい.

駅舎のキオスクやパン屋も無くなって、今はコンビニである.

やってきた特急は、本線最長の7両である.

徳島県に入り大歩危に着く頃、山上にある家々に、上から順にに陽が射してきた.

 

(阿波池田)

 

阿波池田は徳島線に接続する山峡の駅である.

機関庫の跡地にアパートが建ったりはしているが、構内は昔のままに広く、蒸気機関車時代の面影がある.

これから乗る「剣山」が待っている.

 

2.徳島線

阿波池田834発 剣山4号 徳島947着

 

徳島線の特急は停車駅が多く、「快速」に近い.

もっとも、短距離の四国の特急料金は安く設定されている.

徳島県に入って気付くのは、畑の間にソーラーパネルを並べた土地が多いことである.

別に耕作に不適なところではない.

徳島県人は、実利を重んじ抜け目がないということだが、その現れだろうか.

 

(石井駅)

 

川沿いの人口が多いので、徳島に近い駅には早くから跨線橋が設けられ、鉄道院時代の古いものが残存している.

石井は大正4年、蔵本は明治43年、と鋳鉄の柱に鋳出されている.

階段の幅が広いため、幹線のものを移築したと見られる.

駅の建物のペンキは、以前は趣味の悪い桃色や薄緑であったが、最近は落ち着いた色になった.

 

(徳島駅構内)

 

四国四県で、高松、高知駅は改築され、松山は高架化が予定されている.

徳島は昔のままで、構内のイメージは、蒸気機関車8620が煙を上げていた頃と変わりない.

ホームの擁壁の下部も煉瓦で、懐かしい風景ではある.

 

(徳島駅ホーム)

 

3.高徳線

徳島1028発 うずしお10号 高松1137着

 

(吉野川を渡る)

 

吉野川の長い鉄橋を渡る.

高知県大川村の、早明浦ダム湖を経由して流れた水である.

 

(「うずしお」の先頭から)

 

高徳線の特急は昔から1時間おきで、大いに稼いできた.

大坂峠を越えると香川県に入る.

線型も良く、直線、曲線とも高速運転で、並行する道路の車を次々に追い越し、胸のすく走行である.

栗林公園の森を左に見て高松に着く.

 

4.予讃線

高松1150発 いしづち9号 松山1415着

 

栗林公園もあるが、冬でもあるし、接続する予讃線にすぐ乗換えた.

普段は高松発と岡山発、それぞれの列車が宇多津で併結される.

しかし年末の帰省対応で、全車が岡山発となり、乗車が少ない高松発は多度津までとなって、乗換えを要する.

 

(2両の多度津行特急、高松)

 

(岡山からの特急、多度津)

 

両方とも「インスタ映え」する特急で、若いお母さんがスマホを構える.

 

(「いしづち」の車内)

 

今日は12月30日、予讃線はもともと利用者が多いが、デッキ、車室内とも立つ人で一杯である.

網棚(網ではないが)には荷物がぎっしりで、久しく見なかった光景である.

今田舎では、荷物は座った席の横に置くのが普通である.

しかし都会では膝の上に置く.

自分も山手線などで、つい横に置いたりするのだが、気がついて慌てて膝に置き換える.

この「いしづち」では横に置けないが.

 

(予讃線の海)

 

川之江を過ぎると次々降りる人が出てきた.

海を眺めて走るが、島々は皆愛媛県で、瀬戸内海はほとんど香川と愛媛の領分なのである.

松山に到着.

宇和島行特急に乗り換えれば、予土線で窪川へ出て、四国一周ができる.

しかし、夜の予土線を通ってもあまり面白くないし、窪川の夜の駅前は寂しい.

松山市内を電車で歩き、来た道を戻ることにした.

 

(歳末の大街道)

 

道後温泉には新しく「飛鳥の湯」が出来ている.

本館の趣は良いのだが、かつての夕方の銭湯以上の混雑で、辟易する人も多い.

繁華街、大街道の百貨店に入ると、大変な人だかりである.

ホールで「第九」の演奏中であった.

 

(百貨店での第九)

 

スペースのあるなしは別にして、歳末の百貨店での第九は、高松はともかく高知や徳島では考え難い.

 

5.予讃線、土讃線を戻る

松山1628発 しおかぜ26号 多度津1825着

多度津1859発 しまんと7号・南風21号 土佐山田2037着

 

(松山駅)

 

松山には、JR松山、伊予鉄松山市と二つの駅がある.

「文化的」な松山にそぐわず、両駅ともぱっとしなくて、付近にもロクに店がない.

JR駅では「路面」電車に乗るには「地下」道を通らなくてはならない.

 

(予讃線の夕暮れ)

 

西の山に夕焼けが残る.

 

(多度津での併結作業)

 

多度津で下車、土讃線特急に乗り換える.

岡山からの5両の「南風」に、高松からの「しまんと」2両が併結される.

一旦停止を3回繰り返す、慎重な作業である.

 

(夜の土讃線)

 

「しまんと」はもともと空いているが、年末、四国内を往来する人の動きは絶え、ほとんど乗客がいない.

夜の山中、時折通る車のヘッドライト、ガソリンスタンドの明かりだけが窓外に見える.

 

(夜の土佐山田)

 

土佐山田に戻った.

貨物側線跡に建っているビジネスホテルの壁が浮かぶ.

 

(おわり)

 

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1  高知の駅、空港、港

9 高知の路面電車とJR

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2018年1月4日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学82 車で辿る歩きへんろの道 2 .30番善楽寺から32番禅師峰寺

四国遍路88ヶ所の旅の原点は、昔からの歩きへんろである.

遍路道の総延長は、約1,100km.

長いように思えるが、日本橋から京・三条大橋まで、東海道53次は約500km、中山道は少し長かった.

昔の人にとっては、東京・京都を往復する程度の距離で、驚くほどではない.

33、53、88、100などと数値目標があると、達成したくなるのが人情である.

しかし、楽しいのはその過程である.

百名山登頂は目標であるが、ヘリコプターで行ったのでは意味がない.

登山することに楽しみがある.

 

(植物園の中をへんろ道が通る)

 

四国遍路も同じで、88のスポットに行けばよいというものではない.

道中に意味と楽しさがある.

その点で歩きへんろは、もっとも充実した長い旅である.

偉そうなことを言ったが、目下足に歩き通す自信はない.

横着をして、歩きへんろの道を軽自動車で辿る.

 

 

2017年12月15日 最終版

 

1.善楽寺

 

29番国分寺から、約7kmで30番善楽寺に着く.

隣接して、夏祭り「しなね様」で高知市民に親しまれる土佐神社がある.

長い参道と立派な社殿である.

江戸時代では神仏が融合していて、寺もあったが、札所はこの神社であった.

明治になって神仏が分離し、寺は廃棄された.

その後いろいろな経過を経て、今の善楽寺がある.

 

(善楽寺)

 

金色に塗られた柱のコンクリートの本堂、入口に立つ大きな石像など、市内の寺院らしい.

 

2.善楽寺から竹林寺へ

 

(五台山から見た高知市東部、右端の森が善楽寺)

 

へんろ道は、歩きへんろ地図によれば、真っ直ぐ南下する.

行く手に次の五台山が見え、最短距離である.

しかし、この辺りはいくつかの河川が合流していて、昔は沼の多い湿地帯で、通行困難であった.

近年でも豪雨で水没し、国道の車が流され、ドライバーはガソリンスタンドの屋根に登って難を免れた.

鉄道はこの地を北に迂回している.

昔のへんろ道も同じように迂回していて、高知城下に向かう.

高知駅の東で、江ノ口川の山田橋を渡る.

時々通るが、どうということはない地域である.

 

(山田橋を南から)

 

しかし、昔は重要な場所であった.

写真の左、西側は高知城下であり、右は水田が広がり、城下の内外を分けていた.

番所があって手形を改め、城下に泊まる場合は、番所の指図に従う.

庄屋がつくる手形には、病死したときは土地で埋葬していただきたいが、こちらに知らせる必要はありませんと記している.

右の城下外には、岡田以蔵などが処刑された獄舎もあった.

 

(堀川)

 

道は東に曲がり、堀川に沿う.

高知城は小山の上だが、高知市域は川の中州のような土地である.

いくつかの河川や改修した流れ、人工の掘割が複雑に入り組む「水の都」である.

 

(絶海のへんろ道)

 

五台山山麓の絶海(たるみ)集落を登り口に向かう.

道は次第に狭くなり、軽がやっとになり、ついに車の通行が不能になったところに登り口がある.

 

(竹林寺登り口)

 

31番竹林(ちくりん)寺は標高130mの五台山の上で、小登山である.

登ると牧野植物園の中に出て、へんろ道は園内を通っている.

遍路にも歩きのツアーがあり、全行程を通す仕組もあるようだが、要所だけ歩くものもある.

丁度、ツアーの人たちが歩いていて、高齢の方もいるが、元気なものだ.

ただ、金毘羅さんは標高差175mを765の石段で登るので、それよりは楽だが.

 

(竹林寺)

 

五台山竹林寺は、高知市内に近く見晴らしもよいので、観光地である.

折柄紅葉のシーズンで、お遍路さんより観光客が多い.

 

3.竹林寺から禅師峰寺へ

 

(五台山を下りて)

 

遍路は普通1番から順に始める.

一方「逆打ち」という、88番から逆方向に回る歩き方があるが、この方が難しいと言われている.

五台山から石段を下ると、下に昔のへんろ石がある.

逆打ちではこれが登りの目印だが、古びて黒く、注意していないと見落としてしまう.

 

(下田川)

 

振り返ると竹林寺の五重塔が見える.

下田川は浦戸湾に近く、大潮ではかなり水位が上がるし、津波の心配もあり、堤防は高い.

川をその名も「へんろ橋」で渡り、集落に入る.

 

(唐谷のへんろ道)

 

お遍路さんに出会った.

迷惑の極致だが、軒先に避けていただいたので、深く礼をして通り過ぎる.

 

(高知市吹井)

 

青空の下で「冬の旅」を続けたが、陽が傾き始めた.

道は小さな峠をトンネルで抜け、ニュータウンを通って、浜通りに出る.

竹林寺から禅師峰寺は5.7km、あと少しである.

 

 

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(おわり)

2017年12月11日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学81 車で辿る歩きへんろの道.28番大日寺から30番善楽寺

友人、知人で、四国に行って88ヶ所を回ったよ、という人は結構多い.

ほとんどは車である.

しかし高知のあちこち、思いがけないところで、白装束のお遍路さんの歩く姿を見かける.

どんなところがルートになっているのだろう.

どんな景色を見て歩いているのだろう.

高知市の近郊、28番大日寺から29番国分寺を通って、30番善楽寺までの歩きへんろ道を辿る.

 

2017年12月6日 最終版

 

1.歩きへんろの道

 

(大日寺から国分寺へ.香美市松本)

 

遍路では、今いる寺から次の寺まで、時間を要せず、安全、かつ快適に移動しなくてはならない.

車ではカーナビを使うのが普通である.

最短距離、最小時間とは限らないが、運転のし易さから、国道、県道を通るルートが表示される.

歩く場合はどうか.

一般に「へんろ道保存協力会」が出版する地図帳、「四国遍路ひとり歩き同行二人」が使われる.

相当するモバイル版もあって、GPSを受信すれば、現在位置と共に進むルートがわかる.

ただし、カーナビが全面的には信用できないのと同じく、状況に応じた自己判断は必要である.

なお、自分は地形が判る地図が好きなので、1/25,000の地形図に上記を記入している.

偉そうなことを言ったが、20年前なら一日30kmは歩けたが、今は自信がない.

気が引けるが、軽自動車で、歩きへんろ道を辿る.

本当の歩きへんろさんには迷惑だが、農作業に来たとして許してもらおう.

 

2.大日寺

 

(野市駅)

 

土佐くろしお鉄道、ごめん・なはり線、野市(のいち)駅をスタートにする.

香南市野市は高知市から30分で、高知でもっとも賑やかな近郊である.

スーパー、ドラッグ、ファミレス、ファストフード、紳士服、ビジネスホテル、温泉があり、基地になる.

徳島県内の1番札所からここまで、全行程1,100kmの約1/3を歩いたことになる.

高架の線路下を北に向かう.

 

(大日寺下)

 

2km足らずで大日寺の下に着く.

貸切バスはここまでだが、小型車は右に山を上がることができる.

 

(大日寺本堂)

 

どこでもそうだが、札所の寺は独特の雰囲気である.

歴史的な堂塔は少ない村の寺で、有名寺院のような荘厳さはない.

しかし、いつ行っても誰かお遍路さんが居て、お経をあげている.

親しみ易く、庶民的ということになろうか.

 

(お参りを終えて)

 

多くのお寺の前には、遍路用品の店や休憩所がある.

 

(遍路用品)

 

手ぶらで来ても、一式揃えて「遍路姿」に変身?できる.

 

3.大日寺から国分寺

 

(物部川)

 

大日寺を出て少し行くと物部川に出る.

今は橋があるが、昔は渡渉であった.

ただ、その頃高い堤防はなく、河原があちこちに広がり、水は浅かったと思われる.

増水の時は、野市に戻って渡し舟を利用した.

 

(昔のへんろ石)

 

向う岸からへんろ道が続くが、集落に沿って判り難い.

古いへんろ石が目印である.

 

(保存協力会のへんろ石)

 

新しくつくられたへんろ石がある.

電柱に貼られたステッカーもあり、注意していれば迷うことはない.

 

(舟入川)

 

舟入川を渡る.

江戸時代に、野中兼山が整備した水路で、上流の木材を運び、船が連なって行き来した.

曲がり角に昔のへんろ石があり、お腹を満たす「へんろ石饅頭」が売られている.

9kmほど歩き、国分寺に着く.

 

4.国分寺

 

(本堂)

 

国分寺は由緒があり、聖武天皇が建立した土佐国分寺の跡にある.

本堂は1558年に長曾我部氏が建てたもので、さすが重要文化財である.

 

(山門から)

 

4.善楽寺へ

 

(国分寺を後に)

 

車道は山門の前を左右に通っているが、へんろ道は真っ直ぐである.

「四国のみち」の木の道標があり、へんろ道も同じく直角に曲がるのだが、先は畦道だ.

車は行けそうにないし、Uターンもやり難いので、バックで元に戻る.

なお、「四国のみち」はいわゆる「自然歩道」で、国交省または環境省、2種類がある「県道」である.

重なる場合もあるが、へんろ道とは一致していない.

へんろ道を自然歩道にして良いような気がするが、特定宗教に寄るのはよくないのだろうか.

 

(国分川)

 

この先しばらく、車は通行不能のへんろ道が続くが、それだけ歩くには快適である.

国分川の堤も、対岸がへんろ道である.

 

(逢坂峠の道)

 

やがて上りになって、逢坂峠に向かう.

右の山の上に、コンクリート塀で囲まれた高知刑務所がひっそりと立つが、標識はない.

 

(逢坂峠から)

 

峠から高知の市街が見える.

1番札所を出てから始めて見る街である.

 

(善楽寺へ下る)

 

通行の多い道路に入るが、歩道がしっかりしているので、支障はない.

坂を下ると善楽寺だ.

 

(おわり)

 

関連記事リンク:

四国歩き遍路

室戸岬と室戸の寺

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参考にした図書

・宮崎建樹:「四国遍路ひとり歩き同行二人」、へんろ道保存協力会

・眞念、訳注稲田道彦:「四國徧禮道指南」、講談社学術文庫、2015年

・頼富本宏:「四国遍路とはなにか」、角川選書、2009年

 

2017年12月1日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学80 早明浦ダム.鉱山町の大川村、エメラルドの瀬戸渓谷

早明浦ダムは、高知から徳島に流れる、吉野川にある大きいダムである.

夏の渇水で干上がった湖の写真が全国に流れ、高知は水不足のようだが大丈夫か、などと訊かれる.

その地域にある大川村は、かつては人口4,000人の村であったが、現在は400人である.

村議会の存立が困難であるとして、村民総会に変える検討で、これも全国的に知られることになった.

仁淀川は、澄んだ青色の「仁淀ブルー」で有名である.

一方、早明浦ダムに流れる瀬戸川も、「瀬戸エメラルド」の川である.

 

2017年11月23日 最終版

 

1.早明浦ダム

 

(早明浦ダム)

 

早明浦ダムは1975年の完成で、その貯水量は、全国でベストテンに入る.

そこに貯められた水は、徳島48%、香川29%、高知4%の割合で配分される.

徳島は、吉野川が大歩危、小歩危を通って、もともと県を縦断しているのだから当然である.

高知にあるが、自らの使用量はたった4%である.

高知各地で十分に雨が降るから、干上がっても心配には及ばない.

結局、吉野川とは何の関係もない香川が、言葉は悪いが「横取り」しているので、香川県のためのダムと言ってもよい.

 

(早明浦ダム湖の夕暮れ)

 

2.大川村

 

早明浦ダムの地域は、本山町、土佐町、大川村である.

本山町が土讃線大杉にもっとも近い.

「土佐町」はその西に隣接しているが、あまりにも漠然とした名である.

海岸近くには「土佐市」もあり、高知県民でも正確な場所を言える人は少ないのではないか.

 

(ダムから見た土佐町)

 

大川村には、土佐町からダムの上に登り、ダム湖の縁を延々と辿って到着する.

 

(大川村中心部)

 

中心部と言っても、役場、農協、二三の店と、湖底から移転の集合住宅がある程度である.

対岸には小中学校がある.

運動会に向けて、全校生徒が一輪車を練習している.

少ない人数が屋外で運動できるから、いい種目である.

やがて5時のチャイムが鳴り、生徒は通学バスで帰る.

先生方は残務を片付け、高速を通って高知市内に帰る.

 

(大川村小中学校)

 

ダム本体は、本山町、土佐町にまたがり、両町には固定資産税が入る.

大川村は前に水があるだけで、割りを食っている.

先日、静岡県の大井川上流に行ったが、井川ダム湖は、豚骨ラーメンに等しい白濁した水であった.

それでも、カヌーやトレッキング客で賑わっていた.

早明浦は透き通ったとまではゆかないが、きれいな水である.

 

3.白滝鉱山

 

この地の3町村、入り混じっていて、部外者には特段に境界が感じられない.

しかし、かつては大川村がもっとも豊かであった.

それは白滝鉱山があったためである.

四国の背稜となる山々は、銅が堆積した海底が盛り上がってできた地層である.

別子は別格だが、いくつもの銅山があった.

白滝はその一つである.

 

(白滝鉱山、学校跡)

 

大川村中心部から北に山道を5kmほど上る.

やがて鉱山のあった山が見えてくる.

鉱夫が細々と手で掘っていたのではない.

江戸時代からの鉱山であるが、大正時代に近代化を進めた.

最初はこの地で精錬を行ったが、亜硫酸ガスによる煙害を起こしたため、鉱石のまま大分へ運んだ.

標高1,400mの山を越え、川之江まで20km余りの索道を建設した.

索道はスキー場のリフトと同じで、循環するロープに200kgほどの鉱石を積んだバケットを次々に繋いで運ぶ.

距離が長いので、3区間に分かれていたと思われる.

4、5km離れた東西にも鉱山があって、やはり白滝まで索道で輸送していた.

坑道内の高低差は1,000mあり、坑内は電気機関車で輸送した.

最盛期は年間12万トンを産出し、ここには2,500人ほどの人が生活した.

学校、診療所を始め、商店、料理屋、映画館、パチンコ屋、銭湯があった.

しかしグローバル化に伴い、コストで海外に太刀打ちできず、1972(昭和47)年に閉山となり、住民はゼロとなった.

大川村は、炭鉱の夕張と同じ境遇なのである.

 

(白滝の茶店.向こうの斜面に坑口があった)

 

鉱山の施設や住宅は山の斜面を埋め尽くしていたのだが、跡形もない.

学校は林間学校の施設になっている.

ところどころの平地には、地鶏や牛の飼育施設がある.

香川県がダムの恩義を感じるなら、肉うどんは大川の牛、骨付鶏は大川の地鶏を使ってよいと思うが.

 

(大川村水谷)

 

白滝鉱山がなければ、あとは1軒、2軒と残る山の集落である.

水谷にも、かつて白滝に繋がった鉱山があったのだ.

 

4.瀬戸川

 

大川村中心部の対岸に支流が流れ込んでいる.

瀬戸川である.

ただし、ここは土佐町である.

川の上流は、白色や薄青色の岩石で埋め尽くされている.

適宜な大きさ、形状といい、さながら庭石展示場のようであるが、河川保護のため、採取は禁じられている.

渓流には、地元でつくった休憩所や遊歩道がある.

昔は川に沿って森林鉄道があった.

 

(瀬戸川の谷)

 

 

(瀬戸川の川原)

 

(瀬戸エメラルド)

 

ところどころの渕は、透き通ったエメラルドグリーンである.

「瀬戸エメラルド」だ.

岩石の谷で泥がなく、川底が真っ白な石や砂でできているためであろう.

 

(おわり)

 

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酷道439号線 1 

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2017年11月22日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

79 四万十川の中流.北に南に迷走する流れと沈下橋

四万十川は、上流、中流、下流に分けることができる.

源流から上流をたどってきた.

南に向かってきた川は、海には流れず、突然に窪川で直角に方向を変え、山の中を西に向かう.

江川崎で、再び南に向きを転ずるまでを中流とする.

中流はひどく屈曲する流れと、数多い沈下橋が特徴である.

 

2017年11月1日 最終版

 

 

1.四万十の流れ

 

(窪川.左の山裾が四万十川)

 

窪川から西に進むと沈下橋が現れる.

 

(若井沈下橋)

 

四万十川は、この辺りで海とたった6kmしか離れていない.

一方、標高差は200mあるから、本来なら見応えのある激流と瀑布で海に落ちるはずだ.

そうならないのは、海岸との間にある山が邪魔するからである.

川が侵食しても、それよりも山の隆起が大きく、破れない壁をつくっている.

四万十川は止むなく海から離れ、壁に沿って西に向きを変える.

流れたくない平地を、だらだらと流れる結果になる.

そのため、アマゾンやミシシッピーと同じく、甚だしく蛇行する川になる.

屈曲の頂点は、地図で見るとタコの頭形をしている.

 

(大正.流れは左から右へ反転)

 

(里川沈下橋)

 

四万十川は、源流の渓谷を出た辺りの標高が450mで、そこから河口までは190kmある.

平均すると1kmで2.4mの緩い傾斜である.

水はけがよくないので、雨が降るとすぐに水位が上がる.

そこで潜ってもよい沈下橋がつくられた.

今では大規模な工事で、橋は高いところにある.

 

2.家地川ダム

 

(家地川堰)

 

四万十川にダムがないわけではない.

家地川ダムである.

ただし、ダムの定義は「堰堤の高さが15m以上」なので、8mだから「ダム」ではなく「堰」である.

取水された水は、海岸に近い佐賀発電所に落される.

 

(佐賀発電所)

 

たった8mの堰なのに、発電所が得る落差は150mである.

四万十川を高台に留めている壁があればこそだ.

もし壁がなければ、この鉄管と同じ高さの滝が出来ているはずだ.

「ダムがない清流」を裏切るとして、家地川ダムは評判が悪い.

しかし、流水量の調節と共に、これまでの流域で水質が悪化した水を流す効果があるとされている.

 

3.予土線

 

四万十川中流には、窪川から宇和島に至るJR予土線が平行している.

一方、窪川から宿毛まで、海岸を土佐くろしお鉄道が走る.

窪川から一駅先の若井で、両線が分かれる.

 

(予土線・土佐くろしお鉄道の若井駅)

 

宇和島から予土線に乗ったとき、若井で「宿毛方面はこの駅で乗換え」とアナウンスしていた.

しかし特急は止まらないし、リーゾナブルに接続する、くろしお鉄道の普通列車は皆無である.

アナウンスやネット案内を信じると、ひどい目に会う.

(川奥信号場)

 

若井で両鉄道が分かれるとしたが、実際には一つ西の、川奥信号場で分岐する.

ただし、旅客扱はしていない.

土佐くろしお鉄道は、ここからループ線を下り、この駅の真下に出てくる.

四万十川が延々と河口まで流れるだけの標高差を、一気に縮めるのだ.

 

(三島沈下橋)

 

予土線の窪川・江川崎間は、1974(昭和49)年の開通である.

新しいから線路は新幹線的で、屈曲した四万十川を、トンネルと鉄橋で直線的に横切っている.

そのため、トンネルを出るごとに、川の流れが逆になる.

 

4.沈下橋

 

新しい橋ができて用済みの沈下橋もあるが、多くは今も生活道路として使われている.

 

(上宮沈下橋)

 

橋の上で写真を撮っている間、待ってくれていた軽のお母さんは、赤ん坊を胸に抱いて運転していた.

車を止めた若いお父さんと小さな女の子は、川に沈めた網を探っている.

川エビだろうか.

 

(沈下橋から)

 

沈下橋にはいろいろの形がある.

 

(上岡沈下橋)

 

 

(茅吹手沈下橋)

 

茅吹手(かやぶくて)は1970年の建設で、最新の沈下橋ではないだろうか.

幅は広く、見るからにがっちりとしている.

 

5.旧道

 

四万十川沿いの国道は2車線で、予土線と同じく、屈曲部をトンネルと橋でショートカットしている.

窪川・江川崎間は1時間ほどである.

しかし昔、予土線がない頃、この間を連絡する国鉄バスは3時間半かかっていた.

屈曲する四万十川の岸を忠実にたどっていたからである.

 

(昭和付近の旧道)

 

今もこの旧道を、のんびりと辿ることができる.

1車線で広くはないが、バス、トラックが通っていたのだから、極端に狭いことはない.

瀬に沢山の棒杭が立っている.

何かと思って寄ると、一斉に飛び立った.

魚を狙う水鳥だった.

 

(水鳥の群れ)

 

(刈り入れ、上宮)

 

稲田では最後の刈り入れである.

豊かな風景ではあるが、森では二人の男性が罠の檻を組み立てていた.

イノシシやシカで収穫にならないという.

 

6.江川崎

 

十和の道の駅は栗のシーズンである.

川に面したデッキでモンブランを賞味する.

 

(四万十とおわ)

 

「中流」の終り、江川崎の駅に、新幹線型のホビートレインがやってきた.

 

(江川崎駅)

 

四万十川は、梼原川などと合流して次第に川幅が広くなっている.

江川崎では愛媛からの広見川が加わり、悠々と流れる.

 

(江川崎.右はホテル星羅四万十)

 

窪川を出たのは12時だったが、あちこち歩くうちに山峡は日暮れてきた.

 

 

(おわり)

 

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2017年10月28日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

78 高知の観光船.のどかな浦戸湾と、スリルの足摺岬

あまり知られていないが、高知にも海の観光船がある.

浦戸湾と足摺岬で乗ってみよう.

・陸の展望台から見下ろすのと、海面から見上げる眺めは違う

・道路は必ずしも海岸を通っていないので、見る場所は限られる.

・陸では足が地に着いているが、海では波任せで揺れる

浦戸は入江なので揺れはしないが、足摺は波が荒いと欠航である.

そこが怖いという人と、スリリングだという人に分かれる.

 

2017年10月16日 最終版

 

1.浦戸湾

 

(高知市街)

 

高知市は太平洋に面しているイメージだが、実際は7km離れた浦戸湾の奥にある.

写真のアーチ型の橋の、左のたもとの先に見える森が高知城である.

かつての城下は、この橋の右奥一部だけであった.

国分川と鏡川の合流地点にあり、周囲は山と川と湿地に囲まれている.

龍馬の時代、狭い空間に様々な階級が暮らし、何かとストレスが大きかったことだろう.

 

(浦戸湾)

 

浦戸湾は、中がくびれたひょうたん型になっている.

その先に太平洋が見える.

桂浜は彼方の山の左端である.

 

2.浦戸湾観光船

 

(観光船、右は巡視艇)

 

観光船は昔、蒸気船のためにつくられた、埋立地の桟橋から出る.

向うはセメント工場だが、生産を止め、石灰石の搬出に使われている.

 

(船から見た市街)

 

湾には島や暗礁が多く、あちこちに浮標がある.

航行の妨げになるので、爆破された島もある.

 

(湾の最狭部)

 

「よさこい節」の月の名所は桂浜だが、実際は山越えで遠く、この辺りでの月見が多かったようだ.

 

(造船所)

 

昔は松林が連なっていたが、東側は埋め立てられ、造船所や市場がある.

湾内では、1メートルを越える巨大魚のアカメも釣れる.

ボラも跳ねている.

 

(クルス)

 

湾には干潟が広がっていて、大きい船は湾内に入ることができなかった.

1596年、メキシコに向かっていたスぺインの大型帆船、サン・フェリペが台風で遭難し、土佐沖を漂流した.

長曾我部元親がこの付近に誘導、擱座させる.

積荷は入手する(当時の日本で救助の際のルールであった).

乗員の事情聴取の中で、スペインは宣教師を前に立てて、領土を拡張しているという発言があった.

報告を受けた豊臣秀吉は、切支丹弾圧に乗り出し「26聖人」を磔にする結果となる.

この辺りを「クルス」と呼んでいるのは、ここに由来するとされる.

坂本龍馬は「大政奉還」が不首尾に終わった場合、クーデターも決意していた.

長崎でライフル銃1,000挺を購入し、土佐の板垣退助が率いる藩兵に届けた.

その時もここで積替えた.

暗殺の1か月余り前である.

 

(浦戸大橋)

 

湾口には1972年、東西の海岸を結ぶ浦戸大橋が架けられた.

 

(桂浜)

 

観光船は桂浜に近づく.

海から見ると大きい浜ではないが、前は太平洋である.

蒸気船が夢でなくなり、狭い城下と浦戸湾を出て、日本各地を行き来し、万国と応対する.

龍馬を始め一党は、これからの活動に胸を躍らせつつ離れたことだろう.

 

3.渡船

 

(御畳瀬の渡船)

 

浦戸大橋は車は便利だが、歩道はないに等しいし、バイク、自転車もつらい.

そのため、昔からあった湾口の御畳瀬(みませ)と種崎を結ぶ県営渡船が、今も運行されている.

1時間に1本、5分の航海で、無料である.

32番禅師峰寺と33番雪蹊寺を結ぶルートなので、お遍路さんもよく利用する.

 

(浦戸大橋)

 

(種崎)

 

津波警戒のため、桟橋の扉は常に閉ざされ、乗降の時だけ開かれる.

 

 

4.足摺岬

 

(足摺岬)

 

足摺岬の展望台には、NHKの遠隔操作カメラがあって、天気予報や台風中継でお馴染みの景色である.

海から見るとどうだろう.

観光船が運行されている.

 

(海上から見た足摺岬)

 

(観光船)

 

船は漁船である.

当日の天気予報では波高1.5mで、高知の海で普通である.

縦横に揺れるが、遊園地の設備のように、悲鳴を上げるようなものではない.

船長さんによれば、凪ならば更に岬に近づけるそうだ.

 

(岩壁)

 

岩壁は荒波で侵食され、脈理が浮き出ている.

秋は磯釣りでグレのシーズンである.

 

(洞窟)

 

足摺岬には洞窟も多い.

ただ狭いので、カプリ島のように通り抜けはできない.

夕陽が洞内に一直線に射す日があるそうだ.

 

(臼碆)

 

船の先に、突き出た臼碆(うすばえ)が見える.

黒潮が最初に陸に当るところというのが頷ける.

 

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(おわり)

 

 

2017年10月12日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

77 高知の山で産業を見る.壮大な発電所と鉱山

山の産業というと林業だが.

しかし、エネルギーを生み出す発電所は、山の中に多い.

また、生活に欠かせない資源をつくる鉱山は、山の中である.

高知のこれら産業の現場は、ダイナミックである.

風力発電所、鳥形山鉱山、揚水発電所を訪ねる.

 

2017年9月29日 最終版

 

 

1.風力発電

 

(葉山風力発電所)

 

須崎から梼原に至る国道197号線で津野町を通ると、山に風車が並んでいるのが見える.

標高1,000mにあるので、60kmほど離れた自宅からも晴れた日には見え、双眼鏡では回っているのがわかる.

 

(山の上)

 

風力発電機は、1台1,000kW(1MW)のものが20基あるので、合計2万kWである.

小さいダムの水力発電に等しいが、風のないときは動かないし、強風の時は破壊されないように停止する.

一般に風力発電機の稼働率は40%以下とされるので、それなら8,oookW以下である.

1基なら400kWで、四万十川沿いに大正時代につくられた、小さな松葉川水力発電所に近い.

それに比べれば、取水や水路が要らないから簡単である.

 

(風力発電)

 

今日は風が良く、ヒュンヒュンと音を立てて回っている.

実はこの発電所は四国電力のものではなく、電力自由化に伴って大阪ガスが建設したものである.

 

(風車の基部)

 

1基が点検作業中であった.

高さは60mで、エレベータがあるという.

いま上昇中だそうで、開いた扉から電子音が聞こえてくる.

タワーの先端は揺れるだろうし、足元を見るのは、想像しただけでも怖い.

 

2.鳥形山

 

(鳥形山鉱山)

 

高知と愛媛の県境である、四国カルストに近いところに鳥形山がある.

ここは年間1,345万トンを産出する日本最大の石灰鉱山である.

石灰は高炉での鉄の生産に欠かせない.

新日鉄が採掘し、千葉の君津製鉄所に運ばれる.

 

(鳥形山)

 

鳥形山は順次上から削られ、標高1,200mのところで採掘が行われている.

自宅から平らになった山頂と、なだれた岩石がよく見える.

上ることができるが、裏からになり、採掘の現場は見えない.

 

(ゲート)

 

一帯は発破があり、危険で立入りができない.

 

(風力発電所から見た鳥形山)

 

しかし、葉山風力発電所からは、全体がよく見える.

12時、発破開始のサイレンが鳴る.

やがてドンという音と共に、白煙が上がった.

というのはウソで、5km離れているので、白煙が上がって15秒で音が届く.

 

(なだれ落ちる岩石)

 

端の方が崩され、岩石がなだれ落ちる.

180トンダンプが動いているはずだが、ほとんどわからない.

 

(須崎湾)

 

風力発電所から、須崎湾が見える.

石灰岩は須崎まで、この山々をトンネルで貫いた、24時間運転のコンベヤで運ばれる.

 

 

(積替所)

 

コンベヤは9区間に分かれていて、谷間に出たところに積替所がある.

 

3.揚水発電

 

高知から愛媛県西条に至る国道194号線、寒風山トンネルの近くに、本川揚水発電所がある.

一定出力で運転する原子力発電所を始め、使用量が減る夜間には電力が余る.

電池に充電して貯蔵する.

その電池が揚水発電所である.

水力発電所の上下に貯水池を設ける.

昼間は上から下に水を流して発電し、下に貯める.

夜になって電力が余ると、発電機をモータに切換え、逆回転させてポンプとし、下に貯まった水を上に揚げる.

本川発電所の出力は61.5万kWである.

魚梁瀬ダムの水力発電所は14.5万kWだから、格段に大きい.

普通のダムは、雨水を貯めてチビチビ使うのだが、ここでは昼間に上池をカラにしても、夜にまた満杯にできる.

本川発電所の流量は毎秒140立方メートルである.

ただ、ポンプの効率や流水の運動ロスがあるから、発電出力は、揚げるに要する電力の70%程度である.

エネルギーを使う電池だが、他にこれだけの大電力を蓄える方法はない.

 

(本川地下発電所)

 

発電所は地下300mにある.

 

(大橋ダム湖)

 

下池は大橋ダム湖で、水面下に取水・放水口がある.

壁面に水面が上下した跡が残っている.

入口から発電所まで約1km、作業トンネルが通じている.

 

(作業道)

 

地下室の長さは100m、深さは50mで、5階になっている.

地下1階は点検分解時の作業室で、2台の発電機兼モータの上端が見える.

 

(発電機の上端.手前は水車)

 

見学者のために、出力アップで不要になった水車が置いてある.

水車は25トンのステンレス鋳鋼製で、螺旋状に穴が鋳込まれ、プロペラになっている.

点検時には作業者が穴に潜り込む.

そういうと、見学の小学生は、必ず「入りたい!」というそうだ.

 

(水車の軸)

 

地下2階は発電機、地下3階では発電機と水車を結ぶ軸が見える.

その下に、案内羽根の移動機構と水車がある.

伊方原子力発電所3号機の出力は89万kW、坂出火力発電所は4基で138万kWであり、これらのバッファとなる.

一方、四国最大の西条太陽光発電所は、3.3万kW(33MW、風力発電機の33台分)である.

発電所の規模としては小さいし、夜間は発電しない.

しかし、太陽光発電所は大小各地にあるので、対応が必要となっている.

真夏の昼間、各発電所はフルに運転される.

秋口、エアコンは切られ、工場は5時に終業した.

しかし日はまだ高く、太陽光発電は続く.

そのため、吸収するよう、夕方に揚水を始めることがあるそうだ.

 

(稲村ダム)

 

車で40分山道を上がると、ロックフィルダムの上池、稲村ダムに達する.

発電所への落差は560mである.

これは黒四ダムに等しい.

ここまで水を押し上げるのだ.

 

 

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日本を支える港の須崎

四万十川を源流から上流

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(おわり)

 

2017年9月23日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一