高知学103 高知の秘境、海と山.高知学総集編4

簡単には行けない秘境、行く行かないは別にして、だれしもなにかしら謎めいた興味を持ちます.

テレビでも「こんなところに…」「ぽつんと…」など、知られざる秘境の番組が多数見られます.

高知学でも「秘境」に関したテーマをよく見ていただいています.

高知学総集編の4、高知の秘境です.

 

2018年12月12日 最終版

 

 

1.2種類の秘境

 

四万十町・小鶴津

 

「秘境」には、「行き易い秘境」と「行き難い秘境」の二つがある.

前者は祖谷や白川郷などである.

もともとは行き難い秘境であった.

しかし人気が高まるにつれ、道路が改修され、観光バスが往来し、旅館が増え、失礼ながらどこが秘境?の状態である.

後者は今も秘境状態を保っているところである.

知られてもいないし、観光スポットがあるわけでもない.

場所によって危険も伴うし、観光収入は期待できない.

したがって自治体のホームページや観光協会のパンフレットにはない.

鉄道写真の撮影地ガイド本に「ここでは熊に注意」との記載があった.

読者から出版社に、「熊に会ったらどうしたらよいのか」と問い合わせがあったという.

長いダート道の林道が地域で紹介されていた.

キャンピングカーが夜に入って、谷間へ転落した.

 

 

2.海の秘境

 

高知県東部は山が海岸に迫って、集落も国道も岸にあるため、海の秘境はない.

しかし西部は、沈降するリアス式海岸なので断崖が続く.

その中のわずかの隙間に漁村があるが、断崖を行くか、山から屈曲する道を下りるしかなく、秘境状態となる.

 

(黒潮町・鈴、下に港が見える)

 

(鈴漁港)

 

3.山の秘境

 

山奥で車の往来に時間がかかると、今の時代、なかなか住み続けることが難しい.

高知県中部の仁淀川町、越知町、佐川町は、一帯の山上に集落が点在している.

 

(仁淀川町、椿山)

 

椿山(つばやま)は最後の焼畑農業の地として知られ、まさに秘境なのだが、愛媛県境に近い山奥で到達が大変である.

いま一所帯だけが残るという.

 

越知町・稲村

 

越知町の仁淀川沿いのように、各集落を結ぶ道路が山上で繋がっていると、共同作業が可能になって住みやすくなる.

それにしても、なぜこんな高いところに住むようになったのか、疑問をもたれるかもしれない.

今は大規模な土木工事で掘ったり積み上げたり、川沿いに道路がつくられる.

しかし昔は渓谷の人力による開削は不可能で、道路は山上にあった.

昔の小学校教科書にあった物語である.

江戸時代、大分の耶馬渓は絶壁が続き、人馬の往来が不可能であった.

一和尚が洞門(トンネル)を掘ることを考え、托鉢によって資金を集めた(いまのクラウドファンディング).

石工と共に掘ること30年、今も残る洞門が開通した.

 

4.佐川町、峯

 

仁淀川流域一帯に沢山ある山上の集落の一つ、仁淀川町、佐之国を訪ねることにした.

佐之国、どんな国なのか.

 

(佐川町、農協祭り)

 

佐川町から川沿いに古畑、峯の集落を通り、山越えで行くルートを試みることにした.

ただ、峰から佐之国に至る道があるのかどうかは不明確である.

折柄、佐川町内は農協祭りである.

大小の農業機械が展示され、農器具、野菜などの即売会に人が集まる.

特売の墓石の展示もある.

 

(古畑.峯の集落が上に見える)

 

川を遡ると突き当りが古畑で、その先が峯である.

 

(古畑)

 

古畑の集落内の道は、崖を削ったり、桟道を設けたりして、車の通行が確保されている.

 

 

道はジグザグに折り返して山を登る.

 

(峰の畑)

 

山上の集落はさすがに見晴らしがよい.

老男性が畑の手入れをしていた.

家がここにあるが、いま住んでいるのは高知市内で、ここには畑仕事に来るという.

このような通勤?がいまどこの山でも多い.

 

(峰の奥)

 

地図では、集落の最奥から佐之国に至る道が続いている.

ただし1/25,000の地図では車道が途切れているが、ツーリングの地図ではつながっている.

男性に訊くと道はないとのことだったが、時々訊ねられるそうだ.

「秘境」探訪の人がいるのだろう.

行ってみないとわからないが、入口近くでも道には落葉が積もり、引き返した方が無難そうだ.

 

 

峰には佐川町のコミュニティバスが金曜に運行されている.

4本あるから、仁淀川町のバスの週に1往復より多い.

 

4.山の秘境・佐之国

 

(引き返して佐之国へ)

 

峯から佐川町内に戻り、改めて越知町内を経て佐之国に向かう.

 

(佐之国)

 

峰と同様に見晴らしの良い南面である.

農作業のご夫婦を見受けたし、道沿いの畑を見回っていた老婦人から、小さな赤いみかんを頂いた.

ママレードにしたが濃厚な味であった.

 

(佐之国の山)

 

 

連なる山の向こうが峰の集落であり、直線距離では2kmだが、道があったとしてもかなりの難路と思われる.

大体二つの集落は異なる自治体であり、結ぶ道は必要ないのだ.

 

(不入山林道)

 

尾根沿いだからトンネルはないだろうが、このような幅の道は覚悟しなくてはならない.

軽なら通れるが、途中で止まってもドアは開けられない.

 

(佐之国の入口)

 

集落の入口に人形が何人かいて、水車を回し、臼をつき、農林の作業をしている.

別れて山を下りた.

 

 

(おわり)

 

関連記事リンク:

高知学総集編3 高知の暮らし

高知学トップページに戻る

 

 

 

 

2018年12月6日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学102 高知の住まい-海から山まで.高知学総集編3

高知学が100編になったところで、過去の記事を振り返り、総集編をつくっています.

高知県民が住んでいるところ、その生活は、関心を持って読んでいただいているテーマの一つです.

高知に引越しをするからということではないでしょうが、知らない地域で、どんなところに住んでいるのか、どんな生活をしているか、だれしも、だれでも興味を持ちます.

しかし意外に記されたものがありません.

あまりにも日常的なテーマなので、ガイドブックにも、観光協会のパンフレットにもありません.

 

(文中のピンクの部分をクリックすると、その記事につながります)

 

2018年11月20日 最終版

 

 

1.都市と住宅地

 

高知県は東から西まで直線距離で180kmあるが、これは東京から浜松、新潟、福島までの距離にほぼ等しい.

一方、高知県の人口はたった70万人であり、しかもその半数が高知市周辺に住んでいる.

全体として、いかにゆとりのある地域なのか、よくわかる.

 

(高知市)

 

高知市域を貫いて川が流れ、すぐ背後は山である.

高層のホテルやマンションもあるが、その気になれば数えられるほどである.

 

(通天閣)

 

東京には浅草、大阪には新世界、と盛り場があるが、高知にはない.

東京都内では建物群が無限に広がり、その終わりは見えない.

さらにその外郭には新興住宅地がある.

 

(安芸市・内原野団地)

 

高知にも新興の住宅団地はある.

埼玉、千葉などの住宅地と気分として変わりないが、一人1台、車が必要であるところが違う.

首都圏と似た感覚で住むことができる.

 

2.海岸

 

高知というと海のイメージが強い.

しかし海岸は外側のごく薄い殻であり、その中身はみな山である.

海が見える土地は限られる.

 

(香南市・夜須町)

 

静岡から東海、紀伊半島、高知、宮崎の沖合で、いずれ南海トラフ地震が発生することは確実である.

南海トラフ地震は100年ごとに起きるが、次は2038年の可能性が高いとされている.

ただこれは統計的に、であって、それより早くも遅くもなり得る.

エネルギーは日々蓄積されているので、早ければ規模は小さく、遅くなればなるほど大きい.

地震と同時に津波が発生する.

浸水地域は各家庭に配布されたハザードマップに示されている.

液状化地区も公表されている.

 

(芸西村の高台)

 

役場や工場は、津波を避けるよう全県的に高台への移転が進んでいる.

個人の住宅も、浸水地域を避けつつある.

海を見下ろす別荘地も候補の一つである.

 

(須崎市・久通)

 

ところが、海辺の漁村でもリフォームされた住宅が売りに出されている.

買う人がいるだろうか.

この前の1944,1946年の昭和南海トラフ地震は、比較的小規模で東に震源の壊れ残りがあり、次はこの地域から始まると考えられている.

東端の静岡で発生しても、遠いから直ちに高知に影響することはなく、過去の例から、2時間、または2日、または2年を置いて高知に地震がくる可能性が高い.

逃げる時間がある.

津波も同時に起きるが、不謹慎かもしれないが、そのために一帯は更地になる.

南海トラフの動きは一定なので、その後100年間は地震が絶対に起きない.

浜辺であっても、この土地が安心になるのだ.

 

3.離島

 

(沖ノ島)

 

高知の離島、沖ノ島は住宅地としてどうだろう.

宿毛市から市営船で1時間余りである.

運賃は島民なら200円余だから、都会のバスと変わりない.

毎日2便なので、高知の山間部のバス週1日2便よりずっと頻繁である.

万一宿毛市街に渡っていて欠航になっても、コンビニ近くに宿泊所が用意されている.

都会で電車の計画運休に慌てるようなことはない.

ネットもスマホも繋がるし、船が着くと宅配便の軽トラが寄っている.

アマゾンの箱も混じっている.

診療所もヘリポートもある.

ちょっとそこまで、とはゆかないが、そのため余計な金を使わない.

 

(沖ノ島 弘瀬)

 

集落では母島が大きいが、急傾斜地で上り下りが大変である.

弘瀬は左右に平地が広がるので、足が悪くても住み易そうだ.

 

4.山間地

 

日本全国、殻が海岸であり、その中身は山である.

周りを見渡して山が見えないという場所は、関東平野のごく一部だけである.

日本は山国なのだ.

高知も太平洋に面しているとはいえ、同じように山国である.

 

(大豊町・八畝)

 

高知の山里もいろいろだが、特徴的なのは、見上げるようなところにある集落だろう.

 

(仁淀川町・長者)

 

各地の観察からすると、安定して住める山里の条件がある.

駅から、駅が無ければ役場やスーパーがある中心地から、車で10分以内にあることだ.

都会の住宅地と同じで、それより遠いところはやはり住み難い.

また行くために、無人の峠を越えてというのもつらい.

川筋などで、ぽつりぽつりでも人家が続いていることが望ましい.

人間は群れをつくる動物なのである.

 

(香南市・香我美町)

 

(森の住家)

 

しかし思い入れがあって、森の中に孤独に?住む人もいる.

木々に埋もれ、グーグルで「ぽつんと一軒家」を探してもわからない.

畑も開墾されている.

このようなところで住むための条件は、立派な建築であることだ.

「山の家」だから簡素でよい、という建物は打ち捨てられている.

お互い、悟りを開いた仙人ではないのだ.

 

(おわり)

 

関連記事リンク:

高知学総集編1 高知県民の行動1

高知学トップページに戻る

 

 

2018年11月16日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学101 高知の酒の呑み方.日本一多い高知の喫茶店.高知学総集編2

おかげさまで高知学の記事が100となりましたので、過去の記事を振り返り、総集版をつくっています.

第2回は高知の酒と喫茶店です.

高知と言えば酒が連想されます.

高知の文化はまず、いごっそうの酒と宴席の議論で代表されるでしょう.

また高知は日本一人口当たりの喫茶店数が多いのです.

支えているのは、はちきんの議論です.

高知を支えている居酒屋と喫茶店を探ります.

 

(文中のピンクの部分をクリックすると、その記事が読めます)

 

2018年10月25日 最終版

 

 

1.酒の呑み方

 

高知県民は酒が強い.

ただ全く飲まない人もいるし、アル中が多いわけでもない.

普段は呑まないが、何かあれば(その頻度が問題だが)際限なく飲む人が多いように思う.

しかし同じ日本民族、遺伝的に強いとは考えられない.

若い時からの鍛錬?の結果ではないか.

 

(ひろめ市場の朝)

 

高知を代表する観光スポットとなった、屋内屋台村の「ひろめ市場」.

開店は10時ごろだが、すでに大ジョッキが重なっている.

 

(浜松町の朝)

 

以前、東京の浜松町にJR直営の食堂があり、早朝からやっているので、ホテルに泊まった後の朝食に度々利用した.

最初に入ったとき、ビールや酎ハイで盛り上がっているグループに、ここはアル中の巣かと驚いた.

しかし、これは夜間の工事に従事した人たちのアフターファイブなのである.

一人で瓶ビールを傾けているおばさんもいる.

つれあいに先立たれ、深夜の皿洗いの仕事をして蒲田あたりのアパートに帰る前、束の間のやすらぎなのかと想像したりする.

 

(連休の高知市内)

 

連休など食堂のオープンスペースが観光客で賑わっているが、皆昼間からビールやワインを飲んでいる.

親しい仲間の団体旅行での旅館の朝食は、「メシの前にビールだビールだ」となる.

旅の開放感だ.

一方、旅であっても新橋駅頭などで朝からこれをやると、白い眼で見られるだろう.

高知は良識?の束縛を外す解放区である.

それぞれが「お山の大将」なのだから、自分が好きなときに好きなように呑む.

「俺が(私が)自分の金で呑むのに文句あっか!」なのだ.

呑み方と宴席のマナーを会得し、高知の有名居酒屋にお出ましいただきたい.

 

2.酒席の展開

 

(どろめ祭り)

 

酒で有名な催しは、赤岡の大杯飲み干しで、男は1升、女は5合飲むタイムを競う.

10秒台でないと優勝の見込みはない.

ただ大人はテントの中で自分たちの応酬に忙しく、見ているのは子どもが多い.

次世代のチャレンジャーだ.

 

(敬老会)

 

秋、地域の敬老の催し、結局は後期高齢者の呑み会が開催される.

高知での酒席は、敬老会、ビヤホールの子ども会と展開されるのだ.

 

 

(町内の居酒屋)

 

夜になると、町内の小さな居酒屋に赤提灯の灯がともる.

 

(野中の道)

 

月に照らされながら野中の一本道を帰る.

踏み外さないように注意しながら.

遠くに波の音が聞こえる.

 

3.喫茶店

 

(伝統の喫茶店、安芸市)

 

高知は人口当たりで日本で一番喫茶店が多い.

支えているのは女性である.

 

(土佐山田のインドカフェ)

 

こじゃれた店はたちまちSNSで拡散し、立地によらず女性が集まる.

女性たちはここで議論する.

しかし高知ではすべて自分が中心であり、他人も自分と同じ考えで当り前と思っている.

したがって男性の居酒屋と同じで、これは「議論」ではなく、自分の意見表明の場である.

高知では、忖度、調整、摺合わせなどあり得ないのだ.

喧嘩別れになりそうだが、お互いに相手の大将の「お山」を心得ているので、そうはならない.

 

4.看板のない店

 

高知の女性の夢の一つは、自分で喫茶店を開くことである.

お金儲けではなく、みんなと楽しく話したいから、という.

気楽な!と思われるかもしれないが、実はそのような店が望ましい.

高知の店は主客共に楽しむことが基本である.

県外のお客を高知市内の料理屋に招待した.

お客を差し置いて仲居さんがぐいぐい呑むので、目を丸くした.

 

(土佐山田の日本料理店)

 

看板など無くてよい.

わからなければ訊いてくればよい.

これが真の高知の飲食店である.

 

 

(おわり)

関連記事リンク:

高知学総集編1 高知県民の行動

高知学トップページに戻

 

2018年10月20日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学100 いごっそう・はちきんと高知県民の行動.高知学総集編1

おかげさまで高知学の記事が100編となりました.

これを機会に、総集編として、よく読まれた記事を中心にしながら、改めて「高知学」を見直してみます.

最初は、高知県民を特徴づける「いごっそう・はちきん」です.

どこでもそうですが、そこに生まれたときから長く住んでいると、それが当たり前であって、特段変わってはいないように思う事柄があります.

しかし他所から来ると、その土地で当たり前のことであればあるほど、そこに異質さを感じます.

自分も高知に来た当初、「異文化との接触」に毎日が驚きでした.

22年過ごすうち、段々それを普通に思うようになってきたのですが.

 

(ピンクの部分をクリックすると関連記事にリンクします)

 

2018年10月17日 最終版

 

 

1.いごっそう・はちきんとは何か

 

一般に、高知の男性は「いごっそう」、女性は「はちきん」を自称している.

いごっそうとは頑固な男、はちきんとは活発な女を意味している.

それが愛すべき段階で留まっていればよいが、最高レベルになると問題を起こす.

 

(突然狭くなる道.何年経っても変わらない)

 

高知の道を走ると、突然狭くなったり、新道の建設が途中でストップしている光景によく出会う.

これにはいごっそうが関わっていると見てよい.

どの地域でも用地買収がこじれることはある.

しかし人口当たり、面積当たりでのこの光景は、日本で断トツではないだろうか.

自分が知っている範囲だけでも、近くの国道を始め5件はあり、解決の目途を一向に聞かない.

地域の事情通は「ああ、あそこは無理だね」と片付けている.

日常的な風景なのでだれも気に留めていない.

いごっそうは前向きであれば、幾多の困難があっても自分の信念を貫く、ということになる.

一方で「わしはいごっそうじゃきに」と、誰にも耳を貸さない免罪符となっている.

ではなぜ高知にいごっそう、はちきんが生まれたのか.

それは狩猟民族の土地だからである.

 

2.いごっそらーめん

 

(いごっそらーめん)

 

高知東部に「いごっそらーめん」の店がある.

最初知り合いに道を訊いたら、「車が沢山止まって整理のガードマンがいるのですぐわかる」と言われた.

大将は高知の出身で奈良で店をしていたが、あまりの人気で身体を壊しそうになり、ご夫婦で戻って来たという.

キャベツを縁にかけた茹湯の加減、網を振って湯を切る回数、冷蔵庫から出してモヤシを一袋破いて入れる手さばき、すべてが一定に間断なく繰り返される.

といって「俺のラーメンは黙って食え!」などと言う頑なな「職人」ではない.

また「秘伝のたれ」などとやたら効能書きがあるわけではない.

すべてがお客に旨く食べてもらおうという発想からきている.

「命がけで握っている」と評された寿司職人がいたが、同じである.

仮にもう10秒さますとより旨くなる(あり得ないが)、という「新発見」があれば、大将は間違いなくそうするであろう.

高知にはさらに、山の温泉、ご夫婦のとんかつなど、心が暖まる、いごっそう・はちきんが現れるのだ.

 

3.坂本龍馬

 

高知県民が愛してやまない坂本龍馬、龍馬はいごっそうなのだろうか.

 

(龍馬の生まれたまち記念館)

 

龍馬の目指すところは、現在の世の中が抱える問題を解消して新時代をつくる、ことであったといってよいであろう.

一貫しているところはいごっそうである.

しかしその狙いは、攘夷から始まり、国防、貿易、倒幕と移ってゆく.

目的のためには、旧師の武市半平太を死に追い込んだ後藤象二郎と、長崎で手を結ぶことも辞さない.

 

(長崎のグラバー邸)

 

とてもいごっそうではない.

暗殺で倒れはしたが、さらに薩長の先の大目標を考えていたのではないだろうか.

 

(津野町の吉村虎太郎像)

 

吉村虎太郎は龍馬と同じ武市門下で、脱藩を行い社会の改革を目指す.

ただ行動の規範は勤王党の尊王攘夷を徹底している.

大和の山間で天誅組を組織するが、世の流れはもうそこにない.

討死する結果となるが、これはいごっそうだ.

 

4.お山の大将

 

(越知町鎌井田)

 

いごっそう、はちきんを徹底するとどうなるか.

すべてを自分中心で考える.

結果、各人がお山の大将になる.

それぞれのお山に他人が侵入することを許さない.

 

(立札)

 

このことは高知への移住者の心得である.

と言って恐れる必要はさらさらない.

自分もその日から、即お山の大将になる.

しかし考えが違ったとしても、「お言葉を返すようですが」などと、相手を全否定する発言は厳に慎まなければならない.

大将としての自分の考えを堂々と述べればそれでよい.

相手もどうせ他人の意見など聞いていないのだ.

 

関連記事リンク:

高知学総集編 高知県民の行動2

高知学トップページに戻る

 

(おわり)

 

 

 

 

2018年10月14日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学99 手結の台風と久通の漁村.海の風景

海でも山でもよいのだが、「田舎」で暮らす特徴は、天候、気候が非常に近いことにある.

晴れれば強力な紫外線と共に太陽が照り付けるし、雨ならば逃げ場もなくずぶ濡れになる.

夏は海風が部屋を渡り、冬は北風が吹き荒む.

都会なら建物の陰や地下街があり、自然を遮ってくれる.

これがもっともよく現れるのは台風のときである.

一方、自然に限りなく近い住家は、山と海に向かう孤立した集落にある.

海に向かって訪ねてみよう.

 

2018年9月30日 最終版

 

 

1.台風

 

(大型台風の接近)

 

台風の発生は、海のうねりで知ることができる.

フィリピン辺りにあるときからうねりはやってくる.

沖にあるブリの養殖棚は、波の被害を避けるために船で曳航して、静かな湾内に引っ越す.

遠いところから来るうねりには、さらに長周期の強弱が加わっている.

大したことはないと思って海岸にいると、突然高い波に変って押し寄せてくるので、悲劇をもたらす.

 

(台風の波)

 

接近してくると、波はときに防波堤を越える.

普段は釣り人がいるのだが.

 

(手結港に砕ける波)

 

波がしらが砕け、風で潮が吹き飛ばされる.

テレビの中継で馴染みの光景である.

防災無線では「海には近づかないように」とアナウンスがある.

それでも野次馬を呼ぶので、最近の中継は「安全なところで放送しています」と注釈が入る.

場所によって、国道でも越波は通る車に降りかかるし、小石が飛んでくる.

一抱えはある岩石が打ち上げられたことがあった.

地元では危険な個所が知られている.

 

(雲の隙間)

 

やがて雲が切れ始めて、隙間に夕暮れの色が映り出す.

 

(夕焼け)

 

台風がすっかり去って、西の空は夕焼けが濃い.

 

(夜の海)

 

波が収まり、防波堤の明滅する灯りがはっきり見える.

山かげの安全な港に逃げていた船も帰って来た.

ただ増水した川から流れ込む水が、くっきり帯をつくっている.

 

(戻った海)

 

静かになった海には釣り人がやってきた.

 

(手結のシラス漁)

 

2隻の船で細かい網を引いてシラスを獲る漁も始まった.

ただ、せっかく7月豪雨の流木が片付けられてきれいになった浜には、台風による川の増水でまた新しく流木が流れ着いた.

何しろ川の上流には、流木予備軍がたっぷり残っているのだから止むを得ない.

この先何年かは続きそうだ.

 

2.久通

 

(大阪市内)

 

もっとも天候、気候に近い住家はどこにあるだろう.

それは山を背後にし、海に面した漁村ではないだろうか.

なにしろ、海、山、両方の自然に立ち向かっているのである.

中でも孤立した漁村はその感を一層深める.

高知県の西部はリアス式海岸で断崖が連続するので、このような漁村が多い.

須崎市の久通(くつう)はその一つで、高知市域にもっとも近い.

しかし、とてもそうは思えない.

 

(久通への道)

 

久通には横浪半島を通る県道から入るが、分岐点には手造りの朽ちた看板しかないので普通は見落とす.

直線距離では2kmだが、狭い道は山の中を屈曲して峠を越える.

 

(久通)

 

やがて眼下に集落が見えてくる.

意外に大きい集落で、山裾に家々が立並んでいる.

 

(久通の港)

 

港から横浪半島が見えるが、断崖の連続で、とても海に沿って道路はつくれない.

 

(集落)

 

学校の校舎は残っているが、子どもはいないので廃校である.

しかし、廃屋は見当たらないし、SUVが止まっていたりする.

そこはやはり須崎市、高知市への通勤圏になるからだろう.

 

 

高齢の方々が道端で網をつくろっている.

伊勢海老を獲るのである.

ただ余り獲れすぎると値が下がるので、まあ年金の足しだね、と笑っていた.

どこから来た、と訊くので、手結(てい)から、と答えると、伊勢海老を獲っているだろう、と言われる.

え~、見たことがない.

しかし改めて考えると、岩礁やサンゴはあるし、昔は伊勢海老の料亭もあったのだ.

 

(移動販売車)

 

峠から音楽が聞こえてくる.

高齢者が車を押して集まってくる.

移動販売車が来たのだ.

なかなかよくできた車で、車内は天井まで冷蔵、冷凍ケースになっている.

牛乳、肉、魚、何でもある.

漁村で魚でもあるまいという気もするが、毎日エビを食べるわけにはゆかない.

 

(おわり)

 

関連記事リンク:

断崖を辿る鉄板の道

室戸台地の別世界

高知学トップページに戻る

 

2018年9月21日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学98 2018年7月豪雨のあと3 高知の秘境、伊尾木川

高知で最奥、行き難い秘境は、東部の伊尾木川流域である.

最後の焼畑農業で知られる椿山も相当の山奥だが、町からは15kmほどである.

伊尾木川は最奥の集落まで46kmある.

山深い峡谷であり、2018年7月豪雨の復旧がまだ進んでいない.

1/3になる大井までは、まずまず住む人がいる.

その先も地図上では点々と集落があるが、いまどれだけ実在しているだろうか.

ゼロではないが、住人は全部で指折り数えるほどだろう.

川沿いにあった六つの学校はすべて閉校になっている.

最奥の集落である別役土居には、アメゴを養殖する人がいる.

先日の豪雨では川筋の道が全く途絶え、徳島県側から標高1,000mの駒背峠を越えて救援に向かったという.

 

(駒背峠から伊尾木川方面、下が別役土居)

 

2018年9月10日 最終版

 

1.花

 

河口は安芸市で、被害がひどかった安芸川と並んでいる.

 

(安芸市域から)

 

8月末には釣糸を垂れてみようという人も出てきたのだが.

その後の相次ぐ台風でまた濁流になってしまった.

 

(花沈下橋、2013年)

 

峡谷の入口が花の集落で、小さな沈下橋がある.

 

(崩壊した沈下橋)

 

沈下橋は、水だけなら上を流れて行ってくれるのだが、一抱えもある丸太が激流と共にぶつかると一たまりもない.

 

(森林鉄道の橋梁)

 

昔、伊尾木川に沿って最奥まで森林鉄道がつくられていた.

終点まで7時間かかった.

花には橋梁が残っている.

小川川に沿う15kmほどの長い支線の分岐点で、支線の奥にはトンネルが残っているらしい.

しかし川沿いに道はなく、狭い軌道跡を歩いて辿るしかない.

 

2.奈比賀から入河内

 

市内からコミュニティバスで15分、奈比賀(なびか)の集落である.

2014年から、付近の山腹に大工事が行われている.

 

(山腹の工事)

 

鉄橋のある迂回路がつくられたので、大規模な工事と想像したが、見たところ崩れた様子がない.

不思議に思っていたが、表面の樹林を剥がしてようやく姿を現した.

おそらく亀裂などの兆候があったのだろう.

ロープに体を預ける作業員が豆粒のように見える.

段をつくって途中に重機が上げられている.

 

(入河内)

 

30分弱で入河内(にゅうがうち)である.

 

(入河内大根)

 

大きい特産の大根や、地元の米でつくった「入河内」ブランドの酒など、がんばっている.

鉄筋の小中学校の建物がある.

廊下に学校の歴史を書いた模造紙が貼ってあって、外からも見える.

生徒がもっとも多かったのは1956年の219人である.

次第に減少して1から3人の時代が続き、やがて0になったが、転入した人の子どもが一人入って復活した.

しかしこの子が転出して再び閉校になっている.

 

 

3.大井

 

(伊尾木川、2017年)

 

川は広い河原の中を悠々と流れている.

 

(川岸の道路)

 

川岸の道路は増水によって下がえぐられた.

広い河原は、遠い過去から流され続けてきた岩石が埋めてできているわけだ.

その意味で「災害」も長い川の歴史の中の一コマではあるのだが.

 

(大井)

 

一日3本あるバスで37分の集落が大井で、まずこの辺りが日常的に住む限界だろう.

郵便局もある.

10年前、森林鉄道の築堤で絵を描いていて、足を踏み外して転落、骨折した思い出の地である.

ただその時は明るい山村、というイメージだったのだが、今回何か寂しさを感じてならない.

集落に入ってみると、やはり空き家ができているのだ.

稲田に鹿よけの網をかけているご夫婦に出会った.

ご主人は郵便局長をしていたそうで、「この土地のことなら何でも聞いてくれ」と言われる.

あれこれ話す中で、「道は雨の後は落石が多くて危険だ」という.

確かにそうで、以前この奥で落石に乗り上げ、タイヤを切り裂いた.

この後、落石を見ると車を止め、同乗の家内が先回りして石をどけたが、見回りの車の職員に感謝された.

 

4.ダムから別役へ

 

大井の先はまだ通行止で、今回はここまで.

以下の写真は2017年のものである.

 

(伊尾木川ダム)

 

渓谷が狭まったところに、1954年につくられた発電用の伊尾木川ダムがある.

古いのでダム湖は岩石で埋まり、湖というより池に近い.

森林鉄道の鉄橋が一連残っている.

岩石や流木がダムを越えてくることはないから、下流のものはこの下で発生したものである.

 

(ダム湖の秋)

 

このときに浮いているものは、流木ではなく落葉であった.

 

(別役、防災のため水路を開削中)

 

最奥の集落が別役である.

あるお宅では、木々や岩を配した斜面に清冽な谷川の水を引き、滝や流れのある庭をつくっていた.

折々趣向を変えるのか、ツルハシやバールが置いてあった.

 

 

(バスの終点)

 

デマンド運行で、月1回来るか来ないかというバス停のところが最奥のお宅である.

この先で道は峠に上る.

しかしこの辺りでも山上にはいくつかの集落があった.

「天ノ郷」など地図を見れば、険しい尾根を上った標高800mに田畑が開け、わずかの家がある.

車道はなく、名前の通り外界と隔絶した世界である.

地元で訊いたところ、「もう山の上からはみんな下りた」ということだった.

 

(茗荷)

 

支流の横荒川にも森林鉄道の支線があり、茗荷(みょうが)の集落があった.

いま鉄道の橋や護岸は崩れ、丸太が渡してある.

作業所や家々は暗い樹林の中で半ば崩れ、ひと気のない夕暮れで鬼気さえ感じる.

 

(砂防ダム)

 

奥では、あちこちで大規模に砂防ダムの建設が行われている.

住民の少ないところの公共工事に意義があるのか、と思う人がいるかもしれない.

しかしこれらがあったればこそ、被害がいまの程度で済んだのである.

なければ茗荷のような死の谷が次第に広がり、下流の町の洪水となり、濁水は海一面に広がり漁業を壊滅させる.

山を包む薄皮の森林が、我々の生活を左右している.

 

(おわり)

 

関連記事リンク:

伊尾木川を46km遡る

椿山、最後の焼畑農業

高知学トップページに戻る

 

2018年9月1日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学97 2018年7月豪雨のあと2、安芸川

2018年7月の西日本豪雨は、高知にとっても経験したことがない豪雨であった.

西から東への雨雲が連続してぶつかった四国西部の宿毛がひどかったが、高知東部にも大きい被害をもたらした.

高知県東部には安芸川、伊尾木川、安田川、奈半利川の大きい河川がある.

このうち安芸川、伊尾木川は被害がひどく、川沿いの道は通行止めとなった.

ひと月を過ぎ、8月20日、安芸川を訪ねた.

安芸川は通れるが、奈半利川は1/3の大井までであり、その先は依然通行止である.

 

2018年8月26日 最終版

 

1.安芸川

 

(安芸市から上流を見る)

 

高知県東部の4河川は、剣山の南に広がる1,200から1,400mの山々を源流にしている.

その内で安芸川がもっとも西に位置し、河口は安芸市である.

ダムはないが、7,8年に1回くらい増水があり、河川敷のゴルフ練習場や高校の野球場が水没した.

今回も同様だが桁が違う.

 

 

(半壊の堤防と堆積した土砂)

 

川筋が曲がる辺り、堤防が半壊している.

もし完全に決壊していれば、安芸市全域が水没したとされる.

屈曲部の河床は、流れてきた土砂が積もってすっかり高くなり、一部除去されて水路ができているが、ダンプが絶え間なく往来している.

一体ダンプ何杯分になるだろう.

 

(川沿いの集落)

 

土砂と流木が河床を岸まで埋め、ユズ畑は半分砂で埋もれ、流れてきた枝葉が引っかかっている.

住宅には今少しのところであった.

通行規制のガードマンの男性によれば、車は「ちゃがまった」(高知の言葉で「駄目になった」の意)そうだ.

 

(安芸ノ川分岐)

 

流木や枝葉があちこちにひっかかかっている.

折柄、市会議員選挙でポスターが掲示されているが、市域が広いので大変なことだ.

分かれ道の先は安芸ノ川の集落だが、この先の道は壊滅状態という.

以前真新しい黒色の軽ワゴンが曲がって行ったので、今も住んでいる人がいるのだな、と思ったがどうなっただろう.

 

(沢の岩石)

 

谷川や沢にはコンクリートの護岸などないから、増水が激しいと、水面に近い樹木は根こそぎ持ってゆかれる.

大きい石が幹の間に挟まっている.

激しい流れで跳ね上がったのだろうか.

 

(路肩の崩壊)

 

流れに近い道はあちこちで下がえぐられ、通行時間規制で復旧工事が行われている.

この先の畑山集落は一時孤立し、29人が自衛隊ヘリで市域に移送されたということだ.

ただ、流れの影響を受けない高みにある道路には被害がない.

 

2.畑山

 

(畑山へ)

 

畑山集落に入る道は変わりないように思えるのだが.

 

 

(左は元の郵便局、2017年)

 

今は閉鎖されているが、小さな郵便局があって、向いの護岸に座ってその絵を描いたことがある.

 

(郵便局前の道路)

 

道路も腰を下ろした岸も、すっかり姿を消している.

橋は何とか残っている.

畑山には以前は日帰り温泉があった(今は日帰り入浴はない).

20年前に来たとき、350円と安かったのだがシャンプーが見当たらず、これかなと思って使おうとしたら、おじさんから「それはワシの」と言われた.

その後地鶏、土佐ジローの飼育が成功し、あらゆる料理で土佐ジローを食べ尽くす「オーベルジュ」となり、泊まって大いに満足している.

幸い飼育施設、温泉とも少し高いところにあったので今回被害はなく、営業が再開されている.

 

(畑山の流れ、2017年)

 

流れは澄みつつあるので、いずれ元の姿に戻るだろう.

しかしここでこれだけの被害をもたらす増水があったということは、この奥からそれだけの水が流れてきたことになる.

 

3.中津尾林道

 

畑山はどんづまりのような印象だが、実際には中津尾林道で800mの峰を越え、香美市大栃に出られる.

上がって行くと中津尾、堂平(どうだいら)の集落がある.

 

(堂平、2017年)

 

2017年には、中津尾で家にいる人を見たし、堂平では犬が繋がれていたので、それぞれ一所帯の住民は間違いない.

豪雨ではどうしただろうか.

 

(源流の山と伐採地、2017年)

 

この辺りの深い山々が源流域であり、西からここにぶつかった雲が大増水をもたらした.

森に包まれた山々はがっしりと見え、緑がその底まで続いているかのような安心感がある.

しかし伐採跡を見ればわかるが、木々は饅頭に生えたカビのようなものであり、森林はごく表面の薄皮に過ぎない.

薄皮が無ければ、地中海沿岸のような不毛の岩山が続くのである.

今回大きい山崩れは無かったようなので、よくあれだけの雨水を吸収したものだと感心する.

吸収しきれなかった分が、下に流れて水害をもたらしたのだ.

しかし、今少しスポンジの吸収力があれば、被害はそれだけ小さくなる.

薄皮の吸水力を増すことが重要である.

 

(峠の看板)

 

峠には「熊に注意」の看板がある.

源流の山々は、四国で最後に残るツキノワグマの生息地である.

センサ付きカメラでは十数頭の生存が確認されている.

人里が遠く、標高が高いため人工林が少なめで、餌を供給する広葉樹林が残っている.

少人数で贅沢を言わなければ?何とか暮らしてゆけるのだろう.

子熊もいるらしい.

しかしすくすくと成長している姿はまだ確認されていないという.

昼なお暗い森が間伐で日が当たるようになり、下草を食い荒らすシカが減り、広葉樹が育ってゆけば、熊も過ごしやすくなる.

森の吸水力を増加させる要因でもある.

 

(おわり)

 

関連記事リンク:

7月豪雨の後1 安田川、奈半利川

山奥の地鶏、蕎麦、フレンチ

高知学トップページに戻る

 

 

2018年8月21日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学96 2018年7月豪雨のあと1、海岸と馬路、魚梁瀬

2018年7月、西日本に大災害を生じた豪雨、もともと雨の多い高知でも被害を受けた.

小学校の地理では、雨が降らない瀬戸内の海岸には塩田がつくられている、と習った.

いま大規模な塩田で製塩が行われることはなく、跡地は工業地帯になっている.

ところが、雨が少ないはずの瀬戸内を西から東へ、絶えまなく雨雲が流れた.

四国では、普段台風など来ない西岸の大洲、宇和島、宿毛に直接雨雲が当って大水害となった.

高知の東部は、室戸と言えば台風が連想されるように、風水害常襲地域である.

今回も馬路村魚梁瀬では、1,500mmの降水量を記録した.

高知東部の河川を見る.

 

2018年7月27日 最終版

 

1.流木

 

(琴ヶ浜の流木)

 

豪雨は、特に7月5日から6日にかけてすさまじかった.

深夜、雨の耳を聾する轟音が続き、スマホの緊急情報音がひっきりなしに鳴り響く.

ようやく雨が静まった後海岸に出てみると、打ち上げられた枝葉と丸太が列をつくっている.

テトラポットに突き刺さった丸太もある.

 

(住吉海岸、7月18日)

 

1週間を過ぎ、重機が多数出動して順次流木が除去される.

しかし、全海岸となるといつになることか.

海上保安部の航空機からの観察では、土佐湾に20-40cm径、長さ2-10mの丸太が450本漂っているそうで、船に警戒を呼び掛けている.

海を双眼鏡で見ると、毎日のように1、2本の丸太が西に流れていた.

これだけの流木がどこから来たのか、付近に大きい川はない.

土佐湾には反時計周りの海流がある.

沖合を西から東に流れる黒潮の端が室戸岬にぶつかって、円弧状の土佐湾に渦ができる.

流木は東の安芸、室戸方面から流れてきたのである.

 

(整理された海岸)

 

流木が除去され、海は一見元に戻ったように見える.

しかしその色はまだ本来のものではない.

コバルトブルーはきれいに見えるが、氷河湖などと同じく、海水に懸濁する微細な砂の乱反射によるものである.

 

2.安田川

 

 

高知東部には、西から安芸川、伊尾木川、安田川、奈半利川の大きい河川がある.

いずれも流れは単純で、1,200-1,400mの山から直線的に急流が海に流れ込んでいる.

2週間を過ぎた7月19日、高知東部を訪ねた.

安芸川、伊尾木川の被害は大きく、まだ泥流で通行止もある.

安田川を遡って、馬路、魚梁瀬に行き、奈半利川を戻った.

 

(安田川)

 

安田川に入ると、意外にも川は全く澄んでいる.

鮎の釣人が大変多い.

他の河川は壊滅状態なので、ここしかないとも言えるが.

 

(渓谷)

 

次第に山は深くなるが、いつに変わらない風景である.

 

(崩壊の跡)

 

高知はどこでもそうなのだが、もちろん?安田川流域でも山腹の崩壊はあって、補修の跡が残る.

 

(馬路)

 

馬路には役場やユズの加工場がある.

訊くと、岸の茶色くなった辺りまで水が来て心配したが、大事まで至らなかったそうだ.

営林署があり、森林鉄道の基地であった.

森林鉄道が通った道をさらに遡り、魚梁瀬に向かうトンネルを抜けると、安田川から奈半利川水系に変る.

 

(魚梁瀬)

 

魚梁瀬ダムは、1965年に完成した非常に大きい水力発電用ダムである.

これに伴って集落は水没するため移転し、各地に通じていた森林鉄道は廃止になった.

下流にはさらに二つのダムがあり、共通で運用されている.

ダム湖の岸には土が見えるが、先日はこれが隠れるくらいの満水になったという.

その後放水が続いて、現在の水位になっている.

 

(久木ダム)

 

ダム湖は巨大な水溜まりであり、水の動きはない.

周囲の山からの土砂や湖岸の土が流れ込んで濁るが、この濁水を排出しなくてはならない.

どこのダムでも濁水は問題になっているが、降雨量が多いと濁水も増える.

魚梁瀬ダムから流れ出た土色の水が下のダムに貯まって、緑の森林の中に泥の流れと泥の池がある異様な風景である.

 

(発電所水路からの排水、右は小川川)

 

奈半利川を下って行くと発電所があり、山を潜って放水路の出口がある.

久木ダムを通った泥水で、発電機の水車が傷まないものか心配になる.

ここは小川川との合流点で、こちらの水は青い.

 

(竹屋敷、2017年1月.このときは女性と犬の声がした)

 

小川川の先の竹屋敷は、魚梁瀬と同じくらいの山深くにある.

森林鉄道が通じ、林業の基地であり、分校もあった.

訪ねる度に人が減ることを感じたが、昨年最後の住人が山を下り、村営バスも運行を終了した.

川だけは澄み切っている.

 

(奈半利川)

 

小川川が合流しても、濁水はあまり薄まらず流れてゆく.

川沿いに最近新築された北川温泉で訊くと、8月末まで濁りが続くと知らされているそうだ.

夏を過ぎれば、ようやく高知の海は元に戻るのだろう.

 

 

関連記事リンク:

馬路のトリュフ犬と魚梁瀬

千本山と野根山、驚異の植林

高知学トップページに戻る

 

(おわり)

 

2018年7月21日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学臨時、2018年7月豪雨

2018年7月、西日本の広い範囲で豪雨となり、多くの被害を生じました.

高知でも死者が出る結果となりました.

ご冥福をお祈りしております.

高知に対して、皆様から寄せられたご心配と暖かいお心遣いに厚く感謝申し上げます.

一方、愛媛、広島、岡山など、これまで水害が少なかった地域で甚大な被害になっています.

これらの地域の方々の生活が、早く元に戻られることを祈念いたします.

 

(2018年7月13日)

 

(7月6日、夜須川)

 

住んでいる香南市夜須町には夜須川が流れています.

「車軸を流す」豪雨が降り続き、溢れることも予想され、流れに近い方々は心配されたことでしょう.

一部のハウスは浸水し、出荷前のスイカやメロンが駄目になったということです.

 

(7月6日、夜須の海)

 

泥の流れが川から海に入って広がってゆきます.

 

(7月9日、夜須川)

 

幸い川が溢れることはなく、流れは少しづつ澄んできました.

 

(7月9日、夜須の海)

 

海岸には川から多数の枝葉が打ち寄せています.

何本もの丸太が来るのはこれまで無かったことで、豪雨のひどさを感じます.

この処理も大変ですが、海は沖合い遠くまで濁りました.

漁師さんは、年々雨による増水が多くなり、泥水をかき分けるようなことが多いと話していました.

山が荒れて含水量が減り、少しの雨でも土が流れ出すからです.

豊かな森林を取り戻すことが非常に重要です.

豪雨後、宮古島などを襲った台風によるうねりでまたかき回され、なかなか海は澄みませんでした.

7月13日、ようやく沖に船が出てブリの養殖の世話をしています.

 

(おわり)

 

2018年7月9日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学95 室戸の海岸、廃校水族館と台地の産物

室戸岬は太平洋に向かって突き出ている.

沖合140km辺りで、北に向かって動く海洋プレートが日本列島の陸地にぶつかり、下に潜り込んでいる.

陸が引きずり込まれるので、室戸岬はいま毎年7mm沈みつつある.

やがて限度が来て跳ね上がり、南海トラフ地震が発生する.

跳ね上がる量は1回で1.2-2mである.

100年ごとにこれが繰り返され、室戸岬の地形がつくられてきた.

 

2018年7月17日 最終版

 

(室戸岬)

 

1.断崖と台地

 

室戸岬の東と西では、海岸の様子が全く異なる.

 

(室戸岬の東岸)

 

東は海底に断層があり、山から急傾斜が水深1,000mまで落ち込んでいる.

 

(室戸岬の西岸)

 

西は長年に渡って泥や砂が積もった平らな海底が、そのまま隆起して台地になっている.

 

2.佐喜浜

 

東海岸は急傾斜の山が海に面し、湿気を含んだ風が直接当たって雨が多い.

そのため森林が豊かで、岬から北20kmの佐喜浜では森林鉄道が敷かれ、スギを搬出していた.

今も幹周り12mにもなる天然杉があるそうだ.

 

(加奈木の崩え.左の奥だが木が茂って判り難い)

 

しかし一方で山崩れを起こし易い.

加奈木の崩え(つえ)はその一つで、1707年の宝永地震によるとも、1746年の豪雨によるともされている.

 

(佐喜浜川)

 

本格的な治山工事は1916年に始まり、1964年に終わっているが、今も川には痕跡が残る.

 

3.  廃校水族館

 

一方、海底が急に落ち込んでいるので、多種類の魚が集まる.

そのため大規模な定置網(大敷網)による漁業が行われている.

椎名に元の小学校を利用した「廃校水族館」がオープンした.

 

(ウミガメとシュモクザメ)

 

25mと低学年用、二つのプールが屋外水槽として使われている.

「今日は何が入りました?」

「タコとサバ!」

水族館で交わす言葉ではないようだが、椎名の網に入った魚を、漁師さんが見つくろって入れてくれるのである.

ウミガメは度々入り、保護団体が計測してタグをつけて放す.

最近メキシコのタグをつけたカメが来た.

太平洋を横断して遊泳後、また戻って生まれた場所に産卵に来たらしい.

 

(サバ)

 

魚は周囲の状況によって色が変わるという.

サバがいるが、見慣れた鯖寿司色?ではないコバルトブルーもいる.

 

(ヨシキリザメ)

 

魚は、より大きな魚に寄り添うものらしい.

サメの背後に小魚がくっついている.

大きな魚に対して安全だし、傍にいても後なら食べられる心配はない.

入荷をしらせてくれる魚屋のメールに、

「くじらつきのカツオが入りました.イワシをたっぷり食べて太っています」とあった.

近くの港の漁師さんが言っていた.

沖には漁船くらい大きいクジラ(マッコウクジラ)がいるが、イワシやカツオを大勢引き連れている.

イワシはまずカツオにつくべきであった.

 

4. 台地

 

(国道)

高知市から室戸への国道55号線は、海岸のわずかな土地を通る.

海の反対側は急傾斜の山だが、この上が台地で、田畑や集落、国道と並行する道があるとはなかなか信じられない.

 

(台地への道)

 

台地に至る古くからの道は、照葉樹林の中を曲がりくねって上がって行く.

 

(広域農道から)

 

今は1.5車線の広域農道がつくられ、深い谷は雄大な鉄橋で越えているので困難なく到達できる.

しかし台地の中の道は畦道が進化したようなもので、軽トラ用である.

田畑は林の間に点在し、土地は平らなので先が見えない.

 

(台地の道)

 

林をあちこち曲がりながら進んで行くと、突然行き止まりになったり、農家の庭先で終わったりする.

 

(イモ畑)

 

台地はもともと水が得難いので、サツマイモが主な産物であった.

西山台地のイモはブランドになっている.

 

(太平洋を見下ろす水田)

 

傾斜がないので見通しが効かず、意外に海は端でないと見えない.

また意外に水田が多い.

どこでも昔から農業をやるなら稲作であり、そのためあちこちに溜池がつくられている.

 

(集落と溜池)

 

ビワ、ポンカンなどの果樹が育てられているが、茶畑もある.

室戸の玉露はイメージと違うようだが、温暖ながら標高200mで霧がかかるし、窪地があって風の心配も少ない.

日当たりが良く、海の荒波や行き交う車と隔絶された静かな別天地である.

 

関連記事リンク:

室戸の街と札所

海の楽しみ、釣りにマリンスポーツ

高知学トップページに戻る

 

(おわり)

 

 

2018年7月3日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一