高知学107 高知城から8km圏に何がある?

高知学106では、高知の中心である高知城から半径5kmの地域を訪ねました.

今回は8km圏です.

東京の中心、皇居から8kmとなると、目黒不動、下北沢、笹塚、中野、王子、北千住など、明治時代まで町外れとされた地域です.

高知では山の中になり、2005年に高知市と合併した、旧土佐山村、鏡村の地域に当ります.

 

2019年2月22日 暫定版

 

1.南国市から

 

(山へ)

 

南国市の農免道路を山に向かう.

「農免道路」とは聞きなれない名である.

農業で使うガソリンの税金を免除してほしい、との要望に対し、やらない代りに相当する金額でつくられた農道だ.

財源の問題であって、道路には変わりはない.

高知道の南国インター付近から、向こうの山に入る.

 

(奈路小学校)

 

山に入って行くと、坂の下に小学校が見える.

運動場で子どもたちが遊んでいるが、生徒数はどれくらいだろう.

 

(棚田の看板)

 

辺りの棚田には「給食米産地」の看板が立つ.

 

(奈路の水路)

 

しかしこの辺り、小さな谷間で水が豊かではない.

そのため江戸時代に、山を潜った水路がつくられている.

潤す面積が4町歩、というと200m四方に当り、さほど広くはないがそれでもこの苦労だ.

日本の農業、稲作にはとにかく水の確保が必要なのだ.

 

(用水の上)

 

清冽な流れの音が聞こえ、20mとあるので行こうとしたが、足場が悪くて戻る.

 

2.土佐山

 

(蟹坂から)

 

南国市と今の高知市との境になる蟹坂の峠を上る.

やがて元土佐山村の中心地に出る.

 

(右は旧土佐山村役場)

 

旧役場は一部がレンタルオフィスとなった.

いろいろの種類の公営住宅もつくられている.

 

(土佐山学舎の幟)

 

「土佐山学舎」を誘導する幟が立っている.

学校の幟には意気込みが伺われるというものだ.

かねて土佐山は小中一貫校だったが、新制度発足に伴って、小中の枠にとらわれない「義務教育学校、土佐山学舎」に変った.

9年の期間を4,3,2に分け教育する.

英語、ITなど内容はフレキシブルのようだし、部活は必須となっている.

いま全校生徒は150人ほどだが、特認校で学区がないので半数は高知市街から来ている.

スクールバスで30分ほどである.

 

(交流館)

 

山の上に貸ホールの「交流館かわせみ」がある.

周辺は山だから、いくらバンドの練習でどんちゃかやっても何の支障もない.

昔、アメリカの山の都市で学会があった.

泊るのは町中のホテルだが、会場は雪の積もった山の上である.

一旦バスで上がるとエスケープできない.

鹿も顔を見せる.

いやが上にも議論と親交が深まるというものだ.

 

3.土佐山観光

 

(ごとごと石)

 

谷間に「ごとごと石」がある.

突き出た崖の上に石が乗っていて、揺らすと動くのだが決して落ちないという.

ただし今、力を込めて押しても全く動かない.

地元の人に訊くと、昔は片手で揺らせたのだが、あんまり皆が押すので、すり減って動かなくなってしまったのだそうだ.

受験で「落ちない」、ごとごと石のお守りが道の駅で売られている.

「落ちそうで落ちない」から「絶対に落ちない」となったので、一層霊験が高まったというものである.

 

(オーベルジュ土佐山)

 

山のホテル、オーベルジュ土佐山がある.

市内のOホテルが運営していて送迎バスがある.

静かな山の中を楽しんでもらうことがコンセプトで、客室にはテレビがない.

ただし今、スマホは圏外ではないが.

ランチのつもりであったが、寄り道で時間を過ぎてしまった.

3kmほど奥の嫁石梅祭りに屋台を出しているそうなので、そちらに向かう.

 

(梅祭り)

 

五分咲きくらいであるが、仲間づれや、花にカメラを構える人がいる.

かなりの奥の集落だが、無人の家屋が見当たらないので、ドラム缶の焚火にあたっている世話役に訊ねた.

いやそうではない、この上にもあそこにも家があった、との答えであった.

 

4.鏡

 

この辺り、高知の町中を流れる鏡川の上流である.

市域の水の安定供給のため、ダムがつくられている.

 

(鏡ダム)

 

しかし鏡川だけでは流量が不十分で、吉野川の支流から15km近い水路トンネルで水を足している.

 

(忠霊塔)

 

元鏡村の中心地を過ぎた高台に「忠霊塔」がある.

地域から出征して戦死された方々を弔う碑である.

敗戦後、占領軍に見られてはまずいということで、「忠霊」の文字を削ってしまった地域もあるが、ここはそのようなことはないようだ.

台座に多数の戦死者の名が刻まれている.

当然、出征者は戦死者を上回るから、それだけの若者がこの土地にいたのだ.

「大東亜戦争」のとき、大阪の田舎の小学生(正確には国民学校)であった.

兵隊に行く若者が、運動場や駅頭で見送りの人たちに挨拶する.

毎回我々も加わるので、自分もその挨拶ができるようになった.

 

(鏡川橋)

 

川に沿って下って行くと次第に家々が増し、市内外れの路面電車、鏡川橋停留所に至る.

 

(つづく)

 

 

2019年2月20日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学106 高知城から5kmのところに何がある?

昔、洋酒会社の企画で「冒険」のテーマを募集していたことがありました.

思いついたのは、世界3都市、東京、パリ、ニュ-ヨークを、中心から5kmの円を描くように歩いて1周する、ということです.

もちろん丸い道路はありませんから、その曲線にできるだけ沿うように、ジグザグに曲がったり戻ったりしながら歩くのです.

観光ルートにはない、それぞれの町の特色が味わえるでしょう.

ニューヨークなど、中心をどこに取るかによって、銃で武装した警官の付き添いが必要になる「冒険」です.

高知でこれをやって、東京と比較すればどうなるでしょうか.

 

2019年1月15日 最終版

 

 

1.高知城天守閣から

 

東京での半径5kmだが、皇居を中心とすれば、山手線が大体それに沿う.

しかし江戸城は海に近いところにつくられているので、湾側では豊洲、浅草を通る.

高知の半径5kmはどうだろうか.

 

(高知城から南.下が県庁と市役所)

 

高知城天守閣から周囲を見渡す.

どちらの方向も市街の先は山である.

高知市は西の鏡川、北の国分川、これらの流域の山から流れ出た堆積物の上にできた町である.

桂浜はここから8kmで、東京の中心から見た大井や新木場の位置になる.

 

(高知城から北)

 

北側に見える尾根は5km圏であり、山上を車で回って見よう.

この山は、まだ土讃線もなかった大正時代の高知高等学校(現高知大学)の寮歌に

「見やれば北に 翠巒の山背は高く 軟弱の都の塵をさへぎりて…」

と歌われているのだ.

ただしこの尾根は、市域を囲む円弧ではなく東西に延びている.

上がる道は限られるので、東に8kmの南国市白木谷からになる.

 

2.白木谷

 

(石灰岩の山)

 

高知にはあちこちに石灰鉱山がある.

白木谷にも大きい鉱山があり、採掘場が遠くからでも見える.

堀り出した鉱石は専用道を走るトラック、そしてコンベヤで市域の外部に運ばれる.

その後また積替えて港まで輸送する.

絶えまなく市内を走る石灰石のトレーラートラックは市民に馴染みであり、高知市は鉱山町でもある.

 

(石灰石のトラック専用道)

 

3.久礼野

 

専用道は通れないので、尾根の狭い山道を行く.

 

(久礼野の集落)

 

南国市から高知市に入ると、突然に道幅が広くなる.

この辺り久礼野なのだが、地図ではクララとも記されている.

奇妙な名なので、通りかかった老婦人に尋ねた.

「昔、山近くを年寄りがそう呼んじょった」ということだ.

異国の女性が住んでいたわけではないらしい.

 

(久礼野の住宅地)

 

これで目標の5km圏の尾根に上がったことになるが、この辺り一帯は傾斜の緩い台地になっている.

高知で一番古いゴルフ場がある.

1980から1990年代、経済成長を受けて、高知でも各地にニュータウンがつくられた.

小規模な宅地造成も随所で行われている.

その中で交通に便利なところは「郊外住宅地」であり、不便なところは「別荘地」とされる.

久礼野もその一つで、木立の中に住宅が点在し、辺りにゴルフ場、乗馬クラブなどあるところは別荘地的である.

デンマーク、トービアン氏による、自家製燻製をメインにした予約制レストランも古い.

市内から車で20分余りの「通勤圏」なのだが、300mの峠まで上がるので、そうとも言い難い.

 

(陶美庵)

 

ゴルフ場の周りを散歩してきた、30年お住いのご夫婦と立ち話をした.

一人暮らしになった老男性が、タクシーで町に行って食事を摂り、買物をして帰る暮らしで、タクシー代が月15万になったという.

ただここでも、1km歩いた小学校近くにはバスが来ている.

車を運転できない高齢者にとっては「ラストワンマイル」が問題なのだ.

解決するのは、セニアカーか、電動アシスト自転車か、それとも全く別のシステムなのか.

 

(小学校)

 

近くの久重(きゅうじゅう)小学校は、生徒数50人だが、きれいな木造校舎である.

レストランのT氏も一日先生で来るらしい.

 

(相愛本社)

 

建設コンサルタントの相愛の本社はここである.

自然エネルギー利用のため1階は半地下であり、水は総循環システムになっているそうだ.

 

4.正蓮寺

 

市内から上がってきた道と小坂峠で合流する.

ここが正蓮寺(しょうれんじ)、ゴルフ場の通称もそうだ.

(正蓮寺)

 

ゴルフ場のカートは「自動運転」である.

傍の自宅まで乗って帰ることができれば便利だが.

 

(墓地から)

 

ゴルフ場の下に広い霊園がつくられている.

高知では、もともと海岸の砂地や高台に墓地があった.

水が得難く耕作に適さないためである.

ここは浦戸湾から桂浜近くまで見える景勝地なのだが.

 

(海の見える別荘)

 

尾根の狭い道をさらに進むと、傾斜地にまばらに家が建つ「別荘地」がある.

ここは下からも見え、高知の六甲山だ.

 

(山上の別荘地)

 

下からよく見えるくらいだから、遮るもののない「眺望絶佳」である.

それぞれの家は必ず屋外デッキをつくっている.

見下ろせば一面の町の灯、見上げれば満天の星、海は月光にきらめく.

しかし残念ながら人影がない.

毎週末、曲がりくねった狭い山道を何キロも往来して生活するのは少しつらい.

自動運転技術が完成し、家で車のボタンを押せばここまで連れてきてくれるようになればよいのだが.

 

(ニュータウン)

 

山道を下りたところが、みづきニュータウンである.

葉を落とした街路のこの写真だけ見せ、どこかと訊いて正答する人はいないだろう.

山があるから、小田急か東武の沿線か.

関西なら近鉄学園前か.

ここは3km圏であり、東京なら六本木である.

 

関連記事リンク

高知と東京、どこが違う?

別荘地と別荘学

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(おわり)

 

 

 

 

2019年1月11日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学105 2018年バースディ切符の旅2. 松山から高知

JR四国のお得なバースディ切符、四国内乗り放題の旅、12月が誕生月なので毎年利用しています.

その1では高知を出て西へ、窪川から予土線、昔が残る卯之町を回って松山に至りました.

第2回は松山から東へ、今治、高松、琴平、そして高知に戻ります.

 

2018年12月30日 最終版

 

松山1737発 しおかぜ28号 今治1812着

 

(セキ美術館)

 

松山ではセキ美術館をよく訪れる.

道後温泉に近い、閑静な住宅街の中にある個人の美術館である.

品の良いコレクションであり、また静かなのでゆっくり眺められる.

エントランスを写したいと思って係の女性に断ると、フラッシュを光らせなければ、館内何を撮っても結構です、との返事であった.

 

(松山駅前)

 

JR松山駅前には高知行バスが止まる.

高知から一日かけてやってきたが、このバスに乗れば2時間半で戻れるのだ.

高速道路のない昔から、高知・松山間の交通はバスであり、昔は国鉄特急バスが一時間ごとに運行されていた.

今治で泊る.

 

(今治駅)

 

今治の産業はタオルもあるが造船であり、日本食研の調味料もここだ.

来て見ると、四国の中でもっとも成長しつつある都市のように感じる.

駅前にはビジネスホテルが林立している.

町のビジネス度は、東横インの有無で測れるように思う.

松山、新居浜にはあるが、今治にはないので、そこまでは至っていないらしい.

 

(今治焼鳥)

 

今治の名物は焼鳥だが、それも炭火焼ではなく、鉄板の上で押さえつけて焼く.

思うに、造船所では鉄板の切れ端がどこにでもある.

昔の船は鉄板同士を結合するのにリベットを使っていた.

鋲をコークスの火で真っ赤に加熱する.

親方が長い火箸で投げ上げる.

上では手桶のようなものでこれを受け留め、穴に差し込む.

見たことがあるが鮮やかなもので、5階くらいの高さまでこれができたというからすごい.

反対側にいる職人が空気ハンマーで叩いて留める.

冷えると鋲が縮み、堅く締結される.

現場には常に鉄板と高熱があったのだ.

焼鳥屋はインターナショナルであり、連れと共の人もいるが、一人でもふらりと入ってくる.

 

 

今治847発 しおかぜ10号 伊予西条908着

 

(西条)

 

増築された西条の鉄道歴史パークに行く.

JR、西条市も関係しているが、国交省関連の日本ナショナルトラストが、宝くじの資金でつくった施設だ.

屋内の機関車などの展示に加えて、外には新幹線と在来線、両方を直通するフリーゲージトレインの試作車が置かれている.

なぜここにあるのかだが、予讃線で長く耐久試験を行ったためで、山陽新幹線に乗り入れる構想もあったらしい.

 

伊予西条1019発 しおかぜ12号 高松1154着

 

(高松市内)

 

高松の三越のデパ地下は四国一賑わっているし、丸亀町の商店街は再開発の成功例とされている.

 

高松築港1330発 高松琴平電鉄 琴電琴平1432着

 

(高松築港駅)

 

高松から琴平へ、高松琴平電鉄に乗る.

ターミナルは城址の石垣の傍で、ホームの下の堀は海と繋がっていて、魚が泳ぐのが見える.

電車は京浜急行と、名古屋地下鉄の小型車である.

この「ことでん」、バブルの頃に、3路線が集まる瓦町駅の大ターミナル化を目指し、そごうなどが入る建物をつくった.

どう見ても過大な計画で、破綻した電鉄は民事再生を行うことになる.

琴平線、線型は良いし、途中まで複線用地がある.

ところが揺れがひどく、レールの継ぎ目ではがたんと落ち込む.

道床の突き固めが不十分なのだろう.

JR四国のマルタイをレンタルできればよいが、あいにくとゲージが違う.

レジャーランド、レオマへの下車駅も一過性であった.

近年、イオンモールの傍に駅が新設されている.

 

(金毘羅)

 

ここまで来ればこんぴらさん.

山に社殿が見えるが、時間がないので途中の大門まで.

五人百姓の飴屋もそろそろ傘をたたんで店仕舞い中である.

 

(大門)

 

それでもハードな石段登りの人が絶えないのは、さすが四国一の観光地である.

麓の酒屋で4合瓶を買う.

時間によるのかもしれないが、以前来たときに見た、高い酒爆買いの某国団体の姿はなかった.

 

琴平1707発 南風17号 後免1836着

 

(琴平駅)

 

JR琴平駅では、宿泊施設のある国営満濃池公園への送迎バスを待つ外国人若者たちが列をつくっている.

瀬戸内は塩田があったくらいで、降雨量が少ない.

満濃池は、この地出身の空海が工事に携わった、日本最大の灌漑用溜池である.

 

(イベント列車)

 

「四国千年ものがたり」のイベント列車が停まり、乗客は弁当を食べている.

乗ってみたいが、スタッフの仕草が丁寧過ぎて、見ていて少し尻こそばゆい.

それほど高い列車ではないのだが.

 

琴平1707発 南風17号 後免1836着

後免1837発 ごめん・なはり線 夜須1900着

 

乗りなれた夜の「南風」で後免、そして夜須へ.

切符はあと1日残っている.

そこで翌日、ごめん・なはり線終点の奈半利へ40分.

高架ホーム傍の食堂で、パスタとワインをやって帰る.

 

(おわり)

 

2018年12月24日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学104 2018年バースディ切符の旅1. 高知から松山

JR四国には、全線(特急料金および土佐くろしお鉄道含む)3日間乗り放題になる「バースディ切符」があります.

普通車は9,300円、グリーン車は13,000円で、その月に誕生日を迎える人が対象ですが、同伴者も2人まで同じ料金です.

格安切符として「青春18切符」が知られていますが、これは特急は利用できません.

東海道、山陽本線なら列車の本数が多いので、東京を早朝に発てば、普通電車を乗り継いで下関近くまで行くことが可能です.

しかし四国では普通列車の本数が少ない上、特急の通過待ちで停車時間が長く距離が伸びません.

12月が誕生月なので、毎年恒例になっているバースディ切符の旅に出かけました.

 

2018年12月21日 最終版

 

夜須726発 ごめん・なはり線 後免749着

 

冬でまだ朝焼けの残る時間、最寄りの夜須駅を出発して土讃線後免に向かう.

 

(朝の後免)

 

後免駅は通学時間.

手に手にスマホを握った生徒たちで、高知行普通列車は混んでいる.

以前は公立高校に学区制があり、乗換に不便な高校に通う生徒が、寒風をついて野中の道を自転車を走らせる姿をよく見かけた.

いま学区制はないので、その分鉄道が通学生で賑わう.

 

後免809発 しまんと1号 窪川926着

 

(しまんと1号)

 

高松を早朝に出る、土讃線下り特急一番の中村行がやってきた.

側線には線路を突き固めるマルチプルタイタンパー(マルタイ)が留まる.

そこは痩せても(失礼ながら)JRである.

四国でグリーン車があるのは予讃線、土讃線だけなので、バースディ切符は普通車にした.

 

窪川940発 予土線 北宇和島1211着

 

(窪川)

 

窪川からは、宇和島に向かう四万十川沿いの予土線である.

国鉄末期につくられた小型廉価版のキハ32であるが、「鉄道ホビートレイン」としてお馴染みの新幹線スタイルになっている.

 

(ホビートレインの車内)

 

新幹線の椅子が2脚備えられている.

 

(川奥信号場)

 

窪川を出てしばらく、川奥信号場で予土線と中村に向かう土佐くろしお鉄道が分岐する.

真直ぐ西に向かう方が中村、右の山に向かって曲がる方が予土線のように感じるが、逆である.

中村への線路は、この先トンネルの中をループ線で一周して下り、この駅の真下に出てくるのだ.

 

(江川崎)

 

終点まで2時間半かかるが、予土線の車両にはトイレがない.

といって、緊急下車すると次の列車まで4時間近くある.

江川崎では20分停車する.

トイレ休憩である.

 

(四万十川)

 

予土線は四万十川に沿って走るが、道路より高く、川岸に近づいているので見晴らしがよい.

列車が緊急停止し、運転士が後方に走った.

けものでも刎ねたかと思ったが、戻ってきた運転士によれば、沿線で草刈りの老婦人が斜面を転げ落ちるのを見たらしい.

大事はなかったようなので、すぐ発車した.

列車の終点は宇和島だが、一つ手前の北宇和島が予讃線との分岐駅である.

ここで普通列車に乗換えて松山方面に向かう予定である.

接続の時間は2分であるが、先ほどの停車は別として、行き違い列車の遅れでこの列車は5分の遅延である.

運転士から「北宇和島で乗り換える方はいますか」とアナウンスがあったので申し出ていて、一人だけだが予讃線列車は待っていた.

 

(北宇和島)

 

北宇和島1213発 予讃線 卯之町1247着

 

もっともダイヤには余裕があるようで、遅れはすぐに取り戻す.

 

(キハ54)

 

予讃線の車両は、やはり国鉄末期につくられたローコスト版のキハ54である.

勾配用にエンジンが2基搭載されているので、車体が普通より1m長い.

しかし文字通りステンレスの箱で、そこにユニット窓をはめ込み、両端に戸袋を省略できる折戸の出入口があって、端から端までずらりと席が向かい合っている.

変速機は廃車の再生品だし、冷房はバスのものという.

シンプルの極致だが、何もない室内はかえってロビー風である.

卯之町で下車する.

 

(開明学校)

 

この辺り、卯之町、大洲、内子と古い町が並んでいる.

卯之町には、江戸末期に蘭学者、二宮敬作が住み、シーボルトの娘、イネが学んだ.

開明学校は明治15年に建てられた小学校である.

離れたところでは、昭和3年建築の小学校木造校舎が保存され、長さ109mの廊下では「雑巾がけレース」が行われる.

以前、拭き掃除にトライしてみたが、すぐ腰が痛くなってダウンした.

 

(卯之町)

 

街路では中学生たちが集まっていたが、中学生、小学生とも例外なく挨拶をしてくれる.

修復中の民家にバーの暖簾がかかっていたので、昼過ぎだが一杯ひっかけるか、とくぐった.

マスターは今の時間、ピザなら焼けるという.

待つ間、グラスワインを飲んで、馬鹿話をした.

小学校は保存だけでなく、体験授業をしたいね.

宿題をやって来なければ廊下に立たせる.

体操もやるが、男女とも昔の体操着をレンタルすること.

造り酒屋で古酒を買った.

次に来るときは、漬物が名物の古い旅館で泊ろう.

 

卯之町1418発 予讃線 宇和海18号 伊予市1509着

群中港1514発 伊予鉄道 松山市1538着

 

予讃線で伊予市まで行き、伊予鉄道終点の郡中港に乗り換える.

駅名は違うが、両駅は道を隔てているだけである.

 

(伊予鉄道 岡田)

 

伊予鉄の車両は京王線の古手で、本線と井の頭線の両方があり、多くみかん色に塗られている.

中心の松山市に向かう.

 

(井の頭線渋谷?いや松山市駅)

 

 

(2 につづく)

 

関連記事リンク:

79 四万十川の中流

61 呑み鉄、ごめん・なはり線

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2018年12月18日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学103 高知の秘境、海と山.高知学総集編4

簡単には行けない秘境、行く行かないは別にして、だれしもなにかしら謎めいた興味を持ちます.

テレビでも「こんなところに…」「ぽつんと…」など、知られざる秘境の番組が多数見られます.

高知学でも「秘境」に関したテーマをよく見ていただいています.

高知学総集編の4、高知の秘境です.

 

2018年12月12日 最終版

 

 

1.2種類の秘境

 

四万十町・小鶴津

 

「秘境」には、「行き易い秘境」と「行き難い秘境」の二つがある.

前者は祖谷や白川郷などである.

もともとは行き難い秘境であった.

しかし人気が高まるにつれ、道路が改修され、観光バスが往来し、旅館が増え、失礼ながらどこが秘境?の状態である.

後者は今も秘境状態を保っているところである.

知られてもいないし、観光スポットがあるわけでもない.

場所によって危険も伴うし、観光収入は期待できない.

したがって自治体のホームページや観光協会のパンフレットにはない.

鉄道写真の撮影地ガイド本に「ここでは熊に注意」との記載があった.

読者から出版社に、「熊に会ったらどうしたらよいのか」と問い合わせがあったという.

長いダート道の林道が地域で紹介されていた.

キャンピングカーが夜に入って、谷間へ転落した.

 

 

2.海の秘境

 

高知県東部は山が海岸に迫って、集落も国道も岸にあるため、海の秘境はない.

しかし西部は、沈降するリアス式海岸なので断崖が続く.

その中のわずかの隙間に漁村があるが、断崖を行くか、山から屈曲する道を下りるしかなく、秘境状態となる.

 

(黒潮町・鈴、下に港が見える)

 

(鈴漁港)

 

3.山の秘境

 

山奥で車の往来に時間がかかると、今の時代、なかなか住み続けることが難しい.

高知県中部の仁淀川町、越知町、佐川町は、一帯の山上に集落が点在している.

 

(仁淀川町、椿山)

 

椿山(つばやま)は最後の焼畑農業の地として知られ、まさに秘境なのだが、愛媛県境に近い山奥で到達が大変である.

いま一所帯だけが残るという.

 

越知町・稲村

 

越知町の仁淀川沿いのように、各集落を結ぶ道路が山上で繋がっていると、共同作業が可能になって住みやすくなる.

それにしても、なぜこんな高いところに住むようになったのか、疑問をもたれるかもしれない.

今は大規模な土木工事で掘ったり積み上げたり、川沿いに道路がつくられる.

しかし昔は渓谷の人力による開削は不可能で、道路は山上にあった.

昔の小学校教科書にあった物語である.

江戸時代、大分の耶馬渓は絶壁が続き、人馬の往来が不可能であった.

一僧侶が洞門(トンネル)を掘ることを考え、托鉢によって資金を集めた(いまのクラウドファンディング).

石工と共に掘ること30年、今も残る洞門が開通した.

 

4.佐川町、峯

 

仁淀川流域一帯に沢山ある山上の集落の一つ、仁淀川町、佐之国を訪ねることにした.

佐之国、どんな国なのか.

 

(佐川町、農協祭り)

 

佐川町から川沿いに古畑、峰の集落を通り、山越えで行くルートを試みる.

ただ、峰から佐之国に至る道があるのかどうかは不明確である.

折柄、佐川町内は農協祭りである.

大小の農業機械が展示され、農器具、野菜などの即売会に人が集まる.

特売の墓石の展示もある.

 

(古畑.峰の集落が上に見える)

 

川を遡ると突き当りが古畑で、その先が峰である.

 

(古畑)

 

古畑の集落内の道は、崖を削ったり、桟道を設けたりして、車の通行が確保されている.

 

 

道はジグザグに折り返して山を登る.

 

(峰の畑)

 

山上の集落はさすがに見晴らしがよい.

老男性が畑の手入れをしていた.

家がここにあるが、いま住んでいるのは高知市内で、ここには畑仕事に来るという.

このような通勤?がいまどこの山でも多い.

 

(峰の奥)

 

ツーリングの地図では、集落の最奥から佐之国に至る道が続いている.

ただし1/25,000の地図では車道が途切れている.

男性に訊くと道はないとのことだったが、時々訊ねられという.

「秘境」探訪の人がいるのだろう.

実地に行ってみないとわからないが、入口近くでも道には落葉が積もり、引き返した方が無難そうだ.

 

 

峰には佐川町のコミュニティバスが金曜に運行されている.

4本あるから、仁淀川町のバスの週に1往復より多い.

 

4.山の秘境・佐之国

 

(引き返して佐之国へ)

 

峰から佐川町内に戻り、改めて越知町内を経て佐之国に向かう.

 

(佐之国)

 

峰と同様に見晴らしの良い南面である.

農作業のご夫婦を見受けたし、道沿いの畑を見回っていた老婦人から、小さな赤いみかんを頂いた.

ママレードにしたが濃厚な味であった.

 

(佐之国の山)

 

 

連なる山の向こうが峰の集落であり、直線距離では2kmだが、道があったとしてもかなりの難路と思われる.

大体二つの集落は異なる自治体であり、結ぶ道は必要ないのだ.

 

(不入山林道)

 

尾根沿いだからトンネルはないだろうが、このような幅の道は覚悟しなくてはならない.

軽なら通れるが、途中で止まってもドアは開けられない.

 

(佐之国の入口)

 

集落の入口に人形が何人かいて、水車を回し、臼をつき、農林の作業をしている.

別れて山を下りた.

 

 

(おわり)

 

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高知学総集編3 高知の暮らし

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2018年12月6日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学102 高知の住まい-海から山まで.高知学総集編3

高知学が100編になったところで、過去の記事を振り返り、総集編をつくっています.

高知県民が住んでいるところ、その生活は、関心を持って読んでいただいているテーマの一つです.

高知に引越しをするからということではないでしょうが、知らない地域で、どんなところに住んでいるのか、どんな生活をしているか、だれしも、だれでも興味を持ちます.

しかし意外に記されたものがありません.

あまりにも日常的なテーマなので、ガイドブックにも、観光協会のパンフレットにもありません.

 

(文中のピンクの部分をクリックすると、その記事につながります)

 

2018年11月20日 最終版

 

 

1.都市と住宅地

 

高知県は東から西まで直線距離で180kmあるが、これは東京から浜松、新潟、福島までの距離にほぼ等しい.

一方、高知県の人口はたった70万人であり、しかもその半数が高知市周辺に住んでいる.

全体として、いかにゆとりのある地域なのか、よくわかる.

 

(高知市)

 

高知市域を貫いて川が流れ、すぐ背後は山である.

高層のホテルやマンションもあるが、その気になれば数えられるほどである.

 

(通天閣)

 

東京には浅草、大阪には新世界、と盛り場があるが、高知にはない.

東京都内では建物群が無限に広がり、その終わりは見えない.

さらにその外郭には新興住宅地がある.

 

(安芸市・内原野団地)

 

高知にも新興の住宅団地はある.

埼玉、千葉などの住宅地と気分として変わりないが、一人1台、車が必要であるところが違う.

首都圏と似た感覚で住むことができる.

 

2.海岸

 

高知というと海のイメージが強い.

しかし海岸は外側のごく薄い殻であり、その中身はみな山である.

海が見える土地は限られる.

 

(香南市・夜須町)

 

静岡から東海、紀伊半島、高知、宮崎の沖合で、いずれ南海トラフ地震が発生することは確実である.

南海トラフ地震は100年ごとに起きるが、次は2038年の可能性が高いとされている.

ただこれは統計的に、であって、それより早くも遅くもなり得る.

エネルギーは日々蓄積されているので、早ければ規模は小さく、遅くなればなるほど大きい.

地震と同時に津波が発生する.

浸水地域は各家庭に配布されたハザードマップに示されている.

液状化地区も公表されている.

 

(芸西村の高台)

 

役場や工場は、津波を避けるよう全県的に高台への移転が進んでいる.

個人の住宅も、浸水地域を避けつつある.

海を見下ろす別荘地も候補の一つである.

 

(須崎市・久通)

 

ところが、海辺の漁村でもリフォームされた住宅が売りに出されている.

買う人がいるだろうか.

この前の1944,1946年の昭和南海トラフ地震は、比較的小規模で東に震源の壊れ残りがあり、次はこの地域から始まると考えられている.

東端の静岡で発生しても、遠いから直ちに高知に影響することはなく、過去の例から、2時間、または2日、または2年を置いて高知に地震がくる可能性が高い.

逃げる時間がある.

津波も同時に起きるが、不謹慎かもしれないが、そのために一帯は更地になる.

南海トラフの動きは一定なので、その後100年間は地震が絶対に起きない.

浜辺であっても、この土地が安心になるのだ.

 

3.離島

 

(沖ノ島)

 

高知の離島、沖ノ島は住宅地としてどうだろう.

宿毛市から市営船で1時間余りである.

運賃は島民なら200円余だから、都会のバスと変わりない.

毎日2便なので、高知の山間部のバス週1日2便よりずっと頻繁である.

万一宿毛市街に渡っていて欠航になっても、コンビニ近くに宿泊所が用意されている.

都会で電車の計画運休に慌てるようなことはない.

ネットもスマホも繋がるし、船が着くと宅配便の軽トラが寄っている.

アマゾンの箱も混じっている.

診療所もヘリポートもある.

ちょっとそこまで、とはゆかないが、そのため余計な金を使わない.

 

(沖ノ島 弘瀬)

 

集落では母島が大きいが、急傾斜地で上り下りが大変である.

弘瀬は左右に平地が広がるので、足が悪くても住み易そうだ.

 

4.山間地

 

日本全国、殻が海岸であり、その中身は山である.

周りを見渡して山が見えないという場所は、関東平野のごく一部だけである.

日本は山国なのだ.

高知も太平洋に面しているとはいえ、同じように山国である.

 

(大豊町・八畝)

 

高知の山里もいろいろだが、特徴的なのは、見上げるようなところにある集落だろう.

 

(仁淀川町・長者)

 

各地の観察からすると、安定して住める山里の条件がある.

駅から、駅が無ければ役場やスーパーがある中心地から、車で10分以内にあることだ.

都会の住宅地と同じで、それより遠いところはやはり住み難い.

また行くために、無人の峠を越えてというのもつらい.

川筋などで、ぽつりぽつりでも人家が続いていることが望ましい.

人間は群れをつくる動物なのである.

 

(香南市・香我美町)

 

(森の住家)

 

しかし思い入れがあって、森の中に孤独に?住む人もいる.

木々に埋もれ、グーグルで「ぽつんと一軒家」を探してもわからない.

畑も開墾されている.

このようなところで住むための条件は、立派な建築であることだ.

「山の家」だから簡素でよい、という建物は打ち捨てられている.

お互い、悟りを開いた仙人ではないのだ.

 

(おわり)

 

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高知学総集編1 高知県民の行動1

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2018年11月16日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学101 高知の酒の呑み方.日本一多い高知の喫茶店.高知学総集編2

おかげさまで高知学の記事が100となりましたので、過去の記事を振り返り、総集版をつくっています.

第2回は高知の酒と喫茶店です.

高知と言えば酒が連想されます.

高知の文化は、いごっそうの酒と宴席の議論で代表されるでしょう.

また高知は日本一人口当たりの喫茶店数が多いのです.

支えているのは、はちきんの議論です.

高知を支えている居酒屋と喫茶店を探ります.

 

(文中のピンクの部分をクリックすると、その記事が読めます)

 

2018年10月25日 最終版

 

 

1.酒の呑み方

 

高知県民は酒が強い.

ただ全く飲まない人もいるし、アル中が多いわけでもない.

普段は呑まないが、何かあれば(その頻度が問題だが)際限なく飲む人が多いように思う.

しかし同じ日本民族、遺伝的に強いとは考えられない.

若い時からの鍛錬?の結果ではないか.

 

(ひろめ市場の朝)

 

高知を代表する観光スポットとなった、屋内屋台村の「ひろめ市場」.

開店は10時ごろだが、すでに大ジョッキが重なっている.

 

(浜松町の朝)

 

以前、東京の浜松町にJR直営の食堂があり、早朝からやっているので、ホテルに泊まった後の朝食に度々利用した.

最初に入ったとき、ビールや酎ハイで盛り上がっているグループに、ここはアル中の巣かと驚いた.

しかし、これは夜間の工事に従事した人たちのアフターファイブなのである.

一人で瓶ビールを傾けているおばさんもいる.

つれあいに先立たれ、深夜の皿洗いの仕事をして蒲田あたりのアパートに帰る前、束の間のやすらぎなのかと想像したりする.

 

(連休の高知市内)

 

連休など食堂のオープンスペースが観光客で賑わっているが、皆昼間からビールやワインを飲んでいる.

親しい仲間の団体旅行での旅館の朝食は、「メシの前にビールだビールだ」となる.

旅の開放感だ.

一方、旅であっても新橋駅頭などで朝からこれをやると、白い眼で見られるだろう.

高知は良識?の束縛を外す解放区である.

それぞれが「お山の大将」なのだから、自分が好きなときに好きなように呑む.

「俺が(私が)自分の金で呑むのに文句あっか!」なのだ.

呑み方と宴席のマナーを習得し、高知の有名居酒屋にお出ましいただきたい.

 

2.酒席の展開

 

(どろめ祭り)

 

酒で有名な催しは、赤岡の大杯飲み干しで、男は1升、女は5合飲むタイムを競う.

10秒台でないと優勝の見込みはない.

ただ大人はテントの中で自分たちの応酬に忙しく、見ているのは子どもが多い.

次世代のチャレンジャーだ.

 

(敬老会)

 

秋、地域の敬老の催し、結局は後期高齢者の呑み会が開催される.

高知での酒席は、敬老会、ビヤホールの子ども会と展開されるのだ.

 

 

(町内の居酒屋)

 

夜になると、町内の小さな居酒屋に赤提灯の灯がともる.

 

(野中の道)

 

月に照らされながら野中の一本道を帰る.

踏み外さないように注意しながら.

遠くに波の音が聞こえる.

 

3.喫茶店

 

(伝統の喫茶店、安芸市)

 

高知は人口当たりで日本で一番喫茶店が多い.

支えているのは女性である.

 

(土佐山田のインドカフェ)

 

こじゃれた店はたちまちSNSで拡散し、立地によらず女性が集まる.

女性たちはここで議論する.

高知ではすべて自分が中心であり、他人も自分と同じ考えで当り前と思っている.

したがって男性の居酒屋と同じで、これは「議論」ではなく、自分の意見表明の場である.

男女とも、皆に自説を大声で話すのがうれしいのだ.

高知では、忖度、調整、摺合わせなどあり得ない.

喧嘩別れになりそうだが、お互いに相手の大将の「お山」を心得ているので、そうはならない.

 

4.看板のない店

 

高知の女性の夢の一つは、自分で喫茶店を開くことである.

お金儲けではなく、みんなと楽しく話したいから、という.

気楽な!と思われるかもしれないが、実はそのような店が望ましい.

高知の店は主客共に楽しむことが基本である.

県外のお客を高知市内の料理屋に招待した.

お客を差し置いて仲居さんがぐいぐい呑むので、目を丸くした.

 

(土佐山田の日本料理店)

 

看板など無くてよい.

わからなければ訊いてくればよい.

これが真の高知の飲食店である.

 

 

(おわり)

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高知学総集編1 高知県民の行動

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2018年10月20日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学100 いごっそう・はちきんと高知県民の行動.高知学総集編1

おかげさまで高知学の記事が100編となりました.

これを機会に、総集編として、よく読まれた記事を中心にしながら、改めて「高知学」を見直してみます.

最初は、高知県民を特徴づける「いごっそう・はちきん」です.

どこでもそうですが、そこに生まれたときから長く住んでいると、それが当たり前であって、特段変わってはいないように思う事柄があります.

しかし他所から来ると、その土地で当たり前のことであればあるほど、そこに異質さを感じます.

自分も高知に来た当初、「異文化との接触」に毎日が驚きでした.

22年過ごすうち、段々それを普通に思うようになってきたのですが.

 

(ピンクの部分をクリックすると関連記事にリンクします)

 

2018年10月17日 最終版

 

 

1.いごっそう・はちきんとは何か

 

一般に、高知の男性は「いごっそう」、女性は「はちきん」を自称している.

いごっそうとは頑固な男、はちきんとは活発な女を意味している.

それが愛すべき段階で留まっていればよいが、最高レベルになると問題を起こす.

 

(突然狭くなる道.何年経っても変わらない)

 

高知の道を走ると、突然狭くなったり、新道の建設が途中でストップしている光景によく出会う.

これにはいごっそうが関わっていると見てよい.

どの地域でも用地買収がこじれることはある.

しかし人口当たり、面積当たりでのこの光景は、日本で断トツではないだろうか.

自分が知っている範囲だけでも、近くの国道を始め5件はあり、解決の目途を一向に聞かない.

地域の事情通は「ああ、あそこは無理だね」と片付けている.

日常的な風景なのでだれも気に留めていない.

いごっそうは前向きであれば、幾多の困難があっても自分の信念を貫く、ということになる.

一方で「わしはいごっそうじゃきに」と、誰にも耳を貸さない免罪符となっている.

ではなぜ高知にいごっそう、はちきんが生まれたのか.

それは狩猟民族の土地だからである.

 

2.いごっそらーめん

 

(いごっそらーめん)

 

高知東部に「いごっそらーめん」の店がある.

最初知り合いに道を訊いたら、「車が沢山止まって整理のガードマンがいるのですぐわかる」と言われた.

大将は高知の出身で奈良で店をしていたが、あまりの人気で身体を壊しそうになり、ご夫婦で戻って来たという.

キャベツを縁にかけた茹湯の加減、網を振って湯を切る回数、冷蔵庫から出してモヤシを一袋破いて入れる手さばき、すべてが一定に間断なく繰り返される.

といって「俺のラーメンは黙って食え!」などと言う頑なな「職人」ではない.

また「秘伝のたれ」などとやたら効能書きがあるわけではない.

すべてがお客に旨く食べてもらおうという発想からきている.

「命がけで握っている」と評された寿司職人がいたが、同じである.

仮にもう10秒さますとより旨くなる(あり得ないが)、という「新発見」があれば、大将は間違いなくそうするであろう.

高知にはさらに、山の温泉、ご夫婦のとんかつなど、心が暖まる、いごっそう・はちきんが現れるのだ.

 

3.坂本龍馬

 

高知県民が愛してやまない坂本龍馬、龍馬はいごっそうなのだろうか.

 

(龍馬の生まれたまち記念館)

 

龍馬の目指すところは、現在の世の中が抱える問題を解消して新時代をつくる、ことであったといってよいであろう.

一貫しているところはいごっそうである.

しかしその狙いは、攘夷から始まり、国防、貿易、倒幕と移ってゆく.

目的のためには、旧師の武市半平太を死に追い込んだ後藤象二郎と、長崎で手を結ぶことも辞さない.

 

(長崎のグラバー邸)

 

とてもいごっそうではない.

暗殺で倒れはしたが、さらに薩長の先の大目標を考えていたのではないだろうか.

 

(津野町の吉村虎太郎像)

 

吉村虎太郎は龍馬と同じ武市門下で、脱藩を行い社会の改革を目指す.

ただ行動の規範は勤王党の尊王攘夷を徹底している.

大和の山間で天誅組を組織するが、世の流れはもうそこにない.

討死する結果となるが、これはいごっそうだ.

 

4.お山の大将

 

(越知町鎌井田)

 

いごっそう、はちきんを徹底するとどうなるか.

すべてを自分中心で考える.

結果、各人がお山の大将になる.

それぞれのお山に他人が侵入することを許さない.

 

(立札)

 

このことは高知への移住者の心得である.

と言って恐れる必要はさらさらない.

自分もその日から、即お山の大将になる.

しかし考えが違ったとしても、「お言葉を返すようですが」などと、相手を全否定する発言は厳に慎まなければならない.

大将としての自分の考えを堂々と述べればそれでよい.

相手もどうせ他人の意見など聞いていないのだ.

 

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高知学総集編 高知県民の行動2

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(おわり)

 

 

 

 

2018年10月14日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学99 手結の台風と久通の漁村.海の風景

海でも山でもよいのだが、「田舎」で暮らす特徴は、天候、気候が非常に近いことにある.

晴れれば強力な紫外線と共に太陽が照り付けるし、雨ならば逃げ場もなくずぶ濡れになる.

夏は海風が部屋を渡り、冬は北風が吹き荒む.

都会なら建物の陰や地下街があり、自然を遮ってくれる.

これがもっともよく現れるのは台風のときである.

一方、自然に限りなく近い住家は、山と海に向かう孤立した集落にある.

海に向かって訪ねてみよう.

 

2018年9月30日 最終版

 

 

1.台風

 

(大型台風の接近)

 

台風の発生は、海のうねりで知ることができる.

フィリピン辺りにあるときからうねりはやってくる.

沖にあるブリの養殖棚は、波の被害を避けるために船で曳航して、静かな湾内に引っ越す.

遠いところから来るうねりには、さらに長周期の強弱が加わっている.

大したことはないと思って海岸にいると、突然高い波に変って押し寄せてくるので、悲劇をもたらす.

 

(台風の波)

 

接近してくると、波はときに防波堤を越える.

普段は釣り人がいるのだが.

 

(手結港に砕ける波)

 

波がしらが砕け、風で潮が吹き飛ばされる.

テレビの中継で馴染みの光景である.

防災無線では「海には近づかないように」とアナウンスがある.

それでも野次馬を呼ぶので、最近の中継は「安全なところで放送しています」と注釈が入る.

場所によって、国道でも越波は通る車に降りかかるし、小石が飛んでくる.

一抱えはある岩石が打ち上げられたことがあった.

地元では危険な個所が知られている.

 

(雲の隙間)

 

やがて雲が切れ始めて、隙間に夕暮れの色が映り出す.

 

(夕焼け)

 

台風がすっかり去って、西の空は夕焼けが濃い.

 

(夜の海)

 

波が収まり、防波堤の明滅する灯りがはっきり見える.

山かげの安全な港に逃げていた船も帰って来た.

ただ増水した川から流れ込む水が、くっきり帯をつくっている.

 

(戻った海)

 

静かになった海には釣り人がやってきた.

 

(手結のシラス漁)

 

2隻の船で細かい網を引いてシラスを獲る漁も始まった.

ただ、せっかく7月豪雨の流木が片付けられてきれいになった浜には、台風による川の増水でまた新しく流木が流れ着いた.

何しろ川の上流には、流木予備軍がたっぷり残っているのだから止むを得ない.

この先何年かは続きそうだ.

 

2.久通

 

(大阪市内)

 

もっとも天候、気候に近い住家はどこにあるだろう.

それは山を背後にし、海に面した漁村ではないだろうか.

なにしろ、海、山、両方の自然に立ち向かっているのである.

中でも孤立した漁村はその感を一層深める.

高知県の西部はリアス式海岸で断崖が連続するので、このような漁村が多い.

須崎市の久通(くつう)はその一つで、高知市域にもっとも近い.

しかし、とてもそうは思えない.

 

(久通への道)

 

久通には横浪半島を通る県道から入るが、分岐点には手造りの朽ちた看板しかないので普通は見落とす.

直線距離では2kmだが、狭い道は山の中を屈曲して峠を越える.

 

(久通)

 

やがて眼下に集落が見えてくる.

意外に大きい集落で、山裾に家々が立並んでいる.

 

(久通の港)

 

港から横浪半島が見えるが、断崖の連続で、とても海に沿って道路はつくれない.

 

(集落)

 

学校の校舎は残っているが、子どもはいないので廃校である.

しかし、廃屋は見当たらないし、SUVが止まっていたりする.

そこはやはり須崎市、高知市への通勤圏になるからだろう.

 

 

高齢の方々が道端で網をつくろっている.

伊勢海老を獲るのである.

ただ余り獲れすぎると値が下がるので、まあ年金の足しだね、と笑っていた.

どこから来た、と訊くので、手結(てい)から、と答えると、伊勢海老を獲っているだろう、と言われる.

え~、見たことがない.

しかし改めて考えると、岩礁やサンゴはあるし、昔は伊勢海老の料亭もあったのだ.

 

(移動販売車)

 

峠から音楽が聞こえてくる.

高齢者が車を押して集まってくる.

移動販売車が来たのだ.

なかなかよくできた車で、車内は天井まで冷蔵、冷凍ケースになっている.

牛乳、肉、魚、何でもある.

漁村で魚でもあるまいという気もするが、毎日エビを食べるわけにはゆかない.

 

(おわり)

 

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断崖を辿る鉄板の道

室戸台地の別世界

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2018年9月21日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学98 2018年7月豪雨のあと3 高知の秘境、伊尾木川

高知で最奥、行き難い秘境は、東部の伊尾木川流域である.

最後の焼畑農業で知られる椿山も相当の山奥だが、町からは15kmほどである.

伊尾木川は最奥の集落まで46kmある.

山深い峡谷であり、2018年7月豪雨の復旧がまだ進んでいない.

1/3になる大井までは、まずまず住む人がいる.

その先も地図上では点々と集落があるが、いまどれだけ実在しているだろうか.

ゼロではないが、住人は全部で指折り数えるほどだろう.

川沿いにあった六つの学校はすべて閉校になっている.

最奥の集落である別役土居には、アメゴを養殖する人がいる.

先日の豪雨では川筋の道が全く途絶え、徳島県側から標高1,000mの駒背峠を越えて救援に向かったという.

 

(駒背峠から伊尾木川方面、下が別役土居)

 

2018年9月10日 最終版

 

1.花

 

河口は安芸市で、被害がひどかった安芸川と並んでいる.

 

(安芸市域から)

 

8月末には釣糸を垂れてみようという人も出てきたのだが.

その後の相次ぐ台風でまた濁流になってしまった.

 

(花沈下橋、2013年)

 

峡谷の入口が花の集落で、小さな沈下橋がある.

 

(崩壊した沈下橋)

 

沈下橋は、水だけなら上を流れて行ってくれるのだが、一抱えもある丸太が激流と共にぶつかると一たまりもない.

 

(森林鉄道の橋梁)

 

昔、伊尾木川に沿って最奥まで森林鉄道がつくられていた.

終点まで7時間かかった.

花には橋梁が残っている.

小川川に沿う15kmほどの長い支線の分岐点で、支線の奥にはトンネルが残っているらしい.

しかし川沿いに道はなく、狭い軌道跡を歩いて辿るしかない.

 

2.奈比賀から入河内

 

市内からコミュニティバスで15分、奈比賀(なびか)の集落である.

2014年から、付近の山腹に大工事が行われている.

 

(山腹の工事)

 

鉄橋のある迂回路がつくられたので、大規模な工事と想像したが、見たところ崩れた様子がない.

不思議に思っていたが、表面の樹林を剥がしてようやく姿を現した.

おそらく亀裂などの兆候があったのだろう.

ロープに体を預ける作業員が豆粒のように見える.

段をつくって途中に重機が上げられている.

 

(入河内)

 

30分弱で入河内(にゅうがうち)である.

 

(入河内大根)

 

大きい特産の大根や、地元の米でつくった「入河内」ブランドの酒など、がんばっている.

鉄筋の小中学校の建物がある.

廊下に学校の歴史を書いた模造紙が貼ってあって、外からも見える.

生徒がもっとも多かったのは1956年の219人である.

次第に減少して1から3人の時代が続き、やがて0になったが、転入した人の子どもが一人入って復活した.

しかしこの子が転出して再び閉校になっている.

 

 

3.大井

 

(伊尾木川、2017年)

 

川は広い河原の中を悠々と流れている.

 

(川岸の道路)

 

川岸の道路は増水によって下がえぐられた.

広い河原は、遠い過去から流され続けてきた岩石が埋めてできているわけだ.

その意味で「災害」も長い川の歴史の中の一コマではあるのだが.

 

(大井)

 

一日3本あるバスで37分の集落が大井で、まずこの辺りが日常的に住む限界だろう.

郵便局もある.

10年前、森林鉄道の築堤で絵を描いていて、足を踏み外して転落、骨折した思い出の地である.

ただその時は明るい山村、というイメージだったのだが、今回何か寂しさを感じてならない.

集落に入ってみると、やはり空き家ができているのだ.

稲田に鹿よけの網をかけているご夫婦に出会った.

ご主人は郵便局長をしていたそうで、「この土地のことなら何でも聞いてくれ」と言われる.

あれこれ話す中で、「道は雨の後は落石が多くて危険だ」という.

確かにそうで、以前この奥で落石に乗り上げ、タイヤを切り裂いた.

この後、落石を見ると車を止め、同乗の家内が先回りして石をどけたが、見回りの車の職員に感謝された.

 

4.ダムから別役へ

 

大井の先はまだ通行止で、今回はここまで.

以下の写真は2017年のものである.

 

(伊尾木川ダム)

 

渓谷が狭まったところに、1954年につくられた発電用の伊尾木川ダムがある.

古いのでダム湖は岩石で埋まり、湖というより池に近い.

森林鉄道の鉄橋が一連残っている.

岩石や流木がダムを越えてくることはないから、下流のものはこの下で発生したものである.

 

(ダム湖の秋)

 

このときに浮いているものは、流木ではなく落葉であった.

 

(別役、防災のため水路を開削中)

 

最奥の集落が別役である.

あるお宅では、木々や岩を配した斜面に清冽な谷川の水を引き、滝や流れのある庭をつくっていた.

折々趣向を変えるのか、ツルハシやバールが置いてあった.

 

 

(バスの終点)

 

デマンド運行で、月1回来るか来ないかというバス停のところが最奥のお宅である.

この先で道は峠に上る.

しかしこの辺りでも山上にはいくつかの集落があった.

「天ノ郷」など地図を見れば、険しい尾根を上った標高800mに田畑が開け、わずかの家がある.

車道はなく、名前の通り外界と隔絶した世界である.

地元で訊いたところ、「もう山の上からはみんな下りた」ということだった.

 

(茗荷)

 

支流の横荒川にも森林鉄道の支線があり、茗荷(みょうが)の集落があった.

いま鉄道の橋や護岸は崩れ、丸太が渡してある.

作業所や家々は暗い樹林の中で半ば崩れ、ひと気のない夕暮れで鬼気さえ感じる.

 

(砂防ダム)

 

奥では、あちこちで大規模に砂防ダムの建設が行われている.

住民の少ないところの公共工事に意義があるのか、と思う人がいるかもしれない.

しかしこれらがあったればこそ、被害がいまの程度で済んだのである.

なければ茗荷のような死の谷が次第に広がり、下流の町の洪水となり、濁水は海一面に広がり漁業を壊滅させる.

山を包む薄皮の森林が、我々の生活を左右している.

 

(おわり)

 

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椿山、最後の焼畑農業

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2018年9月1日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一