高知学82 車で辿る歩きへんろの道 2 .30番善楽寺から32番禅師峰寺

四国遍路88ヶ所の旅の原点は、昔からの歩きへんろである.

遍路道の総延長は、約1,100km.

長いように思えるが、日本橋から京・三条大橋まで、東海道53次は約500km、中山道は少し長かった.

昔の人にとっては、東京・京都を往復する程度の距離で、驚くほどではない.

33、53、88、100などと数値目標があると、達成したくなるのが人情である.

しかし、楽しいのはその過程である.

百名山登頂は目標であるが、ヘリコプターで行ったのでは意味がない.

登山することに楽しみがある.

 

(植物園の中をへんろ道が通る)

 

四国遍路も同じで、88のスポットに行けばよいというものではない.

道中に意味と楽しさがある.

その点で歩きへんろは、もっとも充実した長い旅である.

偉そうなことを言ったが、目下足に歩き通す自信はない.

横着をして、歩きへんろの道を軽自動車で辿る.

 

 

2017年12月15日 最終版

 

1.善楽寺

 

29番国分寺から、約7kmで30番善楽寺に着く.

隣接して、夏祭り「しなね様」で高知市民に親しまれる土佐神社がある.

長い参道と立派な社殿である.

江戸時代では神仏が融合していて、寺もあったが、札所はこの神社であった.

明治になって神仏が分離し、寺は廃棄された.

その後いろいろな経過を経て、今の善楽寺がある.

 

(善楽寺)

 

金色に塗られた柱のコンクリートの本堂、入口に立つ大きな石像など、市内の寺院らしい.

 

2.善楽寺から竹林寺へ

 

(五台山から見た高知市東部、右端の森が善楽寺)

 

へんろ道は、歩きへんろ地図によれば、真っ直ぐ南下する.

行く手に次の五台山が見え、最短距離である.

しかし、この辺りはいくつかの河川が合流していて、昔は沼の多い湿地帯で、通行困難であった.

近年でも豪雨で水没し、国道の車が流され、ドライバーはガソリンスタンドの屋根に登って難を免れた.

鉄道はこの地を北に迂回している.

昔のへんろ道も同じように迂回していて、高知城下に向かう.

高知駅の東で、江ノ口川の山田橋を渡る.

時々通るが、どうということはない地域である.

 

(山田橋を南から)

 

しかし、昔は重要な場所であった.

写真の左、西側は高知城下であり、右は水田が広がり、城下の内外を分けていた.

番所があって手形を改め、城下に泊まる場合は、番所の指図に従う.

庄屋がつくった手形には、病死したときは土地で埋葬していただき、こちらに知らせる必要はありませんと記している.

右の城下外には、岡田以蔵などが処刑された獄舎もあった.

 

(堀川)

 

道は東に曲がり、堀川に沿う.

高知城は小山の上だが、高知市域は川の中州のような土地である.

いくつかの河川や改修した流れ、人工の掘割が複雑に入り組む「水の都」である.

 

(絶海のへんろ道)

 

五台山山麓の絶海(たるみ)集落を登り口に向かう.

道は次第に狭くなり、軽がやっとになり、ついに車の通行が不能になったところに登り口がある.

 

(竹林寺登り口)

 

31番竹林寺は標高130mの五台山の上で、小登山である.

登ると牧野植物園の中に出て、へんろ道は園内を通っている.

遍路にも歩きのツアーがあり、全行程を通す仕組もあるようだが、要所だけ歩くものもある.

丁度、ツアーの人たちが歩いていて、高齢の方もいるが、元気なものだ.

ただ、金毘羅さんは標高差175mを765の石段で登るので、それよりは楽だが.

 

(竹林寺)

 

五台山竹林寺は、高知市内に近く見晴らしもよいので、観光地である.

折柄紅葉のシーズンで、お遍路さんより観光客が多い.

 

3.竹林寺から禅師峰寺へ

 

(五台山を下りて)

 

遍路は普通1番から順に始める.

一方「逆打ち」という、88番から逆方向に回る歩き方があるが、この方が難しいと言われている.

五台山から階段を下ると、下に昔のへんろ石がある.

逆打ちではこれが登りの目印だが、古びて黒く、注意していないと見落としてしまう.

 

(下田川)

 

振り返ると竹林寺の五重塔が見える.

下田川は浦戸湾に近く、大潮ではかなり水位が上がるし、津波の心配もあり、堤防は高い.

川をその名も「へんろ橋」で渡り、集落に入る.

 

(唐谷のへんろ道)

 

お遍路さんに出会った.

迷惑の極致だが、軒先に避けていただいたので、深く礼をして通り過ぎる.

 

(高知市吹井)

 

青空の下で「冬の旅」を続けたが、陽が傾き始めた.

道は小さな峠をトンネルで抜け、ニュータウンを通って、浜通りに出る.

竹林寺から禅師峰寺は5.7km、あと少しである.

 

 

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(おわり)

高知学81 車で辿る歩きへんろの道.28番大日寺から30番善楽寺

友人、知人で、四国に行って88ヶ所を回ったよ、という人は結構多い.

ほとんどは車である.

しかし高知のあちこち、思いがけないところで、白装束のお遍路さんの歩く姿を見かける.

どんなところがルートになっているのだろう.

どんな景色を見て歩いているのだろう.

高知市の近郊、28番大日寺から29番国分寺を通って、30番善楽寺までの歩きへんろ道を辿る.

 

2017年12月6日 最終版

 

1.歩きへんろの道

 

(大日寺から国分寺へ.香美市松本)

 

遍路では、今いる寺から次の寺まで、時間を要せず、安全、かつ快適に移動しなくてはならない.

車ではカーナビを使うのが普通である.

最短距離、最小時間とは限らないが、運転のし易さから、国道、県道を通るルートが表示される.

歩く場合はどうか.

一般に「へんろ道保存協力会」が出版する地図帳、「四国遍路ひとり歩き同行二人」が使われる.

相当するモバイル版もあって、GPSを受信すれば、現在位置と共に進むルートがわかる.

ただし、カーナビが全面的には信用できないのと同じく、状況に応じた自己判断は必要である.

なお、自分は地形が判る地図が好きなので、1/25,000の地形図に上記を記入している.

偉そうなことを言ったが、20年前なら一日30kmは歩けたが、今は自信がない.

気が引けるが、軽自動車で、歩きへんろ道を辿る.

本当の歩きへんろさんには迷惑だが、農作業に来たとして許してもらおう.

 

2.大日寺

 

(野市駅)

 

土佐くろしお鉄道、ごめん・なはり線、野市(のいち)駅をスタートにする.

香南市野市は高知市から30分で、高知でもっとも賑やかな近郊である.

スーパー、ドラッグ、ファミレス、ファストフード、紳士服、ビジネスホテル、温泉があり、基地になる.

徳島県内の1番札所からここまで、全行程1,100kmの約1/3を歩いたことになる.

高架の線路下を北に向かう.

 

(大日寺下)

 

2km足らずで大日寺の下に着く.

貸切バスはここまでだが、小型車は右に山を上がることができる.

 

(大日寺本堂)

 

どこでもそうだが、札所の寺は独特の雰囲気である.

歴史的な堂塔は少ない村の寺で、有名寺院のような荘厳さはない.

しかし、いつ行っても誰かお遍路さんが居て、お経をあげている.

親しみ易く、庶民的ということになろうか.

 

(お参りを終えて)

 

多くのお寺の前には、遍路用品の店や休憩所がある.

 

(遍路用品)

 

手ぶらで来ても、一式揃えて「遍路姿」に変身?できる.

 

3.大日寺から国分寺

 

(物部川)

 

大日寺を出て少し行くと物部川に出る.

今は橋があるが、昔は渡渉であった.

ただ、その頃高い堤防はなく、河原があちこちに広がり、水は浅かったと思われる.

増水の時は、野市に戻って渡し舟を利用した.

 

(昔のへんろ石)

 

向う岸からへんろ道が続くが、集落に沿って判り難い.

古いへんろ石が目印である.

 

(保存協力会のへんろ石)

 

新しくつくられたへんろ石がある.

電柱に貼られたステッカーもあり、注意していれば迷うことはない.

 

(舟入川)

 

舟入川を渡る.

江戸時代に、野中兼山が整備した水路で、上流の木材を運び、船が連なって行き来した.

曲がり角に昔のへんろ石があり、お腹を満たす「へんろ石饅頭」が売られている.

9kmほど歩き、国分寺に着く.

 

4.国分寺

 

(本堂)

 

国分寺は由緒があり、聖武天皇が建立した土佐国分寺の跡にある.

本堂は1558年に長曾我部氏が建てたもので、さすが重要文化財である.

 

(山門から)

 

4.善楽寺へ

 

(国分寺を後に)

 

車道は山門の前を左右に通っているが、へんろ道は真っ直ぐである.

「四国のみち」の木の道標があり、へんろ道も同じく直角に曲がるのだが、先は畦道だ.

車は行けそうにないし、Uターンもやり難いので、バックで元に戻る.

なお、「四国のみち」はいわゆる「自然歩道」で、国交省または環境省、2種類がある「県道」である.

重なる場合もあるが、へんろ道とは一致していない.

へんろ道を自然歩道にして良いような気がするが、特定宗教に寄るのはよくないのだろうか.

 

(国分川)

 

この先しばらく、車は通行不能のへんろ道が続くが、それだけ歩くには快適である.

国分川の堤も、対岸がへんろ道である.

 

(逢坂峠の道)

 

やがて上りになって、逢坂峠に向かう.

右の山の上に、コンクリート塀で囲まれた高知刑務所がひっそりと立つが、標識はない.

 

(逢坂峠から)

 

峠から高知の市街が見える.

1番札所を出てから始めて見る街である.

 

(善楽寺へ下る)

 

通行の多い道路に入るが、歩道がしっかりしているので、支障はない.

坂を下ると善楽寺だ.

 

(おわり)

 

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四国歩き遍路

室戸岬と室戸の寺

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参考にした図書

・宮崎建樹:「四国遍路ひとり歩き同行二人」、へんろ道保存協力会

・眞念、訳注稲田道彦:「四國徧禮道指南」、講談社学術文庫、2015年

・頼富本宏:「四国遍路とはなにか」、角川選書、2009年

 

2017年12月1日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

80 早明浦ダムの地域.鉱山町大川村、瀬戸エメラルドの渓谷

早明浦ダムは、高知から徳島に流れる、吉野川にある大きいダムである.

夏の渇水で干上がった湖の写真が全国に流れ、高知は水不足のようだが大丈夫か、などと訊かれる.

その地域にある大川村は、かつては人口4,000人の村であったが、現在は400人である.

村議会の存立が困難であるとして、村民総会に変える方向で、これも全国的に知られることになった.

仁淀川は、澄んだ青色の「仁淀ブルー」で有名である.

一方、早明浦ダムに流れる瀬戸川も、「瀬戸エメラルド」の川である.

 

2017年11月23日 最終版

 

 

1.早明浦ダム

 

(早明浦ダム)

 

早明浦ダムは1975年の完成で、その貯水量は、全国でベストテンに入る.

そこに貯められた水は、徳島48%、香川29%、高知4%の割合で配分される.

徳島は、吉野川が大歩危、小歩危を通って、もともと県を縦断しているのだから当然である.

高知にあるが、自分の使用量はたった4%である.

高知各地で十分に雨が降るから、干上がっても心配には及ばない.

結局、吉野川とは何の関係もない香川が、言葉は悪いが「横取り」しているので、香川県のためのダムと言ってもよい.

 

(早明浦ダムの夕暮れ)

 

2.大川村

 

早明浦ダムの地域は、本山町、土佐町、大川村である.

本山町が土讃線大杉にもっとも近い.

「土佐町」はその西に隣接しているが、あまりにも漠然とした名である.

海岸近くには「土佐市」もあり、高知県民でも正確な場所を言える人は少ないのではないか.

 

(ダムから見た土佐町)

 

大川村には、土佐町からダムの上に登り、ダム湖の縁を延々と辿って到着する.

 

(大川村中心部)

 

中心部と言っても、役場、農協、二三の店と、湖底から移転の集合住宅がある程度である.

対岸には小中学校がある.

運動会に向けて、全校生徒が一輪車を練習している.

少ない人数が屋外で運動できるから、いい種目である.

やがて5時のチャイムが鳴り、生徒は通学バスで帰る.

先生方は残務を片付け、高速を通って高知市内に帰る.

 

(大川村小中学校)

 

ダム本体は、本山町、土佐町にまたがり、両町には固定資産税が入る.

大川村は前に水があるだけで、割りを食っている.

先日、静岡県の大井川上流に行ったが、井川ダム湖は、豚骨ラーメンに等しい白濁した水であった.

それでも、カヌーやトレッキング客で賑わっていた.

早明浦は透き通ったとまではゆかないが、きれいな水である.

 

3.白滝鉱山

 

この地の3町村、入り混じっていて、部外者には特段に境界が感じられない.

しかし、かつては大川村がもっとも豊かであった.

それは白滝鉱山があったためである.

四国の背稜となる山々は、銅が堆積した海底が盛り上がってできた地層である.

別子は別格だが、いくつもの銅山があった.

白滝はその一つである.

 

(白滝鉱山、学校跡)

 

大川村中心部から北に山道を5kmほど上る.

やがて鉱山のあった山が見えてくる.

鉱夫が細々と手で掘っていたのではない.

江戸時代からの鉱山であるが、大正時代に近代化を進めた.

最初はこの地で精錬を行ったが、亜硫酸ガスによる煙害を起こしたため、鉱石のまま大分へ運んだ.

標高1,400mの山を越え、川之江まで20km余りの索道を建設した.

索道はスキー場のリフトと同じで、循環するロープに200kgほどの鉱石を積んだバケットを次々に繋いで運ぶ.

距離が長いので、3区間に分かれていたと思われる.

4、5km離れた東西にも鉱山があって、やはり白滝まで索道で輸送していた.

坑道内の高低差は1,000mあり、坑内は電気機関車で輸送した.

最盛期は年間12万トンを産出し、ここには2,500人ほどの人が生活した.

学校、診療所を始め、商店、料理屋、映画館、パチンコ屋、銭湯があった.

しかしグローバル化に伴い、コストで海外に太刀打ちできず、1972(昭和47)年に閉山となり、住民はゼロとなった.

大川村は、炭鉱の夕張と同じ境遇なのである.

 

(白滝の茶店.向こうの斜面に坑口があった)

 

鉱山の施設や住宅は山の斜面を埋め尽くしていたのだが、跡形もない.

学校は林間学校の施設になっている.

ところどころの平地には、地鶏や牛の飼育施設がある.

香川県がダムの恩義を感じるなら、肉うどんは大川の牛、骨付鶏は大川の地鶏を使ってよいと思うが.

 

(大川村水谷)

 

白滝鉱山がなければ、あとは1軒、2軒と残る山の集落である.

水谷にも、かつて白滝に繋がった鉱山があったのだ.

 

4.瀬戸川

 

大川村中心部の対岸に支流が流れ込んでいる.

瀬戸川である.

ただし、ここは土佐町である.

川の上流は、白色や薄青色の岩石で埋め尽くされている.

適宜な大きさ、形状といい、さながら庭石展示場のようであるが、河川保護のため、採取は禁じられている.

渓流には、地元でつくった休憩所や遊歩道がある.

昔は川に沿って森林鉄道があった.

 

(瀬戸川の谷)

 

 

(瀬戸川の川原)

 

(瀬戸エメラルド)

 

ところどころの渕は、透き通ったエメラルドグリーンである.

「瀬戸エメラルド」だ.

岩石の谷で泥がなく、川底が真っ白な石や砂でできているためであろう.

 

(おわり)

 

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2017年11月22日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

79 四万十川の中流.北に南に迷走する流れと沈下橋

四万十川は、上流、中流、下流に分けることができる.

源流から上流をたどってきた.

南に向かってきた川は、海には流れず、突然に窪川で直角に方向を変え、山の中を西に向かう.

江川崎で、再び南に向きを転ずるまでを中流とする.

中流はひどく屈曲する流れと、数多い沈下橋が特徴である.

 

2017年11月1日 最終版

 

 

1.四万十の流れ

 

(窪川.左の山裾が四万十川)

 

窪川から西に進むと沈下橋が現れる.

 

(若井沈下橋)

 

四万十川は、この辺りで海とたった6kmしか離れていない.

一方、標高差は200mあるから、本来なら見応えのある激流と瀑布で海に落ちるはずだ.

そうならないのは、海岸との間にある山が邪魔するからである.

川が侵食しても、それよりも山の隆起が大きく、破れない壁をつくっている.

四万十川は止むなく海から離れ、壁に沿って西に向きを変える.

流れたくない平地を、だらだらと流れる結果になる.

そのため、アマゾンやミシシッピーと同じく、甚だしく蛇行する川になる.

屈曲の頂点は、地図で見るとタコの頭形をしている.

 

(大正.流れは左から右へ反転)

 

(里川沈下橋)

 

四万十川は、源流の渓谷を出た辺りの標高が450mで、そこから河口までは190kmある.

平均すると1kmで2.4mの緩い傾斜である.

水はけがよくないので、雨が降るとすぐに水位が上がる.

そこで潜ってもよい沈下橋がつくられた.

今では大規模な工事で、橋は高いところにある.

 

2.家地川ダム

 

(家地川堰)

 

四万十川にダムがないわけではない.

家地川ダムである.

ただし、ダムの定義は「堰堤の高さが15m以上」なので、8mだから「ダム」ではなく「堰」である.

取水された水は、海岸に近い佐賀発電所に落される.

 

(佐賀発電所)

 

たった8mの堰なのに、発電所が得る落差は150mである.

四万十川を高台に留めている壁があればこそだ.

もし壁がなければ、この鉄管と同じ高さの滝が出来ているはずだ.

「ダムがない清流」を裏切るとして、家地川ダムは評判が悪い.

しかし、流水量の調節と共に、これまでの流域で水質が悪化した水を流す効果があるとされている.

 

3.予土線

 

四万十川中流には、窪川から宇和島に至るJR予土線が平行している.

一方、窪川から宿毛まで、海岸を土佐くろしお鉄道が走る.

窪川から一駅先の若井で、両線が分かれる.

 

(予土線・土佐くろしお鉄道の若井駅)

 

宇和島から予土線に乗ったとき、若井で「宿毛方面はこの駅で乗換え」とアナウンスしていた.

しかし特急は止まらないし、リーゾナブルに接続する、くろしお鉄道の普通列車は皆無である.

アナウンスやネット案内を信じると、ひどい目に会う.

(川奥信号場)

 

若井で両鉄道が分かれるとしたが、実際には一つ西の、川奥信号場で分岐する.

ただし、旅客扱はしていない.

土佐くろしお鉄道は、ここからループ線を下り、この駅の真下に出てくる.

四万十川が延々と河口まで流れるだけの標高差を、一気に縮めるのだ.

 

(三島沈下橋)

 

予土線の窪川・江川崎間は、1974(昭和49)年の開通である.

新しいから線路は新幹線的で、屈曲した四万十川を、トンネルと鉄橋で直線的に横切っている.

そのため、トンネルを出るごとに、川の流れが逆になる.

 

4.沈下橋

 

新しい橋ができて用済みの沈下橋もあるが、多くは今も生活道路として使われている.

 

(上宮沈下橋)

 

橋の上で写真を撮っている間、待ってくれていた軽のお母さんは、赤ん坊を胸に抱いて運転していた.

車を止めた若いお父さんと小さな女の子は、川に沈めた網を探っている.

川エビだろうか.

 

(沈下橋から)

 

沈下橋にはいろいろの形がある.

 

(上岡沈下橋)

 

 

(茅吹手沈下橋)

 

茅吹手(かやぶくて)は1970年の建設で、最新の沈下橋ではないだろうか.

幅は広く、見るからにがっちりとしている.

 

5.旧道

 

四万十川沿いの国道は2車線で、予土線と同じく、屈曲部をトンネルと橋でショートカットしている.

窪川・江川崎間は1時間ほどである.

しかし昔、予土線がない頃、この間を連絡する国鉄バスは3時間半かかっていた.

屈曲する四万十川の岸を忠実にたどっていたからである.

 

(昭和付近の旧道)

 

今もこの旧道を、のんびりと辿ることができる.

1車線で広くはないが、バス、トラックが通っていたのだから、極端に狭いことはない.

瀬に沢山の棒杭が立っている.

何かと思って寄ると、一斉に飛び立った.

魚を狙う水鳥だった.

 

(水鳥の群れ)

 

(刈り入れ、上宮)

 

稲田では最後の刈り入れである.

豊かな風景ではあるが、森では二人の男性が罠の檻を組み立てていた.

イノシシやシカで収穫にならないという.

 

6.江川崎

 

十和の道の駅は栗のシーズンである.

川に面したデッキでモンブランを賞味する.

 

(四万十とおわ)

 

「中流」の終り、江川崎の駅に、新幹線型のホビートレインがやってきた.

 

(江川崎駅)

 

四万十川は、梼原川などと合流して次第に川幅が広くなっている.

江川崎では愛媛からの広見川が加わり、悠々と流れる.

 

(江川崎.右はホテル星羅四万十)

 

窪川を出たのは12時だったが、あちこち歩くうちに山峡は日暮れてきた.

 

 

(おわり)

 

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2017年10月28日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

78 高知の観光船.のどかな浦戸湾と、スリルの足摺岬

あまり知られていないが、高知にも海の観光船がある.

浦戸湾と足摺岬で乗ってみよう.

・陸の展望台から見下ろすのと、海面から見上げる眺めは違う

・道路は必ずしも海岸を通っていないので、見る場所は限られる.

・陸では足が地に着いているが、海では波任せで揺れる

浦戸は入江なので揺れはしないが、足摺は波が荒いと欠航である.

そこが怖いという人と、スリリングだという人に分かれる.

 

2017年10月16日 最終版

 

1.浦戸湾

 

(高知市街)

 

高知市は太平洋に面しているイメージだが、実際は7km離れた浦戸湾の奥にある.

写真のアーチ型の橋の、左のたもとの先に見える森が高知城である.

かつての城下は、この橋の右奥一部だけであった.

国分川と鏡川の合流地点にあり、周囲は山と川と湿地に囲まれている.

龍馬の時代、狭い空間に様々な階級が暮らし、何かとストレスが大きかったことだろう.

 

(浦戸湾)

 

浦戸湾は、中がくびれたひょうたん型になっている.

その先に太平洋が見える.

桂浜は彼方の山の左端である.

 

2.浦戸湾観光船

 

(観光船、右は巡視艇)

 

観光船は昔、蒸気船のためにつくられた、埋立地の桟橋から出る.

向うはセメント工場だが、生産を止め、石灰石の搬出に使われている.

 

(船から見た市街)

 

湾には島や暗礁が多く、あちこちに浮標がある.

航行の妨げになるので、爆破された島もある.

 

(湾の最狭部)

 

「よさこい節」の月の名所は桂浜だが、実際は山越えで遠く、この辺りでの月見が多かったようだ.

 

(造船所)

 

昔は松林が連なっていたが、東側は埋め立てられ、造船所や市場がある.

湾内では、1メートルを越える巨大魚のアカメも釣れる.

ボラも跳ねている.

 

(クルス)

 

湾には干潟が広がっていて、大きい船は湾内に入ることができなかった.

1596年、メキシコに向かっていたスぺインの大型帆船、サン・フェリペが台風で遭難し、土佐沖を漂流した.

長曾我部元親がこの付近に誘導、擱座させる.

積荷は入手する(当時の日本で救助の際のルールであった).

乗員の事情聴取の中で、スペインは宣教師を前に立てて、領土を拡張しているという発言があった.

報告を受けた豊臣秀吉は、切支丹弾圧に乗り出し「26聖人」を磔にする結果となる.

この辺りを「クルス」と呼んでいるのは、ここに由来するとされる.

坂本龍馬は「大政奉還」が不首尾に終わった場合、クーデターも決意していた.

長崎でライフル銃1,000挺を購入し、土佐の板垣退助が率いる藩兵に届けた.

その時もここで積替えた.

暗殺の1か月余り前である.

 

(浦戸大橋)

 

湾口には1972年、東西の海岸を結ぶ浦戸大橋が架けられた.

 

(桂浜)

 

観光船は桂浜に近づく.

海から見ると大きい浜ではないが、前は太平洋である.

蒸気船が夢でなくなり、狭い城下と浦戸湾を出て、日本各地を行き来し、万国と応対する.

龍馬を始め一党は、これからの活動に胸を躍らせつつ離れたことだろう.

 

3.渡船

 

(御畳瀬の渡船)

 

浦戸大橋は車は便利だが、歩道はないに等しいし、バイク、自転車もつらい.

そのため、昔からあった湾口の御畳瀬(みませ)と種崎を結ぶ県営渡船が、今も運行されている.

1時間に1本、5分の航海で、無料である.

32番禅師峰寺と33番雪蹊寺を結ぶルートなので、お遍路さんもよく利用する.

 

(浦戸大橋)

 

(種崎)

 

津波警戒のため、桟橋の扉は常に閉ざされ、乗降の時だけ開かれる.

 

 

4.足摺岬

 

(足摺岬)

 

足摺岬の展望台には、NHKの遠隔操作カメラがあって、天気予報や台風中継でお馴染みの景色である.

海から見るとどうだろう.

観光船が運行されている.

 

(海上から見た足摺岬)

 

(観光船)

 

船は漁船である.

当日の天気予報では波高1.5mで、高知の海で普通である.

縦横に揺れるが、遊園地の設備のように、悲鳴を上げるようなものではない.

船長さんによれば、凪ならば更に岬に近づけるそうだ.

 

(岩壁)

 

岩壁は荒波で侵食され、脈理が浮き出ている.

秋は磯釣りでグレのシーズンである.

 

(洞窟)

 

足摺岬には洞窟も多い.

ただ狭いので、カプリ島のように通り抜けはできない.

夕陽が洞内に一直線に射す日があるそうだ.

 

(臼碆)

 

船の先に、突き出た臼碆(うすばえ)が見える.

黒潮が最初に陸に当るところというのが頷ける.

 

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(おわり)

 

 

2017年10月12日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

77 高知の山で産業を見る.壮大な発電所と鉱山

山の産業というと林業だが.

しかし、エネルギーを生み出す発電所は、山の中に多い.

また、生活に欠かせない資源をつくる鉱山は、山の中である.

高知のこれら産業の現場は、ダイナミックである.

風力発電所、鳥形山鉱山、揚水発電所を訪ねる.

 

2017年9月29日 最終版

 

 

1.風力発電

 

(葉山風力発電所)

 

須崎から梼原に至る国道197号線で津野町を通ると、山に風車が並んでいるのが見える.

標高1,000mにあるので、60kmほど離れた自宅からも晴れた日には見え、双眼鏡では回っているのがわかる.

 

(山の上)

 

風力発電機は、1台1,000kW(1MW)のものが20基あるので、合計2万kWである.

小さいダムの水力発電に等しいが、風のないときは動かないし、強風の時は破壊されないように停止する.

一般に風力発電機の稼働率は40%以下とされるので、それなら8,oookW以下である.

1基なら400kWで、四万十川沿いに大正時代につくられた、小さな松葉川水力発電所に近い.

それに比べれば、取水や水路が要らないから簡単である.

 

(風力発電)

 

今日は風が良く、ヒュンヒュンと音を立てて回っている.

実はこの発電所は四国電力のものではなく、電力自由化に伴って大阪ガスが建設したものである.

 

(風車の基部)

 

1基が点検作業中であった.

高さは60mで、エレベータがあるという.

いま上昇中だそうで、開いた扉から電子音が聞こえてくる.

タワーの先端は揺れるだろうし、足元を見るのは、想像しただけでも怖い.

 

2.鳥形山

 

(鳥形山鉱山)

 

高知と愛媛の県境である、四国カルストに近いところに鳥形山がある.

ここは年間1,345万トンを産出する日本最大の石灰鉱山である.

石灰は高炉での鉄の生産に欠かせない.

新日鉄が採掘し、千葉の君津製鉄所に運ばれる.

 

(鳥形山)

 

鳥形山は順次上から削られ、標高1,200mのところで採掘が行われている.

自宅から平らになった山頂と、なだれた岩石がよく見える.

上ることができるが、裏からになり、採掘の現場は見えない.

 

(ゲート)

 

一帯は発破があり、危険で立入りができない.

 

(風力発電所から見た鳥形山)

 

しかし、葉山風力発電所からは、全体がよく見える.

12時、発破開始のサイレンが鳴る.

やがてドンという音と共に、白煙が上がった.

というのはウソで、5km離れているので、白煙が上がって15秒で音が届く.

 

(なだれ落ちる岩石)

 

端の方が崩され、岩石がなだれ落ちる.

180トンダンプが動いているはずだが、ほとんどわからない.

 

(須崎湾)

 

風力発電所から、須崎湾が見える.

石灰岩は須崎まで、この山々をトンネルで貫いた、24時間運転のコンベヤで運ばれる.

 

 

(積替所)

 

コンベヤは9区間に分かれていて、谷間に出たところに積替所がある.

 

3.揚水発電

 

高知から愛媛県西条に至る国道194号線、寒風山トンネルの近くに、本川揚水発電所がある.

一定出力で運転する原子力発電所を始め、使用量が減る夜間には電力が余る.

電池に充電して貯蔵する.

その電池が揚水発電所である.

水力発電所の上下に貯水池を設ける.

昼間は上から下に水を流して発電し、下に貯める.

夜になって電力が余ると、発電機をモータに切換え、逆回転させてポンプとし、下に貯まった水を上に揚げる.

本川発電所の出力は61.5万kWである.

魚梁瀬ダムの水力発電所は14.5万kWだから、格段に大きい.

普通のダムは、雨水を貯めてチビチビ使うのだが、ここでは昼間に上池をカラにしても、夜にまた満杯にできる.

本川発電所の流量は毎秒140立方メートルである.

ただ、ポンプの効率や流水の運動ロスがあるから、発電出力は、揚げるに要する電力の70%程度である.

エネルギーを使う電池だが、他にこれだけの大電力を蓄える方法はない.

 

(本川地下発電所)

 

発電所は地下300mにある.

 

(大橋ダム湖)

 

下池は大橋ダム湖で、水面下に取水・放水口がある.

壁面に水面が上下した跡が残っている.

入口から発電所まで約1km、作業トンネルが通じている.

 

(作業道)

 

地下室の長さは100m、深さは50mで、5階になっている.

地下1階は点検分解時の作業室で、2台の発電機兼モータの上端が見える.

 

(発電機の上端.手前は水車)

 

見学者のために、出力アップで不要になった水車が置いてある.

水車は25トンのステンレス鋳鋼製で、螺旋状に穴が鋳込まれ、プロペラになっている.

点検時には作業者が穴に潜り込む.

そういうと、見学の小学生は、必ず「入りたい!」というそうだ.

 

(水車の軸)

 

地下2階は発電機、地下3階では発電機と水車を結ぶ軸が見える.

その下に、案内羽根の移動機構と水車がある.

伊方原子力発電所3号機の出力は89万kW、坂出火力発電所は4基で138万kWであり、これらのバッファとなる.

一方、四国最大の西条太陽光発電所は、3.3万kW(33MW、風力発電機の33台分)である.

発電所の規模としては小さいし、夜間は発電しない.

しかし、太陽光発電所は大小各地にあるので、対応が必要となっている.

真夏の昼間、各発電所はフルに運転される.

秋口、エアコンは切られ、工場は5時に終業した.

しかし日はまだ高く、太陽光発電は続く.

そのため、吸収するよう、夕方に揚水を始めることがあるそうだ.

 

(稲村ダム)

 

車で40分山道を上がると、ロックフィルダムの上池、稲村ダムに達する.

発電所への落差は560mである.

これは黒四ダムに等しい.

ここまで水を押し上げるのだ.

 

 

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四万十川を源流から上流

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(おわり)

 

2017年9月23日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

76 四万十川を源流から下る-のどかな上流を窪川まで

四万十川のイメージは、沈下橋のある、ゆったりと流れる幅広い川である.

源流から始まり、南に向かう窪川までの上流、方向を変え西に向かう中流、そして南に河口に至る下流に分けられる.

イメージとして持たれているのは下流なのだが、上流、中流にもそれぞれの良さがある.

上流を探ってみよう.

 

2017年9月14日 最終版

 

 

1.源流

 

四万十川は四国最長の川で、源流点から河口まで250kmある.

しかし直線で結ぶと、たった60kmである.

それだけ寄り道をし、屈曲して流れているのである.

 

(源流の山)

 

源流点は、標高1,336mの不入(いらず)山にある.

昔、名の通り、藩が伐採を禁じていた.

国有林で、西側は森林鉄道が敷かれて伐り出された.

しかし、今も30%が自然林で、明治期の樹齢120年の造林地もあるという.

 

(源流点近く)

 

源流点には林道を上って行く.

品川ナンバーの車に出会ったが、行き違いは不得手のようで、こちらが後戻りした.

車道に碑があり、そこから25分登山道を歩けば、源流点に達する.

 

2.谷を出る

 

(山を出た四万十川.津野町中村)

 

四万十川の特徴は、甚だしく蛇行していることである.

流域の傾斜が緩やかで、かつ水量が非常に多いためである.

蛇行によって山は次々に削られ、土砂がその間に滞積する.

それが川沿いに豊かな水田をつくる.

渓谷を出たところだが、もう蛇行が始まっている.

 

(津野町の菓子工場)

 

津野町が名物にしている、菓子「満天の星」の工場がある.

町の急傾斜地でつくられるお茶も名産である.

カフェが併設されているし、高知市内にもアンテナショップがあり、町のなかなかの努力である.

 

3.沈下橋

 

(高樋沈下橋)

 

源流から10kmほどのところに、最初の沈下橋がある.

お母さんが子ども3人を遊ばせる、のどかな光景である.

ただ、これは地元の人だからできることである.

ここ2週間ほど雨が無く、さすがの四万十川の水量も減った.

普通なら砂利の河原がほとんど隠れていて、流れも速い.

第一、沈下橋があるのは、それを越える出水があるということである.

左の水田の際まで、浸かるのではないか.

10kmでもうこれだけの水量があるのだから、一帯の降雨は激しい.

それが豊かな森林と「最後の清流」をつくっている.

 

(久万秋、飲料水工場)

 

「四万十の水」の工場がある.

付近には自然の湧水があり、四万十の知名度を利用しただけのネーミングではない.

 

(長野沈下橋)

 

沈下橋の多くは、今も生活道として使われている.

アユやウナギを捕る姿が見られる.

 

(一斗俵沈下橋)

 

一斗俵(いっとひょう)は1935、昭和10年につくられた現存最古の沈下橋で、登録有形文化財である.

沈下橋はのどかに見えるが、付近での水遊びは極めて危険である.

川の中に橋脚の異物が立っているので、水中に渦が巻き、複雑な流れと深い淵ができる.

表面からはわからないので、よく水難事故が起きる.

ここでは、橋のたもとに大小二つの救命浮輪が置かれている.

 

4.小さな発電所

 

(水路橋)

 

道路に沿って、鉄製の構造物が続いている.

これは発電用の水路である.

 

(発電用水路)

 

四万十川に小さな堰があり、そこから引いている.

農業用水に近いが、現役で、電力会社の係員が点検を行っていた.

 

(松葉川発電所)

 

末端には、1925、大正14年につくられた発電所がある.

ここまでの落差は30m弱、長い水路で稼いできた.

最大出力は320kWで、多くのダム式発電所は2-4万kWだから、その1/100の、可愛らしい発電所である.

 

5.川に沿って

 

四万十川に沿って下るには、川の左岸(東岸)の道が普通であって広い.

これで十分にのんびりしているが、右岸(西岸)はさらにのんびりしている.

 

(右岸の道)

 

道は狭いが、通るのは地元の軽か、デイサービスの老人の送迎車くらいである.

行き違いに戸惑っていれば、向こうが気をきかせて譲ってくれる.

 

(暮れる四万十川)

 

川岸の草がなぎ倒されて茶色になっている.

先日の大雨のとき、ここまで水が来たのだろう.

 

 

(窪川、西川角)

 

小さな集落をときどき抜ける.

道に沿う用水路は、清冽な流れである.

民宿もある.

寂しければ、窪川の夜の街に繰り出すこともできる.

やがて、コンビニやホームセンターが現れ、窪川の町に入る.

四万十川はここで直角に流れを変え、向こうの山裾を流れてゆく.

 

(四万十川にかかる橋.手前が窪川の街)

 

高知に来て四万十川に行きたいという人は多い.

しかし、中村など下流に行くなら、一泊しないとハードスケジュールになる.

「上流」は近いし、沈下橋もあって、「ミニ四万十川」として十分に味わえる.

 

(おわり)

 

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コミュニティバス、仁淀川、中土佐、安芸

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2017年9月10日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

75 コミュニティバスで高知を観光3 仁淀川町、中土佐町、安芸市

市町村が運営するコミュニティバス.

地域の状況に合わせ、それぞれに特色がある.

田舎のバスだが、昔のように女車掌はいない.

しかし買物をアシストする、おばさんメッセンジャーは乗っている.

話し好きの運転手さんがいて、格好の高知の観光となる.

31路線ある仁淀川町、緑ナンバーの中土佐町、安芸市の山奥を訪ねよう.

 

2017年8月29日 最終版

 

1.仁淀川町

 

(コミュニティバスが行く.長屋)

 

仁淀川町は、高知の山間部、仁淀川流域に広がる.

仁淀川は急流の渓谷である.

川沿いに集落をつくることは困難で、山腹に家々が集まっている.

 

(国道から見上げる寺村.火曜日にバスがある)

 

町はこの12年で人口が2,200人減少し、現在は5,650人、平均年令は60.4才である.

160ある集落は散在しているので、コミュニティバスの路線は31にも上る.

それぞれが万遍なく週に1往復で、曜日が決められている.

バスは山の集落を朝に出て、午後集落に戻る.

その間3時間ほどあって、買物、通院に充てることができる.

どこでも片道200円となっている.

 

(役場のある「大崎駅」を出るバス)

 

時刻だけ見ると、バスが1週間山の上にいるようだが、もちろんそうではない.

回送で山に行き、山から戻るのである.

これはなかなか乗るのが難しい.

事前に連絡すれば、回送バスに乗れないことはないらしいが.

帰りの便は、乗客がいないと運休になる.

町には大きいスーパーがないので、まとまった買い物は、国道を走る路線バスで、越知、佐川に出る.

コミュニティバスのダイヤはその接続が意識されている.

31路線のダイヤ、乗務員の勤務体系など、その編成は大変難しそうだ.

 

(手前の桜、向こうの宗津とも、金曜日にバスがある)

 

(ひょうたん桜)

 

厳しい地域だが、山上の明るく開けた土地で、暗い印象はない.

ひょうたん形のつぼみをつける「仁淀のひょうたん桜」は有名で、たくさんの花見客が来る.

 

2.中土佐町高樋線

 

高知県内ほとんどのコミュニティバスは、市町村がその自家用車で運営する白ナンバーバスである.

ところが、中土佐町、四万十町だけは、都営バスなどと同じ、緑ナンバーの路線バス事業になっている.

事業者は有限会社の地元タクシーである.

 

(仁淀川町営の白ナンバーバス)

 

(四万十町の緑ナンバーバス.米奥)

 

事業用なら国交省の所管で、市町村営と違い、諸手続、管理など、より面倒と想像する.

どうしてそうなっているかはわからないが、既存路線バスの支線肩代わりという位置づけなのかもしれない.

 

(大野見.コミュニティバスが路線バスに接続)

 

中土佐町は、海岸の久礼と、四万十川の上流である大野見が、合併してできた.

コミュニティバスは、それぞれの地区で独立に運行され、その間に既存の路線バスがある.

大野見発のコミュニティバスは、路線バスから乗り継いできた老夫婦の家の前で止まる.

見ず知らずの我々にも、丁寧に挨拶をして降りられた.

 

(沈下橋)

 

集落を出て、小さな沈下橋を渡る.

四万十川に沈下橋は多いが、バスが通るのはここだけだろう.

 

(スーパー、みどり屋)

 

田畑の中に1軒のスーパーがある.

どうしてこんなところにあるのか、不思議に思うが、お客は多い.

名物は鶏の唐揚げだそうで、種々の味付けの冷凍パックが店内で売られている.

おばさんが一人乗ってきた.

やがてバスは1軒の家の前で止まり、出てきた主婦に刺身のパックを手渡した.

運転手によれば、おばさんはこのバスを利用して乳酸飲料の配達をやっているが、買物のメッセンジャーもやるらしい.

バスとタッグを組んだ地域生活支援である.

 

(高樋沈下橋)

 

沿線の高樋(たかひ)に四万十川最奥の沈下橋がある.

車窓からシャッターを押すと、運転手に、停めるから降りてゆっくり撮るようにと言われた.

事業用緑ナンバーだと雰囲気が違うかと思ったが、白ナンバーと何ら変わりはない.

 

(終点)

 

まもなく終点である.

バスは3方向に運行され、それぞれが週2日、一日に3-4往復走る.

根元の部分は重なっているので、日曜を除く毎日になる.

運賃は100円.

 

3.安芸市東川線

 

高知県東部の川は、山から直線的に流れ出る急流である.

その一つ、伊尾木川を安芸市のコミュニティバスが遡る.

市の時刻表では、1時間くらいの大井までは日に5往復、2時間かかる最奥の別役までは、週2日に2往復となっている.

自分の車で通っているが、週2日にせよ、定期運行できるだけの住人がいるとは思えない.

 

(安芸市バス、奈比賀)

 

安芸市バスの色は鮮やかで目立つ.

地味な色だと、視力の衰えた高齢者には見つけ難い.

やってきたバスに乗り、運転手に「別役まで」と告げた.

動き出したバスが止まって、「それは事前に申し込まないと」という.

案の定、デマンド区間になっているのである.

終点まで行くことは、月に一度あるかないかだそうだ.

「では大井まで」と言うと、何人か居た乗客は、口々に「それは無理だ.大井から歩くと別役まで5時間かかるよ」と言ってくれる.

自分としては、このバスに乗るだけでもよかったのだが、せっかく皆さんが親切に言ってくださるので、「出直します」とバスを降りた.

デマンドの往復が2時間となると、そのために車両と運転手を手配することになる.

頼めば対応してくれるだろうが、住民でもない者が物好きで乗るのはやはり気が引ける.

 

(大井.デマンド運行のあるときは車を留置する)

 

そこで思い付いたのが、安芸市に「ふるさと納税」をすることである.

住民税を払っているようなものだから、大きな顔?で乗れるというものだ.

 

 

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(おわり)

 

2017年8月26日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

74 高知の夏祭り、絵金、よさこい、夜須盆踊り

夏は祭りの季節である.

高知でも、8月初めのよさこい祭りをピークに、各地で祭りが行われる.

7月の赤岡絵金祭りがトップ、そして高知最大のよさこい祭り.

各地がそれに続く.

 

2017年8月18日 最終版

 

 

1.絵金祭り

 

幕末から明治にかけ、高知に絵師の金蔵(略して絵金)がいた.

江戸で狩野派を学び、高知の城下で活動したが、贋作の疑いをかけられて追放される.

やがて高知東部の赤岡に滞在し、依頼に応じ、芝居絵を多く描く.

赤岡は香宗川の河口にあり、富裕な商業の町であった.

時計、眼鏡、宝石の店が3軒あることからも賑わいがわかる.

昔からの家並があり、電柱、電線がなければ、いい町になるが.

 

(赤岡の旧道)

 

7月の夜、各家所蔵の芝居絵屏風が20点あまり、旧道沿いの店先に、ろうそくの明かりで照らされて展示される.

絵金祭りである.

 

(屏風絵の展示)

 

ただ、血飛沫が飛ぶ、など凄惨な絵なので、あまり子ども向きではない.

夜店もあるが、広場のビヤガーデン、ライブ、仮設バーなど、どちらかと言えば大人の祭りである.

 

(弁天座)

 

祭りに併せ、町内の芝居小屋、弁天座では、地域の人たちによる「絵金歌舞伎」が上演される.

三番叟などとともに、新作、絵金の生涯が加わった.

 

(ラスト、スタッフが総出)

 

着ぐるみや悪魔、外国人の侍が出たり、場面転換も早く、子どもが楽しめる歌舞伎であった.

絵に歌舞伎に、高知で一番ユニークな夏祭りである.

 

2.よさこい祭り

 

よさこい祭りは、1954年に、徳島の阿波踊りに対抗して始まった.

 

(徳島の阿波踊り)

 

当初は、いかにも阿波踊りの二番煎じであったが、1980年代にコンセプトを覆す大ブレークをした.

指揮と掛け声を行うトラック(地方車という)が先導する.

背面一杯のスピーカーから、大音響で音楽が流される.

「よさこい節」の一節を入れれば、あとはロック、レゲエ、和太鼓、何でもよし.

トラック上でバンド演奏のこともある.

 

(じかた車)

 

(踊り子さん)

 

踊りはマスゲームで、振付けは自由である.

手にした鳴子を打ち鳴らす、前進する、それだけが条件である.

衣装はチームごとに趣向を凝らすが、「よさこいファッション」というほかはない、派手かつ奇抜なデザインである.

 

(休憩中)

 

踊り、鳴り物、衣装など、基本には変わりがない阿波踊りとは大違いである.

そこが、個性を重んじ、自己顕示欲が強い?高知県民にアピールした理由であろう.

よさこいには、200チームあまり、18,000人が参加するが、ほとんどのチームは踊り子を公募する.

1チームは最大150人である.

5月、それぞれの公募の要項が、スーパーなどに置かれた掲示板、ネット、チラシで公開される.

参加費は、衣装、弁当、移動のバス代などが含まれるが、4万から2万円である.

有名であるほど高く、実績のないところは安い.

これを見比べて、自分の売り、衣装デザイン、クチコミを基にして応募する.

自分がその中でアピールできるかどうかが重要である.

チームとしての表彰はあるが、それと別に個人表彰がある.

9箇所の競演場(踊るだけの場所は他に7箇所)ごとに審査員がいて、優れた踊り子に、その場でメダルをかける.

 

(メダルをもらう)

 

有名なチームがいいかというと、そこでは目立ち難いということがある.

メダルが重なるほど、実績となり、自己のタレント性が高まるというものである.

札幌には飛び火した「よさこいそーらん」があるが、踊りのスタイルは似ていても、札幌市民がこの意識を持っているとは思えない.

 

3.手結盆踊り

 

夏祭りの三大要素は、花火、夜店、踊りである.

どれが欠けても夏祭りらしくない.

いま、盆踊りの輪に積極的に入る人は少ない.

子どもの頃、大阪の南河内に住んでいた.

古くからの集落で行われる河内音頭は、先端カジュアルウェアで踊る若い男女の交歓の場であった.

先日のテレビでは、踊りはもっぱら保存会風の人たちで、河内音頭よお前もか、と感じたのだが.

といってこれが無ければ、ただの花火大会である.

高知の夜須町・手結(てい)には、鎌倉時代の念仏踊りの流れとされる、400年来の踊りがある.

 

(手結の踊り)

 

音頭は4曲続き、それぞれに踊りがある.

歌詞にストーリーはなく、時代と共に順次フレーズがつけ加わってできたものと思われる.

音曲も民謡のようなメロディはないが、ご婦人が朗々と大声で歌い上げる.

踊りは地元で練習会があるが、学校では地域の文化として習う.

小さい子どもは友達を真似て踊る.

 

(夜店)

 

催しは海水浴場で行われるが、鉄道には臨時列車が出る.

夜店も賑わう.

航空路に近いので、花火は最終便が着陸してから始まる.

盆踊り開始から花火の終了まで、3時間近くあることも関係するだろう.

 

(花火の観客)

 

花火は海水浴場で行われる.

砂浜、階段になった護岸、ボードウォーク、芝生が観客席である.

ブルーシートで席を確保したりもするが、広いので、争ってということではない.

 

(水中花火)

 

花火は防波堤から打ち上げられるが、海面に向けて発射することもある.

水面で爆発し、波に映える.

 

(上空から)

 

近くの漁港や、丘でも見ることができるが、やはり頭上に降ってくるような至近距離に迫力がある.

 

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(おわり)

 

2017年8月7日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

73 高知の山奥で食べる、地鶏、蕎麦、フレンチ

山奥でゆっくり食事をしたり泊まったり、高知での候補を挙げてみよう.

・特別な食事が楽しめる

・泊まることができる

・辺りの風景が素晴らしい

・簡単には行けない

以上が条件である.

すぐに行けて、お金さえ用意できるなら、銀座や軽井沢に、いくらでも店やホテルがある.

行くことに困難が伴うから、行った先での楽しみが増加する.

しかし行った先が、「まあこんなもの」では「がっかり名所」になる.

行き難いほど、行った先に対する満足度要求レベルは高くなる.

 

2017年9月5日 修正版

 

 

1.畑山温泉

 

畑山温泉には、高知市から室戸岬に向かう途中の安芸市から、山道を40分.

一日3回のコミュニティバスを利用することもできる.

地鶏・土佐ジローの料理を提供する、3室の宿である.

 

(畑山温泉への道)

 

安芸川に沿って上流へ.

都会から来る人は、たいてい道路の狭さに驚く.

しかし、これは高知では普通である.

通行が極めて少ないから、これでよい.

 

(畑山温泉)

 

料理は胸肉のたたきを始めに、ご主人が焼いて見本を示してくれる各部位の炭火焼、鳥鍋と進んで、しめは親子丼.

 

(第2皿の炭火焼、5人前)

 

翌朝は卵かけご飯だから、土佐ジローを食べ尽くす.

飼育場は下流に、処理場は川向こうにある.

 

(安芸川)

 

畑山集落を貫く安芸川にダムは無く、いつも澄んだ水が勢いよく流れている.

7月の朝だったが、アカショウビンの声が聞こえた.

南国から渡ってきた渓流の鳥である.

 

 

(水力発電所跡)

 

上流に行くと、今は使われていない小さな水力発電所がある.

以前の勤め先で、電気系の部長が、「僕の夢は山の発電所の所長だったのだがなあ」などと言っていたのを思い出す.

 

(廃校の畑山小中学校)

 

畑山温泉の鶏料理、もちろん素材は良い.

一般の鶏は45日で出荷するが、これは150日という.

ただ、養鶏が専門のご主人、元新聞記者の奥さん、いずれももとからの料理人ではない.

しかし、この調理、盛り付け、味付けは、各地の一流の鶏料理を研究し尽くした結果ではないだろうか.

「田舎だから」、「地元食材だから」で済まさない、最高を求める姿勢を感じる.

 

2.寒風山の蕎麦

 

高知市の東、伊野から愛媛県の西条まで、国道194号線が伸びる.

県境になる標高1,763mの寒風山を、長さ5.4kmの長いトンネルで抜ける.

瓶ヶ森、石鎚山と1,900mクラスの連山である.

麓は紅葉でも、上は霧氷や雪.

10月だったが、11月になると山の上は通行止になる.

なお、標高1,500mにある山荘は、改装で2019年まで休業中である.

 

(山への道)

 

麓の山峡に蕎麦「時屋」がある.

国道に小さな看板があり、そこから折れて谷筋を遡る.

 

(国道の分かれ)

 

峡谷を行く道には人家は無く、本当にここに蕎麦屋があるのか、不安になる.

2kmほどで、林の空きスペースに止まる車が見え、谷間に蕎麦屋が現れる.

紅葉であった.

 

(蕎麦・時屋)

 

小道を下って、小体な建物に入る.

座敷と渓流に向かった縁側がある.

度々来ているらしい男性は、迷わず縁側に腰を下ろした.

 

(渓流に向かって)

 

なぜ主人はこの場所を選んだのだろう.

水は石鎚からの流れだから、もちろん良い.

しかし一番の理由は、理想の蕎麦空間をつくりたかったのではないだろうか.

都会の有名蕎麦店といっても、電線が這いまわっていたり、裏口に空き箱が積みあがっていたりする.

ここには醜いものは一切ない.

蕎麦はもちろん旨いが、空気も、渓谷も、しつらえも、出してくれるお茶も、すべて極上の蕎麦空間である.

勘定でちらと見える厨房も、白木が美しく、清潔で整理が行き届いている.

途中の長い山道は蕎麦への前奏曲なのかもしれない.

車のナンバーを見ると、高知、愛媛だけでなく、全国から来ている.

納得する.

 

3.滑床渓谷

 

山の蕎麦屋は、高知県いの町にある.

しかし、トンネルを抜けるとすぐに愛媛県西条で、伊野よりはるかに近い.

愛媛の奥座敷である.

滑床は反対で、愛媛県松野町にある.

愛媛県の観光地としては辺境で、松山から遠い.

しかし高知側からは、四万十川や天狗高原の観光とリンクするルートである.

観光は自治体の視察旅行ではないから、行政区域によらず、滑床は高知の観光地と言っても良い.

大体、流れの上は高知・愛媛県境だし、川は四万十川に流れ込む.

 

 

(夕暮れの渓谷)

 

滑床は磨かれた花崗岩の、文字通りの滑らかな岩である.

雪輪の滝は、防具を着けて滑り降りるキャニオニングの場である.

さらに奥に行けば、昔あった森林鉄道線路跡や橋台がある.

 

(雪輪の滝)

 

雪も舞いそうな12月の夕暮れで、谷川を歩いて出会ったのはハイカー一人であった.

「ケーン」という鋭い一声が響く.

シカに5頭出会った.

 

(森の国ホテル)

 

渓谷にはシャレ-風の「森の国ホテル」がある.

上高地帝国ホテルを模しているが、フェイクではなく、立派な建物である.

持ち主は松野町だが、今の指定管理者は、全国にDIホテルチエーンを展開する企業である.

紅葉や新緑の頃は混雑するが、この季節、泊り客は我々二人だけであった.

しかし二人でも手抜きはない.

暖炉には赤々と薪が燃えている.

料理は変わらず楽しめる.

ワインはよく料理にマッチしている.

先日テレビでクルーズ船を紹介していたが、その料理は「これでクルーズ?」と言いたい、ありきたりの「洋食」であった.

滑床は違う.

 

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(おわり)

2017年7月18日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一