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高知学91 元気な高知の路面電車・とさでん交通の旅

路面電車は京都が最初で、東京、大阪を始め多くの都市で走っていた.

ところが自動車の邪魔だと、ほとんどが撤去されてしまった.

しかし今、ヨーロッパ、アメリカとも、都市内を自動車によらず快適にエコに移動できる手段として、路面電車が続々と新設されている.

日本だけ遅れていたが、今度宇都宮で建設されることが決まった.

高知は114年間動き続けた結果、気が付けば最先端の街になっている.

路面電車・とさでん交通に乗ろう.

 

 

2018年5月9日 最終版

 

1.桟橋

 

(高知駅から)

 

電車は1904(明治37)年、新しくつくられた浦戸湾の桟橋と、高知の町を結ぶことから始まった.

高知の各地は険しい山で隔てられているので、行き来はもっぱら船であった.

しかし浦戸湾は最近まで海苔の養殖が行われていたくらいで、湿地や浅瀬が多く大きい船は入れない.

そこで浚渫や埋立を進めて、市街から2kmのところに新しく港をつくった.

周辺は何もない水田で、人にも荷物にも不便なので電車を敷設した.

 

(行く手が昔の港)

 

大阪も似た事情で、1903(明治36)年、天保山に「築港」をつくり、市電を建設している.

しかしいくら必要性があっても、お金が必要である.

高知が大阪のたった1年後に、もう電車を通したのはそれだけの財力があったからだ.

木材、和紙、海産物、薪炭など、高知には大変豊かな産業があった.

 

(終点、桟橋通五丁目)

 

今かつての桟橋は別の場所に移動している.

防潮堤が高いので、電車から海は見えない.

 

2.電車のインパクト

 

大阪に電車が走り出したとき、15歳の松下幸之助は自転車屋に奉公していた.

電車を見て、もう自転車は売れないのではないかと考える.

転職し、配線工として電灯会社に入る.

では高知には「幸之助」が居なかったのだろうか.

 

(「電車の日」の桟橋車庫オープン)

 

 

土佐の少年・中屋熊太郎は感動の目で電車を見つめていた.

これからは機械の時代だ、そう考えて、町外れの下知(しもじ)に出来つつあった鉄工所の職工となる.

やがて山に材木運搬のレールが敷かれるようになるが、牽引するのは犬か牛である.

電車や蒸気機関車は無理だが、漁船に使われ始めた焼玉エンジンはどうか、中屋はそう考える.

借金して小さな機関車を製作し、本山営林署での試運転にこぎつける.

トロッコを7両牽くことができれば買う、という約束だったが、4両しか牽けなかった.

スリップして脱線し中屋は怪我をする.

失意の内に、今の土佐町地蔵寺の山奥に引き込み、軌道の修理工として惨めな生活を送ったという.

松下幸之助が独立して、松下電器・パナソニックを創業する1917(大正6)年の3年前のことであった.

 

(はりまや橋交差点)

 

3.高度の運転技術

 

とさでんは、高知駅から先ほどの桟橋に向かう路線に加え、はりまや橋で直交して東の後免と西の伊野に向かう路線がある.

後免方面、伊野方面とも11kmほどである.

東急で言えば渋谷から田園調布より遠く、小田急の新宿から成城学園くらいだから、結構の距離の郊外電車である.

高知周辺で土讃線が建設されるのはとさでんの20年後で、高松へ通じたのは30年後の1935(昭和10)年である.

 

(後免町終点)

 

途中折り返しの電車があるので、終点まで行く車両には「ごめん」、「いの」の表示がある.

両線とも道路の端を通ることが多く、この道を通るドライバーには、瞬時の適切な判断が必要である.

 

(道路上の停留所、車は右へ)

 

レールは道路に接している.

昔、荷車や牛馬しか通らない狭い道の横に線路をつくったためである.

道路側にはホームをつくる余地がなく、路面に緑を塗ったところが停留所である.

道路上で電車を待つのは危ないから、レールの上で待つのが間違いない.

電車は必ず徐行して乗客の有無を確認している.

 

(右側通行?電車の中から)

 

高知市内の西からは単線になり、ところどころで電車同士の行き違いがある.

狭い道の端に線路がある.

向うから電車が来ると、左には余地がないから、車は右側を走るよう判断する.

 

(道路の真ん中で電車が行き違い)

 

朝倉での行き違いは、2両が道路を塞ぐので待つしかない.

バイクでも隙間を通れない.

折り返しの電車があって、道路の真ん中で長い間停車する.

駐禁の標識があるが、「自動車」と書かれているので、電車は対象外である.

とさでん沿線は車の「自動運転」の格好のテストコースである.

 

(終点、伊野)

 

運転士は皆親切だ.

老婦人が買物車を下ろすのに手間取っていると、降りて手助けしてくれる.

 

(低床連接車)

 

その点、今世界の路面電車のスタンダードになっている低床車は乗り降りし易い.

ただ2両しかないので、まだまだ運転士や乗客の介助が必要だ.

 

4.おきゃく電車

 

最近あちこちに車中で食事をとる観光列車がある.

とさでんはどうか.

「おきゃく電車」がある.

高知で「お客」とは宴会のことである

 

(おきゃく電車)

 

ビール飲み放題、料理、カラオケ付き、持込み可で、100分4,000円(女性は3,500円)はリーズナブルだ.

最小人数は18である.

ただ普通の電車の通路に長いテーブルを置いた構成なので、座席を立って、高知でつきものの献杯、返杯がやり難いのが難点である.

ビール飲み放題というと心配もある.

後免往復のコースだと40分の我慢?である.

市内をあちこち行き来するコースなら心配は少ない.

 

(おわり)

 

参考文献:堀田蘇彌太、ガソリン機関車に就て、高知林友、59(1924)

関連記事リンク:

森林鉄道機関車のパイオニア・中屋

呑み鉄、ごめん・なはり線

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2018年5月6日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学90 車で辿る歩き遍路道 4.塚地坂、青龍寺から浦ノ内湾と仏坂を須崎へ

歩き遍路の道を辿っている.

安直に軽自動車で探訪しているのだが、歩きたいとは思う.

短いが塚地坂を歩くことにした.

 

2018年4月26日 最終版

 

1.土佐市

 

山の中腹にある35番清滝寺から、もと来た道を戻って土佐市街に入る.

和紙の伝統を継ぐ製紙の町・高岡と、海岸の漁業の町・宇佐が合併してできた市である.

両町は山が隔てていて、その峠道が塚地坂である.

今は800mほどのトンネルがあり簡単に往来できるが、これが無ければ合併はあり得なかっただろう.

 

(高岡の旧道)

 

高岡には昔からの旧道、その外側につくった広い新道、さらにバイパスがある.

古い街道筋によくある構成で、旧道には商店が並び、空を電柱と電線が覆っている.

 

(波介川)

 

しかし外に出ると、和紙を育んだ波介川、仁淀川の清流である.

 

2.塚地坂

 

(塚地坂の登り口)

 

塚地坂は峠の標高190m、長さ2kmで「高齢者」の歩きに手頃だし、国の史跡に指定されている.

遍路道であるが、もともと行き来の多かった街道で、長年の手入れが感じられる.

トンネル入口横の登り口は広場になっていて、車を停めた.

この辺りで何人かのお遍路さんに出会ったが、二人はそれぞれ外国人の男女であった.

しかし、日本語の案内板、標識はあるが、外国語のものは全くない.

 

(峠道)

 

野鳥の声を聞きながら、落葉を踏んで登る.

海水を飲むというアオバトの声も聞こえる.

 

(峠から)

 

峠の頂上から、これから向かう横浪半島が望める.

休み易い竹のベンチがつくられている.

 

(石像)

 

峠の麓には、天保、寛永などと刻まれたお墓や野仏が多い.

病があって、峠で力尽きた遍路であろう.

俗名を記したものもある.

遍路は行倒れたとしても、国元には知らされない掟になっていた.

いくら待っても帰って来ないので、身内が「大工の留吉を知りませんか」と捜索の旅に出たこともあっただろう.

「そういえば」ということになって、悲嘆に暮れながら墓石を置いたのかもしれない.

 

(安政地震の碑)

 

安政地震(1854年)の被害、教訓を円筒一面に記した碑がある.

ここまで津波が届いた.

それより150年前の宝永地震も述べられている.

「物欲を捨てて、まず逃げよ」ということだ.

 

3.青龍寺

 

(浦ノ内湾口)

 

宇佐の海岸からは、これから行く青龍寺のある半島と、長い入江の入口にかかる橋が見える.

1時間、なかなか楽しい塚地坂であったが、途中出会ったのはお遍路さんではなく、エクササイズの男性だけであった.

坂道を避け、トンネルに突入する人が多いのだろう.

長大トンネルを歩くと、車の音が反響してうるさく、排気ガスや煤で息苦しくなるが.

ただし、タクシーでトンネルを戻ったが、あっという間であった.

 

(青龍寺と蟹ヶ池)

 

青龍寺が山蔭に見えてくる.

手前は蟹ヶ池で、研究者が底をボーリングして堆積物を調べた.

すると二千年前の弥生時代に、マグニチュード9クラスの巨大地震による大津波が発生した痕跡が認められたという.

有史以来の南海トラフ地震は、すべて8クラスと推定されているが、9となれば2011年の東北と同じである.

南海トラフ地震のメカニズムははっきりしている.

フィリピンプレートの潜り込みの反動で、陸地が間歇的に跳ね上がることによる.

データから、次の地震の発生は2038年の確率が高いとされている.

早く起きれば蓄積エネルギーが少ないから規模は小さいが、遅くなれば遅くなるほど規模は増大するのだろう.

 

4.三つのルート

 

36番青龍寺から次の37番岩本寺まで、60km近くある.

青龍寺出発から15kmのルートは次の三つがある.

1)寺から上がって横浪スカイラインを歩く

2)3km来た道を戻って、一日3回の巡航船に乗る

3)同じく戻って、浦ノ内湾沿いの道を歩く

2がもっとも楽なことは言うまでもない.

この区間を、歩かずに舟で行くことは昔から遍路で認められているらしい.

誰しも同じ道を戻ることには抵抗感があるので、1をとる人が多い.

しかしこれはそれ迄道のなかった半島に、1973年になってつくられた自動車道である.

車は何でもないが、絶えまなく坂を上がり降りするので、大変疲れる.

 

3.浦ノ内湾

 

入江に沿う道は、高低差がないので楽である.

 

(浦ノ内湾)

 

海沿いの家は、防潮堤があるので庭からとはいかないが、一歩出れば釣り場でありマイボートも係留できる.

 

(堤防で)

 

この辺りは、休憩所やトイレを備えた釣り筏が多いし、半島の断崖下では磯釣りもできる.

釣り師の天国である.

 

4.仏坂

 

半島を抜ければ、スカイラインと入江の道とが合流する.

一般には真直ぐに須崎に向かうのだが、その間に短いが狭いトンネルがある.

大型車の離合は困難で、歩道はない.

合図灯を手にし、車の途切れたところで走り抜けることが望ましい.

 

(仏坂登り口)

 

より安全な道はある.

北側の山中を通る仏坂の遍路道である.

峠の長さは2kmくらいで、標高150mだから塚地坂よりも低い.

ただ人も車もほとんど通らない、寂しい山道である.

山登りでは当たり前だが.

 

(峠から)

 

(轟)

 

地図で見ると、この山奥に今もあるかと感じる轟集落であるが、新しい鯉幟が立っている.

次世代が確保されたのであろう.

ただし遍路道はショートカットしていて、轟は通らない.

やがて須崎のヤマダ電機の屋上看板が見えてきた.

 

参考にした図書: 尾池和夫:「2038年南海トラフの巨大地震」、2015、マニュアルハウス.

 

関連記事リンク:

巡航船と伊勢海老の横浪半島

四国遍路はどんな人?、難所はどこ?

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(おわり)

2018年4月21日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学89 京柱峠を越えて、祖谷の山上で泊まる

屋島で敗れた平家が落ち延びたという祖谷は、かずら橋もあり、「秘境」として有名である.

一方、観光客、観光バスが多数来て混雑するので、どこが秘境?という気もする.

しかし本当の祖谷は、その奥、剣山の麓までにあるのだが、行く人は少ない.

中でもかずら橋の奥にある落合は、急な斜面に広がる集落で、重要伝統的建造物群保存地区となっている.

古民家を修復して展示する例は多いが、ここが異なるのは、8軒の民家に実際に宿泊できることである.

蒸気機関車と同様、公園にある動かない「静態保存」ではなく、実際に使われる「動態保存」なのである.

それも「昔暮らし体験」ではなく、茅葺き民家を生かしながら、内部はゆったりしたセンスの良い山のリゾートである.

3人で泊まったが、一致した意見は「1泊では惜しかったね!」であった.

 

(落合の宿:天一方)

 

2018年4月7日 最終版

 

1.観光と自治体

 

ところで本ホームページは「高知学」なので、地理に詳しい方なら「祖谷は高知県だったかなあ」と思われるかもしれない.

祖谷は徳島県である.

しかし、鳴門や阿波踊りの徳島観光の後、同じ徳島県ではあるが、距離的に隔たった西端の祖谷まで回る人は少ない.

よく聞くのは、高知観光に向かう途中、祖谷と大歩危(これも徳島県)に寄って来たというケースである.

実際、祖谷にもっとも近い県庁所在地は高知である.

観光は自治体の視察旅行ではないから、県域を越えた広域的な観光対応が、四国全体に効果をもたらすと思われる.

「箱根で遊んで伊豆の温泉に泊まる」という場合、「神奈川県で遊んで静岡県に泊まる」という意識はない.

ガイドブックは「伊豆・箱根」であり、「四国」である.

 

 

2.祖谷への道

 

祖谷に向かう道は三つある.

第一は、阿波池田から祖谷渓の断崖の上を通る道である.

昔はこれしかなく、細い道であって、バスも通るが大変スリリングであった.

いま、途中に旅館があり、谷底の温泉までケーブルカーで降りることを売りにしている.

 

(祖谷温泉のケーブルカー)

 

第二は、JR大歩危駅から近年につくられたトンネルを通って来る道である.

最短距離で、今はほとんどがこのルートである.

 

(かずら橋の駐車場)

 

最近、広大な駐車場がつくられている.

以前は細い道を辿り、小さな商店の駐車場に車を留め、山道をかずら橋に下った.

秘境にはるばる来た、という気持ちで祖谷蕎麦を食べた.

今は、橋を渡って土産物をひやかし、トイレ休憩で出てゆく「立寄り観光地」になっている.

 

3.京柱峠から

 

第3のルートは、高知県の大豊町から国道439号線を通り、京柱峠を越えて奥祖谷に向かう.

これは「酷道よさく」として有名で、相当マニアックである.

今回、さらに輪をかけて、JR大杉付近から山に上がり、吉野川南岸の棚田地域を通って439に出ることにした.

 

(大豊町穴内)

 

この道は山上の棚田集落を結ぶ「スカイライン」で、眺望が素晴らしく時々通る.

特に八畝(ようね)、怒田(ぬた)の辺りは、棚田と家々が谷底から山頂近くまで広がっている.

 

(秋の八畝、怒田)

 

山を下って439号線に合流し、標高1,150mの高知・徳島県境の京柱峠に上る.

東西とも眺めはよいが、積雪で冬季は通行止めになる.

 

(京柱峠、高知側)

 

(京柱峠、徳島側)

 

徳島側の左の重なった山並みの向こうに、これから向かう落合の斜面が茶色く見えている.

峠を下り川沿いに出ると、そこはもう「祖谷らしい祖谷」である.

歴史民俗資料館があって、以前に係のおばさんがこんなことを言っていた.

「道で蛇が車にひかれていると、可哀そうに思って、いつも道の脇に移した.

あるときバックに失敗して車が崖から落ち、生きるか死ぬかの大怪我をした.

夢に蛇が出てきて、傷を舐めてくれた.

今こうして動けるのは、そのおかげと思っている」

 

4.落合

 

奥に進み、「かずら橋」から1日4回のバスで30分のところが落合である.

古民家を改修した宿泊施設がある.

これは東洋文化研究家のアレックス・カー氏がプロデュースし、NPOが運営するものである.

氏の「ニッポン景観論」(2014年、集英社)は、日本各地で見られる電線、看板、建設がもたらす醜悪な景観を、モンタージュ写真と共に徹底して批判した快著である.

その対応を具現化しているのがここである.

 

(落合、フロントから)

 

チエックインは麓の廃校になった小学校で行う.

8棟ある家々はそれぞれ貸切だが、元は民家なので構成はまちまちである.

今回は「天一方」と名付けられた家に泊まった.

 

(ダイニングから、京柱峠が見える)

 

ダイニングとリビング、寝室になる2室、浴室、トイレ2箇所がある.

 

(リビング)

 

向かいの山は、高知・徳島県境になる1,900mの三嶺で、雪が残っている.

部屋の上は茅葺きの屋根裏だが、床暖房と二重ガラスで暖かい.

エアコン、温風暖房機もあるが、巧みに隠されている.

 

 

(キッチン)

 

食事はケータリングも頼めるが、一通りの設備があるので自炊にした.

大阪のうどんすきセットを取り寄せ、土鍋、徳利、お猪口と共に持参した.

 

 

(朝の天一方)

 

集落を貫く1本の電線はあるが、各棟の引込口、エアコンの室外機など全く目に入らない.

 

5.観光施策

 

ここには豪華絢爛ではないが、最高を目指した結果があり、それ故「滞在したい観光地」となっている.

観光振興というと、ゆるキャラ、B級グルメ、イベントが定番である.

夏祭りと夜店の延長である.

近場の人は来るが、全国、海外から呼ぶ結果にはならないように思える.

落合は保存地区のため、建設には三好市を通じた国の補助金が利用されている.

高知にも一棟貸切や古民家再生の宿泊施設があるが、多様な仕組みを利用して、最高を目指すことができる援助をしてほしいものだ.

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(おわり)

 

2018年4月2日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学88 釣りとマリンスポーツ、オープンした廃校水族館

高知県は東から西まで、太平洋に面している.

瀬戸内の穏やかな海に島々が重なる、のんびりした風景ではない.

また、日本海のように北風が荒れ狂う厳しい海とも違う.

 

2018年6月29日 修正版

 

1.釣り

 

(手結港)

 

近くの手結(てい)港の堤防は、穏やかな入江に面している.

釣果が多く、ファミリー恰好の釣場となっている.

一家で竿とお弁当を持って出かける.

「小鮒釣りし」ではなく、「小鯵釣りし彼の海」である.

鳥もファミリーの一員として、お裾分けを待っている.

 

(琴ヶ浜)

 

夕方の海岸では、車を降りて釣竿を出す仕事帰りの人をよく見る.

この人は「エギ」と呼ばれる疑似餌で、イカを狙っているようだ.

スーパーには釣具売場があり、さまざまなエギが置かれている.

 

(エギ)

 

(吉川漁港)

 

億はするだろうトローリングの高速艇の横で、のんびりと竿を出す.

これも同じ釣りである.

地元新聞には毎週釣り面があり、釣り人と釣果も載せている.

先日は、55cmのヒラメを釣り上げた、5歳の子どもの写真であった.

釣歴4年と書かれていた.

子どものコメント:「力が要ったが、がんばって回しました」

母親のコメント:「お腹にいるときから釣りに行っています」

 

(足摺岬)

 

(ウナギ捕り)

 

近くの川では老男性がウナギを捕っている.

流れのあちこちに石を積んでおく.

適当なときに石を崩して、中に潜んだウナギを捕まえる.

積んだり崩したり手間が大変だが、四万十川でもやっている.

ウナギを捕る筒状の仕掛けをホームセンターで売っているが、これは横取りする奴が出るらしい.

 

⒉.水族館

 

定置網は、沖合に大規模な配置の網を置くものである.

魚が網に沿って泳いでいるうちに、袋の鼠になる仕組みである.

室戸の先の椎名漁港で、定置網から帰ってきた運搬船を見た.

船倉一杯が魚で埋まり、クレーンともっこで荷卸しする.

巨大な青いプラスチックのコンテナがたちまち一杯になり、次々に積み上げられる.

定置網にはいろいろのお客が入ってくる.

ウミガメも入る.

ウミガメの卵は砂浜で孵化するが、その後の行動は全くわかっていないという.

漁師が持って帰ってくれたものを、保護団体が計測し、足にタグを付ける.

速い! 海に戻した途端、全速力で逃亡し、あっという間に姿を消した.

 

 

 

(ジンベエザメの子ども)

 

足摺にも定置網があり、時々ジンベエザメが入る.

黒潮に乗って南の海からやってくるのである.

大阪の水族館の出張所があって、これをある期間育成する.

5mを超えるものが居たことがあったが、巨大な水槽でも曲がると尾がつかえる.

大きすぎるので再び海に戻したそうだ.

ジンベエザメと一緒に沖で泳ぐ催しもある.

タイワンイトマキエイを見たことがある.

幅3mで、頭に二本の長い角が突き出ている.

大阪に持って行ったが、残念なことに死んでしまったらしい.

 

3.海水浴

 

太平洋の波が寄せる高知の海岸は、砂浜が少なく、また離岸流が激しいため、意外に海水浴場がない.

しかし注意すれば波打際では遊べる.

 

(赤岡の海岸)

 

高知市の東、赤岡では毎年「どろめ祭り」が行われる.

大人はテントで酒盛りだが、その間子どもたちは波打際で遊ぶ.

 

(夜須の海岸)

 

近くの海岸にある公園「ヤ・シィパーク」の浜は海水浴場になっている.

かつて夏のレジャーといえば海水浴であったのだが、最近は意外に人気薄らしい.

今はどこにでも屋内プールがあり、水泳教室があり、年中泳ぐことができる.

子どもは、塩辛くて波がある海を敬遠する.

大人は紫外線を気にする.

昔、日焼けを競った「黒んぼ大会(差別用語だが)」が嘘のようだ.

 

(吉川の海岸)

 

4.マリンスポーツ

 

マリンスポーツの代表はサーフィンである.

高知では東から西まで、あちこちにスポットがある.

そのために移住する人もいて、海岸に西海岸風の住宅が建っていたりする.

玄関横にサーフボードを置いている住宅もよく見るが、ただの飾りではなさそうだ.

町内にはサーフショップがある.

 

(仁淀川河口)

 

近くの夜須川河口の入江には、台風が近づくとサーファーが集まってくる.

荒波に乗り出そうというのではない.

外洋からの波及で、湾内に緩やかな波が安定して立つ.

ビギナーの練習に好適なのである.

 

(ヨット教室)

 

夜須の浜ではヨット教室が開かれている.

一人乗りディンギーが多数置かれているが、大学のクラブの船もある.

これらが外洋に出ることはないが、たまに沖合を行くキャビン付ヨットを見ることがある.

室戸岬を回ってやってきたのだろう.

 

(琴ヶ浜で)

 

隣村の琴ヶ浜は、浜と松林が5km続く.

ただ荒い波が寄せる砂利の浜なので、時折釣り人を見るくらいである.

人がいないのでモーターグライダーの離発着に好適だ.

ゴルフ場を越えて上空にやってくる.

 

関連記事リンク:

四万十川と孤独な海水浴

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(おわり)

 

2018年3月13日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学87 高知の食卓、高知の食事 2

高知の食卓の主役は、何といっても魚である.

カツオだけではなく、太平洋からはいろいろの魚が揚がってくる.

鮮度は申し分ないが、高級魚であるほど、頭の上を通過してどこかに行ってしまう.

今回は、タイ、ヒラメ、サメ、シイラ、アジとしよう.

 

2018年5月16日 改訂版

 

 

1.タイ

 

春先、近くの西分(にしぶん)漁港には「鯛の日」がある.

いつかはわからない.

「鯛網」を使って、タイが大量に揚がる.

 

(西分漁港)

 

夕方、漁港に行ったら、丁度「鯛の日」であった.

タイが次々と発泡スチロールの箱に収められる.

一箱に5匹ほど入れられるが、袋に入ったLサイズは1匹だけで、箱にその重さが書かれている.

箱に入りきらなくて、尻尾がはみ出ているものもある.

最大は4.1kgで、「東京」と行先が書かれている.

優勝祝、当選祝にふさわしい.

 

(トラックに積む)

 

一つのパレットに箱が70個くらい、トラックに5パレット積んでいたから、一箱5匹とすると1,750匹になる.

鯛網はシラスを採る方法と似ている.

バッチと呼ばれる袋状の網を沖で2隻の船の間に下ろして、タイの群れをぐるりと囲む.

シラスは軽いから、これを狭めて海上で揚げるが、タイは重いのでそうはいかない.

網を狭めながら、時間をかけて浜に近づけ、最後は地引網の要領で、網の左右を2台の重機で引き上げる.

近くの直販市にこのタイが出た.

大きいのは千円台だが、二人では食べきれないので、700円にした.

 

(春の鯛)

 

この日は刺身とあら煮、翌日は寿司にした.

 

2.ヒラメ

 

タイと来れば、浦島太郎の昔からヒラメである.

昼前、近くの手結(てい)漁港に寄ったら、腰の曲がったご夫婦が、漁船からタイとヒラメを上げていた.

 

(魚を上げる)

 

老婦人では無理で、漁協の女性職員が走り寄って手伝う.

ヒラメは1kgのものが何枚か揚がっている.

 

(ヒラメ)

 

近くに居た人の話では、この人は以前シイラ漁をしていたが、体力的にきついので、今は凪の日だけ刺し網漁をしているそうだ.

夕方、魚の通り道に網を張る.

ヒラメは夜行性があって網に刺さるので、それを翌日の朝引き上げる.

ただしこれを狙ってサメが来るから、これも揚がる.

 

(シュモクザメ)

 

シュモクザメと普通の「サメ」型のサメがあるが、招かれざる客で、扱いはぞんざいだ.

皮に近いところを酢味噌で食べれば美味いそうだが、好んで食べるものでもないように思う.

テレビで見たオーストラリアの居酒屋では、ミンチにしてパイに入れていた.

 

(家に戻る)

 

老夫婦は船に戻って帰って行ったが、腰の曲がったドライバーが10トン車を運転している趣であった.

 

(ヒラメとアジ)

 

このヒラメは大き過ぎて家庭では持て余す.

さりとて切身にして売るには勿体ない.

やはり「業務用」だろう.

小さいヒラメが手に入ったことがあって、釣りのお裾分けのアジと共に寿司にした.

エンガワは刺身である.

 

3.シイラ

 

(シイラ)

 

シイラは、高知で年中よく獲れる.

大きい魚で体長2mにもなり、カジキマグロと共にトローリング競技のターゲットでもある.

シイラは、生きているときと死んだときとでは全く違うらしい.

 

(シイラ漁のヤマモモ)

 

漁は港から1時間の沖合に、長い竹を組んだ下にヤマモモの枝を吊るす.

シイラは物陰に集まる習性があり、あたりをぐるぐる回り出すので、そこを捕らえる.

1か所で1トン揚がることがあるという.

漁師さんが、今度連れていってやるよ、と言ってくれた.

刺身や切身で売っていて、沢山獲れるし大きいので安いが、大味ではある.

フライにして、フイッシュアンドチップスで売り出すのがよいと思っているのだが.

 

4.アジ

 

アジは高知でもっとも大衆的な魚である.

大きいの、小さいの、年中売り場にある.

刺身、寿司、塩焼き、干物、何でもよいが、アジのフライは総菜、弁当の定番である.

 

(地元スーパーの総菜売場)

 

直販所に活締めアジが出ていた.

何の動物でも絶命後すぐ血を抜かないと、血液が滞留して味が落ちる.

魚もそうで、活締めは船上ですぐ頭を切って血を流す.

しかし魚は生き造りでわかるように、血を出してもまだ筋肉は動いている.

そのままだと筋肉が疲労して老廃物が溜まり、鮮度が落ちる.

そのため背骨に針金を通し、神経を除く.

アジでは初めて見た.

漁師さんも工夫を凝らすが、見た目悪いのが難点かもしれない.

 

(活締めアジ)

 

5.シラス

 

シラスはチリメンとも言われるが、イワシの稚魚であり、高知の沿岸一帯が漁場である.

 

(シラス漁)

 

2艘の船が組になり、間に渡した細かい網をゆっくり引いて集める.

年中漁がある.

 

(ドロメ)

 

生のものがドロメで、毎日直販市にパックが山盛りになっている.

生だから、その日のものを、その日中に食べなくてはならない.

いつも夕方には無くなっているから、高知の人はとてもドロメが好きなのだなあと感心する.

ニンニクの葉のぬたをつけて食べるが、これもパックを売っている.

「のれそれ」というのがあるが、これはアナゴの稚魚である.

ドロメを茹でたものがシラスである.

茹で上がったものが「釜茹で」、その後30分ほど天日で干したものが「釜揚げ」、さらに干したものが「かちり」である.

炊き立てのご飯にシラスを山盛りにして、レモンと醤油を落としてかっ込む.

シラスが少なくなれば、どんどん継ぎ足す.

 

(シラス丼)

 

6.肉

 

では、高知では魚しか食べないのか.

いや、高知県民がファミリーやグループで外食となると、まず焼肉である.

人口当たりの焼肉屋数は日本有数ではないか.

いずれ探訪しよう.

 

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(おわり)

 

2018年3月3日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

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