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高知学85 高知の食卓、高知の食事 1

高知の料理というと、カツオのたたきと皿鉢料理ということになる.

しかしもちろん、高知県民が毎日たたきを食べているわけではない.

皿鉢料理は、一つの大皿に、刺身、寿司、てんぷら、フルーツ、羊羹などを盛ったものである.

家庭で日常食べるものではなく、宴会の料理である.

といって居酒屋の宴会では、ちまちまと盛り付けていると、重箱のおせち料理のようで、見た目は良いが量に乏しい.

そこで、寿司、刺身、てんぷら、唐揚げ、その他店の料理が、それぞれの大皿に載せて出される.

出席者それぞれが、自分の前にある大皿から、積まれている小皿に取り分け、互いに回しあう.

「家庭の料理」となると、これは一般化が難しい.

「私事で恐縮ながら」、我家の料理を例に述べる.

 

 

2018年2月12日 最終版

 

1.カツオ

 

毎日食べないにしても、高知のカツオの消費量は日本一である.

高知を代表する漁は、カツオの一本釣りである.

カツオは巻網で獲られてもいるが、それでは魚体が痛むし鮮度が違う.

一本釣りは、船腹に並んだ漁師が竿を連ね、休む間もなく一匹づつ引っかけては宙から舷側に落とす.

カツオは滑って冷凍庫に直行する.

漁船はハイテクである.

各種のアンテナを装備し、船橋にはディスプレイが並んでいる.

レーダ、GPS、超音波などはもちろんで、衛星からの海水温、プランクトン濃度などのデータも受信する.

高知のあちこちで、たたきにして冷凍パックしたものが販売されている.

 

(カツオ漁船)

 

近場ではトローリング(流し縄)で釣る.

これは冷凍されることなく市場に出る.

 

(トローリング)

 

(たたきを焼く)

 

我家では近くのものを、食べる直前にガスの火で焼く.

では冷凍パックが味で落ちるかというと、そんなことはない.

太平洋の真ん中で泳いで脂が乗っているし、炎で燻される「藁焼き」である.

ステーキ肉や焼き方に、いろいろあるのと同じである.

 

2.サバ

 

高知では、サバはカツオに次ぐポピュラーな魚である.

頭と尻尾をつけて軽く押した、サバの姿寿司は皿鉢料理の定番である.

足摺から室戸まで至る所で揚がり、はちきれそうな砲弾型をして並んでいる.

 

(塩サバを焼く)

 

塩サバは、我家ではノルウエー産をスーパーで買う.

フェンネルの葉を裏表に敷いて焼く.

こうすると、身がふっくらとする.

 

(フェンネルの花)

 

フェンネルには葉が緑色と銅色のものがあり、庭でよく育つ.

根元の白い球茎が大きくなる品種があるが、サラダやスープになるので、近くの直販市で売られている.

フェンネルは生臭さを消す効果があるという.

しかしそれよりも、細かな葉で覆うと熱が直接魚に当らず、蒸焼きの効果があるのではないか.

氷に覆われた岩山のフィヨルドを思い浮かべながら、「北欧産サバの香草包み焼」にご飯が進む.

 

3.ブリ

 

ブリの若いのがハマチだが、養殖魚の代表である.

高知でも至る所の入江で育てられている.

天然でもよく獲れて、両者が並んで売られているが、値段は変わりない.

 

(準備中の養殖筏、網を張って沈める)

 

ブリの照焼きの切身は、我家では目の前の住吉漁港で養殖されたものを買っている.

隣村のスーパーで入手できる.

ここでは、沖合1kmあまりの肉眼でやっと見える外洋で育てている.

新鮮な海水であり、波によって魚の運動量も多いのだろう.

養殖は池の鯉のように、餌を投げ込んでおけばよいというものではない.

毎日夜明けに船が出て、昼過ぎまで海面下の網を揚げつつ細かいケアをしている.

帰った後は翌日の準備である.

台風が発生すると、うねりが来る前に、入江に筏を避難させる.

 

4.キンメダイ

 

高知では、干物に使う青色の網籠は家庭の必需品である.

我家では特別なとき、キンメダイを干す.

深海魚なので、海底が急傾斜になっている室戸沖が漁場である.

魚屋で、真向唐竹割にさばいてもらう.

大きい方が身がほっこりしている.

 

(干物をつくる)

 

「干物職人」によれば、以下が重要だそうだ.

塩加減:塩水に一晩つけるが、濃度は4%

干し加減:5時間ほどだが、風や日射で違うので、時々指で押して確かめる

 

(キンメダイを焼く)

 

5.クジラ

 

高知県東部は、クジラ漁で生活が成り立っていた.

高台に居る見張りから、クジラが来た!という知らせが来ると、20艘もの船が出る.

銛を投げ、網を掛け、中には上に乗って仕留める、命がけの仕事であった.

今も高知の魚売り場にはクジラ肉が普通である.

市場には「高知鯨株式会社」など「保護団体」が目を剥く看板がある.

ブローニング銃のOEMを行っているM製作所は、もともと南氷洋で使う捕鯨砲のメーカであった.

 

(クジラの刺身)

 

刺身、赤身ブロック、おでん種のコロなど販売されている.

自分は子どものときから、母親がつくる水菜で煮詰めたクジラ鍋を食べてきた.

よく言う「はりはり鍋」は、だし汁にさっと潜らせるあっさりしたものだが、これとは違う.

 

(「クジラ鍋」)

 

レシピは次のようである.

・醤油、砂糖、酒を同量、刻んだ生姜を山ほど入れて、たれをつくる.

・小さくカットした肉を加える.

・すきやき鍋に入れ、水菜をどっさり入れて、つくだ煮状になるまで煮詰める.

水菜が小さくなれば追加するが、ボウル一杯がすぐなくなる.

水菜は庭でよく育ち、刈り取ってもまた育ってくる.

ご飯がいくらでも食べられるし、残れば次の日に水菜を足してまた使えるから経済的である.

ただし、水菜はサラダに使う柔らかいものは不向きで、寒くなり硬くなったものでないといけない.

クジラ肉だが、鹿ノ子でないと駄目で、他のものでは不味い.

しかしいま、鹿ノ子はほぼ入手不可能である.

代替品がないか、追及した結果「合鴨」に到達した.

クジラと同等に味わうことができる.

もともとクジラが居なくなったのは、アメリカが鯨油を取るために乱獲したからである.

太平洋に400 隻の捕鯨船が出て、1隻で年間100頭は捕獲した.

ジョン万次郎は、その捕鯨船に助けられたのだが.

戦後の南氷洋では、ノルウエー、ソ連、ほか各国が入り乱れて年間1万頭を捕獲した.

日本もその一つで、我々はそのクジラに育てられた.

室戸の捕鯨は年50頭ほどであったのだが.

 

(おわり)

 

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2018年2月7日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学84 車で辿る歩き遍路道 3 禅師峰寺、雪蹊寺、種間寺、清滝寺

八十八か所の四国遍路、高知の歩き遍路道を辿る.

足に自信がなく、軽自動車で歩いている.

遍路道は街道と違って、組織的な整備や普請がされてきたわけではなく、自然発生的に生まれたものである.

従って絶対これ、というルートはないし、河川改修や農場整備で消えているところもある.

しかし、分岐や曲がり角など、とんでもない方向に行かないよう、昔から要所に、寄進による道しるべがつくられている.

特段の名所が無くても、急がず慌てず、のんびりと野良道を歩くのが、遍路の楽しさであろう.

今回は、32番禅師峰寺、33番雪蹊寺、34番種間寺、35番清滝寺である.

 

2018年4月21日 修正版

 

 

1.禅師峰寺

 

(禅師峰寺)

 

禅師峰(ぜんじぶ)寺は、土佐湾に面した標高80mの小山の上で、大変眺めが良い.

西にクルーズ船も入る高知新港があり、その先、浦戸湾の対岸が桂浜である.

 

(桂浜が見える)

 

山を下って、浦戸湾口に長く伸びた砂嘴にある種崎に向かう.

湾には浦戸大橋がかかっていて、歩道があることはあるが、狭くて危険である.

種崎と対岸の御畳瀬(みませ)を結ぶ無料の渡船の利用がよい.

1時間に1本あり、5分で着く.

 

(種崎から見た御畳瀬、左端が船着場)

 

2.雪蹊寺

 

上陸して長浜の堀に沿って進むと、雪蹊寺の前に出る.

御畳瀬も長浜も古い漁村であり、漁師さんの信仰を集めていたのであろう.

 

(長浜)

 

歳末で、境内には正月用品を売るテントが出ている.

 

(雪蹊寺)

 

門前には、新築された小綺麗で安い遍路宿がある.

高知市内に行けばいくらでも宿はあるが、バス往復の時間がかかる.

ここならロス時間ゼロで歩き出せるから、お遍路さんにとってうれしい.

 

3.種間寺

 

田園に出て種間寺に向かうが、水田の中に小山が点々とあり、道がいろいろの方向に通じて迷いやすい.

そのため、昔からの道しるべが多い.

ただ、苔むして字が判り難い.

実用的に言えばタワシで洗いところだが.

 

(道しるべ)

 

やがて田畑の中の種間寺が見えてくる.

素朴なたたずまいの村の寺である. 

 

(種間寺)

 

(本堂)

 

札所でのお詣りである.

それぞれのお寺には、昔からのご詠歌があり、本堂に掲げられている.

江戸時代の作法では、ご詠歌を三回唱えることとなっている.

しかし今、お遍路さんが鈴を振ってご詠歌を唄う姿は見たことがない.

歌われなくなったのはそう昔のことではないと思うが、何故なのだろう.

思うに、ご詠歌は自分を無にして、ひたすらに仏を讃え、その加護を願うものである.

お遍路さんの心情が違ってきているのではないだろうか.

一方的な帰依ではなく、これだけがんばっている自分を支えてほしい、という積極性が大きいのではないか.

 

4.清滝寺

 

野中の一本道を行くと、仁淀川の岸に出る.

昔は高い堤防や橋は無かったから、このお堂の辺りで河原に入り、渡し舟を利用した.

 

(仁淀川)

 

対岸が土佐市高岡町で、町の外周を清滝寺に向かう.

高速道路から山の中腹にお寺が見え、随分高いところにあるなあ、と思っていたが、これが清滝寺であった.

 

(清滝寺)

 

(登り口)

 

今では、どの山のお寺も車道が通じているが、道幅は狭い.

車の遍路では、軽の方がストレスなく行けるだろう.

以前この道を40人乗りのバスが上がって、途中でつかえて動けなくなったことがあったそうだ.

 

(本堂と大師堂)

 

札所の寺には、本尊をお祀りする本堂と、弘法大師を祀る大師堂がある.

大抵は少し離れたところにあり、大師堂の方が小さい.

しかしここでは、二つが同じ大きさで並んでいるので、本堂が二つあるように感じられる.

大きな如来像の下は、「胎内潜り」の場である.

暗黒の中に入るのはいささかためらわれる.

通りかかったご住職に、荷物を背負って入ったお遍路さんがつかえたことがあったが、右手で壁を辿ってゆけばよいと教えられた.

 

(胎内くぐり)

 

やがて、暗闇の中に祭壇が浮かび出る.

 

 

(おわり)

 

関連記事リンク:

81 歩きへんろの道.大日寺から善楽寺

45 土讃線2.伊野、佐川、須崎

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2018年1月20日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学83 JR四国バースデイ切符で四国4県を早回り

JR四国には、誕生月に格安で全線特急が乗り放題となる「バースデイ切符」がある.

12月なので、四国4県、高知、徳島、香川、愛媛を日帰りで回って帰ることにした.

切符にはグリーン車用と普通車用があるが、グリーン車は土讃線、予讃線だけだし、予約が必要で思いつくまま、とはゆかない.

9,500円の普通車にした.

 

(2018年1月11日 最終版)

 

1.土讃線 

土佐山田712発 南風4号 阿波池田811着

 

(土佐山田駅前)

 

長距離切符があるので、最寄駅、土佐山田の無料駐車場に車を停める.

昔、駅前には食堂があり、ガラス棚からおかずを選んで暖かい朝飯が食べられたのだが、無くなって久しい.

駅舎のキオスクやパン屋も無くなって、今はコンビニである.

やってきた特急は、本線最長の7両である.

徳島県に入り大歩危に着く頃、山上にある家々に、上から順にに陽が射してきた.

 

(阿波池田)

 

阿波池田は徳島線に接続する山峡の駅である.

機関庫の跡地にアパートが建ったりはしているが、構内は昔のままに広く、蒸気機関車時代の面影がある.

これから乗る「剣山」が待っている.

 

2.徳島線

阿波池田834発 剣山4号 徳島947着

 

徳島線の特急は停車駅が多く、「快速」に近い.

もっとも、短距離の四国の特急料金は安く設定されている.

徳島県に入って気付くのは、畑の間にソーラーパネルを並べた土地が多いことである.

別に耕作に不適なところではない.

徳島県人は、実利を重んじ抜け目がないということだが、その現れだろうか.

 

(石井駅)

 

川沿いの人口が多いので、徳島に近い駅には早くから跨線橋が設けられ、鉄道院時代の古いものが残存している.

石井は大正4年、蔵本は明治43年、と鋳鉄の柱に鋳出されている.

階段の幅が広いため、幹線のものを移築したと見られる.

駅の建物のペンキは、以前は趣味の悪い桃色や薄緑であったが、最近は落ち着いた色になった.

 

(徳島駅構内)

 

四国四県で、高松、高知駅は改築され、松山は高架化が予定されている.

徳島は昔のままで、構内のイメージは、蒸気機関車8620が煙を上げていた頃と変わりない.

ホームの擁壁の下部も煉瓦で、懐かしい風景ではある.

 

(徳島駅ホーム)

 

3.高徳線

徳島1028発 うずしお10号 高松1137着

 

(吉野川を渡る)

 

吉野川の長い鉄橋を渡る.

高知県大川村の、早明浦ダム湖を経由して流れた水である.

 

(「うずしお」の先頭から)

 

高徳線の特急は昔から1時間おきで、大いに稼いできた.

大坂峠を越えると香川県に入る.

線型も良く、直線、曲線とも高速運転で、並行する道路の車を次々に追い越し、胸のすく走行である.

栗林公園の森を左に見て高松に着く.

 

4.予讃線

高松1150発 いしづち9号 松山1415着

 

栗林公園もあるが、冬でもあるし、接続する予讃線にすぐ乗換えた.

普段は高松発と岡山発、それぞれの列車が宇多津で併結される.

しかし年末の帰省対応で、全車が岡山発となり、乗車が少ない高松発は多度津までとなって、乗換えを要する.

 

(2両の多度津行特急、高松)

 

(岡山からの特急、多度津)

 

両方とも「インスタ映え」する特急で、若いお母さんがスマホを構える.

 

(「いしづち」の車内)

 

今日は12月30日、予讃線はもともと利用者が多いが、デッキ、車室内とも立つ人で一杯である.

網棚(網ではないが)には荷物がぎっしりで、久しく見なかった光景である.

今田舎では、荷物は座った席の横に置くのが普通である.

しかし都会では膝の上に置く.

自分も山手線などで、つい横に置いたりするのだが、気がついて慌てて膝に置き換える.

この「いしづち」では横に置けないが.

 

(予讃線の海)

 

川之江を過ぎると次々降りる人が出てきた.

海を眺めて走るが、島々は皆愛媛県で、瀬戸内海はほとんど香川と愛媛の領分なのである.

松山に到着.

宇和島行特急に乗り換えれば、予土線で窪川へ出て、四国一周ができる.

しかし、夜の予土線を通ってもあまり面白くないし、窪川の夜の駅前は寂しい.

松山市内を電車で歩き、来た道を戻ることにした.

 

(歳末の大街道)

 

道後温泉には新しく「飛鳥の湯」が出来ている.

本館の趣は良いのだが、かつての夕方の銭湯以上の混雑で、辟易する人も多い.

繁華街、大街道の百貨店に入ると、大変な人だかりである.

ホールで「第九」の演奏中であった.

 

(百貨店での第九)

 

スペースのあるなしは別にして、歳末の百貨店での第九は、高松はともかく高知や徳島では考え難い.

 

5.予讃線、土讃線を戻る

松山1628発 しおかぜ26号 多度津1825着

多度津1859発 しまんと7号・南風21号 土佐山田2037着

 

(松山駅)

 

松山には、JR松山、伊予鉄松山市と二つの駅がある.

「文化的」な松山にそぐわず、両駅ともぱっとしなくて、付近にもロクに店がない.

JR駅では「路面」電車に乗るには「地下」道を通らなくてはならない.

 

(予讃線の夕暮れ)

 

西の山に夕焼けが残る.

 

(多度津での併結作業)

 

多度津で下車、土讃線特急に乗り換える.

岡山からの5両の「南風」に、高松からの「しまんと」2両が併結される.

一旦停止を3回繰り返す、慎重な作業である.

 

(夜の土讃線)

 

「しまんと」はもともと空いているが、年末、四国内を往来する人の動きは絶え、ほとんど乗客がいない.

夜の山中、時折通る車のヘッドライト、ガソリンスタンドの明かりだけが窓外に見える.

 

(夜の土佐山田)

 

土佐山田に戻った.

貨物側線跡に建っているビジネスホテルの壁が浮かぶ.

 

(おわり)

 

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1  高知の駅、空港、港

9 高知の路面電車とJR

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2018年1月4日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学82 車で辿る歩き遍路道 2 .高知市の外周を善楽寺、竹林寺、禅師峰寺

四国遍路88ヶ所の旅の原点は、昔からの歩きへんろである.

遍路道の総延長は、約1,100km.

長いように思えるが、日本橋から京・三条大橋まで、東海道53次は約500km、中山道は少し長かった.

昔の人にとっては、東京・京都を往復する程度の距離で、驚くほどではない.

33、53、88、100などと数値目標があると、達成したくなるのが人情である.

楽しいのはその過程である.

百名山登頂は目標であるが、ヘリコプターで行ったのでは意味がない.

登山することに楽しみがある.

 

(植物園の中のへんろ道)

 

四国遍路も同じで、88のスポットに行けばよいというものではない.

道中に意味と楽しさがある.

歩き遍路は、充実した長い旅である.

偉そうなことを言ったが、目下足に歩き通す自信がない.

横着をして、歩き遍路の道を軽自動車で辿る.

 

 

2018年4月21日 修正版

 

1.善楽寺

 

29番国分寺から、約7kmで30番善楽寺に着く.

隣接して、夏祭り「しなね様」で高知市民に知られた土佐神社がある.

長い参道と立派な社殿である.

江戸時代では神仏が融合していて、寺もあったが、札所はこの神社であった.

明治になって神仏が分離し、寺は廃棄された.

その後いろいろな経過を経て、今の善楽寺がある.

 

(善楽寺)

 

金色に塗られた柱のコンクリートの本堂、入口に立つ大きな石像など、市内の寺院らしい.

 

2.善楽寺から竹林寺へ

 

(五台山から見た高知市東部、右端の森が善楽寺)

 

遍路道は、歩きへんろ地図によれば、真っ直ぐ南下する.

行く手に次の五台山が見え、最短距離である.

しかし、この辺りはいくつかの河川が合流していて、昔は沼の多い湿地帯で、通行困難であった.

近年でも豪雨で水没し、国道の車が流され、ドライバーはガソリンスタンドの屋根に登って難を免れた.

鉄道はこの地を北に迂回している.

実際は昔の遍路道も同じように迂回していて、高知城下に向かう.

高知駅の東で、江ノ口川の山田橋を渡る.

どうということはない地域である.

 

(山田橋)

 

しかし、昔は重要な場所であった.

写真の左、西側は高知城下であり、右は水田が広がり、城下の内外を分けていた.

番所があって手形を改め、城下に泊まる場合は、番所の指図に従う.

庄屋がつくる手形には、病死したときは土地で埋葬していただきたいが、こちらに知らせる必要はありませんと記している.

右の城下外には、岡田以蔵などが処刑された獄舎があった.

 

(堀川)

 

道は東に曲がり、堀川に沿う.

高知城は小山の上だが、高知市域は川の中州のような土地である.

いくつかの河川や改修した流れ、人工の掘割が複雑に入り組む「水の都」である.

 

(絶海のへんろ道)

 

五台山山麓の絶海(たるみ)集落を登り口に向かう.

道は次第に狭くなり、軽がやっとになり、ついに車の通行が不能になったところに登り口がある.

 

(竹林寺登り口)

 

31番竹林(ちくりん)寺は標高130mの五台山の上で、小登山である.

登ると牧野植物園の中に出て、遍路道は園内を通っている.

遍路にも歩きのツアーがあり、全行程を通す仕組もあるようだが、要所だけ歩くものもある.

丁度、ツアーの人たちが歩いていて、高齢の方もいるが、元気なものだ.

金毘羅さんは標高差175mを765の石段で登るので、それよりは楽だが.

 

(竹林寺)

 

五台山竹林寺は、高知市内に近く見晴らしもよいので、観光地である.

折柄紅葉のシーズンで、お遍路さんより観光客が多い.

 

3.竹林寺から禅師峰寺へ

 

(五台山を下りて)

 

遍路は普通1番から順に始める.

一方「逆打ち」という、88番から逆方向に回る歩き方があるが、この方が難しいと言われている.

五台山から石段を下ると、下に昔のへんろ石がある.

逆打ちではこれが登りの目印だが、古びて黒く、注意していないと見落としてしまう.

 

(下田川)

 

振り返ると竹林寺の五重塔が見える.

下田川は浦戸湾に近く、大潮ではかなり水位が上がるし、津波の心配もあり、堤防は高い.

川をその名も「へんろ橋」で渡り、集落に入る.

 

(唐谷の遍路道)

 

お遍路さんに出会った.

迷惑の極致だが、軒先に避けていただいたので、深く礼をして通り過ぎる.

 

(高知市吹井)

 

青空の下で「冬の旅」を続けたが、陽が傾き始めた.

道は小さな峠をトンネルで抜け、ニュータウンを通って、浜通りに出る.

竹林寺から禅師峰寺は5.7km、あと少しである.

 

 

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(おわり)

2017年12月11日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学81 車で辿る歩き遍路道 1、野中の道を大日寺、国分寺、善楽寺

友人、知人で、四国に行って88ヶ所を回ったよ、という人は結構多い.

ほとんどは車である.

しかし高知のあちこち、思いがけないところで、白装束のお遍路さんの歩く姿を見かける.

どんなところがルートになっているのだろう.

どんな景色を見て歩いているのだろう.

高知市の近郊、28番大日寺から29番国分寺を通って、30番善楽寺までの歩き遍路の道を辿る.

 

2018年4月21日 修正版

 

1.歩き遍路の道

 

(大日寺から国分寺へ.香美市松本)

 

遍路では、今いる寺から次の寺まで、快適、かつ安全に移動したい.

車ではカーナビを使うのが普通である.

最短距離、最小時間とは限らないが、運転のし易さから、国道、県道を通るルートが表示される.

歩く場合はどうか.

一般に「へんろ道保存協力会」が出版する地図帳、「四国遍路ひとり歩き同行二人」が使われる.

相当するモバイル版もあって、GPSを受信すれば、現在位置と共に進むルートがわかる.

ただし、カーナビが全面的には信用できないのと同じく、状況に応じた自己判断は必要である.

なお、自分は地形が判る地図が好きなので、1/25,000の地形図に上記を記入している.

偉そうなことを言ったが、20年前なら一日30kmは歩けたが、今は自信がない.

気が引けるが、軽自動車で歩きへんろ道を辿る.

本当の歩きへんろさんには迷惑だが、農作業に来たとして許してもらおう.

 

2.大日寺

 

(野市駅)

 

土佐くろしお鉄道、ごめん・なはり線、野市(のいち)駅をスタートにする.

香南市野市は高知市から30分で、高知でもっとも賑やかな近郊である.

スーパー、ドラッグ、ファミレス、ファストフード、紳士服、ビジネスホテル、温泉があり、遍路の基地になる.

徳島県内の1番札所からここまで、全行程1,100kmの約1/3を歩いたことになる.

高架の線路下を北に向かう.

 

(大日寺下)

 

2km足らずで大日寺の下に着く.

貸切バスはここまでだが、小型車は右に山を上がることができる.

 

(大日寺本堂)

 

どこでもそうだが、札所の寺は独特の雰囲気である.

歴史的な堂塔は少ない村の寺で、有名寺院のような荘厳さはない.

しかし、いつ行っても誰かお遍路さんが居て、お経をあげている.

親しみ易く、庶民的ということになろうか.

 

(お参りを終えて)

 

多くのお寺の前には、遍路用品の店や休憩所がある.

 

(遍路用品)

 

手ぶらで来ても、一式揃えて「遍路姿」に変身できる.

 

3.大日寺から国分寺

 

(物部川)

 

大日寺を出て少し行くと物部川に出る.

今は橋があるが、昔は渡渉であった.

ただ、その頃高い堤防はなく、河原があちこちに広がり、水は浅かったと思われる.

増水の時は、野市に戻って渡し舟を利用した.

 

(昔のへんろ石)

 

向う岸からへんろ道が続くが、集落に沿って判り難い.

古いへんろ石が目印である.

 

(保存協力会のへんろ石)

 

新しくつくられたへんろ石がある.

電柱に貼られたステッカーもあり、注意していれば迷うことはない.

野中の道を辿る.

 

(舟入川)

 

舟入川を渡る.

江戸時代に、野中兼山が整備した水路で、上流の木材を運び、船が連なって行き来した.

曲がり角に昔のへんろ石があり、「へんろ石饅頭」が売られている.

9kmで国分寺に着く.

 

4.国分寺

 

(本堂)

 

国分寺は由緒があり、聖武天皇が建立した土佐国分寺の跡にある.

本堂は1558年に長曾我部氏が建てたもので、重要文化財である.

 

(山門から)

 

4.善楽寺へ

 

(国分寺を後に)

 

車道は山門の前を左右に通っているが、へんろ道は真っ直ぐである.

「四国のみち」の道標があり、へんろ道も同じく直角に曲がるのだが、先は畦道になり車は入れない.

なお、「四国のみち」はいわゆる「自然歩道」で、国交省、環境省の2種類がある「県道」である.

重なる場合もあるが、へんろ道とは必ずしも一致していない.

へんろ道を自然歩道にして良いような気がするが、特定宗教に寄るのはよくないのだろうか.

 

(国分川)

 

この先しばらく、車は通行不能のへんろ道が続くが、それだけ歩くには快適である.

国分川の堤も、対岸がへんろ道である.

 

(逢坂峠の道)

 

やがて上りになって、逢坂峠に向かう.

右の山の上に、コンクリート塀で囲まれた高知刑務所がひっそりと立つが、標識はない.

 

(逢坂峠から)

 

峠から高知の市街が見える.

1番札所を出てから始めて見る街である.

 

(善楽寺へ下る)

 

通行の多い道路に入るが、歩道がしっかりしているので、支障はない.

坂を下ると善楽寺だ.

 

(おわり)

 

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参考にした図書

・宮崎建樹:「四国遍路ひとり歩き同行二人」、へんろ道保存協力会

・眞念、訳注稲田道彦:「四國徧禮道指南」、講談社学術文庫、2015年

・頼富本宏:「四国遍路とはなにか」、角川選書、2009年

 

2017年12月1日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

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