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高知学臨時、2018年7月豪雨

2018年7月、西日本の広い範囲で豪雨となり、多くの被害を生じました.

高知でも死者が出る結果となりました.

ご冥福をお祈りしております.

高知に対して、皆様から寄せられたご心配と暖かいお心遣いに厚く感謝申し上げます.

一方、愛媛、広島、岡山など、これまで水害が少なかった地域で甚大な被害になっています.

これらの地域の方々の生活が、早く元に戻られることを祈念いたします.

 

(2018年7月13日)

 

(7月6日、夜須川)

 

住んでいる香南市夜須町には夜須川が流れています.

「車軸を流す」豪雨が降り続き、溢れることも予想され、流れに近い方々は心配されたことでしょう.

一部のハウスは浸水し、出荷前のスイカやメロンが駄目になったということです.

 

(7月6日、夜須の海)

 

泥の流れが川から海に入って広がってゆきます.

 

(7月9日、夜須川)

 

幸い川が溢れることはなく、流れは少しづつ澄んできました.

 

(7月9日、夜須の海)

 

海岸には川から多数の枝葉が打ち寄せています.

何本もの丸太が来るのはこれまで無かったことで、豪雨のひどさを感じます.

この処理も大変ですが、海は沖合い遠くまで濁りました.

漁師さんは、年々雨による増水が多くなり、泥水をかき分けるようなことが多いと話していました.

山が荒れて含水量が減り、少しの雨でも土が流れ出すからです.

豊かな森林を取り戻すことが非常に重要です.

豪雨後、宮古島などを襲った台風によるうねりでまたかき回され、なかなか海は澄みませんでした.

7月13日、ようやく沖に船が出てブリの養殖の世話をしています.

 

(おわり)

 

2018年7月9日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学95 室戸の海岸、廃校水族館と台地の産物

室戸岬は太平洋に向かって突き出ている.

沖合140km辺りで、北に向かって動く海洋プレートが日本列島の陸地にぶつかり、下に潜り込んでいる.

陸が引きずり込まれるので、室戸岬はいま毎年7mm沈みつつある.

やがて限度が来て跳ね上がり、南海トラフ地震が発生する.

跳ね上がる量は1回で1.2-2mである.

100年ごとにこれが繰り返され、室戸岬の地形がつくられてきた.

 

2018年7月17日 最終版

 

(室戸岬)

 

1.断崖と台地

 

室戸岬の東と西では、海岸の様子が全く異なる.

 

(室戸岬の東岸)

 

東は海底に断層があり、山から急傾斜が水深1,000mまで落ち込んでいる.

 

(室戸岬の西岸)

 

西は長年に渡って泥や砂が積もった平らな海底が、そのまま隆起して台地になっている.

 

2.佐喜浜

 

東海岸は急傾斜の山が海に面し、湿気を含んだ風が直接当たって雨が多い.

そのため森林が豊かで、岬から北20kmの佐喜浜では森林鉄道が敷かれ、スギを搬出していた.

今も幹周り12mにもなる天然杉があるそうだ.

 

(加奈木の崩え.左の奥だが木が茂って判り難い)

 

しかし一方で山崩れを起こし易い.

加奈木の崩え(つえ)はその一つで、1707年の宝永地震によるとも、1746年の豪雨によるともされている.

 

(佐喜浜川)

 

本格的な治山工事は1916年に始まり、1964年に終わっているが、今も川には痕跡が残る.

 

3.  廃校水族館

 

一方、海底が急に落ち込んでいるので、多種類の魚が集まる.

そのため大規模な定置網(大敷網)による漁業が行われている.

椎名に元の小学校を利用した「廃校水族館」がオープンした.

 

(ウミガメとシュモクザメ)

 

25mと低学年用、二つのプールが屋外水槽として使われている.

「今日は何が入りました?」

「タコとサバ!」

水族館で交わす言葉ではないようだが、椎名の網に入った魚を、漁師さんが見つくろって入れてくれるのである.

ウミガメは度々入り、保護団体が計測してタグをつけて放す.

最近メキシコのタグをつけたカメが来た.

太平洋を横断して遊泳後、また戻って生まれた場所に産卵に来たらしい.

 

(サバ)

 

魚は周囲の状況によって色が変わるという.

サバがいるが、見慣れた鯖寿司色?ではないコバルトブルーもいる.

 

(ヨシキリザメ)

 

魚は、より大きな魚に寄り添うものらしい.

サメの背後に小魚がくっついている.

大きな魚に対して安全だし、傍にいても後なら食べられる心配はない.

入荷をしらせてくれる魚屋のメールに、

「くじらつきのカツオが入りました.イワシをたっぷり食べて太っています」とあった.

近くの港の漁師さんが言っていた.

沖には漁船くらい大きいクジラ(マッコウクジラ)がいるが、イワシやカツオを大勢引き連れている.

イワシはまずカツオにつくべきであった.

 

4. 台地

 

(国道)

高知市から室戸への国道55号線は、海岸のわずかな土地を通る.

海の反対側は急傾斜の山だが、この上が台地で、田畑や集落、国道と並行する道があるとはなかなか信じられない.

 

(台地への道)

 

台地に至る古くからの道は、照葉樹林の中を曲がりくねって上がって行く.

 

(広域農道から)

 

今は1.5車線の広域農道がつくられ、深い谷は雄大な鉄橋で越えているので困難なく到達できる.

しかし台地の中の道は畦道が進化したようなもので、軽トラ用である.

田畑は林の間に点在し、土地は平らなので先が見えない.

 

(台地の道)

 

林をあちこち曲がりながら進んで行くと、突然行き止まりになったり、農家の庭先で終わったりする.

 

(イモ畑)

 

台地はもともと水が得難いので、サツマイモが主な産物であった.

西山台地のイモはブランドになっている.

 

(太平洋を見下ろす水田)

 

傾斜がないので見通しが効かず、意外に海は端でないと見えない.

また意外に水田が多い.

どこでも昔から農業をやるなら稲作であり、そのためあちこちに溜池がつくられている.

 

(集落と溜池)

 

ビワ、ポンカンなどの果樹が育てられているが、茶畑もある.

室戸の玉露はイメージと違うようだが、温暖ながら標高200mで霧がかかるし、窪地があって風の心配も少ない.

日当たりが良く、海の荒波や行き交う車と隔絶された静かな別天地である.

 

関連記事リンク:

室戸の街と札所

海の楽しみ、釣りにマリンスポーツ

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(おわり)

 

 

2018年7月3日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学94 桧と棚田の山の町、本山

本山は高知市の北、約30kmのところにある山の町である.

土讃線大杉駅、高速道路の大豊インターに近い.

標高1,470mの白髪山の麓にある.

白髪山系一帯にはヒノキの森林が広がっていて、魚梁瀬のスギと共に土佐藩の財政を支えていた.

後年、森林鉄道が設置されて搬出を行った.

今、天然林は限られているが、樹齢250から300年のヒノキがあるという.

本山はその高価なヒノキの林業の基地として栄えた.

 

2018年6月18日 最終版

 

 

1.本山の町

 

(大杉駅)

 

大杉駅は森林をイメージしたつくりで、工業高校生のデザインである.

ここからバスで町に向かう.

 

(坂の町)

 

本山は坂の町だ.

町全体が山の斜面にある.

 

(旅館)

 

国道のバイパスができているが、旧市街には旅館や飲み屋がある.

昔ながらの小さなパチンコ屋があり、建物も看板も古びているが、店の中の蛍光灯がついているのでやっているらしい.

 

2.文学館

 

(大原富枝文学館)

 

「女流作家」は今では死語に近い.

もちろん現在も女性の作家はいるが、ことさら男性、女性と区別することはない.

かつての女流作家は、「女性が、女性の視点で、女性を描く」ことがその真骨頂であった.

書く側も読む側も、敗戦の結果生まれた「男女同権、女性の自立」を踏まえていたからだろう.

大原富枝はその一人である.

1912(大正元)年に本山町で生まれ、高知女子師範に進学したが、結核に侵され故郷に帰り、10年間療養生活を送った.

 

(本山の町)

 

29歳のとき、一大決心をして上京し、文筆の道を志す.

16年後、文学賞を得て作家生活が軌道に乗る.

代表作「婉(えん)という女」は、土佐の大土木工事を行った野中兼山が失脚し、一族の女性が40年間土佐の外れ、宿毛の山間に幽閉された物語である.

大原が10年間出歩くこともままならず、山を見上げるだけの暮らしを送ったことが投影されているであろう.

記念の文学館は元の裁判所を利用してつくられている.

文学館に接してホールがあり、冬の夜にコンサートに来た.

ひどく寒い日で、道には雪がうっすらとし、出演者は度々鼻をかんでいた.

しかし雪の山の中でのコンサートには趣があった.

 

3.教会

 

(教会)

 

坂の上に小さな教会がある.

パイプオルガンのあるお宅もあるらしい.

歴代の牧師の名が刻まれた石碑がある.

それによれば、初代は1872 (明治5)年となっている.

切支丹禁制が解かれたのは明治6年だから、それよりも早く信仰が始まっていたことになる.

高知市から見ると、本山は辺鄙な山の中である.

しかし、高知城下から瀬戸内に出る、参勤交代に使われた街道の中ほどにある.

今、高速道路が大体それに沿っていて、太平洋から瀬戸内海まで30分であり、本山に行く大豊ICはほぼ中間になる.

地図を南北逆にして見ると、荒波の岬と山脈で隔絶され、武士が威張る高知城下がむしろ辺境である.

本山の方が「文明開化」が進む瀬戸内に近いのだ.

 

4.棚田

 

四国を縦断して流れる吉野川のこの辺りは棚田地帯である.

北岸は急な山腹だが、南岸の谷あいは破砕帯が滑った緩い傾斜で、水田に適している.

吉延、伊勢川、高須とあるが、行政的に後2者は土佐町である.

 

(棚田の夏)

 

棚田は一日の気温変化が大きいので、美味い米ができる.

吉延では、室戸海洋深層水のにがり成分を加えて育成した米を「天空の郷」として売っている.

認定された条件での稲作だけがブランドを許される.

 

(棚田の道)

 

(棚田の水)

 

清冽な水が棚田の上から下に流れる.

 

(棚田の中)

 

オタマジャクシがわんさといる.

ヘビも水田に入ってオタマジャクシを追い回している.

 

(神社)

 

棚田の中の神社に「大正15年帰朝記念、松岡梅吉」と刻まれた狛犬がある.

「北米加奈陀に二十有余年」とあり、20年なら1906(明治40)年の渡航である.

当時カリフォルニアでは日本人移民が激増し、「日本人来るな!隔離せよ!」の排日運動が盛んであった.

梅吉の仕事はわからないが、本山出身ならロッキーでの林業だったのかもしれない.

 

(学校の跡)

 

見上げるとブランコの支柱が見える.

上がってみると、果せるかな学校の跡であった.

梅吉は子どもたちに外国の話をしただろうか.

 

(ツリーハウス?)

 

横に入った高角(たかつの)の集落には、仰天するオブジェ、色とりどりの水車、ツリーハウスがある.

公開されてはいないが、「アーティスト」がいるらしい.

 

5.棚田の秋

 

(棚田の秋)

 

棚田には夏の緑、刈入れ後のわらぼっちの列など、四季折々の姿がある.

しかし黄金色の稔りの時期が一番華やかだろう.

秋、孫二人を連れて歩く男性に出会った.

棚田は圃場整理で今の大きさになっているという.

昔はもっと小さい区画だったらしい.

 

(キャンペーンガール.棚田をよろしくね!)

 

棚田を回るフットパスが設定されている.

歩き疲れれば木陰で昼寝、最高だ.

 

 

(おわり)

 

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2018年6月15日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学93 高知のぶらぶら町歩き2 商店街編

どこか知らない土地に行ったとき、面白くて後からの印象に残るのは、案外土地の人の買物の場のように思う.

ミャンマーの裏通りでは香辛料をスコップで掬っていたし、フランスの市場ではウサギが皮を剥かれて吊るされていた.

それに比べれば「名所」の見物は、観光ガイドブックで見た写真の確認作業のようでもある.

第1編では高知の中心街を回ったが、次はディープに商店街を回ってみよう.

 

2018年6月7日 最終版

 

 

1.高知の商店街

 

高知の商店街は、中央の帯屋町は別格として市域にいくつかある.

ほとんどが夏のよさこい踊りの演舞場となっている.

菜園場、魚の棚、はりまや、愛宕、大橋通、天神橋通、桝形、などがある.

近くの商店街に行けば、生活すべてに必要な買物ができたのだ.

高知市民の買物の場として知られているのは日曜市だが、毎日ではない.

また仮設だから、どうしても野菜、果物など並ぶ品物が限られる.

 

(日曜市)

 

木曜市、火曜市もあるが規模は小さい.

「商店街」はいつでもよい.

いくつか回ってみよう.

 

2.菜園場

 

菜園場(さえんば)の名は、昔、藩主の野菜をつくった場所だったことから来ている.

はりまや橋から東へ、電車で一停留所だが歩いて行ける.

 

(菜園場入口)

 

(菜園場商店街)

 

入口にはパン屋がある.

パンには薄緑クリームのメロン、薄桃のいちごがある.

アンパンは普通の丸形でなくジャムパン形だが、しつこくなく和菓子的だ.

看板には「かすていら」とあるが、今は作っていないそうだ.

高知のカステラ屋は、電車通り南側の大変判り難い場所にある.

 

(青物)

 

野菜、果物は商店街の定番である.

おばさん方が店の前で待機?している.

荒物も売っている.

 

(漬物と洋品店)

 

洋品店も商店街に必ずある.

こういうものは「ユニクロ」「しまむら」にはない.

商品の回転率は高くなさそうだが、はやりすたりがないからいいのだろう.

「昔懐かしい」、「時間が止まったような」という表現になるのかもしれない.

しかし店を出す人も、買い物に来る人も、そういう理由なのではない.

「ここなら買える」、あるいはもっと積極的に「ここでなければ買えない」のである.

シャッターを閉めた店もある.

漬物屋のおばさんが言っていた.

道の向こうは揚げものの店であったが、設備を新しくするのにお金がかかるのでやめた.

それはそれで止むを得ない.

 

3.魚の棚

 

魚の棚は、菜園場からはりまや橋に戻る道の横丁である.

「はりまや橋」が渡る水路の傍から魚を上げていたので、この名があるそうだ.

商店街というには狭くて短いが、一通り揃っている.

 

(魚の棚)

 

(コロッケ)

 

カフェに居酒屋まである.

クチュールも若者向けだ.

 

4.大橋通

 

大橋通は高知城に近い一角である.

今「ひろめ市場」があって観光客で賑わうが、もともとは市民日常の買物の場であった.

すり身の揚げ物を高知では「てんぷら」というが、店先で揚げて売っている.

 

(てんぷら)

 

京都の錦小路は市民買物の場であったが、今は外国人観光客が串をくわえながら歩く通りになっている.

先日行ったら、一番人気はイイダコと卵の串刺しであった.

高知でも串には事欠かない.

 

(大橋通の魚)

 

魚屋は3軒ある.

新鮮で旨そうで安いアラが並んでいる.

お土産に持って帰るわけにはゆかないから、地元民の特権だ.

店の中の1軒の本店は電車で6停留所西の、上町(かみまち)にある.

 

(上町の魚屋)

 

メールで今日の入荷を知らせてくれる.

本日のお勧めは、活〆天然平スズキであった.

(喫茶店)

 

大橋通の突き当りに、2軒の「正統喫茶店」が並んでいる.

昼下がりに一休みした.

入ってきた若者は、迷わず「ヤキメシ!」と注文した.

隅では老婦人が一人、ランチセットをゆっくりゆっくり食べている.

奥では数人の男女が、テーブルを囲んで打ち合わせをしている.

カウンターでは高齢の男性がコーヒーを味わっている.

 

(お赤飯セット)

 

高知でお祝いの配り物の定番といえば、大橋通の角にある中納言の赤飯、紅白の饅頭または餅である.

展示の見本を見ると、赤飯の折詰めや餅の最大は1升だ.

店内にイートインスペースがあって、お赤飯や栗おこわが食べられる.

赤飯には、これでもかというくらい小豆が入っていた.

 

(餅ばあす)

 

高知では新築の家が出来上がったとき、紅白の餅投げをすることが普通である.

大学の新棟落成でも行われる.

袋麺、お菓子、玩具も投げられる.

缶ビールを投げた例もあるらしく、ナイスキャッチが必要だ.

高知で「餅ばあす」と言っている.

「ばあす」とは「奪う」の意味で、「餅奪い」なのである.

激烈な争奪戦に小さな子どもが巻き込まれるのは危ない.

そこで大人と子ども、2部制でやる場合もあるらしい.

まあ1升の餅を投げることはないだろうが.

 

(おわり)

2018年6月2日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学92 高知のぶらぶら町歩き1 中心街編

高知には、毎週のように内外観光客を乗せたクルーズ船がやってくる.

高級な船もあれば、格安大型船もある.

高知の人は自嘲的に、見るものは高知城と桂浜くらいや、などと言っている.

しかし、不評なら繰り返し来ることもあるまい.

改めて高知の町のぶらぶら歩きをしてみよう.

最初は中心街である.

 

2018年5月25日 最終版

 

 

(クイーンエリザベスⅡ)

 

 

1.高知城

 

(高知城)

 

京都、金沢にはお城や天守閣がない.

高知にはある.

広さ、高さが手頃なので、高齢の観光客でも音をあげることはない.

多くの有名天守閣は、安全のため欄干に網を張ったり手摺を高くしている.

高知城での落下は自己責任で、手が加えられていない.

以前は夜間照明がなく、ビル上の某クラブのママが、店からサーチライトで照らしていたそうだ.

マイキャッスルである.

 

(木陰にて)

 

入口横の木陰は、市民の将棋の場となっている.

ジャパニーズチェスである.

今しも、新しく来た一人が持参の台を広げるところだ.

観光客が飛び入りしても、嫌な顔をされることはないだろう.

どちらが「おぬし、やるなぁ」となるだろうか.

 

2.はりまや橋

 

(電車の中から)

 

はりまや橋は、自他共に許す「がっかり名所」である.

もともとは、有名でもなんでもない小さな橋であった.

路面電車の南北と東西の路線がここで交叉するようになり、停留所にその名がつけられ、高知の中心イメージに成長した.

映画のロケで初代の赤く塗った橋がつくられた.

しかし「がっかり」もここまでくれば「マスト」のアイテムとなり、みんなスマホを構える.

 

(はりまや橋交差点)

 

交差点の北西は土産物店、向いはからくり時計のあるバス切符売場である.

南東のビルは以前西友デパートだったが、今は大阪資本のパチンコ店である.

向いは地銀の本店で、3時で閉まる.

いささか「中央感」に欠けるが、「がっかり」なので当然と言えば当然だが.

 

3.水辺

 

(鏡川)

 

高知市は、鏡川、国分川などが流した土砂が積もってできた沖積地の上にある.

江戸、大阪と同じく、分流や人工の掘割が複雑に入り組む「水の都」である.

市域を鏡川が貫通する.

春、河原にはアサリを掘る人たちがいる.

今年、鏡川の鮎の遡上は多いようで、解禁で竿を出す人もいる.

漁券は商店街で売っている.

町中で潮干狩りや鮎釣り、粋ではないか.

 

(浦戸湾、向こうが高知市街)

 

鏡川は浦戸湾に流れ込む.

7km先の湾口が桂浜である.

「月の名所は桂浜」というが、昔は船か峠越えでないと行けなかった.

浦戸湾は淡水と海水が混じる汽水域で、怪魚アカメが生息している.

光線の角度によって目が真っ赤になる.

体長131cm、重さ39kgが釣れたそうだが、キャッチアンドレリースが基本になっている.

 

(アカメ、中村のトンボ公園内水族館で)

 

何にせよ高知は釣り師天国である.

 

3.帯屋町

 

(帯屋町)

 

高知一番の商店街は、はりまや橋から高知城近くまで1km続く帯屋町である.

ファッション、ドラッグ、宝飾品、時計、パチンコ、その他何でもある.

オリエンタル調豊かな仏具店もある.

 

(仏具店)

 

(よさこい衣装)

 

意表を突く、よさこい祭りフアッションの店もある.

食べ物屋も何でもあるが、外国人観光客はよくマックに入っている.

ここまで来てマックはないと思うが、日本人が異国で「吉野家」に入るようなもので、安心感があるのだろう.

 

(大橋通)

 

連休など人出の多いときは、街路も利用される.

「藁焼きたたき」は、もちろん高知を代表する料理であり、焼き立てがその場で食べられる.

 

(オープンテラスで)

 

高知城近くの「ひろめ市場」はあまりにも有名な存在になって、大変な人混みである.

付近にその延長となる施設が拡大されている.

屋外は開放的で楽しいし、通りがかりの客も、覗けば何が食べられるかよくわかる.

カクテルやウィスキーのスタンドバーもあって、陽は高いが賑わっている.

大抵の人は、大小あるがビールを飲んでいる.

銀座の歩行者天国とは大分違う.

高知観光の醍醐味は、昼間から堂々と酒を呑めることである.

 

(はりまや橋近く)

 

ひろめ市場は肩肘張らないが、失礼ながら東南アジア場末的イメージである.

一方はりまや橋付近には、昔からの「正統派食堂」が多い.

日本が誇る技術の食品サンプルが用いられている.

あるアメリカ人女性は「これはいいワ!よくわかる!」と感嘆していた.

ただ、歴史的風土の高知城近くが猥雑で、新開地のはりまや橋が正統的、逆のようでもあるが.

 

 

(おわり)

 

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2018年5月22日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

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