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高知学96 2018年7月豪雨のあと1、海岸と馬路、魚梁瀬

2018年7月、西日本に大災害を生じた豪雨、もともと雨の多い高知でも被害を受けた.

小学校の地理では、雨が降らない瀬戸内の海岸には塩田がつくられている、と習った.

いま大規模な塩田で製塩が行われることはなく、跡地は工業地帯になっている.

ところが、雨が少ないはずの瀬戸内を西から東へ、絶えまなく雨雲が流れた.

四国では、普段台風など来ない西岸の大洲、宇和島、宿毛に直接雨雲が当って大水害となった.

高知の東部は、室戸と言えば台風が連想されるように、風水害常襲地域である.

今回も馬路村魚梁瀬では、1,500mmの降水量を記録した.

高知東部の河川を見る.

 

2018年7月27日 最終版

 

1.流木

 

(琴ヶ浜の流木)

 

豪雨は、特に7月5日から6日にかけてすさまじかった.

深夜、雨の耳を聾する轟音が続き、スマホの緊急情報音がひっきりなしに鳴り響く.

ようやく雨が静まった後海岸に出てみると、打ち上げられた枝葉と丸太が列をつくっている.

テトラポットに突き刺さった丸太もある.

 

(住吉海岸、7月18日)

 

1週間を過ぎ、重機が多数出動して順次流木が除去される.

しかし、全海岸となるといつになることか.

海上保安部の航空機からの観察では、土佐湾に20-40cm径、長さ2-10mの丸太が450本漂っているそうで、船に警戒を呼び掛けている.

海を双眼鏡で見ると、毎日のように1、2本の丸太が西に流れていた.

これだけの流木がどこから来たのか、付近に大きい川はない.

土佐湾には反時計周りの海流がある.

沖合を西から東に流れる黒潮の端が室戸岬にぶつかって、円弧状の土佐湾に渦ができる.

流木は東の安芸、室戸方面から流れてきたのである.

 

(整理された海岸)

 

流木が除去され、海は一見元に戻ったように見える.

しかしその色はまだ本来のものではない.

コバルトブルーはきれいに見えるが、氷河湖などと同じく、海水に懸濁する微細な砂の乱反射によるものである.

 

2.安田川

 

 

高知東部には、西から安芸川、伊尾木川、安田川、奈半利川の大きい河川がある.

いずれも流れは単純で、1,200-1,400mの山から直線的に急流が海に流れ込んでいる.

2週間を過ぎた7月19日、高知東部を訪ねた.

安芸川、伊尾木川の被害は大きく、まだ泥流で通行止もある.

安田川を遡って、馬路、魚梁瀬に行き、奈半利川を戻った.

 

(安田川)

 

安田川に入ると、意外にも川は全く澄んでいる.

鮎の釣人が大変多い.

他の河川は壊滅状態なので、ここしかないとも言えるが.

 

(渓谷)

 

次第に山は深くなるが、いつに変わらない風景である.

 

(崩壊の跡)

 

高知はどこでもそうなのだが、もちろん?安田川流域でも山腹の崩壊はあって、補修の跡が残る.

 

(馬路)

 

馬路には役場やユズの加工場がある.

訊くと、岸の茶色くなった辺りまで水が来て心配したが、大事まで至らなかったそうだ.

営林署があり、森林鉄道の基地であった.

森林鉄道が通った道をさらに遡り、魚梁瀬に向かうトンネルを抜けると、安田川から奈半利川水系に変る.

 

(魚梁瀬)

 

魚梁瀬ダムは、1965年に完成した非常に大きい水力発電用ダムである.

これに伴って集落は水没するため移転し、各地に通じていた森林鉄道は廃止になった.

下流にはさらに二つのダムがあり、共通で運用されている.

ダム湖の岸には土が見えるが、先日はこれが隠れるくらいの満水になったという.

その後放水が続いて、現在の水位になっている.

 

(久木ダム)

 

ダム湖は巨大な水溜まりであり、水の動きはない.

周囲の山からの土砂や湖岸の土が流れ込んで濁るが、この濁水を排出しなくてはならない.

どこのダムでも濁水は問題になっているが、降雨量が多いと濁水も増える.

魚梁瀬ダムから流れ出た土色の水が下のダムに貯まって、緑の森林の中に泥の流れと泥の池がある異様な風景である.

 

(発電所水路からの排水、右は小川川)

 

奈半利川を下って行くと発電所があり、山を潜って放水路の出口がある.

久木ダムを通った泥水で、発電機の水車が傷まないものか心配になる.

ここは小川川との合流点で、こちらの水は青い.

 

(竹屋敷、2017年1月.このときは女性と犬の声がした)

 

小川川の先の竹屋敷は、魚梁瀬と同じくらいの山深くにある.

森林鉄道が通じ、林業の基地であり、分校もあった.

訪ねる度に人が減ることを感じたが、昨年最後の住人が山を下り、村営バスも運行を終了した.

川だけは澄み切っている.

 

(奈半利川)

 

小川川が合流しても、濁水はあまり薄まらず流れてゆく.

川沿いに最近新築された北川温泉で訊くと、8月末まで濁りが続くと知らされているそうだ.

夏を過ぎれば、ようやく高知の海は元に戻るのだろう.

 

 

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(おわり)

 

2018年7月21日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学臨時、2018年7月豪雨

2018年7月、西日本の広い範囲で豪雨となり、多くの被害を生じました.

高知でも死者が出る結果となりました.

ご冥福をお祈りしております.

高知に対して、皆様から寄せられたご心配と暖かいお心遣いに厚く感謝申し上げます.

一方、愛媛、広島、岡山など、これまで水害が少なかった地域で甚大な被害になっています.

これらの地域の方々の生活が、早く元に戻られることを祈念いたします.

 

(2018年7月13日)

 

(7月6日、夜須川)

 

住んでいる香南市夜須町には夜須川が流れています.

「車軸を流す」豪雨が降り続き、溢れることも予想され、流れに近い方々は心配されたことでしょう.

一部のハウスは浸水し、出荷前のスイカやメロンが駄目になったということです.

 

(7月6日、夜須の海)

 

泥の流れが川から海に入って広がってゆきます.

 

(7月9日、夜須川)

 

幸い川が溢れることはなく、流れは少しづつ澄んできました.

 

(7月9日、夜須の海)

 

海岸には川から多数の枝葉が打ち寄せています.

何本もの丸太が来るのはこれまで無かったことで、豪雨のひどさを感じます.

この処理も大変ですが、海は沖合い遠くまで濁りました.

漁師さんは、年々雨による増水が多くなり、泥水をかき分けるようなことが多いと話していました.

山が荒れて含水量が減り、少しの雨でも土が流れ出すからです.

豊かな森林を取り戻すことが非常に重要です.

豪雨後、宮古島などを襲った台風によるうねりでまたかき回され、なかなか海は澄みませんでした.

7月13日、ようやく沖に船が出てブリの養殖の世話をしています.

 

(おわり)

 

2018年7月9日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学95 室戸の海岸、廃校水族館と台地の産物

室戸岬は太平洋に向かって突き出ている.

沖合140km辺りで、北に向かって動く海洋プレートが日本列島の陸地にぶつかり、下に潜り込んでいる.

陸が引きずり込まれるので、室戸岬はいま毎年7mm沈みつつある.

やがて限度が来て跳ね上がり、南海トラフ地震が発生する.

跳ね上がる量は1回で1.2-2mである.

100年ごとにこれが繰り返され、室戸岬の地形がつくられてきた.

 

2018年7月17日 最終版

 

(室戸岬)

 

1.断崖と台地

 

室戸岬の東と西では、海岸の様子が全く異なる.

 

(室戸岬の東岸)

 

東は海底に断層があり、山から急傾斜が水深1,000mまで落ち込んでいる.

 

(室戸岬の西岸)

 

西は長年に渡って泥や砂が積もった平らな海底が、そのまま隆起して台地になっている.

 

2.佐喜浜

 

東海岸は急傾斜の山が海に面し、湿気を含んだ風が直接当たって雨が多い.

そのため森林が豊かで、岬から北20kmの佐喜浜では森林鉄道が敷かれ、スギを搬出していた.

今も幹周り12mにもなる天然杉があるそうだ.

 

(加奈木の崩え.左の奥だが木が茂って判り難い)

 

しかし一方で山崩れを起こし易い.

加奈木の崩え(つえ)はその一つで、1707年の宝永地震によるとも、1746年の豪雨によるともされている.

 

(佐喜浜川)

 

本格的な治山工事は1916年に始まり、1964年に終わっているが、今も川には痕跡が残る.

 

3.  廃校水族館

 

一方、海底が急に落ち込んでいるので、多種類の魚が集まる.

そのため大規模な定置網(大敷網)による漁業が行われている.

椎名に元の小学校を利用した「廃校水族館」がオープンした.

 

(ウミガメとシュモクザメ)

 

25mと低学年用、二つのプールが屋外水槽として使われている.

「今日は何が入りました?」

「タコとサバ!」

水族館で交わす言葉ではないようだが、椎名の網に入った魚を、漁師さんが見つくろって入れてくれるのである.

ウミガメは度々入り、保護団体が計測してタグをつけて放す.

最近メキシコのタグをつけたカメが来た.

太平洋を横断して遊泳後、また戻って生まれた場所に産卵に来たらしい.

 

(サバ)

 

魚は周囲の状況によって色が変わるという.

サバがいるが、見慣れた鯖寿司色?ではないコバルトブルーもいる.

 

(ヨシキリザメ)

 

魚は、より大きな魚に寄り添うものらしい.

サメの背後に小魚がくっついている.

大きな魚に対して安全だし、傍にいても後なら食べられる心配はない.

入荷をしらせてくれる魚屋のメールに、

「くじらつきのカツオが入りました.イワシをたっぷり食べて太っています」とあった.

近くの港の漁師さんが言っていた.

沖には漁船くらい大きいクジラ(マッコウクジラ)がいるが、イワシやカツオを大勢引き連れている.

イワシはまずカツオにつくべきであった.

 

4. 台地

 

(国道)

高知市から室戸への国道55号線は、海岸のわずかな土地を通る.

海の反対側は急傾斜の山だが、この上が台地で、田畑や集落、国道と並行する道があるとはなかなか信じられない.

 

(台地への道)

 

台地に至る古くからの道は、照葉樹林の中を曲がりくねって上がって行く.

 

(広域農道から)

 

今は1.5車線の広域農道がつくられ、深い谷は雄大な鉄橋で越えているので困難なく到達できる.

しかし台地の中の道は畦道が進化したようなもので、軽トラ用である.

田畑は林の間に点在し、土地は平らなので先が見えない.

 

(台地の道)

 

林をあちこち曲がりながら進んで行くと、突然行き止まりになったり、農家の庭先で終わったりする.

 

(イモ畑)

 

台地はもともと水が得難いので、サツマイモが主な産物であった.

西山台地のイモはブランドになっている.

 

(太平洋を見下ろす水田)

 

傾斜がないので見通しが効かず、意外に海は端でないと見えない.

また意外に水田が多い.

どこでも昔から農業をやるなら稲作であり、そのためあちこちに溜池がつくられている.

 

(集落と溜池)

 

ビワ、ポンカンなどの果樹が育てられているが、茶畑もある.

室戸の玉露はイメージと違うようだが、温暖ながら標高200mで霧がかかるし、窪地があって風の心配も少ない.

日当たりが良く、海の荒波や行き交う車と隔絶された静かな別天地である.

 

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(おわり)

 

 

2018年7月3日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学94 桧と棚田の山の町、本山

本山は高知市の北、約30kmのところにある山の町である.

土讃線大杉駅、高速道路の大豊インターに近い.

標高1,470mの白髪山の麓にある.

白髪山系一帯にはヒノキの森林が広がっていて、魚梁瀬のスギと共に土佐藩の財政を支えていた.

後年、森林鉄道が設置されて搬出を行った.

今、天然林は限られているが、樹齢250から300年のヒノキがあるという.

本山はその高価なヒノキの林業の基地として栄えた.

 

2018年6月18日 最終版

 

 

1.本山の町

 

(大杉駅)

 

大杉駅は森林をイメージしたつくりで、工業高校生のデザインである.

ここからバスで町に向かう.

 

(坂の町)

 

本山は坂の町だ.

町全体が山の斜面にある.

 

(旅館)

 

国道のバイパスができているが、旧市街には旅館や飲み屋がある.

昔ながらの小さなパチンコ屋があり、建物も看板も古びているが、店の中の蛍光灯がついているのでやっているらしい.

 

2.文学館

 

(大原富枝文学館)

 

「女流作家」は今では死語に近い.

もちろん現在も女性の作家はいるが、ことさら男性、女性と区別することはない.

かつての女流作家は、「女性が、女性の視点で、女性を描く」ことがその真骨頂であった.

書く側も読む側も、敗戦の結果生まれた「男女同権、女性の自立」を踏まえていたからだろう.

大原富枝はその一人である.

1912(大正元)年に本山町で生まれ、高知女子師範に進学したが、結核に侵され故郷に帰り、10年間療養生活を送った.

 

(本山の町)

 

29歳のとき、一大決心をして上京し、文筆の道を志す.

16年後、文学賞を得て作家生活が軌道に乗る.

代表作「婉(えん)という女」は、土佐の大土木工事を行った野中兼山が失脚し、一族の女性が40年間土佐の外れ、宿毛の山間に幽閉された物語である.

大原が10年間出歩くこともままならず、山を見上げるだけの暮らしを送ったことが投影されているであろう.

記念の文学館は元の裁判所を利用してつくられている.

文学館に接してホールがあり、冬の夜にコンサートに来た.

ひどく寒い日で、道には雪がうっすらとし、出演者は度々鼻をかんでいた.

しかし雪の山の中でのコンサートには趣があった.

 

3.教会

 

(教会)

 

坂の上に小さな教会がある.

パイプオルガンのあるお宅もあるらしい.

歴代の牧師の名が刻まれた石碑がある.

それによれば、初代は1872 (明治5)年となっている.

切支丹禁制が解かれたのは明治6年だから、それよりも早く信仰が始まっていたことになる.

高知市から見ると、本山は辺鄙な山の中である.

しかし、高知城下から瀬戸内に出る、参勤交代に使われた街道の中ほどにある.

今、高速道路が大体それに沿っていて、太平洋から瀬戸内海まで30分であり、本山に行く大豊ICはほぼ中間になる.

地図を南北逆にして見ると、荒波の岬と山脈で隔絶され、武士が威張る高知城下がむしろ辺境である.

本山の方が「文明開化」が進む瀬戸内に近いのだ.

 

4.棚田

 

四国を縦断して流れる吉野川のこの辺りは棚田地帯である.

北岸は急な山腹だが、南岸の谷あいは破砕帯が滑った緩い傾斜で、水田に適している.

吉延、伊勢川、高須とあるが、行政的に後2者は土佐町である.

 

(棚田の夏)

 

棚田は一日の気温変化が大きいので、美味い米ができる.

吉延では、室戸海洋深層水のにがり成分を加えて育成した米を「天空の郷」として売っている.

認定された条件での稲作だけがブランドを許される.

 

(棚田の道)

 

(棚田の水)

 

清冽な水が棚田の上から下に流れる.

 

(棚田の中)

 

オタマジャクシがわんさといる.

ヘビも水田に入ってオタマジャクシを追い回している.

 

(神社)

 

棚田の中の神社に「大正15年帰朝記念、松岡梅吉」と刻まれた狛犬がある.

「北米加奈陀に二十有余年」とあり、20年なら1906(明治40)年の渡航である.

当時カリフォルニアでは日本人移民が激増し、「日本人来るな!隔離せよ!」の排日運動が盛んであった.

梅吉の仕事はわからないが、本山出身ならロッキーでの林業だったのかもしれない.

 

(学校の跡)

 

見上げるとブランコの支柱が見える.

上がってみると、果せるかな学校の跡であった.

梅吉は子どもたちに外国の話をしただろうか.

 

(ツリーハウス?)

 

横に入った高角(たかつの)の集落には、仰天するオブジェ、色とりどりの水車、ツリーハウスがある.

公開されてはいないが、「アーティスト」がいるらしい.

 

5.棚田の秋

 

(棚田の秋)

 

棚田には夏の緑、刈入れ後のわらぼっちの列など、四季折々の姿がある.

しかし黄金色の稔りの時期が一番華やかだろう.

秋、孫二人を連れて歩く男性に出会った.

棚田は圃場整理で今の大きさになっているという.

昔はもっと小さい区画だったらしい.

 

(キャンペーンガール.棚田をよろしくね!)

 

棚田を回るフットパスが設定されている.

歩き疲れれば木陰で昼寝、最高だ.

 

 

(おわり)

 

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2018年6月15日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学93 高知のぶらぶら町歩き2 商店街編

どこか知らない土地に行ったとき、面白くて後からの印象に残るのは、案外土地の人の買物の場のように思う.

ミャンマーの裏通りでは香辛料をスコップで掬っていたし、フランスの市場ではウサギが皮を剥かれて吊るされていた.

それに比べれば「名所」の見物は、観光ガイドブックで見た写真の確認作業のようでもある.

第1編では高知の中心街を回ったが、次はディープに商店街を回ってみよう.

 

2018年6月7日 最終版

 

 

1.高知の商店街

 

高知の商店街は、中央の帯屋町は別格として市域にいくつかある.

ほとんどが夏のよさこい踊りの演舞場となっている.

菜園場、魚の棚、はりまや、愛宕、大橋通、天神橋通、桝形、などがある.

近くの商店街に行けば、生活すべてに必要な買物ができたのだ.

高知市民の買物の場として知られているのは日曜市だが、毎日ではない.

また仮設だから、どうしても野菜、果物など並ぶ品物が限られる.

 

(日曜市)

 

木曜市、火曜市もあるが規模は小さい.

「商店街」はいつでもよい.

いくつか回ってみよう.

 

2.菜園場

 

菜園場(さえんば)の名は、昔、藩主の野菜をつくった場所だったことから来ている.

はりまや橋から東へ、電車で一停留所だが歩いて行ける.

 

(菜園場入口)

 

(菜園場商店街)

 

入口にはパン屋がある.

パンには薄緑クリームのメロン、薄桃のいちごがある.

アンパンは普通の丸形でなくジャムパン形だが、しつこくなく和菓子的だ.

看板には「かすていら」とあるが、今は作っていないそうだ.

高知のカステラ屋は、電車通り南側の大変判り難い場所にある.

 

(青物)

 

野菜、果物は商店街の定番である.

おばさん方が店の前で待機?している.

荒物も売っている.

 

(漬物と洋品店)

 

洋品店も商店街に必ずある.

こういうものは「ユニクロ」「しまむら」にはない.

商品の回転率は高くなさそうだが、はやりすたりがないからいいのだろう.

「昔懐かしい」、「時間が止まったような」という表現になるのかもしれない.

しかし店を出す人も、買い物に来る人も、そういう理由なのではない.

「ここなら買える」、あるいはもっと積極的に「ここでなければ買えない」のである.

シャッターを閉めた店もある.

漬物屋のおばさんが言っていた.

道の向こうは揚げものの店であったが、設備を新しくするのにお金がかかるのでやめた.

それはそれで止むを得ない.

 

3.魚の棚

 

魚の棚は、菜園場からはりまや橋に戻る道の横丁である.

「はりまや橋」が渡る水路の傍から魚を上げていたので、この名があるそうだ.

商店街というには狭くて短いが、一通り揃っている.

 

(魚の棚)

 

(コロッケ)

 

カフェに居酒屋まである.

クチュールも若者向けだ.

 

4.大橋通

 

大橋通は高知城に近い一角である.

今「ひろめ市場」があって観光客で賑わうが、もともとは市民日常の買物の場であった.

すり身の揚げ物を高知では「てんぷら」というが、店先で揚げて売っている.

 

(てんぷら)

 

京都の錦小路は市民買物の場であったが、今は外国人観光客が串をくわえながら歩く通りになっている.

先日行ったら、一番人気はイイダコと卵の串刺しであった.

高知でも串には事欠かない.

 

(大橋通の魚)

 

魚屋は3軒ある.

新鮮で旨そうで安いアラが並んでいる.

お土産に持って帰るわけにはゆかないから、地元民の特権だ.

店の中の1軒の本店は電車で6停留所西の、上町(かみまち)にある.

 

(上町の魚屋)

 

メールで今日の入荷を知らせてくれる.

本日のお勧めは、活〆天然平スズキであった.

(喫茶店)

 

大橋通の突き当りに、2軒の「正統喫茶店」が並んでいる.

昼下がりに一休みした.

入ってきた若者は、迷わず「ヤキメシ!」と注文した.

隅では老婦人が一人、ランチセットをゆっくりゆっくり食べている.

奥では数人の男女が、テーブルを囲んで打ち合わせをしている.

カウンターでは高齢の男性がコーヒーを味わっている.

 

(お赤飯セット)

 

高知でお祝いの配り物の定番といえば、大橋通の角にある中納言の赤飯、紅白の饅頭または餅である.

展示の見本を見ると、赤飯の折詰めや餅の最大は1升だ.

店内にイートインスペースがあって、お赤飯や栗おこわが食べられる.

赤飯には、これでもかというくらい小豆が入っていた.

 

(餅ばあす)

 

高知では新築の家が出来上がったとき、紅白の餅投げをすることが普通である.

大学の新棟落成でも行われる.

袋麺、お菓子、玩具も投げられる.

缶ビールを投げた例もあるらしく、ナイスキャッチが必要だ.

高知で「餅ばあす」と言っている.

「ばあす」とは「奪う」の意味で、「餅奪い」なのである.

激烈な争奪戦に小さな子どもが巻き込まれるのは危ない.

そこで大人と子ども、2部制でやる場合もあるらしい.

まあ1升の餅を投げることはないだろうが.

 

(おわり)

2018年6月2日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

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