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高知学82 車で辿る歩きへんろの道 2 .30番善楽寺から32番禅師峰寺

四国遍路88ヶ所の旅の原点は、昔からの歩きへんろである.

遍路道の総延長は、約1,100km.

長いように思えるが、日本橋から京・三条大橋まで、東海道53次は約500km、中山道は少し長かった.

昔の人にとっては、東京・京都を往復する程度の距離で、驚くほどではない.

33、53、88、100などと数値目標があると、達成したくなるのが人情である.

しかし、楽しいのはその過程である.

百名山登頂は目標であるが、ヘリコプターで行ったのでは意味がない.

登山することに楽しみがある.

 

(植物園の中をへんろ道が通る)

 

四国遍路も同じで、88のスポットに行けばよいというものではない.

道中に意味と楽しさがある.

その点で歩きへんろは、もっとも充実した長い旅である.

偉そうなことを言ったが、目下足に歩き通す自信はない.

横着をして、歩きへんろの道を軽自動車で辿る.

 

 

2017年12月15日 最終版

 

1.善楽寺

 

29番国分寺から、約7kmで30番善楽寺に着く.

隣接して、夏祭り「しなね様」で高知市民に親しまれる土佐神社がある.

長い参道と立派な社殿である.

江戸時代では神仏が融合していて、寺もあったが、札所はこの神社であった.

明治になって神仏が分離し、寺は廃棄された.

その後いろいろな経過を経て、今の善楽寺がある.

 

(善楽寺)

 

金色に塗られた柱のコンクリートの本堂、入口に立つ大きな石像など、市内の寺院らしい.

 

2.善楽寺から竹林寺へ

 

(五台山から見た高知市東部、右端の森が善楽寺)

 

へんろ道は、歩きへんろ地図によれば、真っ直ぐ南下する.

行く手に次の五台山が見え、最短距離である.

しかし、この辺りはいくつかの河川が合流していて、昔は沼の多い湿地帯で、通行困難であった.

近年でも豪雨で水没し、国道の車が流され、ドライバーはガソリンスタンドの屋根に登って難を免れた.

鉄道はこの地を北に迂回している.

昔のへんろ道も同じように迂回していて、高知城下に向かう.

高知駅の東で、江ノ口川の山田橋を渡る.

時々通るが、どうということはない地域である.

 

(山田橋を南から)

 

しかし、昔は重要な場所であった.

写真の左、西側は高知城下であり、右は水田が広がり、城下の内外を分けていた.

番所があって手形を改め、城下に泊まる場合は、番所の指図に従う.

庄屋がつくった手形には、病死したときは土地で埋葬していただき、こちらに知らせる必要はありませんと記している.

右の城下外には、岡田以蔵などが処刑された獄舎もあった.

 

(堀川)

 

道は東に曲がり、堀川に沿う.

高知城は小山の上だが、高知市域は川の中州のような土地である.

いくつかの河川や改修した流れ、人工の掘割が複雑に入り組む「水の都」である.

 

(絶海のへんろ道)

 

五台山山麓の絶海(たるみ)集落を登り口に向かう.

道は次第に狭くなり、軽がやっとになり、ついに車の通行が不能になったところに登り口がある.

 

(竹林寺登り口)

 

31番竹林寺は標高130mの五台山の上で、小登山である.

登ると牧野植物園の中に出て、へんろ道は園内を通っている.

遍路にも歩きのツアーがあり、全行程を通す仕組もあるようだが、要所だけ歩くものもある.

丁度、ツアーの人たちが歩いていて、高齢の方もいるが、元気なものだ.

ただ、金毘羅さんは標高差175mを765の石段で登るので、それよりは楽だが.

 

(竹林寺)

 

五台山竹林寺は、高知市内に近く見晴らしもよいので、観光地である.

折柄紅葉のシーズンで、お遍路さんより観光客が多い.

 

3.竹林寺から禅師峰寺へ

 

(五台山を下りて)

 

遍路は普通1番から順に始める.

一方「逆打ち」という、88番から逆方向に回る歩き方があるが、この方が難しいと言われている.

五台山から階段を下ると、下に昔のへんろ石がある.

逆打ちではこれが登りの目印だが、古びて黒く、注意していないと見落としてしまう.

 

(下田川)

 

振り返ると竹林寺の五重塔が見える.

下田川は浦戸湾に近く、大潮ではかなり水位が上がるし、津波の心配もあり、堤防は高い.

川をその名も「へんろ橋」で渡り、集落に入る.

 

(唐谷のへんろ道)

 

お遍路さんに出会った.

迷惑の極致だが、軒先に避けていただいたので、深く礼をして通り過ぎる.

 

(高知市吹井)

 

青空の下で「冬の旅」を続けたが、陽が傾き始めた.

道は小さな峠をトンネルで抜け、ニュータウンを通って、浜通りに出る.

竹林寺から禅師峰寺は5.7km、あと少しである.

 

 

関連記事リンク:

どろめ祭りと砂浜の赤岡

香南市のチベットと怪事件

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(おわり)

高知学81 車で辿る歩きへんろの道.28番大日寺から30番善楽寺

友人、知人で、四国に行って88ヶ所を回ったよ、という人は結構多い.

ほとんどは車である.

しかし高知のあちこち、思いがけないところで、白装束のお遍路さんの歩く姿を見かける.

どんなところがルートになっているのだろう.

どんな景色を見て歩いているのだろう.

高知市の近郊、28番大日寺から29番国分寺を通って、30番善楽寺までの歩きへんろ道を辿る.

 

2017年12月6日 最終版

 

1.歩きへんろの道

 

(大日寺から国分寺へ.香美市松本)

 

遍路では、今いる寺から次の寺まで、時間を要せず、安全、かつ快適に移動しなくてはならない.

車ではカーナビを使うのが普通である.

最短距離、最小時間とは限らないが、運転のし易さから、国道、県道を通るルートが表示される.

歩く場合はどうか.

一般に「へんろ道保存協力会」が出版する地図帳、「四国遍路ひとり歩き同行二人」が使われる.

相当するモバイル版もあって、GPSを受信すれば、現在位置と共に進むルートがわかる.

ただし、カーナビが全面的には信用できないのと同じく、状況に応じた自己判断は必要である.

なお、自分は地形が判る地図が好きなので、1/25,000の地形図に上記を記入している.

偉そうなことを言ったが、20年前なら一日30kmは歩けたが、今は自信がない.

気が引けるが、軽自動車で、歩きへんろ道を辿る.

本当の歩きへんろさんには迷惑だが、農作業に来たとして許してもらおう.

 

2.大日寺

 

(野市駅)

 

土佐くろしお鉄道、ごめん・なはり線、野市(のいち)駅をスタートにする.

香南市野市は高知市から30分で、高知でもっとも賑やかな近郊である.

スーパー、ドラッグ、ファミレス、ファストフード、紳士服、ビジネスホテル、温泉があり、基地になる.

徳島県内の1番札所からここまで、全行程1,100kmの約1/3を歩いたことになる.

高架の線路下を北に向かう.

 

(大日寺下)

 

2km足らずで大日寺の下に着く.

貸切バスはここまでだが、小型車は右に山を上がることができる.

 

(大日寺本堂)

 

どこでもそうだが、札所の寺は独特の雰囲気である.

歴史的な堂塔は少ない村の寺で、有名寺院のような荘厳さはない.

しかし、いつ行っても誰かお遍路さんが居て、お経をあげている.

親しみ易く、庶民的ということになろうか.

 

(お参りを終えて)

 

多くのお寺の前には、遍路用品の店や休憩所がある.

 

(遍路用品)

 

手ぶらで来ても、一式揃えて「遍路姿」に変身?できる.

 

3.大日寺から国分寺

 

(物部川)

 

大日寺を出て少し行くと物部川に出る.

今は橋があるが、昔は渡渉であった.

ただ、その頃高い堤防はなく、河原があちこちに広がり、水は浅かったと思われる.

増水の時は、野市に戻って渡し舟を利用した.

 

(昔のへんろ石)

 

向う岸からへんろ道が続くが、集落に沿って判り難い.

古いへんろ石が目印である.

 

(保存協力会のへんろ石)

 

新しくつくられたへんろ石がある.

電柱に貼られたステッカーもあり、注意していれば迷うことはない.

 

(舟入川)

 

舟入川を渡る.

江戸時代に、野中兼山が整備した水路で、上流の木材を運び、船が連なって行き来した.

曲がり角に昔のへんろ石があり、お腹を満たす「へんろ石饅頭」が売られている.

9kmほど歩き、国分寺に着く.

 

4.国分寺

 

(本堂)

 

国分寺は由緒があり、聖武天皇が建立した土佐国分寺の跡にある.

本堂は1558年に長曾我部氏が建てたもので、さすが重要文化財である.

 

(山門から)

 

4.善楽寺へ

 

(国分寺を後に)

 

車道は山門の前を左右に通っているが、へんろ道は真っ直ぐである.

「四国のみち」の木の道標があり、へんろ道も同じく直角に曲がるのだが、先は畦道だ.

車は行けそうにないし、Uターンもやり難いので、バックで元に戻る.

なお、「四国のみち」はいわゆる「自然歩道」で、国交省または環境省、2種類がある「県道」である.

重なる場合もあるが、へんろ道とは一致していない.

へんろ道を自然歩道にして良いような気がするが、特定宗教に寄るのはよくないのだろうか.

 

(国分川)

 

この先しばらく、車は通行不能のへんろ道が続くが、それだけ歩くには快適である.

国分川の堤も、対岸がへんろ道である.

 

(逢坂峠の道)

 

やがて上りになって、逢坂峠に向かう.

右の山の上に、コンクリート塀で囲まれた高知刑務所がひっそりと立つが、標識はない.

 

(逢坂峠から)

 

峠から高知の市街が見える.

1番札所を出てから始めて見る街である.

 

(善楽寺へ下る)

 

通行の多い道路に入るが、歩道がしっかりしているので、支障はない.

坂を下ると善楽寺だ.

 

(おわり)

 

関連記事リンク:

四国歩き遍路

室戸岬と室戸の寺

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参考にした図書

・宮崎建樹:「四国遍路ひとり歩き同行二人」、へんろ道保存協力会

・眞念、訳注稲田道彦:「四國徧禮道指南」、講談社学術文庫、2015年

・頼富本宏:「四国遍路とはなにか」、角川選書、2009年

 

2017年12月1日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

80 早明浦ダムの地域.鉱山町大川村、瀬戸エメラルドの渓谷

早明浦ダムは、高知から徳島に流れる、吉野川にある大きいダムである.

夏の渇水で干上がった湖の写真が全国に流れ、高知は水不足のようだが大丈夫か、などと訊かれる.

その地域にある大川村は、かつては人口4,000人の村であったが、現在は400人である.

村議会の存立が困難であるとして、村民総会に変える方向で、これも全国的に知られることになった.

仁淀川は、澄んだ青色の「仁淀ブルー」で有名である.

一方、早明浦ダムに流れる瀬戸川も、「瀬戸エメラルド」の川である.

 

2017年11月23日 最終版

 

 

1.早明浦ダム

 

(早明浦ダム)

 

早明浦ダムは1975年の完成で、その貯水量は、全国でベストテンに入る.

そこに貯められた水は、徳島48%、香川29%、高知4%の割合で配分される.

徳島は、吉野川が大歩危、小歩危を通って、もともと県を縦断しているのだから当然である.

高知にあるが、自分の使用量はたった4%である.

高知各地で十分に雨が降るから、干上がっても心配には及ばない.

結局、吉野川とは何の関係もない香川が、言葉は悪いが「横取り」しているので、香川県のためのダムと言ってもよい.

 

(早明浦ダムの夕暮れ)

 

2.大川村

 

早明浦ダムの地域は、本山町、土佐町、大川村である.

本山町が土讃線大杉にもっとも近い.

「土佐町」はその西に隣接しているが、あまりにも漠然とした名である.

海岸近くには「土佐市」もあり、高知県民でも正確な場所を言える人は少ないのではないか.

 

(ダムから見た土佐町)

 

大川村には、土佐町からダムの上に登り、ダム湖の縁を延々と辿って到着する.

 

(大川村中心部)

 

中心部と言っても、役場、農協、二三の店と、湖底から移転の集合住宅がある程度である.

対岸には小中学校がある.

運動会に向けて、全校生徒が一輪車を練習している.

少ない人数が屋外で運動できるから、いい種目である.

やがて5時のチャイムが鳴り、生徒は通学バスで帰る.

先生方は残務を片付け、高速を通って高知市内に帰る.

 

(大川村小中学校)

 

ダム本体は、本山町、土佐町にまたがり、両町には固定資産税が入る.

大川村は前に水があるだけで、割りを食っている.

先日、静岡県の大井川上流に行ったが、井川ダム湖は、豚骨ラーメンに等しい白濁した水であった.

それでも、カヌーやトレッキング客で賑わっていた.

早明浦は透き通ったとまではゆかないが、きれいな水である.

 

3.白滝鉱山

 

この地の3町村、入り混じっていて、部外者には特段に境界が感じられない.

しかし、かつては大川村がもっとも豊かであった.

それは白滝鉱山があったためである.

四国の背稜となる山々は、銅が堆積した海底が盛り上がってできた地層である.

別子は別格だが、いくつもの銅山があった.

白滝はその一つである.

 

(白滝鉱山、学校跡)

 

大川村中心部から北に山道を5kmほど上る.

やがて鉱山のあった山が見えてくる.

鉱夫が細々と手で掘っていたのではない.

江戸時代からの鉱山であるが、大正時代に近代化を進めた.

最初はこの地で精錬を行ったが、亜硫酸ガスによる煙害を起こしたため、鉱石のまま大分へ運んだ.

標高1,400mの山を越え、川之江まで20km余りの索道を建設した.

索道はスキー場のリフトと同じで、循環するロープに200kgほどの鉱石を積んだバケットを次々に繋いで運ぶ.

距離が長いので、3区間に分かれていたと思われる.

4、5km離れた東西にも鉱山があって、やはり白滝まで索道で輸送していた.

坑道内の高低差は1,000mあり、坑内は電気機関車で輸送した.

最盛期は年間12万トンを産出し、ここには2,500人ほどの人が生活した.

学校、診療所を始め、商店、料理屋、映画館、パチンコ屋、銭湯があった.

しかしグローバル化に伴い、コストで海外に太刀打ちできず、1972(昭和47)年に閉山となり、住民はゼロとなった.

大川村は、炭鉱の夕張と同じ境遇なのである.

 

(白滝の茶店.向こうの斜面に坑口があった)

 

鉱山の施設や住宅は山の斜面を埋め尽くしていたのだが、跡形もない.

学校は林間学校の施設になっている.

ところどころの平地には、地鶏や牛の飼育施設がある.

香川県がダムの恩義を感じるなら、肉うどんは大川の牛、骨付鶏は大川の地鶏を使ってよいと思うが.

 

(大川村水谷)

 

白滝鉱山がなければ、あとは1軒、2軒と残る山の集落である.

水谷にも、かつて白滝に繋がった鉱山があったのだ.

 

4.瀬戸川

 

大川村中心部の対岸に支流が流れ込んでいる.

瀬戸川である.

ただし、ここは土佐町である.

川の上流は、白色や薄青色の岩石で埋め尽くされている.

適宜な大きさ、形状といい、さながら庭石展示場のようであるが、河川保護のため、採取は禁じられている.

渓流には、地元でつくった休憩所や遊歩道がある.

昔は川に沿って森林鉄道があった.

 

(瀬戸川の谷)

 

 

(瀬戸川の川原)

 

(瀬戸エメラルド)

 

ところどころの渕は、透き通ったエメラルドグリーンである.

「瀬戸エメラルド」だ.

岩石の谷で泥がなく、川底が真っ白な石や砂でできているためであろう.

 

(おわり)

 

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酷道439号線 1 

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2017年11月22日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

79 四万十川の中流.北に南に迷走する流れと沈下橋

四万十川は、上流、中流、下流に分けることができる.

源流から上流をたどってきた.

南に向かってきた川は、海には流れず、突然に窪川で直角に方向を変え、山の中を西に向かう.

江川崎で、再び南に向きを転ずるまでを中流とする.

中流はひどく屈曲する流れと、数多い沈下橋が特徴である.

 

2017年11月1日 最終版

 

 

1.四万十の流れ

 

(窪川.左の山裾が四万十川)

 

窪川から西に進むと沈下橋が現れる.

 

(若井沈下橋)

 

四万十川は、この辺りで海とたった6kmしか離れていない.

一方、標高差は200mあるから、本来なら見応えのある激流と瀑布で海に落ちるはずだ.

そうならないのは、海岸との間にある山が邪魔するからである.

川が侵食しても、それよりも山の隆起が大きく、破れない壁をつくっている.

四万十川は止むなく海から離れ、壁に沿って西に向きを変える.

流れたくない平地を、だらだらと流れる結果になる.

そのため、アマゾンやミシシッピーと同じく、甚だしく蛇行する川になる.

屈曲の頂点は、地図で見るとタコの頭形をしている.

 

(大正.流れは左から右へ反転)

 

(里川沈下橋)

 

四万十川は、源流の渓谷を出た辺りの標高が450mで、そこから河口までは190kmある.

平均すると1kmで2.4mの緩い傾斜である.

水はけがよくないので、雨が降るとすぐに水位が上がる.

そこで潜ってもよい沈下橋がつくられた.

今では大規模な工事で、橋は高いところにある.

 

2.家地川ダム

 

(家地川堰)

 

四万十川にダムがないわけではない.

家地川ダムである.

ただし、ダムの定義は「堰堤の高さが15m以上」なので、8mだから「ダム」ではなく「堰」である.

取水された水は、海岸に近い佐賀発電所に落される.

 

(佐賀発電所)

 

たった8mの堰なのに、発電所が得る落差は150mである.

四万十川を高台に留めている壁があればこそだ.

もし壁がなければ、この鉄管と同じ高さの滝が出来ているはずだ.

「ダムがない清流」を裏切るとして、家地川ダムは評判が悪い.

しかし、流水量の調節と共に、これまでの流域で水質が悪化した水を流す効果があるとされている.

 

3.予土線

 

四万十川中流には、窪川から宇和島に至るJR予土線が平行している.

一方、窪川から宿毛まで、海岸を土佐くろしお鉄道が走る.

窪川から一駅先の若井で、両線が分かれる.

 

(予土線・土佐くろしお鉄道の若井駅)

 

宇和島から予土線に乗ったとき、若井で「宿毛方面はこの駅で乗換え」とアナウンスしていた.

しかし特急は止まらないし、リーゾナブルに接続する、くろしお鉄道の普通列車は皆無である.

アナウンスやネット案内を信じると、ひどい目に会う.

(川奥信号場)

 

若井で両鉄道が分かれるとしたが、実際には一つ西の、川奥信号場で分岐する.

ただし、旅客扱はしていない.

土佐くろしお鉄道は、ここからループ線を下り、この駅の真下に出てくる.

四万十川が延々と河口まで流れるだけの標高差を、一気に縮めるのだ.

 

(三島沈下橋)

 

予土線の窪川・江川崎間は、1974(昭和49)年の開通である.

新しいから線路は新幹線的で、屈曲した四万十川を、トンネルと鉄橋で直線的に横切っている.

そのため、トンネルを出るごとに、川の流れが逆になる.

 

4.沈下橋

 

新しい橋ができて用済みの沈下橋もあるが、多くは今も生活道路として使われている.

 

(上宮沈下橋)

 

橋の上で写真を撮っている間、待ってくれていた軽のお母さんは、赤ん坊を胸に抱いて運転していた.

車を止めた若いお父さんと小さな女の子は、川に沈めた網を探っている.

川エビだろうか.

 

(沈下橋から)

 

沈下橋にはいろいろの形がある.

 

(上岡沈下橋)

 

 

(茅吹手沈下橋)

 

茅吹手(かやぶくて)は1970年の建設で、最新の沈下橋ではないだろうか.

幅は広く、見るからにがっちりとしている.

 

5.旧道

 

四万十川沿いの国道は2車線で、予土線と同じく、屈曲部をトンネルと橋でショートカットしている.

窪川・江川崎間は1時間ほどである.

しかし昔、予土線がない頃、この間を連絡する国鉄バスは3時間半かかっていた.

屈曲する四万十川の岸を忠実にたどっていたからである.

 

(昭和付近の旧道)

 

今もこの旧道を、のんびりと辿ることができる.

1車線で広くはないが、バス、トラックが通っていたのだから、極端に狭いことはない.

瀬に沢山の棒杭が立っている.

何かと思って寄ると、一斉に飛び立った.

魚を狙う水鳥だった.

 

(水鳥の群れ)

 

(刈り入れ、上宮)

 

稲田では最後の刈り入れである.

豊かな風景ではあるが、森では二人の男性が罠の檻を組み立てていた.

イノシシやシカで収穫にならないという.

 

6.江川崎

 

十和の道の駅は栗のシーズンである.

川に面したデッキでモンブランを賞味する.

 

(四万十とおわ)

 

「中流」の終り、江川崎の駅に、新幹線型のホビートレインがやってきた.

 

(江川崎駅)

 

四万十川は、梼原川などと合流して次第に川幅が広くなっている.

江川崎では愛媛からの広見川が加わり、悠々と流れる.

 

(江川崎.右はホテル星羅四万十)

 

窪川を出たのは12時だったが、あちこち歩くうちに山峡は日暮れてきた.

 

 

(おわり)

 

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2017年10月28日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

78 高知の観光船.のどかな浦戸湾と、スリルの足摺岬

あまり知られていないが、高知にも海の観光船がある.

浦戸湾と足摺岬で乗ってみよう.

・陸の展望台から見下ろすのと、海面から見上げる眺めは違う

・道路は必ずしも海岸を通っていないので、見る場所は限られる.

・陸では足が地に着いているが、海では波任せで揺れる

浦戸は入江なので揺れはしないが、足摺は波が荒いと欠航である.

そこが怖いという人と、スリリングだという人に分かれる.

 

2017年10月16日 最終版

 

1.浦戸湾

 

(高知市街)

 

高知市は太平洋に面しているイメージだが、実際は7km離れた浦戸湾の奥にある.

写真のアーチ型の橋の、左のたもとの先に見える森が高知城である.

かつての城下は、この橋の右奥一部だけであった.

国分川と鏡川の合流地点にあり、周囲は山と川と湿地に囲まれている.

龍馬の時代、狭い空間に様々な階級が暮らし、何かとストレスが大きかったことだろう.

 

(浦戸湾)

 

浦戸湾は、中がくびれたひょうたん型になっている.

その先に太平洋が見える.

桂浜は彼方の山の左端である.

 

2.浦戸湾観光船

 

(観光船、右は巡視艇)

 

観光船は昔、蒸気船のためにつくられた、埋立地の桟橋から出る.

向うはセメント工場だが、生産を止め、石灰石の搬出に使われている.

 

(船から見た市街)

 

湾には島や暗礁が多く、あちこちに浮標がある.

航行の妨げになるので、爆破された島もある.

 

(湾の最狭部)

 

「よさこい節」の月の名所は桂浜だが、実際は山越えで遠く、この辺りでの月見が多かったようだ.

 

(造船所)

 

昔は松林が連なっていたが、東側は埋め立てられ、造船所や市場がある.

湾内では、1メートルを越える巨大魚のアカメも釣れる.

ボラも跳ねている.

 

(クルス)

 

湾には干潟が広がっていて、大きい船は湾内に入ることができなかった.

1596年、メキシコに向かっていたスぺインの大型帆船、サン・フェリペが台風で遭難し、土佐沖を漂流した.

長曾我部元親がこの付近に誘導、擱座させる.

積荷は入手する(当時の日本で救助の際のルールであった).

乗員の事情聴取の中で、スペインは宣教師を前に立てて、領土を拡張しているという発言があった.

報告を受けた豊臣秀吉は、切支丹弾圧に乗り出し「26聖人」を磔にする結果となる.

この辺りを「クルス」と呼んでいるのは、ここに由来するとされる.

坂本龍馬は「大政奉還」が不首尾に終わった場合、クーデターも決意していた.

長崎でライフル銃1,000挺を購入し、土佐の板垣退助が率いる藩兵に届けた.

その時もここで積替えた.

暗殺の1か月余り前である.

 

(浦戸大橋)

 

湾口には1972年、東西の海岸を結ぶ浦戸大橋が架けられた.

 

(桂浜)

 

観光船は桂浜に近づく.

海から見ると大きい浜ではないが、前は太平洋である.

蒸気船が夢でなくなり、狭い城下と浦戸湾を出て、日本各地を行き来し、万国と応対する.

龍馬を始め一党は、これからの活動に胸を躍らせつつ離れたことだろう.

 

3.渡船

 

(御畳瀬の渡船)

 

浦戸大橋は車は便利だが、歩道はないに等しいし、バイク、自転車もつらい.

そのため、昔からあった湾口の御畳瀬(みませ)と種崎を結ぶ県営渡船が、今も運行されている.

1時間に1本、5分の航海で、無料である.

32番禅師峰寺と33番雪蹊寺を結ぶルートなので、お遍路さんもよく利用する.

 

(浦戸大橋)

 

(種崎)

 

津波警戒のため、桟橋の扉は常に閉ざされ、乗降の時だけ開かれる.

 

 

4.足摺岬

 

(足摺岬)

 

足摺岬の展望台には、NHKの遠隔操作カメラがあって、天気予報や台風中継でお馴染みの景色である.

海から見るとどうだろう.

観光船が運行されている.

 

(海上から見た足摺岬)

 

(観光船)

 

船は漁船である.

当日の天気予報では波高1.5mで、高知の海で普通である.

縦横に揺れるが、遊園地の設備のように、悲鳴を上げるようなものではない.

船長さんによれば、凪ならば更に岬に近づけるそうだ.

 

(岩壁)

 

岩壁は荒波で侵食され、脈理が浮き出ている.

秋は磯釣りでグレのシーズンである.

 

(洞窟)

 

足摺岬には洞窟も多い.

ただ狭いので、カプリ島のように通り抜けはできない.

夕陽が洞内に一直線に射す日があるそうだ.

 

(臼碆)

 

船の先に、突き出た臼碆(うすばえ)が見える.

黒潮が最初に陸に当るところというのが頷ける.

 

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(おわり)

 

 

2017年10月12日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

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