33 高知の池川にあったカイコ団地.そして小田池川大規模林道の山岳ハイウエイ

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昔の地形図には、蚕を飼う桑畑の記号があった.

地図を眺めていると、池川(現仁淀川町)の標高800mの辺りに、大規模な桑畑があることに気がついた.

一体何だったのだろうか.今はどうなっているのだろうか.

訪ねてみた.

1972年に新しく造成された、棟が連なる養蚕の企業団地であった.

言うまでもなく、もう蚕を飼ってはいないが、そこに残る人たちもいる.

そこには、交通量ゼロの、驚きの山岳ハイウエイもあった.

 

2017年3月30日 修正版

 

 

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(池川)

 

1.養蚕団地

 

池川から見ると、目指す集落、ツボイは山に隠れているが、尖った山の茶色と緑色の境界辺りである.

山道をどんどん上がって着く.

老婦人がエンジン草刈機の用意をしていたので、お話を聞いた.

 

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(ツボイの集落)

 

果たせるかな、ここは昭和47年につくられた養蚕団地の跡なのであった.

50人くらいが住んでいたという.

棟割住宅が2棟ある.

 

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(養蚕の名残り)

 

ブランコ、鉄棒、滑り台もある.

下から上がった人もいるが、各地から入植した.

蚕を飼っていた建物が何棟かあり、残っているものもあるし、崩れているものもある.

レールを引いて桑を運んだ.

年に5回繭をつくった.

標高が高いので、真冬は下からトラックで桑の葉を持ってきた.

先ほど上がってきた道は、まさに蚕の「命の道」である.

蚕が桑を食べる音が辺りに響いていた.

今は5人が住んでいて、牛を飼ったり、トマトをつくったりしている.

1980年代に生糸の価格が暴落したから、10年ほどしか活動できなかったことになる.

今も桑の木は少し残っているが、葉を取っていないから、随分背が高い.

 

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(トマトのハウス)

 

⒉.放牧地

 

桑畑はいま広大な放牧地になっている.

高知と牧畜など結びつかないように思われるが、結構各地で放牧が行われている.

地場のジャージー牛乳、地域ブランド牛肉が地元スーパーで売られている.

 

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(桑畑はいま放牧地)

 

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(牛たち)

 

冬なので、牛たちは長時間外には出ていないが、見晴らしの良い山上の牧場は、「アルプスの少女」の世界である.

 

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繋がれっ放しでロクに外に出ず、高価な餌でメタボに育った、とろけるような牛.

自然の中を歩いて牧草を食べて育つ、筋肉質?の牛、どちらが良いかだが.

以前室戸で、シャモ肉を売っていた.

闘鶏をやっていた土地であり、雄は負けた鳥だったのかもしれないが、おそろしく堅い.

しかしだしは抜群に濃厚である.

雌は安いのだが、ブロイラーとそう変わりはない.

池川にもすき焼きの店があるが、ツボイの牛だろうか.

 

3.水ノ峠

 

牧場をさらに進み、広い道を横切って上がると、標高1,120mの水ノ峠に至る.

高知と松山を最短距離で結んでいた古い峠である.

ここはなかなか楽しい土地である.

ハム局の小屋があり、蝙蝠傘の骨を広げたような大アンテナがいくつかあり、電動ウインチで上下させる塔もある.

趣味の楽園である.

折から通信中と見え、コールサインの声が外まで聞こえてきた.

 

(峠のハム局)

 

4.山岳ハイウエイ

 

「広い道」と述べたが、完全2車線の道路が、山々の標高1,000mの辺りに存在する.

 

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(大規模林道)

 

延長は15kmくらいあるのではないだろうか.

ところが、両端はどこにも通じていない.

交通量は限りなくゼロである.

小田池川大規模林道である.

林道でも道路交通法は適用されるが、相当のスピードでぶっ飛ばすことはできる.

ただ大きい岩石が落下していたり、路面が窪んでいたり、希に工事のダンプが通るから油断はできない.

1969年に林野庁が策定した、土佐清水市から現いの町北部まで、山岳地帯を貫く延長188kmの幹線林道計画の一部なのである.

 

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(山々を縫って)

 

全線の建設はあり得ないだろうが、工事はわずかづつ続いている.

沿道に伐採地はあるし、ツボイの人も大勢働いたということだ.

 

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(新装なった2車線が続くが…)

 

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(突然に終わる)

 

ガイドブックめくが、南北とも山の中で唐突に終わるけれども、終点の手前から、狭い林道で下れないことはない.

南はかなり狭い道で、舗装はされているが、吹き払われた杉や桧の葉が散り敷き、ほとんど車の通った跡がない.

しかし崩れてはいない.

何しろ標高差800mを下るので、下りても下りても、曲がっても曲がっても、谷底が見えてこない.

しかし、やがて峡谷の北川に出て、さらに下ると中津渓谷に至る.

北は、大規模林道がかなり下っていることもあり、標高差600mくらいで用居に至る.

 

5.池川

 

池川は昔、松山街道の宿場であった.

仁淀川沿いに国道が開削されて置き去りになった、馬篭や大内と同じ境遇の町である.

民宿に泊まった.

二間続きで、窓の下は清冽な流れが音を立てている.

1泊朝食付きで一人5,500円.

夕食は町に出て食堂兼居酒屋に入った.

5時を回ったところだったが、すでに出来上がっているおじさん、おばさんたちが居た.

「池川の顔ではないね」などと話しかけられた.

3、40分共に居たが、聞き耳を立てたわけではないが、大声がよく聞こえる.

しかし、その間理解できたのは、おばさんの「やかましい.大声を出して」だけであった.

いったい何で盛り上がっているのか、わからず仕舞であった.

朝は霧であったが、中天には三日月と星が出ている.

 

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(民宿の部屋から)

 

宿では夕食を部屋まで運んでくれるようで、そうすると民宿と旅館の違いは何なのだろうか.

旅館は布団を敷いてくれる、民宿は自分で敷く、ということだろうか.

発つとき、老おかみが、昨日の夕食の献立はこうこうであったと残念がった.

オーベルジュでもあるらしい.

 

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(おわり)

 

2015年12月30日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一