20 アンパンマン、牧野植物園、知られざるモニュメントと機関車

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高知を代表するミュージアムは、アンパンマンと牧野植物園である.

やなせ・たかしと、牧野富太郎のモニュメントでもある.

お墓もまた、ピラミッドの昔からモニュメントである.

観光資源でもなく、目を留められることもない.

ひっそりとたたずんでいるが、そこには心を打つものがある.

世に先駆けて森林鉄道の機関車を開発しながら、不遇に終わった一職工の跡も墓地に探った.

 

2017年3月24日 修正版

 

(香北町のアンパンマン)

 

1.アンパンマンミュージアム

 

アンパンマン施設はよそにもあるが、商業目的である.

高知は、故やなせ・たかし氏が育った土地である.

氏が力を入れた「詩とメルヘン絵本館」もある山の中のミュージアムは、「やなせ記念館」としてふさわしい.

やなせ氏作のキャラクターは高知に数多く、大変お世話になった.

ごめん・なはり線の各駅ごとに、氏が制作したキャラクターがある.

鉄道として一つ、とお願いしたところ、全部の駅に作りましょう、ということになったのだそうだ.

ある女の子は「アンパンマンなんて大いっ嫌い!だっていつも負けてばっかりだもん」と言った.

別の男の子は「ロールパンナちゃん」が一番好きだという.

善悪二面を持っていて、自分の中で常に葛藤があるフクザツさが魅力らしい.

アンパンマンストーリーは単純に見えて、そうではない.

 

2.牧野植物園

 

(植物園のエントランス)

 

山上の広大な敷地に牧野植物園がある.

植物学者、佐川町出身の牧野富太郎記念の施設である.

牧野は幼少の時から植物好きで、標本を採集し、調べ、同定し、新種を見つけてきた.

学歴はないが、やがて東京大学の助手となった.

そして図鑑を出し、植物好きの人たちを指導してきた.

高知営林局でも、植生も知らなくてはならないとのことから、氏を招いて山林で実習を行ったことがあった.

氏はトレードマークの蝶ネクタイで現れ、署員とともに山を歩き回った.

「何を訊いても知らないことはない.

初歩的なことを訊ねても、そんなことも知らないのか、と言われるようなことはない.

時間を忘れ、丁寧に詳しく説明してくれる.

夜宿舎に戻れば、採集した植物を早速標本にしている.

ほとほと感じ入った.」

と参加者が述べている.

本当に植物が好きなのである.

そしてその楽しさを多くの人に伝え、喜んで欲しいのである.

その点で、現在の魚類の「Sクン」の植物学者版と言ってよい.

氏はアカデミックで理論を追及する大学では異端の存在で、白眼視もされた.

しかし栄達を離れ、「好きだから好き」と植物に捧げた一生は、正真正銘の「いごっそう」である.

それ故に、高知県民の親しみと尊敬を集めている.

 

(牧野植物園で)

 

3.詳しい説明

 

有名人の顕彰碑や銅像を建てたりするが、その個人版がお墓である.

最近墓石は業者の営業努力で、そのほとんどが建て替えられている.

ピカピカの石ばかりなので、幽霊が出没して肝試しを行うイメージから、ほど遠くなった.

ウオーキングで山道を登るところにT.Kさんの墓石がある.

「さん」と言っても知人ではないが、知っている.

2面に渡って経歴が刻まれているからである.

 

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(T.Kさんのお墓)

 

それによれば、高知大学を卒業して愛媛県庁に奉職、順調に職歴を重ねたが、35歳で生涯を終えた.

一族の期待の星を失った無念さが形になっている.

幼かった二人の娘さんの名も刻まれている.

 

4.昔の記憶

 

峠の狭い旧道沿いに小さな地蔵堂がある.

その傍に天保、文政時代の小さな墓石が残っている.

一つは別役甚吉の娘、27歳で亡くなったお龍さんのものである.

もう一つは濱口与衛門の11歳で亡くなった娘さんのものである.

 

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(地蔵堂の傍)

 

施主には姓があり、お金をかけたのだから、有力者なのだろう.

どのような経過と、親の気持ちがそこにあるのだろうか.

今は木が茂っているが、港を見下ろせるところにある.

 

5.発見できなかった

 

高知の森林鉄道で、最初に蒸気機関車が使われたのが大正8年、米国製ガソリン機関車が使用され始めたのが大正12年である.

しかしこれらより先の大正3年、5馬力焼玉エンジンの機関車で、新技術に敢然と挑戦した人がいた.

それは高知市下知の中屋熊太郎である.

下知は鉄工所が多い地域であったが、中屋の名は工業会名簿にない.

高知らしいベンチャー精神を持った、一介の職工であったと思われる.

 

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営林局に願い出て、自作の機関車を本山町の軌道で試験することになった.

条件は空のトロ7台を引き上げることであったが、中屋の機関車は4台しか引くことができなかった.

スリップで脱線を繰り返して中屋は怪我をし、多額の借金を背負って、失意の内に高知を去る.

そして山奥の地蔵寺村の軌道で、修理に雇われて暮らしたという.

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(元地蔵寺村)

 

すぐに牽けなくても、改良を重ねれば不可能ではなかったと思われる.

しかし、営林局自身が機関車を発案したわけではない.

下手をすれば、いま牛馬の運送を行っている親方衆の反感を買って、業務に支障が出る、ということだったのではないか.

地蔵寺は今も行き難いところで、ここなら債鬼からも逃れ易い.

もしやと通りすがりの墓地をみたが、それらしいものは見当たらなかった.

パイオニア、中屋熊太郎の消息は杳として今も知れない.

 

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(おわり)

 

 

2015年6月22日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一