64 高知の森林と森林鉄道を探索する.なぜいまの姿に?

峠に上がって、高知の山を見渡すと、見渡す限りのスギとヒノキである.

壮観である.

急傾斜の山腹を埋め尽くす植林をした人々の苦労に頭が下がる.

なぜこのような森林になっているのだろう.

いま森は、われわれにどう関わっているのだろう.

そして、これからどうなってゆくのだろう.

 

2017年3月9日 最終版

 

 

 

1.森の変遷

 

1.1 1960年頃まで

 

高知の森林では、江戸時代から、管理された天然木の伐採が行われてきた.

明治、昭和もそれを引き継ぎ、面積の65%が国有林であった.

輸送のため、森林鉄道が建設される.

トロッコ的な簡易な鉄道で、線路の幅も狭い.

多くは1日1-2往復で、多くても数回程度であった.

高知の木材産出量は、官民併せ年間約23万トンと推定される.

 

(小田深山森林鉄道跡、ここから麓まで下る)

 

小規模な森林鉄道では、朝、山上から、丸太を積んだトロッコに一人づつ跨り、次々に発車、手綱でブレーキをかけつつ麓に運ぶ.

下り勾配だから、動力は要らない.

午後、トロッコを連結してガソリン機関車が引き上げる.

小田深山森林鉄道では、その高低差がよくわかる.

 

 

距離が長く、輸送量も多い魚梁瀬森林鉄道などでは、往復とも機関車が牽いていた.

天然木の伐採跡には植林がなされ、丁寧にメンテナンスされた.

 

(魚梁瀬森林鉄道の鉄橋)

 

また、高知は薪炭王国であった.

雑木林がその資源である.

ご飯も風呂も薪、料理や暖房は炭の時代で、消費地の大阪に近いからである.

木炭の生産量は、年間14万トンであった.

薪ははっきりしないが、同程度以上と思われる.

 

2)1960年以降

 

高度成長期となり、木材需要は2割、3割と増加する.

か細い2本のレールに頼っていては間に合わない.

各地で森林鉄道が撤去され、トラックに転換、林道を建設し、奥へ奥へと伐採が進む.

次第に天然木は枯渇する.

植林はされるが、その成長には50年かかる.

一方燃料は、輸入される石油、ガスに代わってゆく.

薪炭の生産は激減する.

 

(木炭の生産.現在は年間1,000トン程度)

 

そこに新たに見出された用途が、パルプの原料である.

薪炭用途に代わって、雑木林が伐採される.

当時、全国どこの駅でも、雑木や砕いたチップを満載した貨車が多数見られた.

では、雑木を伐採した跡地をどうするか.

需要の増加と価格の高騰を想定した、スギ、ヒノキの植林である.

人工林は爆発的な拡大を続けた.

 

3.1970年以降

 

これは止むを得ない方策ではあったが、今から見ると過大な投資であった.

住宅では、1960年代に、コンクリートの団地、鉄骨プレハブの住宅が現れている.

着工件数も、1970年より伸びが止まる.

輸入が増加し、建築材、合板とも外材が中心になる.

結果として、木材価格は1980年をピークに下落を続け、1/2から1/4にまで下がる.

森林を手入れしても、見合う収入が期待できない.

山は放置される.

 

(現在の森林)

 

4.現在

 

人工林は本来、間引いて成育の良い樹木を残してゆく.

間引きがされないので密生し、幹は細く、中は暗い.

日光が入らないので、草も生えず、豪雨では土が流される.

ただ、トータルの生育量は、この状態でも変わらない.

 

(スイングヤーダ)

 

林業というと、「ヘイヘイホー」の世界を思い浮かべる.

しかしいまは、重機を駆使し、建設現場と変わりない.

伐採された木を、スイングヤーダのロープで牽き上げる.

どれくらいの年数のものか、オペレータに訊いた.

40年生の太さだが、間伐がされていないので、もう少し経っていると思う、との答えである.

この後、プロセッサと呼ばれる機械で処理する.

あっという間に枝を払い、自動的に所定の長さに切り揃える.

先端の工具部分で1,000万円するそうだ.

見たいが、そうそう出動するものでもない.

ユーチューブで、動画を見ることができる.

 

(丸太を運ぶトレーラー.2両連結の車もある)

 

最近、少しづつ木材需要は増加している.

貯木場の材木は増えているし、国道では、丸太を山積みしたトレーラーをよく見る.

 

(大豊町の製材工場、手前は乾燥炉)

 

高知の森林の蓄積量は、1億8千万立方米である.

年2%の成長(50年で一人前)とされるので、年に360万立方米、重量にすると144万トンである.

一日4千トン、1時間167トン、こうしている間にも、休みなく木々は育っている.

これは鉄鋼なら、住友金属小倉製鉄所クラスの「操業」を行っていることになる.

現在の伐採量は年25万トンで、森林鉄道時代とそう変わらない.

山ではまだまだ貯金が積みあがっている.

ただし、森林鉄道時代と決定的に違うのは、太さである.

森林鉄道は、それこそ二抱え、三抱えの巨木も積んでいた.

天然木だから、曲がりもゆがみもある.

今は径は小さいが曲がりがない、言ってみれば山がつくる規格化された量産品である.

カイワレを連想させる.

 

(伐採地.物部)

 

安芸市から馬路村に抜ける林道沿いに、「文化財資源備蓄林」がある.

文化財の修復に使うことを目的にしている.

1912年に植えられたので、100年経っているから、役立つだろう.

あと100年すれば相当の巨木になると思われる.

 

(文化財資源備蓄林)

 

新しいステージに入っている高知の山林、今後どうなるのか、いずれ探ってみよう.

 

関連記事リンク:世界遺産?驚愕の植林地

        森林鉄道で残るレールを発掘

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(おわり)

 

 

2017年2月26日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

63  高知の山に森を探る.日本一「世界遺産級」の驚愕の植林

高知は海のイメージが強いが、その84%が森林である.

全国平均は56%である.

さらにその山の67%がスギ、ヒノキの人工林である.

全国平均は40%である.

いずれも日本一と言ってよい.

昔は総延長740kmもの森林鉄道が敷かれていた.

高知の東部、魚梁瀬より奥へ、10kmあまり遡ると千本山に到達する.

今は保護林で、樹齢270から370年の杉の林である.

ここを始めに、高知の山を訪ねてみよう.

そこには驚きの植林で埋め尽くされた山がある.

 

 

2017年2月22日 最終版

 

1.千本山

 

(渓谷の道)

山の道は、冬とあって、登山客は見られず、渓谷で野鳥の写真を撮る一人だけに会った.

登山口では、高さ50m以上の大杉が2本出迎える.

登山道には木道と階段がつくられ、歩き易い.

 

(登山口)

 

植林する場合、苗は何でもよいというものではない.

真っ直ぐ育つとか、枝の出し方がよいなど、優秀なDNAを持つ木の種子が選ばれる.

そのために選定された樹木がマークされている.

スイカもそうで、近所の「スイカ屋」ハウスで訊くと、とにかく優秀な苗を入手することが重要だそうだ.

我家は生ごみを庭に埋めているが、昨年スイカが芽を出した.

スイカ屋さんの見よう見まねで、柱を立て、空中で吊るして育つようにした.

小型スイカが一つ実った.

美味しかったのは、スイカ屋さんで入手したものの種であったせいだろう.

 

(春、千本山から魚梁瀬を望む)

 

魚梁瀬杉は、土佐藩の有力な財源として、厳重に管理され、育成されていた.

高知の宝の山に目をつけ、混乱の時期に皆伐の計画が立てられた.

第一は山内容堂で、近代化施設の開成館の財源を目論んだ.

第二は板垣退助の立志社で、活動資金として払い下げを受けた.

どちらも失敗に終わり、現在の姿が残っている.

 

2.須川林道

 

谷沿いの道は見通しが効かない.

山を見るには、尾根に上がらなくてはならない.

奈半利から野根に至る、昔の野根山街道に沿う須川林道を上った.

 

(須川林道から魚梁瀬方面.すべての木は手で植えられた)

 

魚梁瀬方面までよく見えるが、見渡す限りの山腹は、すべてスギかヒノキの人工林である.

1950から1970年代にかけて植えられた.

機械などない時代、全部人手で整地をして、苗木を担ぎ上げ、一本づつ植えた努力が、山をくまなく埋め尽くしている.

谷底から山頂まで、想像を絶する労働の集積である.

万里の長城は1本の線である.

これは、視界すべての面である.

強制された労働ではない.

日々、無名の人たちが、営々と勤労に勤しんだ結果である.

長城以上の人類の成果ではないか.

日本が誇る「世界遺産」である.

 

 

(伊尾木川流域.一本一本の植林の結果である)

 

以前、植林のイベントに参加した.

 

(植林の体験)

 

登るだけでも苦労する斜面を、苗木を担いで上がる.

土地は、すでに地元の方々によって灌木、雑草が取り除かれ、整地されている.

小さな穴を掘って植える真似事だが、10本、20本がせいぜいである.

その後は、下草刈りも行わなくてはならない.

 

(羽根川流域、これから苗木を植える)

 

高知県民というと、酒を呑んでおだを上げるイメージを持たれる.

しかし、やればこれである.

もっとも、一旦始めるとブレーキがかからず、徹底的にやるということかもしれないが.

 

 

(カモシカ)

 

カモシカに出会った.

シカは立ち止まってもすぐ逃げるが、カモシカは好奇心が強いのか、フリーズするのか、動かない.

こちらが動くと目だけ追っている.

何かしてやりたくなるが、カナダの公園の掲示にあったように、

“Fed animal is dead animal”

である.

冬の暖かい日が続いていたが、900mまで上ると、日陰の路面には雪が残り、アイスバーンになっている.

最高地点は1,000mで、北斜面になる.

引き返すことにした.

 

3.日本の植林地

 

スギ、ヒノキの人工林は、日本全国至る所に見られる.

大規模に集積する地域はどこか.

それには森林鉄道を見ればよい.

森林鉄道が大規模ということは、大量の伐採が可能な大森林ということである.

伐採をすれば、必ず植林を行う.

植林を含んだ年間の森林の生育量が、年間の伐採量を上回れば、生産は永遠に持続される.

森林鉄道の規模と伐採、植林は比例する.

 

(青森、津軽森林鉄道線路跡)

 

大規模の森林鉄道集積地である.

1)津軽半島:最初に森林鉄道が設けられ、総延長でもっとも長い

2)秋田の二ツ井:秋田スギの中心で、奥深い

3)木曽の王滝:本格的な鉄道に近い

4)魚梁瀬を中心とする高知県東部

 

(伊尾木川上流)

 

高知東部の特徴は、山がV字の谷から成る急傾斜になっていることである.

そのため、インクライン(仮設のケーブルカー)が至る所につくられ、搬出していた.

急傾斜地での苦労は、他の3か所を格段に上回る.

高知県東部は、日本最大の植林の記念碑である.

 

関連記事リンク:いまの森林、なぜこの姿に?

                                  伊尾木川を46km遡る

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(おわり)

 

2017年2月15日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

62 「日本で最も美しい村」馬路.そこには魚梁瀬森林鉄道とトリュフ?

「日本で最も美しい村連合」という組織がある.

高知では、魚梁瀬森林鉄道のある馬路村と、棚田の本山町が加入している.

四国では、徳島の上勝町、愛媛の上島町が加わる.

小さい地域でも、誇りを持って美しい景観をつくり、維持することが目的である.

2005年に発足し、現在64の地域が認定されている.

その1/3には、行ったり通ったりしているが、なるほどと頷ける.

フランスにある組織に倣ったもので、ベルギー、カナダ、イタリアにも同様の連合がある.

知人のI氏は、分厚いガイドブックを基に、フランスの「美しい村」を訪れ、その絵で毎年個展が開かれる.

馬路村を訪ねてみよう.

 

(北海道の「美しい村」、鶴居に保存の村営軌道車両)

 

2017年4月23日 修正版

 

1.森林鉄道

 

現在の馬路村は、馬路と魚梁瀬が合併して生まれた.

馬路は安田川沿い、魚梁瀬は奈半利川沿いである.

魚梁瀬は1,000から1,400mの多数の山に囲まれ、その間には無数の峡谷が刻まれている.

降雨が多く、気温も高いから、樹木の生育が盛んである.

江戸時代から、魚梁瀬杉の管理は藩によって厳重に行われていた.

明治になって国有林となり、両地区に営林署が置かれ、伐採が進められた.

1910(明治43)年から森林鉄道が設置される.

最盛期には総延長250kmの路線が、多数の谷を遡って運転されていた.

高知県内には700kmの森林鉄道があったが、魚梁瀬は格段に大きい.

日本では、宮内庁の木曽森林鉄道に匹敵する.

遺構は、産業遺産、重要文化財に指定されている.

その一つ、県道の一部に転用されていた鉄橋に、ゆがみが発生した.

迂回路がつくられたが、そのため真横から見ることができる.

 

(元森林鉄道の橋梁)

 

魚梁瀬には1周400mの線路がつくられ、日曜に保存された機関車が運転される.

2周1,000円で体験運転ができる.

簡単な運転だが、汽笛を鳴らしたり、なかなか楽しい.

 

(平日の「森林鉄道」)

 

2. 馬路村のパン、トリュフ

 

いま、馬路の中心産業はユズ調味料、飲料である.

(馬路村のユズ食品工場)

 

木を基調にした、清潔で立派な工場で、いつでも見学ができる.

横にパン工房がある.

ライ麦などの堅いパンが得意だそうで、高知にはなかなかないので、沢山買い込んだ.

 

(パン屋で)

 

昼時で、コーヒーと温かいスープ、サンドイッチをオーダーした.

土曜日とあって、地元の人たちが次々来る.

男の子は、馬路村のイメージキャラクターに最適の風ぼうである.

小遣いをもらったのか、慣れた様子でチキンサンドを頼み、出来上がると目を見開いてかぶりついた.

 

(馬路のトリュフ犬)

 

マスターの子犬が、このほど雑木林でトリュフを見つけた.

何に魅力の香を感じたのであろうか.

トリュフは日本にもあり、栽培も可能性があるという.

いずれメニューに入るかもしれない.

 

3. 魚梁瀬ダム

 

(魚梁瀬ダム)

 

1965(昭和40)年に電源開発の魚梁瀬ダムが完成した.

これを契機に森林鉄道が廃止された.

コンクリートではなく、真ん中に粘土層を置き、周囲に岩石を積み上げるロックフィルダムである.

魚梁瀬ダム単体の発電所は3.7万kwだが、下流の3か所に小さなダムと発電所があり、共通に運用される.

水系全部では14.5万kwで、当時四国で最大のエネルギー供給地帯とされた.

一発電所で100万kwの現在からすると、大工事をしてそれだけ?という気がしないでもない.

上流では絶えず山が崩れている.

満々と水を湛える、というより、満々と土砂を湛える、というところもある.

 

4.魚梁瀬ニュータウン

 

(夕暮れの魚梁瀬)

 

ダム建設に伴い集落が水没するため、台地に新しく「ニュータウン」がつくられた.

地域全体で1,000人もの人が林業に従事していたが、いまここに住むのは180人である.

 

(魚梁瀬の中心)

 

なかなかの「コンパクトシティ」である.

役場、マーケット、郵便局、診療所、学校、温泉が集まり、平地で高齢者が往来しやすい.

ヘリポートも近くにある.

電柱、電線の地中化という計画もあったが、時期尚早で実現しなかった.

馬路の中心まで30分、海岸まで1時間だが、「美しい村」の中では格段に遠いわけではない.

馬路村では廃校になった学校がない.

ほとんどが営林署の職員で、山奥の事業所の家庭では、子どもたちは魚梁瀬の学校の合宿所に居たからである.

土曜の午後、森林鉄道に連結されたトロッコで家に帰り、月曜の朝戻る.

 

 

100人以上居た.

ただ、小さい子はすぐには馴染めなかったようで、1年生が一人姿が見えなくなった.

手分けをして探したところ、線路を辿って自分の家に帰っていたという.

 

(魚梁瀬の学校)

 

今の学校は、子どもたちのアイデアで、2階から滑り台で運動場に下りることができる.

 

関連記事リンク:魚梁瀬森林鉄道.レールの発掘

        森林鉄道から森林を探る

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(おわり)

2017年2月5日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一