40 高知で、四万十川、仁淀川、そして第三の物部川

高知の観光名所として、四万十川と仁淀川がある.

第三の川は物部川である.

物部川は、下流、中流、上流の三つに分けられる.

下流は、高知空港傍の河口から、山地に入る土佐山田までである.

昔は、洪水を繰り返し、流れは一定しなかった.

高知の東半分の平地は、物部川の氾濫による堆積土石でつくられている.

中流は山田から大栃迄で、深い谷と河岸段丘が特徴である.

上流は大栃から先で、1,900m近い三嶺などの山々から流れ出る、水源となる渓谷である.

 

2017年3月28日 修正版

 

 

1.物部川下流

 

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(山から流れ出た物部川)

 

今は堤防が整備され、シーズンになると、アユ釣りの人たちが岸に並ぶ.

堤防の道はウオーキングに良く、一部は遍路道である.

昔は橋が無かったので、対岸には渡し船であった.

水量は多いが、有効利用には仕組みが必要である.

1639年、野中兼山は、川を横切る円弧状の堤をつくり、3方向へ向かう水路を設け、灌漑と物流に供した.

長さは327mで、完成まで26年を要した大事業であった.

 

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(山田堰の一部、今は公園)

 

付近は、山間部から高知への輸送中継点であった.

荷船は10艘ほどを船団にして、他の水門を閉じ、運河としてつくった舟入川の水位を上げ、高知の町へ輸送した.

木材は筏、大きい材はそのまま、岸から鳶口で操って運んだと伝えられている.

 

2.物部川中流

 

山間部に入ると、谷は深く、岸は切立っている.

しかし両岸は河岸段丘で、平地になっている.

 

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(段丘に立つ高知工科大学)

 

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(段丘が岸になったダム湖)

 

ところどころに堰やダムがつくられている.

普通、ダムは峡谷を堰き止めてつくられ、ダム湖の岸は急傾斜の山腹である.

集落はダム湖の水に沈み、湖岸には人影のない寂しい風景である.

しかし物部川では、水は段丘の間の深い谷に湛えられる.

もともと住み家は段丘の上につくられているので、水を被ることはない.

谷は湖底に沈んでいるが、段丘の縁が湖岸になり、平地と集落はそのまま残っている.

ダム湖とは言え、自然の湖に近い印象である.

 

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(湖畔の住まい)

 

そこで、ところどころに湖畔の住宅がある.

地目は雑種地であろうから、価格や固定資産税は問題にならないであろう.

南岸は国道があり、交通量は多い.

北岸は岸沿いに狭い道があり、滅多に車が通らないので、のんびり歩くによい.

一休みできるカフェや食堂、温泉がある.

 

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(物部町猪野々)

 

段丘の終わりが猪野々である.

知人のF先生が家を建て住んでいる.

歌人の吉井勇が隠棲した地で、記念館がある.

そこで娘さんのヴァイオリンコンサートが行われた.

 

3.大栃

 

上流の峡谷に入るところが大栃である.

川はここから、本流と韮生川の二つに分かれる.

 

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(大栃)

 

大栃は付近の中心となる町である.

昔は奥の別府(べふ)から森林鉄道が通じていて、ここで木材を下ろし、筏に組んで流していた.

土地の人によれば、祭りの時など町内は人で溢れ、通行もままならなかったという.

今は高校もなくなり、スーパーが1軒あるだけである.

しかしここを始発に、山の各地に町営バスが通じていて、どこからでも200円で乗ることができる.

 

4.物部川上流

 

上流は切り立った渓谷である.

今、川沿いの国道を通ると、はるか上に家々が見える.

なぜこんな山の上に家をつくったのかと思うが、昔はそこが街道であった.

渓谷の険しい崖を削って道路をつくることができなかったためである.

旧ルートは林道となって、おおむね辿ることができる.

 

 

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(山上の街道)

 

街道では住居が点在している.

 

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(山に立つ家)

 

以前は、山奥の家にたどり着ける道がなく、郵便配達は、設置された簡易モノレールで登っていた地区があった.

最近では車道がつくられ、少なくとも家の近くまでは車で到達できる.

もっとも、車道が通らない集落は消滅したと言った方が正しいが.

ただ、介護職の人から聞くのは、車道からあと10m、20mが難しいということである.

階段があったり、道が狭かったりして車椅子が使えない.

このお宅の正面は階段だが、裏手から入れるので、その心配はなさそうだ.

 

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(森林鉄道の跡と、和紙の原料・ミツマタの花)

 

崖を削って川岸に交通路を設けたのは、森林鉄道が最初である.

物部川の南岸につくられ、崩壊しているところはあるが、跡をある程度辿ることができる.

この先、四足峠のトンネルを越えると徳島県で、徳島市に至る.

那賀川の多数のダム湖を回る道で、非常に時間がかかる.

 

5.原流域

 

川を遡ると、そこには廃校になった学校の木造校舎がある.

 

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(久保小学校、1980年廃校)

 

一日3回のバスの時刻は通学に合わせているようなので、農作業の老婦人に訊ねた.

「もうこの辺りには子どもはいない.ずっと下に行かないと」とのことであった.

 

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(物部町影)

 

どの水系でも、川が巨大な岩石で埋め尽くされる辺りが最後の集落である.

そして、そこには必ず孤高の老婦人が居る.

最後の灯を守る、灯台守のように.

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(おわり)

2016年3月28日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一