29  盛んであった高知の生糸産業.今はどうなっている?

明治では、生糸は日本の輸出の50-70%を占める、最重要な産業であった.

高知でも大変盛んであり、繭から生糸をつくる、いくつかの大きい工場があった.

蚕は農家で飼われるが、ひたすら桑の葉を食べて、やがて繭をつくる.

1匹の蚕は、1,500mの糸を吐き出す.

糸は織られて絹となり、着物となる.

ナイロンの出現まで、絹は女性のストッキングの材料でもあり、世界中で使われた.

高知の農家を支えた蚕はどうなっているのか、元の産地を訪ねてみよう.

 

2017年3月29日 修正版

 

 

1.集落群

 

(黒森山と稲村)

 

1/25,000地形図を眺めると、高知の中北部、仁淀川流域の山間部には、特別な集落群が形成されていることに気付く.

標高の高み、山の中腹のあちこちに集落が点在している.

一か所にかたまっているのではない.

仁淀川は断崖が連続しているので、川岸に道や集落をつくることは困難である.

したがって山に上がることにはなる.

傾斜が多少緩いところにつくられているが、ここまで高いところでなくても、という気がする.

ここまで散らばらなくても、とも思う.

互いの集落を往き来することも大変なのである.

何を仕事としてきたのだろうか.

下から眺めると、標高1,017mの黒森山中腹に、そのような集落の一つ、鎌井田が見えた.

桑畑をつくり、養蚕を仕事としてきたのである.

 

⒉.蚕から繭へ

 

麓の越知に蚕糸資料館がある.

 

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(越知の資料館)

 

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(蚕の発育:奈半利資料館)

 

蚕は桑の葉しか食べない.

小学校のとき、夏休みに蚕を飼ったことがあった.

朝昼夕、絶えず葉を取ってこなくてはならない.

最近まで、国土地理院の地形図には、桑畑を示す記号があった.

生糸が重要であった時代、高知はもちろん、日本全土に桑畑が広がっていたのである.

 

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(蚕を育てる農家:越知資料館)

 

蚕は4回脱皮を繰り返し、孵化後25日で繭をつくり始め、3日で完成させる.

生き物だから、病気もあるし、発育不良もある.

立派な繭ができたときには、牡丹餅をつくってお祝いをしたという.

「お蚕さま」は生活を成り立たせる、神から授かった生き物であった.

出来た繭は籠に入れ、背負って山道を工場に運ぶ.

 

3.山上の集落

 

(鎌井田清助)

 

桑は、水田や畑作が困難な、高知の急傾斜の山地に適している.

また、養蚕は個人的な仕事であり、共同作業を必要としない.

家々が孤立していてもよいのである.

 

4.   高知の絹産業

 

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生糸と絹は弥生時代からつくられてきた.

江戸時代、すでに生糸は輸出商品になっていた.

しかし、当時は家内生産で、品質、数量が安定しなかった.

明治新政府は、有力な財源として生糸に着目した.

当時技術の中心であったフランスのリヨンからお雇い外国人を招き、明治5年に官営富岡製糸場を設立した.

翌年、岩崎弥太郎が同様の試みを行っているが、成功には至らなかったという.

高知では、近代養蚕発祥の地は土佐山田である.

明治10年に桑園伝習所が設けられ、技術の向上を目指した.

これを引き継いで、同地に蚕業試験所がつくられているが、現在は閉鎖されている.

 

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(土佐山田の元蚕業試験所)

 

明治30年に越知、明治34年には、現在の高知工科大学に近い、片地に製糸工場がつくられた.

奈半利の藤村製糸は大正6年の創業であるが、2009年当時、その工場はそのまま残っていた.

清掃が行き届き、作業の標語や、250人いた従業員の名札もそのままである.

いまは昼休みであり、電気を入れればすぐ動き出すようにも思われた.

案内してくれた先代の社長に、保存してゆくのか訊ねたが、「富岡があるしね」ということであった.

 

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(藤村製糸工場、2009年撮影)

 

その頃、ブラジルに工場があり、某有名スカーフの絹もつくっていた.

現在はすべて操業を止めているが、跡地に資料館があり、機械の一部が保存されている.

 

5.蚕業の現在

 

生糸、絹の生産は1980年代に著しく縮小したが、いまなお関東を中心に生産が残っている.

他地方でも、地域おこしで進めている町村もある.

農林省生物資源研究所、各地の試験所、メーカでは研究が続けられている.

長野では、別の個体である薄緑の山繭がつくられている.

クヌギなどの葉を食べるので、ハウス内の樹木で育成されている.

高知ではアート、趣味で蚕を育て、絹をつくっている人たちがいる.

業としての養蚕は、ただ1軒だけ残っているらしい.

繭というと、親指大の白い塊を思い浮かべるが、明治以前では小指大であった.

大きくなったのは、機械化、生産性向上のための品種改良の結果である.

しかし、繭が小さいほど糸は細く、繊細ではある.

昔の品種の代表は「小石丸」であるが、今は皇居と資源研究所のみに残っているという.

皇居では、皇后陛下が加わられて蚕が育てられている.

いま「新小石丸」など、DNA操作によって蚕の新品種が生まれているようだ.

人工飼料の入った、「養蚕体験セット」も売られている.

 

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(おわり)

 

2015年11月14日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

28 高知の酒を訪ねる.三原、吉川のどぶろく.芸西、山田の蔵元

高知の酒として、土佐鶴、司牡丹が全国銘柄だが、計18の蔵元がある.

加えて、最近では「どぶろく特区」が容易に設定できるようになり、高知の各地でどぶろくがつくられている.

飲む楽しみが増えて、うれしい限りである.

どぶろくの産地、三原、吉川と、土佐山田などの酒蔵を訪ねてみよう.

 

(2017年3月24日 修正版)

 

 

1.三原

 

三原村は、四万十川河口の中村と、海に面した宿毛との中ほどを、山に入った台地の上である.

トマトの大工場がある.

一日の温度差が大きい清涼な気候で、水もよく、「三原米」として売られている米もよい.

その特質を生かして、特区の設定が可能になった2004年からどぶろくがつくられてきた.

 

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(三原村)

 

どぶろくは個人がつくるもので、7軒で醸造されている.

道の駅で買うこともできるが、やはり現地で農家を直接訪ねて、話しながら買う方が趣がある.

地図や道標があり、醸造を行っている家には幟が立っているので、迷うことはない.

大体は主要な道沿いにあるが、山道を辿る少し遠いところもある.

7軒全部を訪ねたが、1軒だけはいつ行ってもお留守で、まだ全軒制覇を果たしていない.

 

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(どぶろく 桂)

 

「桂」醸造元で、たまたま出会ったご主人は、「つくるのは家内で私は何も」と言っておられたが.

足摺岬の金剛福寺から宿毛市の延光寺まで、三原村を遍路道が通っていて、お遍路さんによく出会う.

50km以上の山間の道のりになり、途中宿泊が必要なので、どぶろく醸造元で民宿を行っているところが多い.

 

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(どぶろく 川平郷)

 

多くの家では甘口、辛口、両方のどぶろくをつくっている.

 

⒉.吉川

 

どぶろくの醸造というと、密造というわけではないが、何かしら奥深い山の中を連想する.

ところが、高知空港の近くでもどぶろくはつくられている.

その工房はコンクリートブロック工場の中にあった.

率直に言って、工場の現場事務所の印象である.

 

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(吉川のどぶろく工房)

 

4年前に始めたが、3年連続して全国どぶろくコンクールの金賞を受賞しているという.

すべてに徹底してこだわる主人が目指すのは、斯界最高のどぶろくである.

吉川は物部川河口で、米もよい.

それを精米歩合50%に研ぐ.

まさしく大吟醸である.

最初、某所の岩から滴り落ちる水を考えたが、湧出が安定しないので、室戸の海洋深層水を使っている.

酵母は国の醸造研究所に行って、選定したということだ.

 

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(どぶろく工房のあるじ)

 

高いがたしかに大吟醸である.

マニアックに入れ込んだ成果である.

 

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3.芸西村

 

現在高知に18の蔵元があるが、かつてはもっと多かった.

昔は今の一升瓶による流通はなく、各自大徳利を下げて酒屋に買いに行くことが普通であった.

村々で酒がつくられていて、そこで買う.

住んでいる町でも、昔は蔵元があった.

今は住宅地になっている.

隣村には2軒あった.

1軒は健在だが、もう1軒はやめてしまっている.

やめた蔵元は「響灘」という銘柄であった.

酒蔵の象徴である煙突に名が残っている.

いい名前である.

醸造場は旧道からすぐ松林になり、向こうは荒波が寄せる浜である.

波の音が響いてくる場所なのである.

スコットランドのアイラ島では、ウィスキーの貯蔵所が海岸にあり、海藻のヨードの香がつくということだが.

 

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(かつての蔵元)

 

響灘の酒蔵は今も残っている.

国道に面した一部を使って、食料品兼酒屋が営まれているが、さすがに置いてある酒は吟味されている.

 

4.土佐山田

 

高知の蔵元は、東の奈半利から西の中村に至る各地に点在し、各地域を代表する銘柄になっている.

地域に密着する蔵元、生産は少ないが知る人ぞ知る銘柄、高知を代表する全国銘柄、などいろいろで、それぞれに特色がある.

土佐山田には2軒の蔵元が健在で、その一つが「松翁」である.

この地域はもともと林業を背景にした刃物の産地であって、秋に公園で刃物祭りが行われる.

その日のために「土佐打刃物」なる銘柄がつくられている.

売りの一つは濁り酒の「蔵酒」である.

白濁しているところはどぶろくと似ているが、軽度に濾過されているので、米粒は入っていない.

また発酵は止まっている.

分類は「清酒」である.

松翁の蔵酒は9月、早くも刈り取りを行った新米で仕込まれる.

毎年、地元新聞に「新酒の仕込み始まる」と、松尾酒造の社長が、蒸した米に麹を混ぜ込む姿が掲載される.

 

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(土佐山田の松尾酒造)

 

失礼ながら某県は、米もよい、水もよいが、どうもお酒はいまいちのように思う.

昔、「ビールは仕事じゃつくれない」という広告があった.

酒を造ることが好きで仕方ない、いい酒をつくりたい、という気合いが左右するのではないか.

日課だから、うまいのまずいのと贅沢は言わないが、同じ値段なら、おいしくないよりは、おいしい方が望ましい.

 

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(おわり)

 

 

2015年11月1日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一