18  高知のショッピング.菓子、塩、サンゴ、酒、シラス

観光の目的は、食べることと、ショッピングである.

名所旧跡の見物は、そのためのきっかけである.

京都、金沢、高山などの有名観光地で賑わっているのは、ショッピングと食事の通りである.

パリ、ヴェネチア、サンフランシスコなども同じで、国籍を問わず行動は変わりない.

高知のショッピングで、一番高価なものはサンゴである.

サンゴ原木の入札が行われるのは、日本で高知だけである.

過去の最高額は1億円であった.

 

2017年3月24日 修正版

 

1.お茶屋餅

 

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(峠の旧道)

 

昔、高知城下から東に行くとき、平地を抜けるとまず「手結山坂」を登る.

峠というには低く、標高50mほどではあるが、頂上には茶店があり、餅を売っていた.

その後車道がつくられ、今はトンネルであるが、旧街道は残っている.

落葉が散り敷き、早春には椿の花が落ちている.

坂本龍馬も岩崎弥太郎も通った道であり、今にも編笠の侍が出てきそうである.

茶店は現在国道傍に移り、「お茶屋餅」として名物になっている.

 

⒉.芋ケンピ

 

名物には次の条件がある.

1)土地の産物、生活に根ざしている

2)多数のところで売っている

3)住民が、あれがよい、これがよいと言う

名物は俄かにできるものではないから、1)は当然である.

2)は広がりがあることになる.

3)はバラエティがあることになる.

芋ケンピはこれらの条件を満たしている.

さつま芋を短冊に切って揚げたもので、ポテトチップスの甘味版のようなものである.

単純なようだが、大小、甘辛、いろいろあって、好みの意見が分かれる.

 

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(芋ケンピを売るレストラン)

 

3.塩

 

海水を天日干しにした塩の人気が高い.

海がきれいで、日照時間が長い高知では、あちこちの海岸で塩がつくられている.

味が少しづつ違うのは、海水の成分に微妙な差があるためかもしれない.

 

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(田野町、E製塩所)

 

4.シラス

 

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(「釜上げ」を干す)

 

シラスはイワシの稚魚であり、豊かな海の高知の名物である.

どろめ(生)、釜出し(茹でたもの)、釜上げ(茹でて1時間ほど天日干ししたもの)、カチリ(完全に乾かしたもの)の種類がある.

さらに魚体の大小がある.

 

5.果物

 

文旦、水晶文旦、小夏、スイカ、メロンなど豊富である.

フルーツトマトの最高級品は1kgで1万円である.

高知産トマトジュースも自然の味で純粋である.

糖度によって値段に差があり、1Lで1,000円から500mLで5,600円まである.

 

6.酒

 

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(安田町 M酒造場)

 

 高知には蔵元が18ある.

それぞれで数種類の酒があるので、とても全制覇とはゆかない.

これこそお勧めには個人差がある.

しかし、T酒造の720mLで3,800円、大正町栗焼酎の5,700円は異論のないところであろう.

もっとも県民が日々このような高い酒を呑んでいるわけではなく、手頃な宴会銘柄が存在する.

 

7.各地のショッピング

 

半日、一日を費やしてショッピングを行う場所は、残念ながら高知にはまだない.

東京、京都はそういうところだし、金沢は加賀友禅、九谷焼、輪島塗に、最近は現代アートまで加わった.

みんなが友禅を買うわけではないが、高いものを見ていれば自然に財布の紐が緩むというものである.

A級があればB級が売れるが、B級しかなければC級しか買わない.

九州も強い.

有田、伊万里、薩摩では、100万から1,000万円単位の、某国富裕層が欣喜する買物が可能である.

四国は唯一松山である.

砥部には個性的なアーティストの窯元が点在し、1,000万円までは行かないが、1日をショッピングに費やすことができる.

 

8.珊瑚

 

高知はないのか.

珊瑚がある.

珊瑚には、造礁珊瑚と宝石珊瑚の2種類がある.

前者は光合成が必要なので、水深20mまでで育つ.

高知の海岸にも広く分布していて、大小の破片が浜に打ち上げられている.

白色だがいろいろな風合があり、高知では拾うことには支障ないが、取引は国際的に禁じられている.

後者は桃太郎が持ち帰ったもので、水深300mくらいで育つ.

石の錘をつけた網を海底で引いて採取する.

免許が必要であり、網の数、期間、時間が厳しく規制されている.

年に1回、住んでいる市内で宝石珊瑚原木の入札が行われる.

日本の珊瑚の90%が取引される.

珊瑚はほとんど日本で産出されるので、世界の珊瑚の80%は高知で取引される.

バイヤーは珊瑚の入ったケースを見定め、順に入札が行われる.

価格を記したバイヤーの帳面が宙を舞い、開札される.

漁師さんは背後で固唾を呑んで見守っている.

おおむね1ケースで2、3百万円程度が多いが、今年の最高値は一本7,500万円であった.

昨年は1億円であった.

足摺岬に近い土佐清水市では、珊瑚の産出が年間20億円に上るという.

 

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(珊瑚原木の入札)

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原材料で終わるのはもったいない.

高知でも宝飾品の販売はされている.

しかし失礼ながら、旅館の浴衣姿で土産物を冷やかす、観光バスの昼食後に土産物を選ぶ、といったイメージに見える.

 

関連記事リンク:高知のどぶろくと酒蔵

高知の魚市場、イモ、スイカ

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(おわり)

2015年5月19日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

17 魚梁瀬、佐喜浜、羽根の森林鉄道.犬が引いていた?残るレールを発掘

高知には至るところに森林鉄道があった.

総延長は740kmで、東京・岡山間に等しい.

今はすべてなくなってしまったが、木材を運び出す重要な役割を果たしていた.

立派なものは、馬路・魚梁瀬の鉄道であり、蒸気機関車まで走っていた.

トンネルや鉄橋が残っている.

地元K氏が保存に努力され、重要文化財に指定されている.

あまり知られていない、佐喜浜、羽根も訪ねてみよう.

 

2017年4月18日 修正版 

 

 

 1. 森林鉄道の運転

 

(魚梁瀬森林鉄道の体験運転)

 

伐採は山奥で、材木を積み出すのは海岸である.

したがって材木を積んだ台車は、勾配を利用して動力なしに、ブレーキを適宜かけることで下って行くことができる.

しかし空になった台車は山に引き上げなくてはならない.

当初は犬が使われた.

牛や馬であると力は強いが、わざわざ海岸まで連れて行かなくてはならない.

犬なら材木の上に乗せて下って行けるからである.

昨今なら動物愛護で問題になりかねないが、犬は相棒として大事にされていたし、重労働で餌代も嵩んだといわれる.

急勾配では、乗った親方が線路を棹で押して助けた.

搬出量の増加と共に、蒸気機関車が導入される.

しかし重いので路線に制限があり、やがてガソリン機関車が広く使われる.

現在魚梁瀬に車両が保存されていて、体験運転ができる.

 

(秋田県仁別で保存の機関車、魚梁瀬でも同型が使われた)

 

高知の森林鉄道のレールは全て撤去されたと思われていた.

しかし、魚梁瀬の奥で、忘れられたようにレールが残っていることがわかり、発掘する催しが行われた.

 

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(レールの発掘)

 

森林鉄道のゲージは762mmで、JRより30センチも狭い.

線路の幅は車道の1車線にも満たない.

山腹をほとんど削らず、等高線に沿うように山肌や谷筋を急曲線で通っている.

谷川は木橋で渡る.

自然を損なわないエコな輸送機関である.

ガソリン機関車は、やがて木炭、薪ガスを使うようになる.

木炭ガスというと、戦争中の石油不足のためと連想されるが、当初はそうではなかった.

ガソリンを山奥まで運ぶのが困難であったため、手近に利用できる木材資源を利用したのである.

地産地消のバイオエネルギーである.

持続可能な体系も提言されている.

針葉樹100石を搬出して、空車を機関車で引き上げるには、濶葉樹からつくる木炭5俵を要する.

そのために全林地の5-6%を木炭のための濶葉樹帯として確保すれば、外からエネルギー源を持ち込まなくてよいと算定されている.

馬路・魚梁瀬では、小さな客車も連結されていた.

ただし乗車は「如何なる災害が生じても補償はいたしません」という条件付きである.

 

(安芸市花に残る伊尾木川森林鉄道の橋梁)

 

しかし他の路線での便乗は、空の台車の上であった.

線路が貧弱なので脱線が多く、乗客が飛び降りる必要があったからである.

利用した山本淳一氏は次のように述べている.

「木材を積んだトロッコが、カーブで大きくバウンドして脱線するのが見えると、乗客は飛び降りる構えをする.

前方の様子を注意して、いつでも飛び降りる態勢で乗るので非常に疲れた」

風雨は避けるすべもない.

蓑笠でじっと何時間も耐え忍ぶしかなかった.

 

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⒉.佐喜浜森林鉄道

 

室戸岬を東に回った佐喜浜港から、約13km延びていた.

奥は「加奈木の崩え」として知られる大崩壊地である.

崩壊は1707年の宝永地震、または1746年の豪雨と推定されているが、集落が壊滅して記録がない.

土石流は谷を埋め尽くして平坦にし、現在では下流部は水田や牧場になっている.

しかし、上流部にはまだ堆積する岩石があり、崩壊の巨大さを実感する.

1916年に治山工事が始まり、1964年まで続いたので、砂防ダム資材の運搬にも利用された.

 

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(加奈木の崩え.最奥の斜面だが、木が育って今はわかり難い)

 

3.   羽根森林鉄道

 

室戸岬の西、羽根川に沿って20km遡る.

木炭の工場がある.

最近あちこちに炭焼き窯が復活しているが、ここでは事業体として2基を備え、備長炭を焼いている.

森林鉄道は国有林の輸送を行うものであるが、頼まれれば薪炭の輸送も引き受けた.

 

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(備長炭を焼く)

 

高知県内の森林の蓄積量は1億8千万立方米とされる.

50年で伐採に至る成長ならば、年率2%、年間360万立方米が増加していることになる.

これに対して現在の伐採量は50万立方米であり、まだまだ蓄積が進んでいることになる.

これは森林鉄道の時代にも繰り返し言われたことであり、伐採が進んでも植林さえ行えば、永遠に生産が持続される.

 

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(羽根の植林地)

 

しかし急傾斜地での植林には、想像を絶する苦労が必要である.

登るだけでも大変な斜面で、枝葉で土手を築き、苗木を植える.

下草刈り、間伐も必要である.

全国各地で植林は行なわれているが、高知ほど厳しい条件は少ない.

植林での利益は自分の世代が得られはしない.

子供、孫の時代になってようやく報われる.

次世代、次々世代の未来と、環境の持続を頭に置いた高知の植林は、「世界遺産」に値するものではないだろうか.

 

参考:河田耕一「高知営林局の森林鉄道」、鉄道ピクトリアル、2011年12月臨時増刊号

 

関連記事リンク:馬路とトリュフ犬

        ミュージアムと中屋の機関車

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(おわり)

2015年5月10日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

16  高知の孤独な海岸、断崖をたどる大鶴津、小鶴津

高知の山奥をあちこちと訪ねたとき、逆に海に面してはいるが、もっとも行き難い集落はどこかと考えた.

高知を1/25,000地図で隈なく調べた結果、窪川町・小鶴津、大鶴津であると判断した.

2007年に訪ねた.

そして再度、2015年に訪ねた.

天候を見計らい、崖崩れのない晴天続きの日を選んだ.

そこは8年でこのように変わっていた.

 

2017年4月6日 修正版 

 

 

 1.   小鶴津へ

 

高知の西南、志和漁港より山道を登る.

最初に訪ねたとき、麓でこの先に今も住人がいるのか尋ねたが、わからない、と言われた.

やがて断崖の上に出る.

そこには、「雨天は危険なので通行禁止」の表示がある.

 

鶴津の表示

(道路の表示)

 

ここから断崖の中ほどを伝う.

 

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(断崖を行く)

 

崖を削る余地がないので、岩と岩の間に鉄骨を渡し、鉄板を載せている.

ガードレールが曲がり、すっかり錆びたところもある.

ただ手入れはされ、舗装もされた.

向こうから来ると、すれ違いのためバック、ということもあり得る.

少し広いところもあるので、進退窮まることはない.

もっとも来る可能性はゼロに近い.

やがて行く手に入江が見えてくる.

 

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(断崖の中ほどが道路)

 

曲がりに曲がって下ると平地に出る.

三軒の家がある.

防波堤のある小さな浜もある.

 

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(小鶴津)

 

8年前は絵を描きに来た.

一 軒の裏手からの構図がよかったので、そこのおばあさんに断わって腰を降ろした.

おばあさんはウチのお母さんと話し始めた.

 

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(2007年  恥ずかしい!)

 

3時間ほど経っただろうか.

戻ってみると、ウチのお母さんは、疲れて頭が垂れ、半ば目が白くなっていた.

久しぶりに話しのできる人が来たというので、ずっと話していたという.

・ここには舟でお嫁に来た.

・子供は山を越えて学校に通っていた.

ある時忘れ物をして学校から帰ってきて、また山を登って行った.

・つれあいは自分がいないときに、乗っていたトラクターが倒れて下敷きになった.

だれも通らない.

夕方になってやっと発見された.

救急車が入れないので、途中まで軽で運び、中継して病院に行った.

このときは助かったが、しばらく前に病気で亡くなった

・息子と孫は遠方にいるが、ときどき帰ってくる

・町の保健師さんが週に一度来るので心配はない

・自分でも車でときどき買い物に出る

・崖から落ちた車もあるが、土地の者ではない

2015年、また会えるかと思いながら行った.

その家は板を打ち付けて閉ざされていた.

息子さんのところに行ったのだろうか.

それとも施設に入ったのだろうか.

スケッチした場所に、前には無かった新しいお墓がある.

10年ほど前に亡くなった男性の名が最後に刻まれている.

ご主人なのだろう.

辺りの家には人影がないし、畑には丈高く草が生えている.

しかし、植付が行われたところもある.

 

2.   大鶴津へ

 

大鶴津はさらに先の入江になる.

断崖で隔てられているので、行くにはひと山越えなくてはならない.

より狭く、落葉が重なる道で、軽でも廻り難いところがある.

転向は困難だから、もし崩れていればそのままバックで振り出しに戻ることになる.

バイクの男性に会った.

イノシシの罠を見回りに行った帰りで、昨日は80キロがかかったという.

「落石で裂かれるからパンクに気を付けて」と言われる.

やがて草原に出る.

昔は水田であったと思われるが、20年は耕作されていないのではないだろうか.

 

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(大鶴津)

 

廃屋がいくつかある.

8年前、海岸に近い一軒には住人がいた.

道沿いや庭に、きれいに石を並べて谷川の水を流し、小さな畑があった.

人影がちらと見えたように思った.

絵のポイントを探していたので、そのまま通り過ぎてしまった.

前のおばあさんの話では、おじさんが一人住んでいる.

小鶴津で酔っぱらって道の真ん中で寝てしまった.

車の邪魔になったが、起きないので、そのままにした.

今回行くと、誰もいなかった.

庭も畑も草に覆われている.

こんなことなら時間を取り、話を聞いておいたらよかったと思う.

しかし瓦屋根はきれいに葺かれ、周囲は整頓され、近くには新しいお墓がある.

昭和22年に14歳で亡くなった少女の名がある.

戦後の混乱期、病気だったのだろうか.

一方、95歳の男性の名もある.

詮索するようだが、最近に女性の名がない.

おじさんは独身だったのだろうか.

それとも別居していたのだろうか.

どこへ行ったのだろうか.

なぜ行ったのだろうか.

お墓だけが、いろいろのことがありながら、ある一家が長い間ここで生活した記念碑として残っている.

最後の晩はどう過ごしただろうか.

また帰ってくると思っていただろうか.

それとも帰ることはないと考えただろうか.

お酒が好きだったから、波の音を聞きながら呑んだくれたのだろうか.

 

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岸にはだれもいない.

何もない.

 

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(大鶴津の海岸)

 

道はここで尽きる.

この先の海にも、山にも、道はない.

草原を戻り、山を越え、断崖を通って帰ることにする.

 

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(小鶴津へ戻る)

 

リンク:高知の離島・沖の島、鵜来島

    知られざる断崖と入江の大月

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(おわり)

2015年5月1日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一