80 早明浦ダムの地域.鉱山町大川村、瀬戸エメラルドの渓谷

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早明浦ダムは、高知から徳島に流れる、吉野川にある大きいダムである.

夏の渇水で干上がった湖の写真が全国に流れ、高知は水不足のようだが大丈夫か、などと訊かれる.

その地域にある大川村は、かつては人口4,000人の村であったが、現在は400人である.

村議会の存立が困難であるとして、村民総会に変える方向で、これも全国的に知られることになった.

仁淀川は、澄んだ青色の「仁淀ブルー」で有名である.

一方、早明浦ダムに流れる瀬戸川も、「瀬戸エメラルド」の川である.

 

2017年11月23日 最終版

 

 

1.早明浦ダム

 

(早明浦ダム)

 

早明浦ダムは1975年の完成で、その貯水量は、全国でベストテンに入る.

そこに貯められた水は、徳島48%、香川29%、高知4%の割合で配分される.

徳島は、吉野川が大歩危、小歩危を通って、もともと県を縦断しているのだから当然である.

高知にあるが、自分の使用量はたった4%である.

高知各地で十分に雨が降るから、干上がっても心配には及ばない.

結局、吉野川とは何の関係もない香川が、言葉は悪いが「横取り」しているので、香川県のためのダムと言ってもよい.

 

(早明浦ダムの夕暮れ)

 

2.大川村

 

早明浦ダムの地域は、本山町、土佐町、大川村である.

本山町が土讃線大杉にもっとも近い.

「土佐町」はその西に隣接しているが、あまりにも漠然とした名である.

海岸近くには「土佐市」もあり、高知県民でも正確な場所を言える人は少ないのではないか.

 

(ダムから見た土佐町)

 

大川村には、土佐町からダムの上に登り、ダム湖の縁を延々と辿って到着する.

 

(大川村中心部)

 

中心部と言っても、役場、農協、二三の店と、湖底から移転の集合住宅がある程度である.

対岸には小中学校がある.

運動会に向けて、全校生徒が一輪車を練習している.

少ない人数が屋外で運動できるから、いい種目である.

やがて5時のチャイムが鳴り、生徒は通学バスで帰る.

先生方は残務を片付け、高速を通って高知市内に帰る.

 

(大川村小中学校)

 

ダム本体は、本山町、土佐町にまたがり、両町には固定資産税が入る.

大川村は前に水があるだけで、割りを食っている.

先日、静岡県の大井川上流に行ったが、井川ダム湖は、豚骨ラーメンに等しい白濁した水であった.

それでも、カヌーやトレッキング客で賑わっていた.

早明浦は透き通ったとまではゆかないが、きれいな水である.

 

3.白滝鉱山

 

この地の3町村、入り混じっていて、部外者には特段に境界が感じられない.

しかし、かつては大川村がもっとも豊かであった.

それは白滝鉱山があったためである.

四国の背稜となる山々は、銅が堆積した海底が盛り上がってできた地層である.

別子は別格だが、いくつもの銅山があった.

白滝はその一つである.

 

(白滝鉱山、学校跡)

 

大川村中心部から北に山道を5kmほど上る.

やがて鉱山のあった山が見えてくる.

鉱夫が細々と手で掘っていたのではない.

江戸時代からの鉱山であるが、大正時代に近代化を進めた.

最初はこの地で精錬を行ったが、亜硫酸ガスによる煙害を起こしたため、鉱石のまま大分へ運んだ.

標高1,400mの山を越え、川之江まで20km余りの索道を建設した.

索道はスキー場のリフトと同じで、循環するロープに200kgほどの鉱石を積んだバケットを次々に繋いで運ぶ.

距離が長いので、3区間に分かれていたと思われる.

4、5km離れた東西にも鉱山があって、やはり白滝まで索道で輸送していた.

坑道内の高低差は1,000mあり、坑内は電気機関車で輸送した.

最盛期は年間12万トンを産出し、ここには2,500人ほどの人が生活した.

学校、診療所を始め、商店、料理屋、映画館、パチンコ屋、銭湯があった.

しかしグローバル化に伴い、コストで海外に太刀打ちできず、1972(昭和47)年に閉山となり、住民はゼロとなった.

大川村は、炭鉱の夕張と同じ境遇なのである.

 

(白滝の茶店.向こうの斜面に坑口があった)

 

鉱山の施設や住宅は山の斜面を埋め尽くしていたのだが、跡形もない.

学校は林間学校の施設になっている.

ところどころの平地には、地鶏や牛の飼育施設がある.

香川県がダムの恩義を感じるなら、肉うどんは大川の牛、骨付鶏は大川の地鶏を使ってよいと思うが.

 

(大川村水谷)

 

白滝鉱山がなければ、あとは1軒、2軒と残る山の集落である.

水谷にも、かつて白滝に繋がった鉱山があったのだ.

 

4.瀬戸川

 

大川村中心部の対岸に支流が流れ込んでいる.

瀬戸川である.

ただし、ここは土佐町である.

川の上流は、白色や薄青色の岩石で埋め尽くされている.

適宜な大きさ、形状といい、さながら庭石展示場のようであるが、河川保護のため、採取は禁じられている.

渓流には、地元でつくった休憩所や遊歩道がある.

昔は川に沿って森林鉄道があった.

 

(瀬戸川の谷)

 

 

(瀬戸川の川原)

 

(瀬戸エメラルド)

 

ところどころの渕は、透き通ったエメラルドグリーンである.

「瀬戸エメラルド」だ.

岩石の谷で泥がなく、川底が真っ白な石や砂でできているためであろう.

 

(おわり)

 

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2017年11月22日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一