54 龍馬のレポート 1:河田小龍、武市半平太、集団と個人

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高知と言えば、坂本龍馬である.

空港を始め、居酒屋、ラーメン、学校、タクシーなどなど、「龍馬」の名を被せた施設は、県内至る所に見受けられる.

イベントがあれば、龍馬の着ぐるみが出てくる.

今では龍馬は、高知の観光イメージキャラクターに過ぎないように思われる.

しかし、龍馬は高知に何を教えるのか.

考え直してみよう.

 

2017年10月14日 改訂版

 

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(桂浜)

 

1.打って出る

 

龍馬は1835年、裕福な家の次男坊として生まれた.

18歳のとき、江戸へ留学に向かった.

剣術修行ではあるが、当時実用的な剣術はほとんど不要であった(後の動乱の時代で有効になるが).

今でいえば、サッカーのスポーツ留学のようなものである.

身分制など、何かと束縛の多い高知を脱出する.

政経の中心で自由に生活し、部活に励むことに心は踊ったであろう.

しかもこの年、黒船が来航し、江戸、そして日本は混乱の時期になる.

龍馬は、高知では決して体験ができない、新しい世界に触れる.

龍馬の第一の教訓は、見知った土地に留まらないということである.

今、東京は近過ぎて、龍馬のように別の世界に触れることにはならない.

海外である.

それも激動の地域でなくてはならない.

北京は候補の一つかもしれない.

 

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(高知港.クルーズ船の来航)

 

2.変化を捉える

 

龍馬は江戸に居るときには、外人が来れば首を打ち取る!など、世間並の発言をしていた.

1年後に高知に戻った.

河田小龍を訪ねる.

 

 

小龍は、ジョン万次郎からアメリカの事情を詳しく聞き、著書にしている.

-日本はガラパゴスである-

また、肥前藩の技術を継承した、薩摩藩に反射炉技術を学んでいる.

-藩体制の否定である-

洋式の汽船と航海術を取りいれることが急務であると主張している.

-技術革新である-

さらに、土佐藩では防衛に不足があるとして、農民から民兵を募っていた.

-武士の否定である-

世の中は、江戸の単純な「世論」のようには動いていないことを認識する.

龍馬の第二の教訓は、表面的な世論に惑わされず、その底に潜む変化を読み取るということである.

 

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(ジョン万次郎が生まれた中浜)

 

3.集団と個人

 

問題意識はあっても、一人では進展しない.

龍馬は、城下で道場を開いていた、6歳年上の武市半平太のグループに加わる.

後に土佐勤王党となるが、秘密結社めいたものではない.

土佐藩の方向は、守旧、革新と揺れていたので、反体制ということでもない.

200名くらいのメンバーがいたが、必ずしも考えや行動が統一されていなかった.

ただ、武士はほとんど居なかった.

制約に縛られない、野党グループといってよいであろう.

盟約書には勇ましく、攘夷(アンチグローバル)、尊王(打倒現体制)と書かれている.

しかし、龍馬はそれに取り組んではいない.

ただこれによって、土佐領内のみならず、長州人、薩摩人との交流が生まれる.

そして、集団を離れ、日本各地へ向かう.

龍馬の第三の教訓は、集団に属しても無定見に従うのではなく、利用するということである.

 

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(武市半平太旧宅)

 

4.ネットワーク

 

龍馬は最初の江戸行きから2年後、21歳で再び江戸に向かい、2年後の1858年に帰る.

1861年、半平太の使いで、国境で長州人と会う.

その際、藩には丸亀に剣術勉強で赴くと届けた.

しかし、出てしまえば勝ちで、長州、大阪を回って帰る.

1年後、半平太は龍馬を長州に派遣し、長州人、薩摩人と連絡を取らせる.

龍馬はさらに、京、大阪を回って3ヶ月後、3月1日に高知に帰り、半平太に報告する.

そして、3週間後、3月24日に脱藩し、長州に至る.

藩命の制約、半平太のメッセンジャーには飽き足らず、自由な立場での行動をとる.

 

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(梼原.脱藩の道)

 

龍馬は各地を巡った際、すでに脱藩の意思を固め、手はずを整えていたと思われる.

同志の強いサポートと周到な準備の下で行われている.

そうでなければ、高知城下から山道と船によって、6日間で長州に達することはできない.

また、予め長州と話しをつけておかなければ、潜入はできない.

龍馬は、長州から薩摩に向かうが、関所で拒否された.

その後、大阪から江戸に向かう.

 

 

 

何が龍馬をあちこちに駆り立てたのか.

「何でも見てやろう」なのか、「自分探しの旅」なのか.

いずれにしても、この間で次第に人脈は増して行く.

龍馬は、「茫洋としている」「遠慮がない」「ゆっくり話す」「愛すべき人」「本は読まない」などと評されている.

目から鼻に抜ける鋭利さは伺えないし、色黒で、イケメンでもない.

話し手が気を許して、つい本音を話してしまう、というタイプである.

龍馬の第四の教訓は、現場を足で回って、人的ネットワークを増す、ということである.

 

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(おわり)

2016年10月9日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一