35 高知の雪国・梼原と龍馬脱藩の道

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梼原は、1,500mクラスの山に囲まれた、高知県の西端にある.

雪国で、寒波の厳しいときには3、40cm積もる.

龍馬脱藩の地である.

高知市から車で2時間近くかかるので、ひどく辺鄙な土地のように思われている.

しかし、実際は海岸の宇和島に近く、昔は海と山で隔てられた高知市より、ずっと開けた土地であった.

 

2017年9月29日 改訂版

 

1.梼原

 

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(梼原の町)

 

梼原の歴史は平安時代に遡る.

木材は産出するが、特別に多いわけではない.

薪炭も生産されるが、木材同様、大きい川がないので搬出には不便である.

点在する山村の中に、藩の機関、庄屋が集まって生まれた行政の町である.

梼原出身の方が話していた.

まとまった買物は高知の須崎か、愛媛の宇和島に出た.

どちらも等距離であり、瀬戸内の大洲にも近い.

高知でもない、愛媛でもない、山の中の独立国である.

 

⒉.梼原と高知

 

梼原は高知市より宇和島に近い.

宇和島は今でこそ陸路行き難い土地だが、海路が中心であった昔は交通の要所であった.

それ故に先進的な地域であった.

蒸気船の建造も手掛けたし、西洋医学も入ってきた.

英米の艦船も薩摩と共によく寄った.

さらに、山を越えた長浜港は長州が対岸である.

梼原には、薩摩、長州、外国の情報が詳しく入ってくる.

幕府の政治、藩の農民への苛斂誅求、これではどうしようもない、ということになる.

革命気運が生まれる.

梼原は志士たちの土地となった.

梼原が辺境なのではなく、高知が辺境なのである.

 

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(志士・吉村虎太郎像)

 

3.龍馬の脱藩

 

坂本龍馬は、革命家として行動すべく、1862年3月24日、脱藩の行動に出た.

本街道は通れないから、それまでの脱藩者と同じく、革命の拠点、梼原を目指し、そこから国境を越える.

突発的な行動ではなく、一党の周到な計画と準備のもとに実行される.

辺りが暗くなった頃、龍馬と、すでに脱藩していた(不法入国者の)沢村惣之丞の2名が城下を出た.

町外れまで1名が護衛する.

梼原まで65km.当時一日40kmを歩くのは普通であったし、比叡山・千日回峰の行者は連日84kmを歩く.

トレイルランニングで直行できないことはないが、暗い山道は足元が悪い.

峠の麓になる佐川は、アンチ山内の土地だったので、夜遅くアジトに着き、小休止後、夜明け前に出立したのではないか.

25日、梼原に到着.

26日、那須俊平、信吾と共に標高950mの韮ヶ峠に向かう.

 

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(韮ヶ峠へ)

 

土佐、伊予の境界で、ここを越えて脱藩となる.

信吾は吉田東洋暗殺のため、引き返す.

 

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(雪の韮ヶ峠)

 

いくつかの峠を越え、途中宿泊.

27日、内子で川船に二人を乗せ、俊平は戻る.

河口の長浜港でシンパの家に入る.

28日、長州に向け、船が出る.

息をつかせない連係プレーである.

 

4.龍馬脱藩の道

 

高知から脱藩ルートを踏破する人もいる.

街道は時代で次のように分類される.

1)徒歩の道

龍馬の頃はこれである.

かぼそい山道で、峠はいかに傾斜が厳しくても直登、直降である.

今はほとんど廃道になって、通行不能である.

2)明治の車道

明治になって牛馬車を通すため、傾斜の緩い車道がつくられた.

峠はくねくねと曲がる「羊腸の小道」である.

 

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(布施ヶ坂、茶畑の中の旧道、向うは現在の国道)

 

最近までトラックやバスが通っていた.

巾が狭いので、行き違いのときは、女車掌が笛を吹いてバスをバックさせる.

時間はかかるが、今も歩くことができる

3)現在の国道

直線的なトンネルや橋梁で、車は早いが歩くには不向きである.

今は、2)を通り、高知から梼原へ3日、梼原から内子へ3日あれば、十分歩けるだろう.

 

5.梼原の町

 

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(梼原の街路)

 

通りは拡幅され、電線は地中化されている.

派手な看板はない.

木の柱の、柔らかな明かりで品の良い街灯がある.

ベンチや小さな彫像が置かれている.

周辺の商店や家々、駐在所も景観に気が配られている.

高知で一番いい通りである.

梼原はまた、町役場を始め、国立競技場で有名な隈健吾の作品展示場でもある.

 

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(梼原町役場.夏は前面を開放する)

 

本格珈琲の店、パスタのカフェがある.

夕食は焼肉店に入った.

「地元の人が食べないものが郷土料理」と定義した人がいるが、「梼原牛のタン」などメニューにあるので、立派な「郷土料理」である.

気持よく飲んで、暗い山の中、人通りの絶えた通りを、星空を仰ぎつつホテルに帰る.

 

6.観光

 

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(四国カルスト、天狗高原)

 

北に広がる標高1,400mの四国カルストは、素晴らしい高原である.

ただし、JR須崎から梼原へ、バスがあるが3分の差で特急に連絡しない.

天狗高原にはバスの便があり、上れば、快敵な散策やトレッキングができる.

山荘に泊まり、明日の雲海を期待する.

 

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宇和島に至るJR予土線松丸は、須崎より近い.

ここに出れば、四万十川を下るなり、宇和島に出るなり、周遊ルートが組める.

ところが、愛媛県への「脱藩」はご法度らしく、繋がる交通機関がない.

 

関連記事リンク:山岳の道、瓶ヶ森と天狗高原

        龍馬のレポート1 集団の利用とネットワーク

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(おわり)

2016年1月21日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一