高知学99 手結の台風と久通の漁村.海の風景

海でも山でもよいのだが、「田舎」で暮らす特徴は、天候、気候が非常に近いことにある.

晴れれば強力な紫外線と共に太陽が照り付けるし、雨ならば逃げ場もなくずぶ濡れになる.

夏は海風が部屋を渡り、冬は北風が吹き荒む.

都会なら建物の陰や地下街があり、自然を遮ってくれる.

これがもっともよく現れるのは台風のときである.

一方、自然に限りなく近い住家は、山と海に向かう孤立した集落にある.

海に向かって訪ねてみよう.

 

2018年9月30日 最終版

 

 

1.台風

 

(大型台風の接近)

 

台風の発生は、海のうねりで知ることができる.

フィリピン辺りにあるときからうねりはやってくる.

沖にあるブリの養殖棚は、波の被害を避けるために船で曳航して、静かな湾内に引っ越す.

遠いところから来るうねりには、さらに長周期の強弱が加わっている.

大したことはないと思って海岸にいると、突然高い波に変って押し寄せてくるので、悲劇をもたらす.

 

(台風の波)

 

接近してくると、波はときに防波堤を越える.

普段は釣り人がいるのだが.

 

(手結港に砕ける波)

 

波がしらが砕け、風で潮が吹き飛ばされる.

テレビの中継で馴染みの光景である.

防災無線では「海には近づかないように」とアナウンスがある.

それでも野次馬を呼ぶので、最近の中継は「安全なところで放送しています」と注釈が入る.

場所によって、国道でも越波は通る車に降りかかるし、小石が飛んでくる.

一抱えはある岩石が打ち上げられたことがあった.

地元では危険な個所が知られている.

 

(雲の隙間)

 

やがて雲が切れ始めて、隙間に夕暮れの色が映り出す.

 

(夕焼け)

 

台風がすっかり去って、西の空は夕焼けが濃い.

 

(夜の海)

 

波が収まり、防波堤の明滅する灯りがはっきり見える.

山かげの安全な港に逃げていた船も帰って来た.

ただ増水した川から流れ込む水が、くっきり帯をつくっている.

 

(戻った海)

 

静かになった海には釣り人がやってきた.

 

(手結のシラス漁)

 

2隻の船で細かい網を引いてシラスを獲る漁も始まった.

ただ、せっかく7月豪雨の流木が片付けられてきれいになった浜には、台風による川の増水でまた新しく流木が流れ着いた.

何しろ川の上流には、流木予備軍がたっぷり残っているのだから止むを得ない.

この先何年かは続きそうだ.

 

2.久通

 

(大阪市内)

 

もっとも天候、気候に近い住家はどこにあるだろう.

それは山を背後にし、海に面した漁村ではないだろうか.

なにしろ、海、山、両方の自然に立ち向かっているのである.

中でも孤立した漁村はその感を一層深める.

高知県の西部はリアス式海岸で断崖が連続するので、このような漁村が多い.

須崎市の久通(くつう)はその一つで、高知市域にもっとも近い.

しかし、とてもそうは思えない.

 

(久通への道)

 

久通には横浪半島を通る県道から入るが、分岐点には手造りの朽ちた看板しかないので普通は見落とす.

直線距離では2kmだが、狭い道は山の中を屈曲して峠を越える.

 

(久通)

 

やがて眼下に集落が見えてくる.

意外に大きい集落で、山裾に家々が立並んでいる.

 

(久通の港)

 

港から横浪半島が見えるが、断崖の連続で、とても海に沿って道路はつくれない.

 

(集落)

 

学校の校舎は残っているが、子どもはいないので廃校である.

しかし、廃屋は見当たらないし、SUVが止まっていたりする.

そこはやはり須崎市、高知市への通勤圏になるからだろう.

 

 

高齢の方々が道端で網をつくろっている.

伊勢海老を獲るのである.

ただ余り獲れすぎると値が下がるので、まあ年金の足しだね、と笑っていた.

どこから来た、と訊くので、手結(てい)から、と答えると、伊勢海老を獲っているだろう、と言われる.

え~、見たことがない.

しかし改めて考えると、岩礁やサンゴはあるし、昔は伊勢海老の料亭もあったのだ.

 

(移動販売車)

 

峠から音楽が聞こえてくる.

高齢者が車を押して集まってくる.

移動販売車が来たのだ.

なかなかよくできた車で、車内は天井まで冷蔵、冷凍ケースになっている.

牛乳、肉、魚、何でもある.

漁村で魚でもあるまいという気もするが、毎日エビを食べるわけにはゆかない.

 

(おわり)

 

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2018年9月21日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学98 2018年7月豪雨のあと3 高知の秘境、伊尾木川

高知で最奥、行き難い秘境は、東部の伊尾木川流域である.

最後の焼畑農業で知られる椿山も相当の山奥だが、町からは15kmほどである.

伊尾木川は最奥の集落まで46kmある.

山深い峡谷であり、2018年7月豪雨の復旧がまだ進んでいない.

1/3になる大井までは、まずまず住む人がいる.

その先も地図上では点々と集落があるが、いまどれだけ実在しているだろうか.

ゼロではないが、住人は全部で指折り数えるほどだろう.

川沿いにあった六つの学校はすべて閉校になっている.

最奥の集落である別役土居には、アメゴを養殖する人がいる.

先日の豪雨では川筋の道が全く途絶え、徳島県側から標高1,000mの駒背峠を越えて救援に向かったという.

 

(駒背峠から伊尾木川方面、下が別役土居)

 

2018年9月10日 最終版

 

1.花

 

河口は安芸市で、被害がひどかった安芸川と並んでいる.

 

(安芸市域から)

 

8月末には釣糸を垂れてみようという人も出てきたのだが.

その後の相次ぐ台風でまた濁流になってしまった.

 

(花沈下橋、2013年)

 

峡谷の入口が花の集落で、小さな沈下橋がある.

 

(崩壊した沈下橋)

 

沈下橋は、水だけなら上を流れて行ってくれるのだが、一抱えもある丸太が激流と共にぶつかると一たまりもない.

 

(森林鉄道の橋梁)

 

昔、伊尾木川に沿って最奥まで森林鉄道がつくられていた.

終点まで7時間かかった.

花には橋梁が残っている.

小川川に沿う15kmほどの長い支線の分岐点で、支線の奥にはトンネルが残っているらしい.

しかし川沿いに道はなく、狭い軌道跡を歩いて辿るしかない.

 

2.奈比賀から入河内

 

市内からコミュニティバスで15分、奈比賀(なびか)の集落である.

2014年から、付近の山腹に大工事が行われている.

 

(山腹の工事)

 

鉄橋のある迂回路がつくられたので、大規模な工事と想像したが、見たところ崩れた様子がない.

不思議に思っていたが、表面の樹林を剥がしてようやく姿を現した.

おそらく亀裂などの兆候があったのだろう.

ロープに体を預ける作業員が豆粒のように見える.

段をつくって途中に重機が上げられている.

 

(入河内)

 

30分弱で入河内(にゅうがうち)である.

 

(入河内大根)

 

大きい特産の大根や、地元の米でつくった「入河内」ブランドの酒など、がんばっている.

鉄筋の小中学校の建物がある.

廊下に学校の歴史を書いた模造紙が貼ってあって、外からも見える.

生徒がもっとも多かったのは1956年の219人である.

次第に減少して1から3人の時代が続き、やがて0になったが、転入した人の子どもが一人入って復活した.

しかしこの子が転出して再び閉校になっている.

 

 

3.大井

 

(伊尾木川、2017年)

 

川は広い河原の中を悠々と流れている.

 

(川岸の道路)

 

川岸の道路は増水によって下がえぐられた.

広い河原は、遠い過去から流され続けてきた岩石が埋めてできているわけだ.

その意味で「災害」も長い川の歴史の中の一コマではあるのだが.

 

(大井)

 

一日3本あるバスで37分の集落が大井で、まずこの辺りが日常的に住む限界だろう.

郵便局もある.

10年前、森林鉄道の築堤で絵を描いていて、足を踏み外して転落、骨折した思い出の地である.

ただその時は明るい山村、というイメージだったのだが、今回何か寂しさを感じてならない.

集落に入ってみると、やはり空き家ができているのだ.

稲田に鹿よけの網をかけているご夫婦に出会った.

ご主人は郵便局長をしていたそうで、「この土地のことなら何でも聞いてくれ」と言われる.

あれこれ話す中で、「道は雨の後は落石が多くて危険だ」という.

確かにそうで、以前この奥で落石に乗り上げ、タイヤを切り裂いた.

この後、落石を見ると車を止め、同乗の家内が先回りして石をどけたが、見回りの車の職員に感謝された.

 

4.ダムから別役へ

 

大井の先はまだ通行止で、今回はここまで.

以下の写真は2017年のものである.

 

(伊尾木川ダム)

 

渓谷が狭まったところに、1954年につくられた発電用の伊尾木川ダムがある.

古いのでダム湖は岩石で埋まり、湖というより池に近い.

森林鉄道の鉄橋が一連残っている.

岩石や流木がダムを越えてくることはないから、下流のものはこの下で発生したものである.

 

(ダム湖の秋)

 

このときに浮いているものは、流木ではなく落葉であった.

 

(別役、防災のため水路を開削中)

 

最奥の集落が別役である.

あるお宅では、木々や岩を配した斜面に清冽な谷川の水を引き、滝や流れのある庭をつくっていた.

折々趣向を変えるのか、ツルハシやバールが置いてあった.

 

 

(バスの終点)

 

デマンド運行で、月1回来るか来ないかというバス停のところが最奥のお宅である.

この先で道は峠に上る.

しかしこの辺りでも山上にはいくつかの集落があった.

「天ノ郷」など地図を見れば、険しい尾根を上った標高800mに田畑が開け、わずかの家がある.

車道はなく、名前の通り外界と隔絶した世界である.

地元で訊いたところ、「もう山の上からはみんな下りた」ということだった.

 

(茗荷)

 

支流の横荒川にも森林鉄道の支線があり、茗荷(みょうが)の集落があった.

いま鉄道の橋や護岸は崩れ、丸太が渡してある.

作業所や家々は暗い樹林の中で半ば崩れ、ひと気のない夕暮れで鬼気さえ感じる.

 

(砂防ダム)

 

奥では、あちこちで大規模に砂防ダムの建設が行われている.

住民の少ないところの公共工事に意義があるのか、と思う人がいるかもしれない.

しかしこれらがあったればこそ、被害がいまの程度で済んだのである.

なければ茗荷のような死の谷が次第に広がり、下流の町の洪水となり、濁水は海一面に広がり漁業を壊滅させる.

山を包む薄皮の森林が、我々の生活を左右している.

 

(おわり)

 

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2018年9月1日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一