高知学94 桧と棚田の山の町、本山

本山は高知市の北、約30kmのところにある山の町である.

土讃線大杉駅、高速道路の大豊インターに近い.

標高1,470mの白髪山の麓にある.

白髪山系一帯にはヒノキの森林が広がっていて、魚梁瀬のスギと共に土佐藩の財政を支えていた.

後年、森林鉄道が設置されて搬出を行った.

今、天然林は限られているが、樹齢250から300年のヒノキがあるという.

本山はその高価なヒノキの林業の基地として栄えた.

 

2018年6月18日 最終版

 

 

1.本山の町

 

(大杉駅)

 

大杉駅は森林をイメージしたつくりで、工業高校生のデザインである.

ここからバスで町に向かう.

 

(坂の町)

 

本山は坂の町だ.

町全体が山の斜面にある.

 

(旅館)

 

国道のバイパスができているが、旧市街には旅館や飲み屋がある.

昔ながらの小さなパチンコ屋があり、建物も看板も古びているが、店の中の蛍光灯がついているのでやっているらしい.

 

2.文学館

 

(大原富枝文学館)

 

「女流作家」は今では死語に近い.

もちろん現在も女性の作家はいるが、ことさら男性、女性と区別することはない.

かつての女流作家は、「女性が、女性の視点で、女性を描く」ことがその真骨頂であった.

書く側も読む側も、敗戦の結果生まれた「男女同権、女性の自立」を踏まえていたからだろう.

大原富枝はその一人である.

1912(大正元)年に本山町で生まれ、高知女子師範に進学したが、結核に侵され故郷に帰り、10年間療養生活を送った.

 

(本山の町)

 

29歳のとき、一大決心をして上京し、文筆の道を志す.

16年後、文学賞を得て作家生活が軌道に乗る.

代表作「婉(えん)という女」は、土佐の大土木工事を行った野中兼山が失脚し、一族の女性が40年間土佐の外れ、宿毛の山間に幽閉された物語である.

大原が10年間出歩くこともままならず、山を見上げるだけの暮らしを送ったことが投影されているであろう.

記念の文学館は元の裁判所を利用してつくられている.

文学館に接してホールがあり、冬の夜にコンサートに来た.

ひどく寒い日で、道には雪がうっすらとし、出演者は度々鼻をかんでいた.

しかし雪の山の中でのコンサートには趣があった.

 

3.教会

 

(教会)

 

坂の上に小さな教会がある.

パイプオルガンのあるお宅もあるらしい.

歴代の牧師の名が刻まれた石碑がある.

それによれば、初代は1872 (明治5)年となっている.

切支丹禁制が解かれたのは明治6年だから、それよりも早く信仰が始まっていたことになる.

高知市から見ると、本山は辺鄙な山の中である.

しかし、高知城下から瀬戸内に出る、参勤交代に使われた街道の中ほどにある.

今、高速道路が大体それに沿っていて、太平洋から瀬戸内海まで30分であり、本山に行く大豊ICはほぼ中間になる.

地図を南北逆にして見ると、荒波の岬と山脈で隔絶され、武士が威張る高知城下がむしろ辺境である.

本山の方が「文明開化」が進む瀬戸内に近いのだ.

 

4.棚田

 

四国を縦断して流れる吉野川のこの辺りは棚田地帯である.

北岸は急な山腹だが、南岸の谷あいは破砕帯が滑った緩い傾斜で、水田に適している.

吉延、伊勢川、高須とあるが、行政的に後2者は土佐町である.

 

(棚田の夏)

 

棚田は一日の気温変化が大きいので、美味い米ができる.

吉延では、室戸海洋深層水のにがり成分を加えて育成した米を「天空の郷」として売っている.

認定された条件での稲作だけがブランドを許される.

 

(棚田の道)

 

(棚田の水)

 

清冽な水が棚田の上から下に流れる.

 

(棚田の中)

 

オタマジャクシがわんさといる.

ヘビも水田に入ってオタマジャクシを追い回している.

 

(神社)

 

棚田の中の神社に「大正15年帰朝記念、松岡梅吉」と刻まれた狛犬がある.

「北米加奈陀に二十有余年」とあり、20年なら1906(明治40)年の渡航である.

当時カリフォルニアでは日本人移民が激増し、「日本人来るな!隔離せよ!」の排日運動が盛んであった.

梅吉の仕事はわからないが、本山出身ならロッキーでの林業だったのかもしれない.

 

(学校の跡)

 

見上げるとブランコの支柱が見える.

上がってみると、果せるかな学校の跡であった.

梅吉は子どもたちに外国の話をしただろうか.

 

(ツリーハウス?)

 

横に入った高角(たかつの)の集落には、仰天するオブジェ、色とりどりの水車、ツリーハウスがある.

公開されてはいないが、「アーティスト」がいるらしい.

 

5.棚田の秋

 

(棚田の秋)

 

棚田には夏の緑、刈入れ後のわらぼっちの列など、四季折々の姿がある.

しかし黄金色の稔りの時期が一番華やかだろう.

秋、孫二人を連れて歩く男性に出会った.

棚田は圃場整理で今の大きさになっているという.

昔はもっと小さい区画だったらしい.

 

(キャンペーンガール.棚田をよろしくね!)

 

棚田を回るフットパスが設定されている.

歩き疲れれば木陰で昼寝、最高だ.

 

 

(おわり)

 

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2018年6月15日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学93 高知のぶらぶら町歩き2 商店街編

どこか知らない土地に行ったとき、面白くて後からの印象に残るのは、案外土地の人の買物の場のように思う.

ミャンマーの裏通りでは香辛料をスコップで掬っていたし、フランスの市場ではウサギが皮を剥かれて吊るされていた.

それに比べれば「名所」の見物は、観光ガイドブックで見た写真の確認作業のようでもある.

第1編では高知の中心街を回ったが、次はディープに商店街を回ってみよう.

 

2018年6月7日 最終版

 

 

1.高知の商店街

 

高知の商店街は、中央の帯屋町は別格として市域にいくつかある.

ほとんどが夏のよさこい踊りの演舞場となっている.

菜園場、魚の棚、はりまや、愛宕、大橋通、天神橋通、桝形、などがある.

近くの商店街に行けば、生活すべてに必要な買物ができたのだ.

高知市民の買物の場として知られているのは日曜市だが、毎日ではない.

また仮設だから、どうしても野菜、果物など並ぶ品物が限られる.

 

(日曜市)

 

木曜市、火曜市もあるが規模は小さい.

「商店街」はいつでもよい.

いくつか回ってみよう.

 

2.菜園場

 

菜園場(さえんば)の名は、昔、藩主の野菜をつくった場所だったことから来ている.

はりまや橋から東へ、電車で一停留所だが歩いて行ける.

 

(菜園場入口)

 

(菜園場商店街)

 

入口にはパン屋がある.

パンには薄緑クリームのメロン、薄桃のいちごがある.

アンパンは普通の丸形でなくジャムパン形だが、しつこくなく和菓子的だ.

看板には「かすていら」とあるが、今は作っていないそうだ.

高知のカステラ屋は、電車通り南側の大変判り難い場所にある.

 

(青物)

 

野菜、果物は商店街の定番である.

おばさん方が店の前で待機?している.

荒物も売っている.

 

(漬物と洋品店)

 

洋品店も商店街に必ずある.

こういうものは「ユニクロ」「しまむら」にはない.

商品の回転率は高くなさそうだが、はやりすたりがないからいいのだろう.

「昔懐かしい」、「時間が止まったような」という表現になるのかもしれない.

しかし店を出す人も、買い物に来る人も、そういう理由なのではない.

「ここなら買える」、あるいはもっと積極的に「ここでなければ買えない」のである.

シャッターを閉めた店もある.

漬物屋のおばさんが言っていた.

道の向こうは揚げものの店であったが、設備を新しくするのにお金がかかるのでやめた.

それはそれで止むを得ない.

 

3.魚の棚

 

魚の棚は、菜園場からはりまや橋に戻る道の横丁である.

「はりまや橋」が渡る水路の傍から魚を上げていたので、この名があるそうだ.

商店街というには狭くて短いが、一通り揃っている.

 

(魚の棚)

 

(コロッケ)

 

カフェに居酒屋まである.

クチュールも若者向けだ.

 

4.大橋通

 

大橋通は高知城に近い一角である.

今「ひろめ市場」があって観光客で賑わうが、もともとは市民日常の買物の場であった.

すり身の揚げ物を高知では「てんぷら」というが、店先で揚げて売っている.

 

(てんぷら)

 

京都の錦小路は市民買物の場であったが、今は外国人観光客が串をくわえながら歩く通りになっている.

先日行ったら、一番人気はイイダコと卵の串刺しであった.

高知でも串には事欠かない.

 

(大橋通の魚)

 

魚屋は3軒ある.

新鮮で旨そうで安いアラが並んでいる.

お土産に持って帰るわけにはゆかないから、地元民の特権だ.

店の中の1軒の本店は電車で6停留所西の、上町(かみまち)にある.

 

(上町の魚屋)

 

メールで今日の入荷を知らせてくれる.

本日のお勧めは、活〆天然平スズキであった.

(喫茶店)

 

大橋通の突き当りに、2軒の「正統喫茶店」が並んでいる.

昼下がりに一休みした.

入ってきた若者は、迷わず「ヤキメシ!」と注文した.

隅では老婦人が一人、ランチセットをゆっくりゆっくり食べている.

奥では数人の男女が、テーブルを囲んで打ち合わせをしている.

カウンターでは高齢の男性がコーヒーを味わっている.

 

(お赤飯セット)

 

高知でお祝いの配り物の定番といえば、大橋通の角にある中納言の赤飯、紅白の饅頭または餅である.

展示の見本を見ると、赤飯の折詰めや餅の最大は1升だ.

店内にイートインスペースがあって、お赤飯や栗おこわが食べられる.

赤飯には、これでもかというくらい小豆が入っていた.

 

(餅ばあす)

 

高知では新築の家が出来上がったとき、紅白の餅投げをすることが普通である.

大学の新棟落成でも行われる.

袋麺、お菓子、玩具も投げられる.

缶ビールを投げた例もあるらしく、ナイスキャッチが必要だ.

高知で「餅ばあす」と言っている.

「ばあす」とは「奪う」の意味で、「餅奪い」なのである.

激烈な争奪戦に小さな子どもが巻き込まれるのは危ない.

そこで大人と子ども、2部制でやる場合もあるらしい.

まあ1升の餅を投げることはないだろうが.

 

(おわり)

 

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2018年6月2日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一