高知学90 車で辿る歩き遍路道 4.塚地坂、青龍寺から浦ノ内湾と仏坂を須崎へ

歩き遍路の道を辿っている.

安直に軽自動車で探訪しているのだが、歩きたいとは思う.

短いが塚地坂を歩くことにした.

 

2018年4月26日 最終版

 

1.土佐市

 

山の中腹にある35番清滝寺から、もと来た道を戻って土佐市街に入る.

和紙の伝統を継ぐ製紙の町・高岡と、海岸の漁業の町・宇佐が合併してできた市である.

両町は山が隔てていて、その峠道が塚地坂である.

今は800mほどのトンネルがあり簡単に往来できるが、これが無ければ合併はあり得なかっただろう.

 

(高岡の旧道)

 

高岡には昔からの旧道、その外側につくった広い新道、さらにバイパスがある.

古い街道筋によくある構成で、旧道には商店が並び、空を電柱と電線が覆っている.

 

(波介川)

 

しかし外に出ると、和紙を育んだ波介川、仁淀川の清流である.

 

2.塚地坂

 

(塚地坂の登り口)

 

塚地坂は峠の標高190m、長さ2kmで「高齢者」の歩きに手頃だし、国の史跡に指定されている.

遍路道であるが、もともと行き来の多かった街道で、長年の手入れが感じられる.

トンネル入口横の登り口は広場になっていて、車を停めた.

この辺りで何人かのお遍路さんに出会ったが、二人はそれぞれ外国人の男女であった.

しかし、日本語の案内板、標識はあるが、外国語のものは全くない.

 

(峠道)

 

野鳥の声を聞きながら、落葉を踏んで登る.

海水を飲むというアオバトの声も聞こえる.

 

(峠から)

 

峠の頂上から、これから向かう横浪半島が望める.

休み易い竹のベンチがつくられている.

 

(石像)

 

峠の麓には、天保、寛永などと刻まれたお墓や野仏が多い.

病があって、峠で力尽きた遍路であろう.

俗名を記したものもある.

遍路は行倒れたとしても、国元には知らされない掟になっていた.

いくら待っても帰って来ないので、身内が「大工の留吉を知りませんか」と捜索の旅に出たこともあっただろう.

「そういえば」ということになって、悲嘆に暮れながら墓石を置いたのかもしれない.

 

(安政地震の碑)

 

安政地震(1854年)の被害、教訓を円筒一面に記した碑がある.

ここまで津波が届いた.

それより150年前の宝永地震も述べられている.

「物欲を捨てて、まず逃げよ」ということだ.

 

3.青龍寺

 

(浦ノ内湾口)

 

宇佐の海岸からは、これから行く青龍寺のある半島と、長い入江の入口にかかる橋が見える.

1時間、なかなか楽しい塚地坂であったが、途中出会ったのはお遍路さんではなく、エクササイズの男性だけであった.

坂道を避け、トンネルに突入する人が多いのだろう.

長大トンネルを歩くと、車の音が反響してうるさく、排気ガスや煤で息苦しくなるが.

ただし、タクシーでトンネルを戻ったが、あっという間であった.

 

(青龍寺と蟹ヶ池)

 

青龍寺が山蔭に見えてくる.

手前は蟹ヶ池で、研究者が底をボーリングして堆積物を調べた.

すると二千年前の弥生時代に、マグニチュード9クラスの巨大地震による大津波が発生した痕跡が認められたという.

有史以来の南海トラフ地震は、すべて8クラスと推定されているが、9となれば2011年の東北と同じである.

南海トラフ地震のメカニズムははっきりしている.

フィリピンプレートの潜り込みの反動で、陸地が間歇的に跳ね上がることによる.

データから、次の地震の発生は2038年の確率が高いとされている.

早く起きれば蓄積エネルギーが少ないから規模は小さいが、遅くなれば遅くなるほど規模は増大するのだろう.

 

4.三つのルート

 

36番青龍寺から次の37番岩本寺まで、60km近くある.

青龍寺出発から15kmのルートは次の三つがある.

1)寺から上がって横浪スカイラインを歩く

2)3km来た道を戻って、一日3回の巡航船に乗る

3)同じく戻って、浦ノ内湾沿いの道を歩く

2がもっとも楽なことは言うまでもない.

この区間を、歩かずに舟で行くことは昔から遍路で認められているらしい.

誰しも同じ道を戻ることには抵抗感があるので、1をとる人が多い.

しかしこれはそれ迄道のなかった半島に、1973年になってつくられた自動車道である.

車は何でもないが、絶えまなく坂を上がり降りするので、大変疲れる.

 

3.浦ノ内湾

 

入江に沿う道は、高低差がないので楽である.

 

(浦ノ内湾)

 

海沿いの家は、防潮堤があるので庭からとはいかないが、一歩出れば釣り場でありマイボートも係留できる.

 

(堤防で)

 

この辺りは、休憩所やトイレを備えた釣り筏が多いし、半島の断崖下では磯釣りもできる.

釣り師の天国である.

 

4.仏坂

 

半島を抜ければ、スカイラインと入江の道とが合流する.

一般には真直ぐに須崎に向かうのだが、その間に短いが狭いトンネルがある.

大型車の離合は困難で、歩道はない.

合図灯を手にし、車の途切れたところで走り抜けることが望ましい.

 

(仏坂登り口)

 

より安全な道はある.

北側の山中を通る仏坂の遍路道である.

峠の長さは2kmくらいで、標高150mだから塚地坂よりも低い.

ただ人も車もほとんど通らない、寂しい山道である.

山登りでは当たり前だが.

 

(峠から)

 

(轟)

 

地図で見ると、この山奥に今もあるかと感じる轟集落であるが、新しい鯉幟が立っている.

次世代が確保されたのであろう.

ただし遍路道はショートカットしていて、轟は通らない.

やがて須崎のヤマダ電機の屋上看板が見えてきた.

 

参考にした図書: 尾池和夫:「2038年南海トラフの巨大地震」、2015、マニュアルハウス.

 

関連記事リンク:

巡航船と伊勢海老の横浪半島

四国遍路はどんな人?、難所はどこ?

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(おわり)

2018年4月21日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学89 京柱峠を越えて、祖谷の山上で泊まる

屋島で敗れた平家が落ち延びたという祖谷は、かずら橋もあり、「秘境」として有名である.

一方、観光客、観光バスが多数来て混雑するので、どこが秘境?という気もする.

しかし本当の祖谷は、その奥、剣山の麓までにあるのだが、行く人は少ない.

中でもかずら橋の奥にある落合は、急な斜面に広がる集落で、重要伝統的建造物群保存地区となっている.

古民家を修復して展示する例は多いが、ここが異なるのは、8軒の民家に実際に宿泊できることである.

蒸気機関車と同様、公園にある動かない「静態保存」ではなく、実際に使われる「動態保存」なのである.

それも「昔暮らし体験」ではなく、茅葺き民家を生かしながら、内部はゆったりしたセンスの良い山のリゾートである.

3人で泊まったが、一致した意見は「1泊では惜しかったね!」であった.

 

(落合の宿:天一方)

 

2018年4月7日 最終版

 

1.観光と自治体

 

ところで本ホームページは「高知学」なので、地理に詳しい方なら「祖谷は高知県だったかなあ」と思われるかもしれない.

祖谷は徳島県である.

しかし、鳴門や阿波踊りの徳島観光の後、同じ徳島県ではあるが、距離的に隔たった西端の祖谷まで回る人は少ない.

よく聞くのは、高知観光に向かう途中、祖谷と大歩危(これも徳島県)に寄って来たというケースである.

実際、祖谷にもっとも近い県庁所在地は高知である.

観光は自治体の視察旅行ではないから、県域を越えた広域的な観光対応が、四国全体に効果をもたらすと思われる.

「箱根で遊んで伊豆の温泉に泊まる」という場合、「神奈川県で遊んで静岡県に泊まる」という意識はない.

ガイドブックは「伊豆・箱根」であり、「四国」である.

 

 

2.祖谷への道

 

祖谷に向かう道は三つある.

第一は、阿波池田から祖谷渓の断崖の上を通る道である.

昔はこれしかなく、細い道であって、バスも通るが大変スリリングであった.

いま、途中に旅館があり、谷底の温泉までケーブルカーで降りることを売りにしている.

 

(祖谷温泉のケーブルカー)

 

第二は、JR大歩危駅から近年につくられたトンネルを通って来る道である.

最短距離で、今はほとんどがこのルートである.

 

(かずら橋の駐車場)

 

最近、広大な駐車場がつくられている.

以前は細い道を辿り、小さな商店の駐車場に車を留め、山道をかずら橋に下った.

秘境にはるばる来た、という気持ちで祖谷蕎麦を食べた.

今は、橋を渡って土産物をひやかし、トイレ休憩で出てゆく「立寄り観光地」になっている.

 

3.京柱峠から

 

第3のルートは、高知県の大豊町から国道439号線を通り、京柱峠を越えて奥祖谷に向かう.

これは「酷道よさく」として有名で、相当マニアックである.

今回、さらに輪をかけて、JR大杉付近から山に上がり、吉野川南岸の棚田地域を通って439に出ることにした.

 

(大豊町穴内)

 

この道は山上の棚田集落を結ぶ「スカイライン」で、眺望が素晴らしく時々通る.

特に八畝(ようね)、怒田(ぬた)の辺りは、棚田と家々が谷底から山頂近くまで広がっている.

 

(秋の八畝、怒田)

 

山を下って439号線に合流し、標高1,150mの高知・徳島県境の京柱峠に上る.

東西とも眺めはよいが、積雪で冬季は通行止めになる.

 

(京柱峠、高知側)

 

(京柱峠、徳島側)

 

徳島側の左の重なった山並みの向こうに、これから向かう落合の斜面が茶色く見えている.

峠を下り川沿いに出ると、そこはもう「祖谷らしい祖谷」である.

歴史民俗資料館があって、以前に係のおばさんがこんなことを言っていた.

「道で蛇が車にひかれていると、可哀そうに思って、いつも道の脇に移した.

あるときバックに失敗して車が崖から落ち、生きるか死ぬかの大怪我をした.

夢に蛇が出てきて、傷を舐めてくれた.

今こうして動けるのは、そのおかげと思っている」

 

4.落合

 

奥に進み、「かずら橋」から1日4回のバスで30分のところが落合である.

古民家を改修した宿泊施設がある.

これは東洋文化研究家のアレックス・カー氏がプロデュースし、NPOが運営するものである.

氏の「ニッポン景観論」(2014年、集英社)は、日本各地で見られる電線、看板、建設がもたらす醜悪な景観を、モンタージュ写真と共に徹底して批判した快著である.

その対応を具現化しているのがここである.

 

(落合、フロントから)

 

チエックインは麓の廃校になった小学校で行う.

8棟ある家々はそれぞれ貸切だが、元は民家なので構成はまちまちである.

今回は「天一方」と名付けられた家に泊まった.

 

(ダイニングから、京柱峠が見える)

 

ダイニングとリビング、寝室になる2室、浴室、トイレ2箇所がある.

 

(リビング)

 

向かいの山は、高知・徳島県境になる1,900mの三嶺で、雪が残っている.

部屋の上は茅葺きの屋根裏だが、床暖房と二重ガラスで暖かい.

エアコン、温風暖房機もあるが、巧みに隠されている.

 

 

(キッチン)

 

食事はケータリングも頼めるが、一通りの設備があるので自炊にした.

大阪のうどんすきセットを取り寄せ、土鍋、徳利、お猪口と共に持参した.

 

 

(朝の天一方)

 

集落を貫く1本の電線はあるが、各棟の引込口、エアコンの室外機など全く目に入らない.

 

5.観光施策

 

ここには豪華絢爛ではないが、最高を目指した結果があり、それ故「滞在したい観光地」となっている.

観光振興というと、ゆるキャラ、B級グルメ、イベントが定番である.

夏祭りと夜店の延長である.

近場の人は来るが、全国、海外から呼ぶ結果にはならないように思える.

落合は保存地区のため、建設には三好市を通じた国の補助金が利用されている.

高知にも一棟貸切や古民家再生の宿泊施設があるが、多様な仕組みを利用して、最高を目指すことができる援助をしてほしいものだ.

関連記事リンク:

越知・黒森山の別世界

焼畑農業の椿山はいま

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(おわり)

 

2018年4月2日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一