高知学86 高知の岬と灯台、海の風景

高知県は、室戸の東から足摺の西まで、海に面している.

海は高知を特徴づける風景である.

その中でも、岬とそこにある灯台は、海のシンボルである.

また、海はダイナミックであり、常に動いている.

毎日潮の干満は2回あるが、大潮のときに潮位の差は2m近くになる.

台風では穏やかだった海が一変する.

それによって浜の姿は変わり、海岸は崩れる.

 

2018年2月21日 暫定版

 

1.室戸岬

 

(室戸岬に近づく)

 

徳島方面から来ると、室戸岬に近づくにつれ、山がますます海岸から聳え立ってくる.

火山の溶岩丘のように、むくむくと隆起している.

いま岬は、南海トラフの沈み込みに引き込まれて、年間7mm沈下している.

やがて耐えきれなくなって、跳ね上がって地震を起こし、この山はさらに高くなる.

 

(室戸岬灯台)

 

室戸岬は太平洋に突き出た難所であり、1899(明治32)年に灯台が設置された.

照葉樹林の中に聳え立っている.

最初は石油ランプを使っていた.

灯台もコンクリートではなく鉄製で、リベットで組み立てられている.

 

(灯台のレンズ)

 

灯台の近くには、札所の最御崎(ほつみさき)寺があり、少し歩くと真正面に灯台が現れる.

どのガイドブックにもこの写真が出ているが、これは誰でも撮れる.

灯台の塔が公開されていて、登ることができる場所はある.

しかし、このように正面から相対するところはまずないだろう.

灯台は、それぞれに決められた時間で点滅して、船から識別できるようになっている.

しかし石油ランプや大光源は点滅が困難なので、投光レンズを回転させて閃光にしている.

普段は中に入れないが、年1回、見学の催しがある.

 

2.羽根岬

 

近くの海岸に行くと、東に台地が長く伸びているのが見える.

室戸岬も同じ形なのだが、手前に似た形の岬が突き出ていて、その陰になって見えない.

夕方、岬には灯台の明かりがともる.

30km離れた羽根岬灯台である.

灯台は、GPS始め電波航法の発達によって役割が低下しているという.

しかし小さな漁船はあるし、視認できる「暗夜の灯」には安心感があるだろう.

 

(丘の上の羽根岬灯台)

 

灯台は海から見えればよいので、下から見上げてもなかなか見えないことが多い.

羽根岬もそうで、形も「白亜」の円筒形ではなく箱型なので、余計わからない.

 

3興津岬

 

我家の近くにホテルがあり、そのチャペルの横の林の間に、遠くに点滅する光が見える.

天気の悪い日や、大気が霞んでいるときは見えない.

空気が澄んでいるときは、海面に反射した光もわかる.

これは洋上を66km離れた、興津岬灯台である.

この距離は東京-大船間に相当する.

ただし我家は海抜40mだが、海岸に行くと地球は丸いので見えない.

 

(興津岬の山)

 

どんな灯台なのか、行ってみることにした.

国道を外れ山を下って行くと、興津の集落が見える.

2kmの砂浜があって、夏は海水浴場になる.

灯台があるのは、中央の山の上である.

 

(いりこを干す)

 

海岸でいりこを干している人たちに道を尋ねた.

狭いが、小さな車なら行けると言う.

ついでに味見をさせてくれた.

 

(興津岬灯台)

 

舗装されていない山道を、曲がりに曲がって上ると灯台が現れた.

昔は「灯台守」が居て、家族共々住んで運用していた.

いま、どこも自動化されて、官舎の跡は空地になっている.

 

(山頂から)

 

「灯台下暗し」で、塔の下からは海がほとんど見えない.

しかし更に上がるとお堂があって、見晴らしがよい.

花が植えられているので、下から檀家が上がってくるのだろう.

 

5.足摺岬

 

 

 

6.佐田岬

 

 

 

(つづく)

 

 

高知学85 高知の食卓、高知の食事 1

高知の料理というと、カツオのたたきと皿鉢料理ということになる.

しかしもちろん、高知県民が毎日たたきを食べているわけではない.

皿鉢料理は、一つの大皿に、刺身、寿司、てんぷら、フルーツ、羊羹などを盛ったものである.

家庭で日常食べるものではなく、宴会の料理である.

といって居酒屋の宴会では、ちまちまと盛り付けていると、重箱のおせち料理のようで、見た目は良いが量に乏しい.

そこで、寿司、刺身、てんぷら、唐揚げ、その他店の料理が、それぞれの大皿に載せて出される.

出席者それぞれが、自分の前にある大皿から、積まれている小皿に取り分け、互いに回しあう.

「家庭の料理」となると、これは一般化が難しい.

「私事で恐縮ながら」、我家の料理を例に述べる.

 

 

2018年2月12日 最終版

 

1.カツオ

 

毎日食べないにしても、高知のカツオの消費量は日本一である.

カツオの多くは、遠洋航海の一本釣り漁船で世界中から獲られてくる.

釣り上げられたカツオは、針を離れると船上を滑って冷凍庫に直行する.

高知のあちこちで、たたきにして冷凍パックしたものが販売されている.

 

(カツオの遠洋漁船)

 

一方、近海でもトローリング(流し縄)で釣られている.

これは冷凍されることなく市場に出る.

 

(トローリング)

 

(たたきを焼く)

 

我家では近くのものを、食べる直前にガスの火で焼く.

では冷凍パックが味で落ちるかというと、そんなことはない.

太平洋の真ん中で泳いで脂が乗っているし、高温の炎で焼く「藁焼き」である.

ステーキ肉や焼き方に、いろいろあるのと同じである.

 

2.サバ

 

高知では、サバはカツオに次ぐポピュラーな魚である.

頭と尻尾をつけて軽く押した、サバの姿寿司は皿鉢料理の定番である.

足摺から室戸まで至る所で揚がり、はちきれそうな砲弾型をして並んでいる.

 

(塩サバを焼く)

 

塩サバは、我家ではノルウエー産をスーパーで買う.

フェンネルの葉を裏表に敷いて焼く.

こうすると、身がふっくらとする.

 

(フェンネルの花)

 

フェンネルには葉が緑色と銅色のものがあり、庭でよく育つ.

根元の白い球茎が大きくなる品種があるが、サラダやスープになるので、近くの直販市で売られている.

フェンネルは生臭さを消す効果があるという.

しかしそれよりも、細かな葉で覆うと熱が直接魚に当らず、蒸焼きの効果があるのではないか.

氷に覆われた岩山のフィヨルドを思い浮かべながら、「北欧産サバの香草包み焼」にご飯が進む.

 

3.ブリ

 

ブリの若いのがハマチだが、養殖魚の代表である.

高知でも至る所の入江で育てられている.

天然でもよく獲れて、両者が並んで売られているが、値段は変わりない.

 

(準備中の養殖筏、網を張って沈める)

 

ブリの照焼きの切身は、我家では目の前の住吉漁港で養殖されたものを買っている.

隣村のスーパーで入手できる.

ここでは、沖合1kmあまりの肉眼でやっと見える外洋で育てている.

新鮮な海水であり、波によって魚の運動量も多いのだろう.

養殖は池の鯉のように、餌を投げ込んでおけばよいというものではない.

毎日夜明けに船が出て、昼過ぎまで海面下の網を揚げつつ細かいケアをしている.

帰った後は翌日の準備である.

台風が発生すると、うねりが来る前に、入江に筏を避難させる.

 

4.キンメダイ

 

高知では、干物に使う青色の網籠は家庭の必需品である.

我家では特別なとき、キンメダイを干す.

深海魚なので、海底が急傾斜になっている室戸沖が漁場である.

魚屋で、真向唐竹割にさばいてもらう.

大きい方が身がほっこりしている.

 

(干物をつくる)

 

「干物職人」によれば、以下が重要だそうだ.

塩加減:塩水に一晩つけるが、濃度は4%

干し加減:5時間ほどだが、風や日射で違うので、時々指で押して確かめる

 

(キンメダイを焼く)

 

5.クジラ

 

高知県東部は、クジラ漁で生活が成り立っていた.

高台に居る見張りから、クジラが来た!という知らせが来ると、20艘もの船が出る.

銛を投げ、網を掛け、中には上に乗って仕留める、命がけの仕事であった.

今も高知の魚売り場にはクジラ肉が普通である.

市場には「高知鯨株式会社」など「保護団体」が目を剥く看板がある.

ブローニング銃のOEMを行っているM製作所は、もともと南氷洋で使う捕鯨砲のメーカであった.

 

(クジラの刺身)

 

刺身、赤身ブロック、おでん種のコロなど販売されている.

自分は子どものときから、母親がつくる水菜で煮詰めたクジラ鍋を食べてきた.

よく言う「はりはり鍋」は、だし汁にさっと潜らせるあっさりしたものだが、これとは違う.

 

(「クジラ鍋」)

 

レシピは次のようである.

・醤油、砂糖、酒を同量、刻んだ生姜を山ほど入れて、たれをつくる.

・小さくカットした肉を加える.

・すきやき鍋に入れ、水菜をどっさり入れて、つくだ煮状になるまで煮詰める.

水菜が小さくなれば追加するが、ボウル一杯がすぐなくなる.

水菜は庭でよく育ち、刈り取ってもまた育ってくる.

ご飯がいくらでも食べられるし、残れば次の日に水菜を足してまた使えるから経済的である.

ただし、水菜はサラダに使う柔らかいものは不向きで、寒くなり硬くなったものでないといけない.

クジラ肉だが、鹿ノ子でないと駄目で、他のものでは不味い.

しかしいま鹿ノ子は入手不可能である.

代替品がないか、追及した結果「合鴨」に到達した.

クジラと同等に味わうことができる.

もともとクジラが居なくなったのは、アメリカが鯨油を取るために乱獲したからである.

太平洋に400 隻の捕鯨船が出て、1隻で年間100頭は捕獲した.

ジョン万次郎は、その捕鯨船に助けられたのだが.

戦後の南氷洋では、ノルウエー、ソ連、ほか各国が入り乱れて年間1万頭を捕獲した.

日本もその一つで、我々はそのクジラに育てられた.

室戸の捕鯨は年50頭ほどであったのだが.

 

(おわり)

 

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2018年2月7日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一