高知学99 海の風景.手結の嵐と久通の漁村

海でも山でもよいのだが、「田舎」で暮らす特徴は、天候、気候に非常に近いところにあると思う.

晴れれば強力な紫外線と共に太陽が照り付けるし、雨ならば逃げ場もなくずぶ濡れになる.

都会なら建物の影や地下街があり、自然を遮ってくれる.

これがもっともよく現れるのは台風のときである.

一方、自然に限りなく近い住家は、山や海の孤立した集落にある.

海に向かって訪ねてみよう.

 

2018年9月21日 暫定版

 

1.台風

 

(大型台風の接近)

 

 

 

 

 

 

 

 

2.久通(くつう)

 

 

 

 

(つづく)

 

 

高知学98 2018年7月豪雨のあと3 高知の秘境、伊尾木川

高知で最奥、行き難い秘境は、東部の伊尾木川流域である.

最後の焼畑農業で知られる椿山も相当の山奥だが、町からは15kmほどである.

伊尾木川は最奥の集落まで46kmある.

山深い峡谷であり、2018年7月豪雨の復旧がまだ進んでいない.

1/3になる大井までは、まずまず住む人がいる.

その先も地図上では点々と集落があるが、いまどれだけ実在しているだろうか.

ゼロではないが、住人は全部で指折り数えるほどだろう.

川沿いにあった六つの学校はすべて閉校になっている.

最奥の集落である別役土居には、アメゴを養殖する人がいる.

先日の豪雨では川筋の道が全く途絶え、徳島県側から標高1,000mの駒背峠を越えて救援に向かったという.

 

(駒背峠から伊尾木川方面、下が別役土居)

 

2018年9月10日 最終版

 

1.花

 

河口は安芸市で、被害がひどかった安芸川と並んでいる.

 

(安芸市域から)

 

8月末には釣糸を垂れてみようという人も出てきたのだが.

その後の相次ぐ台風でまた濁流になってしまった.

 

(花沈下橋、2013年)

 

峡谷の入口が花の集落で、小さな沈下橋がある.

 

(崩壊した沈下橋)

 

沈下橋は、水だけなら上を流れて行ってくれるのだが、一抱えもある丸太が激流と共にぶつかると一たまりもない.

 

(森林鉄道の橋梁)

 

昔、伊尾木川に沿って最奥まで森林鉄道がつくられていた.

終点まで7時間かかった.

花には橋梁が残っている.

小川川に沿う15kmほどの長い支線の分岐点で、支線の奥にはトンネルが残っているらしい.

しかし川沿いに道はなく、狭い軌道跡を歩いて辿るしかない.

 

2.奈比賀から入河内

 

市内からコミュニティバスで15分、奈比賀(なびか)の集落である.

2014年から、付近の山腹に大工事が行われている.

 

(山腹の工事)

 

鉄橋のある迂回路がつくられたので、大規模な工事と想像したが、見たところ崩れた様子がない.

不思議に思っていたが、表面の樹林を剥がしてようやく姿を現した.

おそらく亀裂などの兆候があったのだろう.

ロープに体を預ける作業員が豆粒のように見える.

段をつくって途中に重機が上げられている.

 

(入河内)

 

30分弱で入河内(にゅうがうち)である.

 

(入河内大根)

 

大きい特産の大根や、地元の米でつくった「入河内」ブランドの酒など、がんばっている.

鉄筋の小中学校の建物がある.

廊下に学校の歴史を書いた模造紙が貼ってあって、外からも見える.

生徒がもっとも多かったのは1956年の219人である.

次第に減少して1から3人の時代が続き、やがて0になったが、転入した人の子どもが一人入って復活した.

しかしこの子が転出して再び閉校になっている.

 

 

3.大井

 

(伊尾木川、2017年)

 

川は広い河原の中を悠々と流れている.

 

(川岸の道路)

 

川岸の道路は増水によって下がえぐられた.

広い河原は、遠い過去から流され続けてきた岩石が埋めてできているわけだ.

その意味で「災害」も長い川の歴史の中の一コマではあるのだが.

 

(大井)

 

一日3本あるバスで37分の集落が大井で、まずこの辺りが日常的に住む限界だろう.

郵便局もある.

10年前、森林鉄道の築堤で絵を描いていて、足を踏み外して転落、骨折した思い出の地である.

ただその時は明るい山村、というイメージだったのだが、今回何か寂しさを感じてならない.

集落に入ってみると、やはり空き家ができているのだ.

稲田に鹿よけの網をかけているご夫婦に出会った.

ご主人は郵便局長をしていたそうで、「この土地のことなら何でも聞いてくれ」と言われる.

あれこれ話す中で、「道は雨の後は落石が多くて危険だ」という.

確かにそうで、以前この奥で落石に乗り上げ、タイヤを切り裂いた.

この後、落石を見ると車を止め、同乗の家内が先回りして石をどけたが、見回りの車の職員に感謝された.

 

4.ダムから別役へ

 

大井の先はまだ通行止で、今回はここまで.

以下の写真は2017年のものである.

 

(伊尾木川ダム)

 

渓谷が狭まったところに、1954年につくられた発電用の伊尾木川ダムがある.

古いのでダム湖は岩石で埋まり、湖というより池に近い.

森林鉄道の鉄橋が一連残っている.

岩石や流木がダムを越えてくることはないから、下流のものはこの下で発生したものである.

 

(ダム湖の秋)

 

このときに浮いているものは、流木ではなく落葉であった.

 

(別役、防災のため水路を開削中)

 

最奥の集落が別役である.

あるお宅では、木々や岩を配した斜面に清冽な谷川の水を引き、滝や流れのある庭をつくっていた.

折々趣向を変えるのか、ツルハシやバールが置いてあった.

 

 

(バスの終点)

 

デマンド運行で、月1回来るか来ないかというバス停のところが最奥のお宅である.

この先で道は峠に上る.

しかしこの辺りでも山上にはいくつかの集落があった.

「天ノ郷」など地図を見れば、険しい尾根を上った標高800mに田畑が開け、わずかの家がある.

車道はなく、名前の通り外界と隔絶した世界である.

地元で訊いたところ、「もう山の上からはみんな下りた」ということだった.

 

(茗荷)

 

支流の横荒川にも森林鉄道の支線があり、茗荷(みょうが)の集落があった.

いま鉄道の橋や護岸は崩れ、丸太が渡してある.

作業所や家々は暗い樹林の中で半ば崩れ、ひと気のない夕暮れで鬼気さえ感じる.

 

(砂防ダム)

 

奥では、あちこちで大規模に砂防ダムの建設が行われている.

住民の少ないところの公共工事に意義があるのか、と思う人がいるかもしれない.

しかしこれらがあったればこそ、被害がいまの程度で済んだのである.

なければ茗荷のような死の谷が次第に広がり、下流の町の洪水となり、濁水は海一面に広がり漁業を壊滅させる.

山を包む薄皮の森林が、我々の生活を左右している.

 

(おわり)

 

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椿山、最後の焼畑農業

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2018年9月1日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学97 2018年7月豪雨のあと2、安芸川

2018年7月の西日本豪雨は、高知にとっても経験したことがない豪雨であった.

西から東への雨雲が連続してぶつかった四国西部の宿毛がひどかったが、高知東部にも大きい被害をもたらした.

高知県東部には安芸川、伊尾木川、安田川、奈半利川の大きい河川がある.

このうち安芸川、伊尾木川は被害がひどく、川沿いの道は通行止めとなった.

ひと月を過ぎ、8月20日、安芸川を訪ねた.

安芸川は通れるが、奈半利川は1/3の大井までであり、その先は依然通行止である.

 

2018年8月26日 最終版

 

1.安芸川

 

(安芸市から上流を見る)

 

高知県東部の4河川は、剣山の南に広がる1,200から1,400mの山々を源流にしている.

その内で安芸川がもっとも西に位置し、河口は安芸市である.

ダムはないが、7,8年に1回くらい増水があり、河川敷のゴルフ練習場や高校の野球場が水没した.

今回も同様だが桁が違う.

 

 

(半壊の堤防と堆積した土砂)

 

川筋が曲がる辺り、堤防が半壊している.

もし完全に決壊していれば、安芸市全域が水没したとされる.

屈曲部の河床は、流れてきた土砂が積もってすっかり高くなり、一部除去されて水路ができているが、ダンプが絶え間なく往来している.

一体ダンプ何杯分になるだろう.

 

(川沿いの集落)

 

土砂と流木が河床を岸まで埋め、ユズ畑は半分砂で埋もれ、流れてきた枝葉が引っかかっている.

住宅には今少しのところであった.

通行規制のガードマンの男性によれば、車は「ちゃがまった」(高知の言葉で「駄目になった」の意)そうだ.

 

(安芸ノ川分岐)

 

流木や枝葉があちこちにひっかかかっている.

折柄、市会議員選挙でポスターが掲示されているが、市域が広いので大変なことだ.

分かれ道の先は安芸ノ川の集落だが、この先の道は壊滅状態という.

以前真新しい黒色の軽ワゴンが曲がって行ったので、今も住んでいる人がいるのだな、と思ったがどうなっただろう.

 

(沢の岩石)

 

谷川や沢にはコンクリートの護岸などないから、増水が激しいと、水面に近い樹木は根こそぎ持ってゆかれる.

大きい石が幹の間に挟まっている.

激しい流れで跳ね上がったのだろうか.

 

(路肩の崩壊)

 

流れに近い道はあちこちで下がえぐられ、通行時間規制で復旧工事が行われている.

この先の畑山集落は一時孤立し、29人が自衛隊ヘリで市域に移送されたということだ.

ただ、流れの影響を受けない高みにある道路には被害がない.

 

2.畑山

 

(畑山へ)

 

畑山集落に入る道は変わりないように思えるのだが.

 

 

(左は元の郵便局、2017年)

 

今は閉鎖されているが、小さな郵便局があって、向いの護岸に座ってその絵を描いたことがある.

 

(郵便局前の道路)

 

道路も腰を下ろした岸も、すっかり姿を消している.

橋は何とか残っている.

畑山には以前は日帰り温泉があった(今は日帰り入浴はない).

20年前に来たとき、350円と安かったのだがシャンプーが見当たらず、これかなと思って使おうとしたら、おじさんから「それはワシの」と言われた.

その後地鶏、土佐ジローの飼育が成功し、あらゆる料理で土佐ジローを食べ尽くす「オーベルジュ」となり、泊まって大いに満足している.

幸い飼育施設、温泉とも少し高いところにあったので今回被害はなく、営業が再開されている.

 

(畑山の流れ、2017年)

 

流れは澄みつつあるので、いずれ元の姿に戻るだろう.

しかしここでこれだけの被害をもたらす増水があったということは、この奥からそれだけの水が流れてきたことになる.

 

3.中津尾林道

 

畑山はどんづまりのような印象だが、実際には中津尾林道で800mの峰を越え、香美市大栃に出られる.

上がって行くと中津尾、堂平(どうだいら)の集落がある.

 

(堂平、2017年)

 

2017年には、中津尾で家にいる人を見たし、堂平では犬が繋がれていたので、それぞれ一所帯の住民は間違いない.

豪雨ではどうしただろうか.

 

(源流の山と伐採地、2017年)

 

この辺りの深い山々が源流域であり、西からここにぶつかった雲が大増水をもたらした.

森に包まれた山々はがっしりと見え、緑がその底まで続いているかのような安心感がある.

しかし伐採跡を見ればわかるが、木々は饅頭に生えたカビのようなものであり、森林はごく表面の薄皮に過ぎない.

薄皮が無ければ、地中海沿岸のような不毛の岩山が続くのである.

今回大きい山崩れは無かったようなので、よくあれだけの雨水を吸収したものだと感心する.

吸収しきれなかった分が、下に流れて水害をもたらしたのだ.

しかし、今少しスポンジの吸収力があれば、被害はそれだけ小さくなる.

薄皮の吸水力を増すことが重要である.

 

(峠の看板)

 

峠には「熊に注意」の看板がある.

源流の山々は、四国で最後に残るツキノワグマの生息地である.

センサ付きカメラでは十数頭の生存が確認されている.

人里が遠く、標高が高いため人工林が少なめで、餌を供給する広葉樹林が残っている.

少人数で贅沢を言わなければ?何とか暮らしてゆけるのだろう.

子熊もいるらしい.

しかしすくすくと成長している姿はまだ確認されていないという.

昼なお暗い森が間伐で日が当たるようになり、下草を食い荒らすシカが減り、広葉樹が育ってゆけば、熊も過ごしやすくなる.

森の吸水力を増加させる要因でもある.

 

(おわり)

 

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7月豪雨の後1 安田川、奈半利川

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2018年8月21日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学96 2018年7月豪雨のあと1、海岸と馬路、魚梁瀬

2018年7月、西日本に大災害を生じた豪雨、もともと雨の多い高知でも被害を受けた.

小学校の地理では、雨が降らない瀬戸内の海岸には塩田がつくられている、と習った.

いま大規模な塩田で製塩が行われることはなく、跡地は工業地帯になっている.

ところが、雨が少ないはずの瀬戸内を西から東へ、絶えまなく雨雲が流れた.

四国では、普段台風など来ない西岸の大洲、宇和島、宿毛に直接雨雲が当って大水害となった.

高知の東部は、室戸と言えば台風が連想されるように、風水害常襲地域である.

今回も馬路村魚梁瀬では、1,500mmの降水量を記録した.

高知東部の河川を見る.

 

2018年7月27日 最終版

 

1.流木

 

(琴ヶ浜の流木)

 

豪雨は、特に7月5日から6日にかけてすさまじかった.

深夜、雨の耳を聾する轟音が続き、スマホの緊急情報音がひっきりなしに鳴り響く.

ようやく雨が静まった後海岸に出てみると、打ち上げられた枝葉と丸太が列をつくっている.

テトラポットに突き刺さった丸太もある.

 

(住吉海岸、7月18日)

 

1週間を過ぎ、重機が多数出動して順次流木が除去される.

しかし、全海岸となるといつになることか.

海上保安部の航空機からの観察では、土佐湾に20-40cm径、長さ2-10mの丸太が450本漂っているそうで、船に警戒を呼び掛けている.

海を双眼鏡で見ると、毎日のように1、2本の丸太が西に流れていた.

これだけの流木がどこから来たのか、付近に大きい川はない.

土佐湾には反時計周りの海流がある.

沖合を西から東に流れる黒潮の端が室戸岬にぶつかって、円弧状の土佐湾に渦ができる.

流木は東の安芸、室戸方面から流れてきたのである.

 

(整理された海岸)

 

流木が除去され、海は一見元に戻ったように見える.

しかしその色はまだ本来のものではない.

コバルトブルーはきれいに見えるが、氷河湖などと同じく、海水に懸濁する微細な砂の乱反射によるものである.

 

2.安田川

 

 

高知東部には、西から安芸川、伊尾木川、安田川、奈半利川の大きい河川がある.

いずれも流れは単純で、1,200-1,400mの山から直線的に急流が海に流れ込んでいる.

2週間を過ぎた7月19日、高知東部を訪ねた.

安芸川、伊尾木川の被害は大きく、まだ泥流で通行止もある.

安田川を遡って、馬路、魚梁瀬に行き、奈半利川を戻った.

 

(安田川)

 

安田川に入ると、意外にも川は全く澄んでいる.

鮎の釣人が大変多い.

他の河川は壊滅状態なので、ここしかないとも言えるが.

 

(渓谷)

 

次第に山は深くなるが、いつに変わらない風景である.

 

(崩壊の跡)

 

高知はどこでもそうなのだが、もちろん?安田川流域でも山腹の崩壊はあって、補修の跡が残る.

 

(馬路)

 

馬路には役場やユズの加工場がある.

訊くと、岸の茶色くなった辺りまで水が来て心配したが、大事まで至らなかったそうだ.

営林署があり、森林鉄道の基地であった.

森林鉄道が通った道をさらに遡り、魚梁瀬に向かうトンネルを抜けると、安田川から奈半利川水系に変る.

 

(魚梁瀬)

 

魚梁瀬ダムは、1965年に完成した非常に大きい水力発電用ダムである.

これに伴って集落は水没するため移転し、各地に通じていた森林鉄道は廃止になった.

下流にはさらに二つのダムがあり、共通で運用されている.

ダム湖の岸には土が見えるが、先日はこれが隠れるくらいの満水になったという.

その後放水が続いて、現在の水位になっている.

 

(久木ダム)

 

ダム湖は巨大な水溜まりであり、水の動きはない.

周囲の山からの土砂や湖岸の土が流れ込んで濁るが、この濁水を排出しなくてはならない.

どこのダムでも濁水は問題になっているが、降雨量が多いと濁水も増える.

魚梁瀬ダムから流れ出た土色の水が下のダムに貯まって、緑の森林の中に泥の流れと泥の池がある異様な風景である.

 

(発電所水路からの排水、右は小川川)

 

奈半利川を下って行くと発電所があり、山を潜って放水路の出口がある.

久木ダムを通った泥水で、発電機の水車が傷まないものか心配になる.

ここは小川川との合流点で、こちらの水は青い.

 

(竹屋敷、2017年1月.このときは女性と犬の声がした)

 

小川川の先の竹屋敷は、魚梁瀬と同じくらいの山深くにある.

森林鉄道が通じ、林業の基地であり、分校もあった.

訪ねる度に人が減ることを感じたが、昨年最後の住人が山を下り、村営バスも運行を終了した.

川だけは澄み切っている.

 

(奈半利川)

 

小川川が合流しても、濁水はあまり薄まらず流れてゆく.

川沿いに最近新築された北川温泉で訊くと、8月末まで濁りが続くと知らされているそうだ.

夏を過ぎれば、ようやく高知の海は元に戻るのだろう.

 

 

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(おわり)

 

2018年7月21日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学臨時、2018年7月豪雨

2018年7月、西日本の広い範囲で豪雨となり、多くの被害を生じました.

高知でも死者が出る結果となりました.

ご冥福をお祈りしております.

高知に対して、皆様から寄せられたご心配と暖かいお心遣いに厚く感謝申し上げます.

一方、愛媛、広島、岡山など、これまで水害が少なかった地域で甚大な被害になっています.

これらの地域の方々の生活が、早く元に戻られることを祈念いたします.

 

(2018年7月13日)

 

(7月6日、夜須川)

 

住んでいる香南市夜須町には夜須川が流れています.

「車軸を流す」豪雨が降り続き、溢れることも予想され、流れに近い方々は心配されたことでしょう.

一部のハウスは浸水し、出荷前のスイカやメロンが駄目になったということです.

 

(7月6日、夜須の海)

 

泥の流れが川から海に入って広がってゆきます.

 

(7月9日、夜須川)

 

幸い川が溢れることはなく、流れは少しづつ澄んできました.

 

(7月9日、夜須の海)

 

海岸には川から多数の枝葉が打ち寄せています.

何本もの丸太が来るのはこれまで無かったことで、豪雨のひどさを感じます.

この処理も大変ですが、海は沖合い遠くまで濁りました.

漁師さんは、年々雨による増水が多くなり、泥水をかき分けるようなことが多いと話していました.

山が荒れて含水量が減り、少しの雨でも土が流れ出すからです.

豊かな森林を取り戻すことが非常に重要です.

豪雨後、宮古島などを襲った台風によるうねりでまたかき回され、なかなか海は澄みませんでした.

7月13日、ようやく沖に船が出てブリの養殖の世話をしています.

 

(おわり)

 

2018年7月9日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学95 室戸の海岸、廃校水族館と台地の産物

室戸岬は太平洋に向かって突き出ている.

沖合140km辺りで、北に向かって動く海洋プレートが日本列島の陸地にぶつかり、下に潜り込んでいる.

陸が引きずり込まれるので、室戸岬はいま毎年7mm沈みつつある.

やがて限度が来て跳ね上がり、南海トラフ地震が発生する.

跳ね上がる量は1回で1.2-2mである.

100年ごとにこれが繰り返され、室戸岬の地形がつくられてきた.

 

2018年7月17日 最終版

 

(室戸岬)

 

1.断崖と台地

 

室戸岬の東と西では、海岸の様子が全く異なる.

 

(室戸岬の東岸)

 

東は海底に断層があり、山から急傾斜が水深1,000mまで落ち込んでいる.

 

(室戸岬の西岸)

 

西は長年に渡って泥や砂が積もった平らな海底が、そのまま隆起して台地になっている.

 

2.佐喜浜

 

東海岸は急傾斜の山が海に面し、湿気を含んだ風が直接当たって雨が多い.

そのため森林が豊かで、岬から北20kmの佐喜浜では森林鉄道が敷かれ、スギを搬出していた.

今も幹周り12mにもなる天然杉があるそうだ.

 

(加奈木の崩え.左の奥だが木が茂って判り難い)

 

しかし一方で山崩れを起こし易い.

加奈木の崩え(つえ)はその一つで、1707年の宝永地震によるとも、1746年の豪雨によるともされている.

 

(佐喜浜川)

 

本格的な治山工事は1916年に始まり、1964年に終わっているが、今も川には痕跡が残る.

 

3.  廃校水族館

 

一方、海底が急に落ち込んでいるので、多種類の魚が集まる.

そのため大規模な定置網(大敷網)による漁業が行われている.

椎名に元の小学校を利用した「廃校水族館」がオープンした.

 

(ウミガメとシュモクザメ)

 

25mと低学年用、二つのプールが屋外水槽として使われている.

「今日は何が入りました?」

「タコとサバ!」

水族館で交わす言葉ではないようだが、椎名の網に入った魚を、漁師さんが見つくろって入れてくれるのである.

ウミガメは度々入り、保護団体が計測してタグをつけて放す.

最近メキシコのタグをつけたカメが来た.

太平洋を横断して遊泳後、また戻って生まれた場所に産卵に来たらしい.

 

(サバ)

 

魚は周囲の状況によって色が変わるという.

サバがいるが、見慣れた鯖寿司色?ではないコバルトブルーもいる.

 

(ヨシキリザメ)

 

魚は、より大きな魚に寄り添うものらしい.

サメの背後に小魚がくっついている.

大きな魚に対して安全だし、傍にいても後なら食べられる心配はない.

入荷をしらせてくれる魚屋のメールに、

「くじらつきのカツオが入りました.イワシをたっぷり食べて太っています」とあった.

近くの港の漁師さんが言っていた.

沖には漁船くらい大きいクジラ(マッコウクジラ)がいるが、イワシやカツオを大勢引き連れている.

イワシはまずカツオにつくべきであった.

 

4. 台地

 

(国道)

高知市から室戸への国道55号線は、海岸のわずかな土地を通る.

海の反対側は急傾斜の山だが、この上が台地で、田畑や集落、国道と並行する道があるとはなかなか信じられない.

 

(台地への道)

 

台地に至る古くからの道は、照葉樹林の中を曲がりくねって上がって行く.

 

(広域農道から)

 

今は1.5車線の広域農道がつくられ、深い谷は雄大な鉄橋で越えているので困難なく到達できる.

しかし台地の中の道は畦道が進化したようなもので、軽トラ用である.

田畑は林の間に点在し、土地は平らなので先が見えない.

 

(台地の道)

 

林をあちこち曲がりながら進んで行くと、突然行き止まりになったり、農家の庭先で終わったりする.

 

(イモ畑)

 

台地はもともと水が得難いので、サツマイモが主な産物であった.

西山台地のイモはブランドになっている.

 

(太平洋を見下ろす水田)

 

傾斜がないので見通しが効かず、意外に海は端でないと見えない.

また意外に水田が多い.

どこでも昔から農業をやるなら稲作であり、そのためあちこちに溜池がつくられている.

 

(集落と溜池)

 

ビワ、ポンカンなどの果樹が育てられているが、茶畑もある.

室戸の玉露はイメージと違うようだが、温暖ながら標高200mで霧がかかるし、窪地があって風の心配も少ない.

日当たりが良く、海の荒波や行き交う車と隔絶された静かな別天地である.

 

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(おわり)

 

 

2018年7月3日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学94 桧と棚田の山の町、本山

本山は高知市の北、約30kmのところにある山の町である.

土讃線大杉駅、高速道路の大豊インターに近い.

標高1,470mの白髪山の麓にある.

白髪山系一帯にはヒノキの森林が広がっていて、魚梁瀬のスギと共に土佐藩の財政を支えていた.

後年、森林鉄道が設置されて搬出を行った.

今、天然林は限られているが、樹齢250から300年のヒノキがあるという.

本山はその高価なヒノキの林業の基地として栄えた.

 

2018年6月18日 最終版

 

 

1.本山の町

 

(大杉駅)

 

大杉駅は森林をイメージしたつくりで、工業高校生のデザインである.

ここからバスで町に向かう.

 

(坂の町)

 

本山は坂の町だ.

町全体が山の斜面にある.

 

(旅館)

 

国道のバイパスができているが、旧市街には旅館や飲み屋がある.

昔ながらの小さなパチンコ屋があり、建物も看板も古びているが、店の中の蛍光灯がついているのでやっているらしい.

 

2.文学館

 

(大原富枝文学館)

 

「女流作家」は今では死語に近い.

もちろん現在も女性の作家はいるが、ことさら男性、女性と区別することはない.

かつての女流作家は、「女性が、女性の視点で、女性を描く」ことがその真骨頂であった.

書く側も読む側も、敗戦の結果生まれた「男女同権、女性の自立」を踏まえていたからだろう.

大原富枝はその一人である.

1912(大正元)年に本山町で生まれ、高知女子師範に進学したが、結核に侵され故郷に帰り、10年間療養生活を送った.

 

(本山の町)

 

29歳のとき、一大決心をして上京し、文筆の道を志す.

16年後、文学賞を得て作家生活が軌道に乗る.

代表作「婉(えん)という女」は、土佐の大土木工事を行った野中兼山が失脚し、一族の女性が40年間土佐の外れ、宿毛の山間に幽閉された物語である.

大原が10年間出歩くこともままならず、山を見上げるだけの暮らしを送ったことが投影されているであろう.

記念の文学館は元の裁判所を利用してつくられている.

文学館に接してホールがあり、冬の夜にコンサートに来た.

ひどく寒い日で、道には雪がうっすらとし、出演者は度々鼻をかんでいた.

しかし雪の山の中でのコンサートには趣があった.

 

3.教会

 

(教会)

 

坂の上に小さな教会がある.

パイプオルガンのあるお宅もあるらしい.

歴代の牧師の名が刻まれた石碑がある.

それによれば、初代は1872 (明治5)年となっている.

切支丹禁制が解かれたのは明治6年だから、それよりも早く信仰が始まっていたことになる.

高知市から見ると、本山は辺鄙な山の中である.

しかし、高知城下から瀬戸内に出る、参勤交代に使われた街道の中ほどにある.

今、高速道路が大体それに沿っていて、太平洋から瀬戸内海まで30分であり、本山に行く大豊ICはほぼ中間になる.

地図を南北逆にして見ると、荒波の岬と山脈で隔絶され、武士が威張る高知城下がむしろ辺境である.

本山の方が「文明開化」が進む瀬戸内に近いのだ.

 

4.棚田

 

四国を縦断して流れる吉野川のこの辺りは棚田地帯である.

北岸は急な山腹だが、南岸の谷あいは破砕帯が滑った緩い傾斜で、水田に適している.

吉延、伊勢川、高須とあるが、行政的に後2者は土佐町である.

 

(棚田の夏)

 

棚田は一日の気温変化が大きいので、美味い米ができる.

吉延では、室戸海洋深層水のにがり成分を加えて育成した米を「天空の郷」として売っている.

認定された条件での稲作だけがブランドを許される.

 

(棚田の道)

 

(棚田の水)

 

清冽な水が棚田の上から下に流れる.

 

(棚田の中)

 

オタマジャクシがわんさといる.

ヘビも水田に入ってオタマジャクシを追い回している.

 

(神社)

 

棚田の中の神社に「大正15年帰朝記念、松岡梅吉」と刻まれた狛犬がある.

「北米加奈陀に二十有余年」とあり、20年なら1906(明治40)年の渡航である.

当時カリフォルニアでは日本人移民が激増し、「日本人来るな!隔離せよ!」の排日運動が盛んであった.

梅吉の仕事はわからないが、本山出身ならロッキーでの林業だったのかもしれない.

 

(学校の跡)

 

見上げるとブランコの支柱が見える.

上がってみると、果せるかな学校の跡であった.

梅吉は子どもたちに外国の話をしただろうか.

 

(ツリーハウス?)

 

横に入った高角(たかつの)の集落には、仰天するオブジェ、色とりどりの水車、ツリーハウスがある.

公開されてはいないが、「アーティスト」がいるらしい.

 

5.棚田の秋

 

(棚田の秋)

 

棚田には夏の緑、刈入れ後のわらぼっちの列など、四季折々の姿がある.

しかし黄金色の稔りの時期が一番華やかだろう.

秋、孫二人を連れて歩く男性に出会った.

棚田は圃場整理で今の大きさになっているという.

昔はもっと小さい区画だったらしい.

 

(キャンペーンガール.棚田をよろしくね!)

 

棚田を回るフットパスが設定されている.

歩き疲れれば木陰で昼寝、最高だ.

 

 

(おわり)

 

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2018年6月15日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学93 高知のぶらぶら町歩き2 商店街編

どこか知らない土地に行ったとき、面白くて後からの印象に残るのは、案外土地の人の買物の場のように思う.

ミャンマーの裏通りでは香辛料をスコップで掬っていたし、フランスの市場ではウサギが皮を剥かれて吊るされていた.

それに比べれば「名所」の見物は、観光ガイドブックで見た写真の確認作業のようでもある.

第1編では高知の中心街を回ったが、次はディープに商店街を回ってみよう.

 

2018年6月7日 最終版

 

 

1.高知の商店街

 

高知の商店街は、中央の帯屋町は別格として市域にいくつかある.

ほとんどが夏のよさこい踊りの演舞場となっている.

菜園場、魚の棚、はりまや、愛宕、大橋通、天神橋通、桝形、などがある.

近くの商店街に行けば、生活すべてに必要な買物ができたのだ.

高知市民の買物の場として知られているのは日曜市だが、毎日ではない.

また仮設だから、どうしても野菜、果物など並ぶ品物が限られる.

 

(日曜市)

 

木曜市、火曜市もあるが規模は小さい.

「商店街」はいつでもよい.

いくつか回ってみよう.

 

2.菜園場

 

菜園場(さえんば)の名は、昔、藩主の野菜をつくった場所だったことから来ている.

はりまや橋から東へ、電車で一停留所だが歩いて行ける.

 

(菜園場入口)

 

(菜園場商店街)

 

入口にはパン屋がある.

パンには薄緑クリームのメロン、薄桃のいちごがある.

アンパンは普通の丸形でなくジャムパン形だが、しつこくなく和菓子的だ.

看板には「かすていら」とあるが、今は作っていないそうだ.

高知のカステラ屋は、電車通り南側の大変判り難い場所にある.

 

(青物)

 

野菜、果物は商店街の定番である.

おばさん方が店の前で待機?している.

荒物も売っている.

 

(漬物と洋品店)

 

洋品店も商店街に必ずある.

こういうものは「ユニクロ」「しまむら」にはない.

商品の回転率は高くなさそうだが、はやりすたりがないからいいのだろう.

「昔懐かしい」、「時間が止まったような」という表現になるのかもしれない.

しかし店を出す人も、買い物に来る人も、そういう理由なのではない.

「ここなら買える」、あるいはもっと積極的に「ここでなければ買えない」のである.

シャッターを閉めた店もある.

漬物屋のおばさんが言っていた.

道の向こうは揚げものの店であったが、設備を新しくするのにお金がかかるのでやめた.

それはそれで止むを得ない.

 

3.魚の棚

 

魚の棚は、菜園場からはりまや橋に戻る道の横丁である.

「はりまや橋」が渡る水路の傍から魚を上げていたので、この名があるそうだ.

商店街というには狭くて短いが、一通り揃っている.

 

(魚の棚)

 

(コロッケ)

 

カフェに居酒屋まである.

クチュールも若者向けだ.

 

4.大橋通

 

大橋通は高知城に近い一角である.

今「ひろめ市場」があって観光客で賑わうが、もともとは市民日常の買物の場であった.

すり身の揚げ物を高知では「てんぷら」というが、店先で揚げて売っている.

 

(てんぷら)

 

京都の錦小路は市民買物の場であったが、今は外国人観光客が串をくわえながら歩く通りになっている.

先日行ったら、一番人気はイイダコと卵の串刺しであった.

高知でも串には事欠かない.

 

(大橋通の魚)

 

魚屋は3軒ある.

新鮮で旨そうで安いアラが並んでいる.

お土産に持って帰るわけにはゆかないから、地元民の特権だ.

店の中の1軒の本店は電車で6停留所西の、上町(かみまち)にある.

 

(上町の魚屋)

 

メールで今日の入荷を知らせてくれる.

本日のお勧めは、活〆天然平スズキであった.

(喫茶店)

 

大橋通の突き当りに、2軒の「正統喫茶店」が並んでいる.

昼下がりに一休みした.

入ってきた若者は、迷わず「ヤキメシ!」と注文した.

隅では老婦人が一人、ランチセットをゆっくりゆっくり食べている.

奥では数人の男女が、テーブルを囲んで打ち合わせをしている.

カウンターでは高齢の男性がコーヒーを味わっている.

 

(お赤飯セット)

 

高知でお祝いの配り物の定番といえば、大橋通の角にある中納言の赤飯、紅白の饅頭または餅である.

展示の見本を見ると、赤飯の折詰めや餅の最大は1升だ.

店内にイートインスペースがあって、お赤飯や栗おこわが食べられる.

赤飯には、これでもかというくらい小豆が入っていた.

 

(餅ばあす)

 

高知では新築の家が出来上がったとき、紅白の餅投げをすることが普通である.

大学の新棟落成でも行われる.

袋麺、お菓子、玩具も投げられる.

缶ビールを投げた例もあるらしく、ナイスキャッチが必要だ.

高知で「餅ばあす」と言っている.

「ばあす」とは「奪う」の意味で、「餅奪い」なのである.

激烈な争奪戦に小さな子どもが巻き込まれるのは危ない.

そこで大人と子ども、2部制でやる場合もあるらしい.

まあ1升の餅を投げることはないだろうが.

 

(おわり)

2018年6月2日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学92 高知のぶらぶら町歩き1 中心街編

高知には、毎週のように内外観光客を乗せたクルーズ船がやってくる.

高級な船もあれば、格安大型船もある.

高知の人は自嘲的に、見るものは高知城と桂浜くらいや、などと言っている.

しかし、不評なら繰り返し来ることもあるまい.

改めて高知の町のぶらぶら歩きをしてみよう.

最初は中心街である.

 

2018年5月25日 最終版

 

 

(クイーンエリザベスⅡ)

 

 

1.高知城

 

(高知城)

 

京都、金沢にはお城や天守閣がない.

高知にはある.

広さ、高さが手頃なので、高齢の観光客でも音をあげることはない.

多くの有名天守閣は、安全のため欄干に網を張ったり手摺を高くしている.

高知城での落下は自己責任で、手が加えられていない.

以前は夜間照明がなく、ビル上の某クラブのママが、店からサーチライトで照らしていたそうだ.

マイキャッスルである.

 

(木陰にて)

 

入口横の木陰は、市民の将棋の場となっている.

ジャパニーズチェスである.

今しも、新しく来た一人が持参の台を広げるところだ.

観光客が飛び入りしても、嫌な顔をされることはないだろう.

どちらが「おぬし、やるなぁ」となるだろうか.

 

2.はりまや橋

 

(電車の中から)

 

はりまや橋は、自他共に許す「がっかり名所」である.

もともとは、有名でもなんでもない小さな橋であった.

路面電車の南北と東西の路線がここで交叉するようになり、停留所にその名がつけられ、高知の中心イメージに成長した.

映画のロケで初代の赤く塗った橋がつくられた.

しかし「がっかり」もここまでくれば「マスト」のアイテムとなり、みんなスマホを構える.

 

(はりまや橋交差点)

 

交差点の北西は土産物店、向いはからくり時計のあるバス切符売場である.

南東のビルは以前西友デパートだったが、今は大阪資本のパチンコ店である.

向いは地銀の本店で、3時で閉まる.

いささか「中央感」に欠けるが、「がっかり」なので当然と言えば当然だが.

 

3.水辺

 

(鏡川)

 

高知市は、鏡川、国分川などが流した土砂が積もってできた沖積地の上にある.

江戸、大阪と同じく、分流や人工の掘割が複雑に入り組む「水の都」である.

市域を鏡川が貫通する.

春、河原にはアサリを掘る人たちがいる.

今年、鏡川の鮎の遡上は多いようで、解禁で竿を出す人もいる.

漁券は商店街で売っている.

町中で潮干狩りや鮎釣り、粋ではないか.

 

(浦戸湾、向こうが高知市街)

 

鏡川は浦戸湾に流れ込む.

7km先の湾口が桂浜である.

「月の名所は桂浜」というが、昔は船か峠越えでないと行けなかった.

浦戸湾は淡水と海水が混じる汽水域で、怪魚アカメが生息している.

光線の角度によって目が真っ赤になる.

体長131cm、重さ39kgが釣れたそうだが、キャッチアンドレリースが基本になっている.

 

(アカメ、中村のトンボ公園内水族館で)

 

何にせよ高知は釣り師天国である.

 

3.帯屋町

 

(帯屋町)

 

高知一番の商店街は、はりまや橋から高知城近くまで1km続く帯屋町である.

ファッション、ドラッグ、宝飾品、時計、パチンコ、その他何でもある.

オリエンタル調豊かな仏具店もある.

 

(仏具店)

 

(よさこい衣装)

 

意表を突く、よさこい祭りフアッションの店もある.

食べ物屋も何でもあるが、外国人観光客はよくマックに入っている.

ここまで来てマックはないと思うが、日本人が異国で「吉野家」に入るようなもので、安心感があるのだろう.

 

(大橋通)

 

連休など人出の多いときは、街路も利用される.

「藁焼きたたき」は、もちろん高知を代表する料理であり、焼き立てがその場で食べられる.

 

(オープンテラスで)

 

高知城近くの「ひろめ市場」はあまりにも有名な存在になって、大変な人混みである.

付近にその延長となる施設が拡大されている.

屋外は開放的で楽しいし、通りがかりの客も、覗けば何が食べられるかよくわかる.

カクテルやウィスキーのスタンドバーもあって、陽は高いが賑わっている.

大抵の人は、大小あるがビールを飲んでいる.

銀座の歩行者天国とは大分違う.

高知観光の醍醐味は、昼間から堂々と酒を呑めることである.

 

(はりまや橋近く)

 

ひろめ市場は肩肘張らないが、失礼ながら東南アジア場末的イメージである.

一方はりまや橋付近には、昔からの「正統派食堂」が多い.

日本が誇る技術の食品サンプルが用いられている.

あるアメリカ人女性は「これはいいワ!よくわかる!」と感嘆していた.

ただ、歴史的風土の高知城近くが猥雑で、新開地のはりまや橋が正統的、逆のようでもあるが.

 

 

(おわり)

 

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2018年5月22日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学91 元気な高知の路面電車・とさでん交通の旅

路面電車は京都が最初で、東京、大阪を始め多くの都市で走っていた.

ところが自動車の邪魔だと、ほとんどが撤去されてしまった.

しかし今、ヨーロッパ、アメリカとも、都市内を自動車によらず快適にエコに移動できる手段として、路面電車が続々と新設されている.

日本だけ遅れていたが、今度宇都宮で建設されることが決まった.

高知は114年間動き続けた結果、気が付けば最先端の街になっている.

路面電車・とさでん交通に乗ろう.

 

 

2018年5月9日 最終版

 

1.桟橋

 

(高知駅から)

 

電車は1904(明治37)年、新しくつくられた浦戸湾の桟橋と、高知の町を結ぶことから始まった.

高知の各地は険しい山で隔てられているので、行き来はもっぱら船であった.

しかし浦戸湾は最近まで海苔の養殖が行われていたくらいで、湿地や浅瀬が多く大きい船は入れない.

そこで浚渫や埋立を進めて、市街から2kmのところに新しく港をつくった.

周辺は何もない水田で、人にも荷物にも不便なので電車を敷設した.

 

(行く手が昔の港)

 

大阪も似た事情で、1903(明治36)年、天保山に「築港」をつくり、市電を建設している.

しかしいくら必要性があっても、お金が必要である.

高知が大阪のたった1年後に、もう電車を通したのはそれだけの財力があったからだ.

木材、和紙、海産物、薪炭など、高知には大変豊かな産業があった.

 

(終点、桟橋通五丁目)

 

今かつての桟橋は別の場所に移動している.

防潮堤が高いので、電車から海は見えない.

 

2.電車のインパクト

 

大阪に電車が走り出したとき、15歳の松下幸之助は自転車屋に奉公していた.

電車を見て、もう自転車は売れないのではないかと考える.

転職し、配線工として電灯会社に入る.

では高知には「幸之助」が居なかったのだろうか.

 

(「電車の日」の桟橋車庫オープン)

 

 

土佐の少年・中屋熊太郎は感動の目で電車を見つめていた.

これからは機械の時代だ、そう考えて、町外れの下知(しもじ)に出来つつあった鉄工所の職工となる.

やがて山に材木運搬のレールが敷かれるようになるが、牽引するのは犬か牛である.

電車や蒸気機関車は無理だが、漁船に使われ始めた焼玉エンジンはどうか、中屋はそう考える.

借金して小さな機関車を製作し、本山営林署での試運転にこぎつける.

トロッコを7両牽くことができれば買う、という約束だったが、4両しか牽けなかった.

スリップして脱線し中屋は怪我をする.

失意の内に、今の土佐町地蔵寺の山奥に引き込み、軌道の修理工として惨めな生活を送ったという.

松下幸之助が独立して、松下電器・パナソニックを創業する1917(大正6)年の3年前のことであった.

 

(はりまや橋交差点)

 

3.高度の運転技術

 

とさでんは、高知駅から先ほどの桟橋に向かう路線に加え、はりまや橋で直交して東の後免と西の伊野に向かう路線がある.

後免方面、伊野方面とも11kmほどである.

東急で言えば渋谷から田園調布より遠く、小田急の新宿から成城学園くらいだから、結構の距離の郊外電車である.

高知周辺で土讃線が建設されるのはとさでんの20年後で、高松へ通じたのは30年後の1935(昭和10)年である.

 

(後免町終点)

 

途中折り返しの電車があるので、終点まで行く車両には「ごめん」、「いの」の表示がある.

両線とも道路の端を通ることが多く、この道を通るドライバーには、瞬時の適切な判断が必要である.

 

(道路上の停留所、車は右へ)

 

レールは道路に接している.

昔、荷車や牛馬しか通らない狭い道の横に線路をつくったためである.

道路側にはホームをつくる余地がなく、路面に緑を塗ったところが停留所である.

道路上で電車を待つのは危ないから、レールの上で待つのが間違いない.

電車は必ず徐行して乗客の有無を確認している.

 

(右側通行?電車の中から)

 

高知市内の西からは単線になり、ところどころで電車同士の行き違いがある.

狭い道の端に線路がある.

向うから電車が来ると、左には余地がないから、車は右側を走るよう判断する.

 

(道路の真ん中で電車が行き違い)

 

朝倉での行き違いは、2両が道路を塞ぐので待つしかない.

バイクでも隙間を通れない.

折り返しの電車があって、道路の真ん中で長い間停車する.

駐禁の標識があるが、「自動車」と書かれているので、電車は対象外である.

とさでん沿線は車の「自動運転」の格好のテストコースである.

 

(終点、伊野)

 

運転士は皆親切だ.

老婦人が買物車を下ろすのに手間取っていると、降りて手助けしてくれる.

 

(低床連接車)

 

その点、今世界の路面電車のスタンダードになっている低床車は乗り降りし易い.

ただ2両しかないので、まだまだ運転士や乗客の介助が必要だ.

 

4.おきゃく電車

 

最近あちこちに車中で食事をとる観光列車がある.

とさでんはどうか.

「おきゃく電車」がある.

高知で「お客」とは宴会のことである

 

(おきゃく電車)

 

ビール飲み放題、料理、カラオケ付き、持込み可で、100分4,000円(女性は3,500円)はリーズナブルだ.

最小人数は18である.

ただ普通の電車の通路に長いテーブルを置いた構成なので、座席を立って、高知でつきものの献杯、返杯がやり難いのが難点である.

ビール飲み放題というと心配もある.

後免往復のコースだと40分の我慢?である.

市内をあちこち行き来するコースなら心配は少ない.

 

(おわり)

 

参考文献:堀田蘇彌太、ガソリン機関車に就て、高知林友、59(1924)

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2018年5月6日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一