四国遍路88ヶ所の旅の原点は、昔からの歩きへんろである.
遍路道の総延長は、約1,100km.
長いように思えるが、日本橋から京・三条大橋まで、東海道53次は約500km、中山道は少し長かった.
昔の人にとっては、東京・京都を往復する程度の距離で、驚くほどではない.
33、53、88、100などと数値目標があると、達成したくなるのが人情である.
楽しいのはその過程である.
百名山登頂は目標であるが、ヘリコプターで行ったのでは意味がない.
登山することに楽しみがある.
(植物園の中のへんろ道)
四国遍路も同じで、88のスポットに行けばよいというものではない.
道中に意味と楽しさがある.
歩き遍路は、充実した長い旅である.
偉そうなことを言ったが、目下足に歩き通す自信がない.
横着をして、歩き遍路の道を軽自動車で辿る.
2017年12月 初版
2018年4月21日 修正版
1.善楽寺
29番国分寺から、約7kmで30番善楽寺に着く.
隣接して、夏祭り「しなね様」で高知市民に知られた土佐神社がある.
長い参道と立派な社殿である.
江戸時代では神仏が融合していて、寺もあったが、札所はこの神社であった.
明治になって神仏が分離し、寺は廃棄された.
その後いろいろな経過を経て、今の善楽寺がある.
(善楽寺)
金色に塗られた柱のコンクリートの本堂、入口に立つ大きな石像など、市内の寺院らしい.
2.善楽寺から竹林寺へ
(五台山から見た高知市東部、右端の森が善楽寺)
遍路道は、歩きへんろ地図によれば、真っ直ぐ南下する.
行く手に次の五台山が見え、最短距離である.
しかし、この辺りはいくつかの河川が合流していて、昔は沼の多い湿地帯で、通行困難であった.
近年でも豪雨で水没し、国道の車が流され、ドライバーはガソリンスタンドの屋根に登って難を免れた.
鉄道はこの地を北に迂回している.
実際は昔の遍路道も同じように迂回していて、高知城下に向かう.
高知駅の東で、江ノ口川の山田橋を渡る.
どうということはない地域である.
(山田橋)
しかし、昔は重要な場所であった.
写真の左、西側は高知城下であり、右は水田が広がり、城下の内外を分けていた.
番所があって手形を改め、城下に泊まる場合は、番所の指図に従う.
庄屋がつくる手形には、病死したときは土地で埋葬していただきたいが、こちらに知らせる必要はありませんと記している.
右の城下外には、岡田以蔵などが処刑された獄舎があった.
(堀川)
道は東に曲がり、堀川に沿う.
高知城は小山の上だが、高知市域は川の中州のような土地である.
いくつかの河川や改修した流れ、人工の掘割が複雑に入り組む「水の都」である.
(絶海のへんろ道)
五台山山麓の絶海(たるみ)集落を登り口に向かう.
道は次第に狭くなり、軽がやっとになり、ついに車の通行が不能になったところに登り口がある.
(竹林寺登り口)
31番竹林(ちくりん)寺は標高130mの五台山の上で、小登山である.
登ると牧野植物園の中に出て、遍路道は園内を通っている.
遍路にも歩きのツアーがあり、全行程を通す仕組もあるようだが、要所だけ歩くものもある.
丁度、ツアーの人たちが歩いていて、高齢の方もいるが、元気なものだ.
金毘羅さんは標高差175mを765の石段で登るので、それよりは楽だが.
(竹林寺)
五台山竹林寺は、高知市内に近く見晴らしもよいので、観光地である.
折柄紅葉のシーズンで、お遍路さんより観光客が多い.
3.竹林寺から禅師峰寺へ
(五台山を下りて)
遍路は普通1番から順に始める.
一方「逆打ち」という、88番から逆方向に回る歩き方があるが、この方が難しいと言われている.
五台山から石段を下ると、下に昔のへんろ石がある.
逆打ちではこれが登りの目印だが、古びて黒く、注意していないと見落としてしまう.
(下田川)
振り返ると竹林寺の五重塔が見える.
下田川は浦戸湾に近く、大潮ではかなり水位が上がるし、津波の心配もあり、堤防は高い.
川をその名も「へんろ橋」で渡り、集落に入る.
(唐谷の遍路道)
お遍路さんに出会った.
迷惑の極致だが、軒先に避けていただいたので、深く礼をして通り過ぎる.
(高知市吹井)
青空の下で「冬の旅」を続けたが、陽が傾き始めた.
道は小さな峠をトンネルで抜け、ニュータウンを通って、浜通りに出る.
竹林寺から禅師峰寺は5.7km、あと少しである.
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(おわり)