高知学50  高知で地震を避難3:安政、昭和、永長・康和タイプ

高知のテレビでは毎日、地震に対する準備、心構えが放映される.

過去の地震はまず東海で発生し、次に南海に波及しているらしい.

1707年の宝永地震などのように、東海、南海が分単位の差で発生する場合の逃げ方は、その2で考えた.

しかし、時間遅れ、年遅れの場合もある.

 

2018年8月9日 改訂版

 

 

1.東海、南海の時間差

 

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(津波避難タワー、仁淀川河口)

 

何はともあれ、南海地震の警報を待つことなく、東海地震の発生情報をいち早く入手し、ただちに避難行動を取ることが必要とした.

かねて目星をつけておいた場所に逃げ、スマホの画面で、報じられる東海の状況に見入る.

しかし、南海地震は起きない.

よかった、と胸をなで下ろし、家に戻ってお茶でも飲んでテレビを見るかと思う.

ところが、これは大変危険である.

 

⒉ 安政地震

 

それは、1854年の安政地震では、南海は東海の38時間後に発生しているからである.

発生原因は違うが、2016年の熊本地震では、第一、第二の間隔が28時間であった.

過去の地震の歴史でも、「ひとまず安心」を裏切るパターンが結構多い.

それは岩石が粘弾性の性質を持っているからである.

ゴムひもの端に錘を付け、ぶら下げる.

すぐには切れないが、そのまま吊るしておくと、少しづつ伸びてやがて切れる.

これが粘弾性である.

岩盤は堅そうだが、やはりこの性質があり、力がかかってもすぐに壊れるとは限らない.

時間が経ってからになるので、そこに油断が生まれる.

安政東海地震は、12月23日午前9時の発生である.

その日南海では何もなく一日が過ぎる.

翌24日、朝、昼とも異常なし.

夕方午後4時になって、南海地震の激しい揺れ、そして津波が襲う.

 

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(地震後バス化された気仙沼駅)

 

3.安政パターンへの対応

 

宝永パターンを恐れ、着のみ着のままで第一の避難場所に逃げた.

しかし、そこで南海地震が起きなければ、第二の避難を考える必要がある.

安政は38時間後だが、一応48時間、二昼夜の避難を目途としよう.

(2018年7月に行われた国の会議では、東海発生後の3日ないし1か月迄の間を南海の警戒期間としている)

一旦家に戻り、急いで食料、飲み水を取り出す.

車で逃げることも考えられる.

 

エコノミー症候群があるから、かねて買っておいた簡易テントや寝袋を持つ.

しかし、欲張ってあれもこれもはよくない.

38時間とは限らない.

5時間後、10時間後かもしれない.

注意しなくてはならないのは、パニックの発生である.

次々報じられる東海の惨状、津波の映像は、ショックを与える.

テレビのコメント、行き交うSNSは、すぐにもの南海地震発生を感じさせる.

我先に逃げる車で渋滞ができ、下手をすると、最悪の条件で揺れと津波を迎えることになりかねない.

パニックに巻き込まれない近場の避難が必要である.

 

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(高知コアセンターの深海で採掘された資料.南海トラフも研究対象)

 

4.昭和および永長・康和パターン

 

ところが、48時間経っても南海地震は発生しなかった.

50時間後ということもあり得るが、第三の年遅れ、昭和(および永長・康和)パターンの長丁場に入ったと考える.

昭和では、東海地震は11月24日に発生した(永長・康和は12月27日).

年末年始を過ぎるが、南海には異常がなく、春を迎える.

翌年の秋冬も地震は起きない.

翌々年の冬になる.

12月21日、南海地震が発生する(永長・康和は少し遅く、その冬の2月22日).

 

5.昭和パターンからの避難

 

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(土佐佐賀、津波高さ34.4mの予測.伊豆の下田も33m)

 

東海が起きてから、南海が起きるまで、どのように過ごすか.

2年間テント生活は考えられない.

江戸時代以前では、天命として、破壊と復旧を繰り返すのみであった.

昭和では、戦争と敗戦を挟む、情報と行動が遮断された時期であった.

しかし現代では間隔が長いと、いろいろな事案が出てきて、社会的な問題が多くなる.

火山活動が活発になった麓の村のようなものであるが、収束はあり得ず、地震は必ず起こる.

1)臨戦態勢で臨む

いつでも秒単位で避難できるように構える.

戸棚は全部倒す.

テレビは床に置いて固定する.

室内に頑丈な避難シエルターを設ける.

2)疎開をする

断層地震から相当経った地域は歪が解放されているから、淡路島など考えられるが、遠い.

高台で耐震性がある建物、たとえば、学生用ワンルーム、マンスリーマンションなど考えられるが、お金はかかる.

いずれ「仮設住宅」を建てることは間違いないのだから、前もって「疎開住宅」があれば多目的に使える.

いずれにせよ、厳戒態勢や疎開は9月から3月までの半年で、春になれば戻る.

 

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(西分漁港.フィリピンプレートで赤道から運ばれてきた溶岩)

 

大変なようだが予測ができる.

突然に強烈に襲う直下型地震、揺れから3分で津波が来る地域より、ずっと安全である.

 

6.地震後の高知

 

この地震後に、高知に再び地震が起こるのは100年後である.

東北のように、急いで堤防の嵩上げ工事をする必要は全くない.

フィリピンプレートが、大地に楔のように打ち込まれ、地震を寄せ付けない.

広く開かれた土佐湾には、他所から津波が来ることもない.

高知は、日本一安全な土地になる.

高知の黄金時代が待っている.

 

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(建設中の防波堤、盛、2016年)

 

関連記事リンク:

高知で地震を避難 1

高知で地震を避難 2

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参考にした文献

・尾池和夫:「2038年 南海トラフの巨大地震」、マニュアルハウス、2015

・山岡耕春:「南海トラフ地震」、岩波新書、2016

・寒川 旭:「地震の日本史」、中公新書、2011

・鈴木堯士:「四国はどのようにしてできたか」、南の風社、1998

・佐野貴司:「超巨大火山」、講談社ブルーバックス、2015

・気象庁ホームページ

・国土地理院ホームページ

・高知新聞

・Wikipedia

 

(おわり)

2016年8月18日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一