33 高知・仁淀川町の蚕団地.そして山岳ハイウエイ、大規模林道

昔の地形図には、蚕を飼う桑畑の記号があった.

地図を眺めていると、仁淀川町・池川の標高800mの辺りに、大規模な桑畑があることに気がついた.

何だったのか、今はどうなっているのか、訪ねてみた.

1972年に造成された、養蚕団地であった.

そこには、交通量ゼロの、驚きの山岳ハイウエイ、大規模林道もあった.

 

2017年9月21日 改訂版

 

 

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(池川)

 

1.養蚕団地

 

池川から見ると、目指す集落、ツボイは山に隠れているが、尖った山の茶色と緑色の境界辺りである.

山道をどんどん上がって着く.

老婦人がエンジン草刈機の用意をしていたので、訊ねた.

 

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(ツボイ)

 

果たせるかな、ここは1972、昭和47年につくられた養蚕団地の跡であった.

50人くらい住んでいたという.

棟割住宅が2棟ある.

 

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(養蚕の名残り)

 

ブランコ、鉄棒、滑り台もある.

下の集落から上がった人もいるが、各地から入植した.

蚕を飼っていた建物が何棟かあり、残っているものもあるし、崩れているものもある.

レールを引いて桑を運んだ.

年に5回繭をつくった.

標高が高いので、真冬は下からトラックで桑の葉を持ってきた.

先ほど上がってきたのは、まさに蚕の「命の道」である.

蚕が桑を食べる音が辺りに響いていた.

今は5人が残っていて、牛を飼ったり、トマトをつくったりしている.

1980年代に生糸の価格が暴落したから、10年ほどしか活動できなかったことになる.

今も桑の木は少し残っているが、葉を取っていないから、随分背が高い.

 

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(トマトのハウス)

 

⒉.放牧地

 

桑畑はいま広大な放牧地になっている.

高知と牧畜など結びつかないように思われるが、結構各地で放牧が行われている.

地場のジャージー牛乳、地域ブランド牛肉が地元スーパーで売られている.

 

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(桑畑はいま放牧地)

 

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(牛たち)

 

冬なので、牛たちは長時間外に出ていないが、見晴らしの良い山上の牧場は、「アルプスの少女」の世界である.

 

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繋がれっ放しでロクに外に出ず、高価な餌でメタボに育った、とろけるような牛.

自然の中を歩いて牧草を食べて育つ、筋肉質?の牛、どちらが良いかだが.

池川にもすき焼きの店があるが、ツボイの牛だろうか.

 

3.水ノ峠

 

牧場をさらに進み、広い道路を横切って上がると、標高1,120mの水ノ峠に至る.

高知と松山を最短距離で結んでいた古い峠である.

ここはなかなか楽しい土地である.

ハム局の小屋があり、蝙蝠傘の骨を広げたような大アンテナがいくつかあり、電動ウインチで上下させる塔もある.

趣味の楽園である.

折から通信中と見え、コールサインの声が外まで聞こえてきた.

 

(峠のハム局)

 

4.大規模林道

 

「広い道路」と述べたが、完全2車線の道路が、山々の標高1,000mの辺りに存在する.

 

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(大規模林道)

 

延長は15kmくらいではないだろうか.

ところが、両端はどこにも通じていない.

交通量は限りなくゼロである.

小田池川大規模林道である.

林道でも道路交通法は適用されるが、相当のスピードでぶっ飛ばすことはできる.

ただ大きい岩石が落下していたり、路面が窪んでいたり、希に工事のダンプが通るから油断はできない.

1969、昭和44年に林野庁が策定した、土佐清水市から、いの町北部まで、山岳地帯を貫く延長188kmの幹線林道計画の一部なのである.

 

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(山々を縫う)

 

全線の建設はあり得ないだろうが、工事はわずかづつ続いている.

沿道に伐採地はあるし、ツボイの人も大勢働いたということだ.

 

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(新装なった2車線が続くが…)

 

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(突然に終わる)

 

大規模林道は、南北とも山の中で唐突に終わる.

しかし、終点の手前から、狭い林道で下れないことはない.

南はかなり狭い道で、舗装はされているが、吹き払われた杉や桧の葉が散り敷き、ほとんど車の通った跡がない.

しかし崩れてはいない.

何しろ標高差800mを下るので、下りても下りても、曲がっても曲がっても、谷底が見えてこない.

しかし、やがて峡谷の北川集落に出て、さらに下ると中津渓谷に至る.

北は、大規模林道がかなり下っていることもあり、標高差600mくらいで用居に至る.

 

5.池川

 

池川は昔、松山街道の宿場であった.

仁淀川沿いに国道が開削されて置き去りになった、馬篭や大内と同じ境遇の町である.

民宿に泊まった.

二間続きで、窓の下は清冽な流れが音を立てている.

1泊朝食付きで一人5,500円.

夕食は町に出て食堂兼居酒屋に入った.

5時を回ったところだったが、すでに出来上がっているおじさん、おばさんたちが居た.

「池川の顔ではないね」などと話しかけられた.

3、40分共に居たが、聞き耳を立てたわけではないが、大声がよく聞こえる.

しかし、その間理解できたのは、おばさんの「やかましい.大声を出して」だけであった.

いったい何で盛り上がっているのか、わからず仕舞であった.

朝は霧であったが、中天には三日月と星が出ている.

 

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(民宿の部屋から)

 

宿では夕食を部屋まで運んでくれるようで、そうすると民宿と旅館の違いは何なのだろうか.

旅館は布団を敷いてくれる、民宿は自分で敷く、ということだろうか.

発つとき、老おかみが、昨日の夕食の献立はこうこうであったと残念がった.

オーベルジュでもあるらしい.

 

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(おわり)

 

2015年12月30日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

32 JR四国のバースデイ切符で四国東部を回る

JR四国にバースデイ切符がある.

誕生月に3日間、10,280円で、四国内の特急グリーン車が乗り放題になるお得な切符である.

最寄駅、土佐くろしお鉄道(切符に含まれる)夜須を出発して、高松、徳島、室戸と、四国の東半分を1周した.

ただし、阿佐海岸鉄道と室戸岬を回るバスは、料金が別になる.

朝7時に出発し、夜7時に帰った.

 

(2017年3月14日 修正版)

 

 

ごめん・なはり線 夜須714発、後免736着

 

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(通学生の朝)

 

普段は1両だが、通学時は2両である.

よく晴れて青い海が広がっている.

スマホをいじったり、ノートを広げたり、通学生たちに朝日が射しこんできた.

 

土讃線 後免809 発 南風6号 宇多津955着

澄み切った冬空の下、凛とした空気をついて列車が次々やってくる.

朝の駅は、通勤、通学客で活気がある.

乗車する特急がやってきた.

グリーン席に落ち着いたところで、急坂をぐんぐん登る.

昔は蒸気機関車が前後について、「なんだ坂、こんな坂」と喘ぎながら登ったのであるが.

 

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(高知工科大学付近の坂を上る)

 

今朝は冷え込んだ.

大歩危、小歩危の辺りでは、水温より気温が低いのか、激流の飛沫から湯気が上がっている.

 

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(小歩危)

 

予讃線 宇多津1020発 いしづち10号 高松1038着

電車の世界にやってきた.

ディーゼル車のおかげで早く来れたのだが、やかましいことはやかましい.

欧州のように、機関車が引けば静かだろうが、急勾配、急曲線では無理がある.

 

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(場内よし!)

 

町に出た.

兵庫町商店街、県庁の辺りはうどん激戦区である.

セルフうどんは各地に展開され、手軽な昼食として愛用する.

しかしおおむね全国的外食チェーンによるものである(讃岐風ネーミングはあるが).

さすが香川では地元店が強いが、なんとなく庇を貸して母屋を取られた感がしないでもない.

 

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(高松の商店街)

 

高徳線 高松1206発 うずしお11号 徳島1304 着

途中、讃岐白鳥は手袋の産地で、工場や販売店が多い.

以前「これは石川遼の手袋をつくっている職人のものですよ」などというので、思わず買ったことがあった.

車窓で気が付くのは、ソーラーパネルを設置した土地がどんどん増殖していることである.

今や日本の田園風景をつくる要素の一つと言ってよい.

地主の遊休地が利益を生んでいるのだが、小さな土地に無秩序に広がる状態は、景観としていかがなものか.

 

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(播磨灘を見下ろす)

 

大坂峠のトンネルを抜けると徳島県で、蓮根や鳴門金時 の畑が広がる.

徳島で昼食し、ワインなど飲む.

鉄道旅行のよいところで、車の運転ではこうはゆかない.

 

牟岐線 徳島1420発 むろと6号 牟岐1531着

牟岐線は海岸線に沿ってはいるのだが、海が見えるのはわずかで、ほとんどは山の中である.

特急はここで終わり.

日が傾いてきた.

 

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(牟岐駅)

 

牟岐線 牟岐1607発 海部1621着

阿佐海岸鉄道 海部1627発 甲浦1638着

牟岐からは山が海に迫り出してくる.

工事が困難であったため、最近につくられた区間で、新幹線的にトンネルが連続する.

海部でJRが終点になり、阿佐海岸鉄道に乗り換える.

 

海部

(阿佐海岸鉄道 海部.左はJR)

 

といってもレールは連続している.

もともとこの線区は室戸を回って高知に至る計画であった.

しかし国鉄時代に中止になり、工事が進んでいた部分を第3セクターとして運営しているのである.

巨額の費用を難工事に投じて、延長されることはもうないであろう.

室戸でも鉄道への「悲願」の声は聞かれない.

270円を支払う.

 

高知東部交通バス 甲浦1644発 奈半利1832着

終点、甲浦では2人が降りた.

町外れで周辺には何もない.

こんなところでバスに置いてゆかれたらどうしようもないが、一人の老婦人がベンチにいるので、まだ来ていないようだ.

間もなくバスがやってきた.

 

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(甲浦駅)

 

ここから海岸の道が続く.

この道がなかった時代、お遍路さんは波打際を歩くしかなかった.

バスの高い位置から見ると、改めてその厳しさがわかる.

 

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(室戸への道)

 

転がっている岩石を絶えず登り下りする.

大きい波にさらわれる危険もある.

しかし今でも危険はある.

歩道のない場所がある.

人家がなく、交通量が少ないので、車は70、80キロと飛ばしている.

白い遍路装束は目立つので、交通事故防止には役立つが.

この時間になると、歩いている人も、バスに乗ってくる人もいない.

ところどころにある民宿には明るく灯がともっている.

 

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(室戸の残照)

 

室戸岬を回るころ、西の空だけが赤い.

このバスは通学バスを兼ねていて、途中室戸高校に寄り道する.

十数人の高校生が乗ってきた.

女子生徒は一人、また一人と集落で降りて行ったが、数名の男子高校生は、後部座席に陣取って、大声で他愛のない話をしている.

これは懐かしい光景である.

昔、高校生の下校時に汽車に乗り合わせると、体をぶつけあってふざけたりで大変騒がしかったが、今はスマホで静かである.

 

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もっとも揺れるバスではスマホはやり難いのかもしれない.

彼らは奈半利の町で降りた.

1時間の長いバス通学である.

 

ごめん・なはり線 奈半利1835発 夜須1917 着

バス代2,340円を払い、鉄道に乗り換えて、出発した夜須に戻った.

赤いテールランプを光らせて列車は去る.

 

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(おわり)

 

2015年12月25日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

31 高知・越知町、黒森山上に広がる別世界

野でも山でも、養蚕は農家の大きい仕事であった.

繭を背負って山を上がり降りした、高知のシルクロードを辿る.

高知の西北、越知町から山を上る.

黒森山の中腹、標高500mに広がる、日ノ浦、稲村の集落を訪ねた.

眺めが素晴らしい.

ここは、山上の別世界である.

 

2017年9月21 日 改訂版

 

 

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(仁淀川・浅尾の沈下橋)

 

1.あじさい街道

 

黒森山に上がるには、東西二つのルートがある.

東は、浅尾橋付近の、廃校になった中学校近くから山道に入る.

 

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(元小学校のプール)

 

上がって行くと、やはり廃校になった小学校がある.

学校のプールは空中にあり、コンクリートの高い橋脚の上につくられている.

昔は子どもたちの歓声が山にこだましたことであろう.

今は鯉が泳いでいる.

廃校になった学校は、どこも鉄筋の校舎、体育館、運動場、プールが備わっていて、ハコモノとして力が入れられてきたことがわかる.

この辺りから「あじさい街道」になる.

地元の方が、延々10kmに渡って植えたアジサイが連なっている.

 

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(西側から見た日ノ浦)

 

標高500m辺り、黒森山に連なる山腹を巡るように、点々と集落がある.

南向きで、日当たりはまことに良い.

毎年、季節に神社境内で「あじさい祭」が開かれていた.

高齢化のため、準備ができず中止となった.

祭は宴会と同じで、そのときは賑わうのだが、それで儲けが出るというものではない.

主催者の苦労は大変なものである.

しかし、道のアジサイは今も手入れされている.

 

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(日ノ浦.彼方は黒森山と稲村集落)

 

⒉ 山上の集落群

 

山では桑や三椏を主に栽培していたが、水田も希にある.

文字通りの「棚田」で、よくこれをつくり、維持してきたものと思う.

それだけ米への思いが強かったのだろう.

野菜もつくられている.

シカに食べられないのか、道路を調査していた町の職員に訊ねた.

ここにはイノシシはいるが、シカはいない.

イノシシのいるところにはシカはいないし、シカのいるところにはイノシシがいないものだそうだ.

 

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(日ノ浦のお宅)

 

老婦人が日向ぼっこをしていたので、しばらく話をした.

家の前にある巨岩の割れ目から見事に松が生えている.

この辺りは都合のよい割れ目があると見えて、上の斜面の岩からも松が何本も生えている.

樅の幹はすっかり空洞になっているが、すっくと立っている.

富豪は、豪邸の庭に、と考えるだろうが、移植は無理というものだ.

ヤマガラが何羽も来て、ぶら下げた皿の餌をつつき、山から引いた流れの水を飲んでいる.

ネコもいるのだが.

空家もあるが、定年になったら帰るという人もいるし、茶の手入れにときどき来る人もいるという.

週二日、移動スーパーが来る.

風呂は太陽熱温水器でまかなえるから、薪を割らなくてもよい.

一日2回、町の無料の「患者バス」があり、通院証明書があれば乗れる.

すれ違ったが、乗客はなかなか多かった.

地元でつくったヘリポートもある.

 

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(生姜の採り入れ)

 

今は山椒、生姜、ゼンマイがつくられている.

漢方薬の企業と提携して、薬草も栽培されている.

 

3.山上の眺め

 

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(稲村の夕暮れ)

 

陽が傾き、みんな家に帰った.

狭い谷間に多い棚田の景観とまた違って、広がる眺めはどこからでも素晴らしい.

ここまで上がるのはちょっとした登山だが、上がれば高低差のない山腹を巡るウオーキングは楽しい.

外国人に喜ばれる日本の山村である.

先ほどの職員に訊いてみたが、「以前外国人に道を尋ねられたという人はいたが」ということであった.

外国人ならずとも、ここで泊まることができれば、なおよい.

東側のあじさい街道は昔からの道で、狭く屈曲が多い.

一方、西側の道は新しく、1.5車線あり、カーブも緩い.

20分ほどで上がることができる.

高知市内から1時間半ほどで到達できるのである.

 

4.越知の町

 

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(越知の旅館)

 

山を下りて、越知の谷脇旅館に泊まった.

越知は昔から松山への交通の要所である.

黒森山も旧道が通っていた.

築80年、部屋の造作はなかなかのものである.

朝食付き一人5,100円.

都会の格安ビジネスホテルと同程度だが、次の間付きで、占有面積は比較にならない.

廊下の鏡には「サクラビール、ミヨシノサイダー」の文字が入っている.

サクラビールは昭和18年に統合されているので、建築当初からあるのだろうが、剥がれもなく立派なものである.

風呂にでも入ろうかと思うが、おかみさんはどこに行ったのか、所在不明である.

廊下を見当をつけて行ったところ、風呂場があり、沸いていたので勝手に入る.

大分後で「風呂が沸いています」と顔を出してくれた.

気ままな下宿である.

 

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(早朝の越知)

 

休憩後、夜の街に出た.

入った居酒屋Kでは、ちゃんこ鍋を勧められた.

一人前2,900円.店員さんの話では、これで三人はゆけるという.

実際二人では、おじや迄たどりつけなかった.

力士の一人前なのかもしれない.

「ちゃんこは越知に限る」と引き揚げた.

テイクアウトして、山の上に宿があって、囲炉裏に掛けて味わえられれば最高だが.

 

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(おわり)

 

2015年12月12日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

30 1年で7mm高くなる室戸岬と海岸段丘.室戸の魚

高知県民にとって、室戸はシンボル的な土地である.

初日の出には、暴走族を含めて、たくさんの人が押し寄せるので、交通規制が敷かれる.

「室戸貫歩」という催しが秋にある.

高知大学空手部が始めた行事だが、キャンパスから室戸まで、約90kmを歩き通す.

一般人も可で、500人が参加し、思い思いの服装やグループで歩いている.

また、室戸岬は、地殻変動観測の最前線である.

1年に7mm沈みつつあり、限度に達して跳ね返ると、地震になる.

 

(2017年3月29日 修正版)

 

 

1.室戸と台風

 

(室戸岬)

 

高知に住んでいると言うと、「台風は大変でしょう」ということになる.

中でも「台風イコール室戸」という印象がある.

しかしその理由は、室戸の被害よりも、大阪への影響から来ている.

台風が室戸岬の東を通り、紀伊水道を勢力が衰えぬまま北上すると、大阪に大被害をもたらす.

これらの台風が、室戸台風、ジェーン台風、第二室戸台風、とネーミングされてきた.

 

2.高速隆起

 

高知市から室戸に行くと、2回はだまされる.

「あっ、室戸が見えた」と思うが、これらは羽根岬と行当岬である.

みな室戸岬と形が似ている.

 

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(羽根岬と行当岬.先を回ると室戸岬)

 

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(26番金剛頂寺から見た室戸岬)

 

各岬の上は標高約170mの台地になっている.

海底から隆起してできた海岸段丘である.

室戸岬は次の特徴がある.

1)隆起の速度が異常に早い

地域全体を平均すると1,000年で2mだが、岬はもっと早い.

2)沈降と隆起が規則的である

室戸の沖150km、水深約5,000mで、南からのプレートが日本のプレートの下に潜り込んでいる.

南海トラフである.

そのため、日本のプレートは引きずり込まれて、陸地は沈み込む.

年間7mmの速度である.

しかしある限度に達すると、耐えられなくなり、一気にはね返って跳び上がる.

南海地震である.

長年かけて沈んだ以上に押し上げられ、差引きで隆起する.

地震の周期は100から150年である.

このような規則性は他の土地では見られない.

したがって、精密に大地の動きをモニターすれば、活動に推測ができるとされる.

 

3.室戸岬

 

このような結果で、室戸岬周辺は、最近に深海から上がってきた、各種の異様な岩石で満たされている.

 

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(御蔵洞)

 

室戸岬を東に回ると、弘法大師・空海が修行をされたという、御蔵洞がある.

洞内から外を見ると、まさに空と海で、「空海」の名が実感できるというものである.

空海の頃は波打際に近かったが、今はかなり上で、その時代から1200年で、6ないし10m隆起しているらしい.

これは相当に異常な値である.

 

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(岬の東、海洋深層水汲上げ施設)

 

岬の東側は特に急傾斜である.

この傾斜がそのまま海底1,000mまで続いている.

深海がすぐ傍にあるのだから、金目鯛などの深海魚がよく獲れる.

水深370mで、海洋深層水が汲み上げられてもいる.

一般に急傾斜地は次第に浸食されて緩やかな勾配になる.

ここではその暇なしに(ときどきは崩れるが)どんどん隆起している.

 

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(室戸・津呂港)

 

4.室戸の港

 

室戸には、岬に近い津呂と、室津の二つの港がある.

室戸は元来、捕鯨と共にマグロ遠洋漁業船の基地であり、津呂も大堤防とともに拡張されている.

ただ、冷凍倉庫など大型施設の設置が困難であり、今では大消費地に近い港に基地が移ってしまった.

マグロはえ縄のハイテク漁労機械をつくっているI 鉄工所は健在である.

はえ縄は、幹綱が大阪-岐阜間に相当する150kmの長さであり、そこに50m間隔で長さ30mの枝縄がついている.

枝縄に餌の魚を付けるのは人がやるが、勢いをつけて海に向かって振り出さなくてはならない.

急回転・停止を行う、特別な大型サーボモータが使われている.

また150kmの綱を適当に引き上げると、からまってどうにもならなくなる.

そのため、コンピュータ制御で、綱を順次規則正しく折り返して、槽内に収めるようになっている.

 

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(室津港)

 

室津は、陸地を掘りこんで江戸時代につくられた姿を残している.

地震の都度隆起すると、船が入れなくなり、その分毎回掘り下げられてきた.

岸との高さの差が隆起の大きさを示している.

 

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(25番 津照寺)

 

港の前に札所の寺がある.

漁の安全を祈り、また遭難者を弔う石碑の多い港の寺である.

連絡の手段がなかった昔、全員の遭難で、いくら待っても帰らなかった舟も多かった.

漁師と家族の嘆きを、お大師様が聞き受けているのがこの寺なのである.

山門は派手である.

しかしこれは、海に沈んだ人は、今このように美しい竜宮城で暮らしていますよ、ということではないだろうか.

 

5.室戸で食べる、飲む

 

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(室戸の魚屋)

 

港の近くには魚屋がある.文字通りの「室戸直送」である.

 

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(港の横丁)

 

横丁に入ると、料理屋、寿司屋、旅館が並んでいる.

 

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(港のスナック街)

 

さらに裏通りは、スナック、バー街である.

ノア、エルメス、進出、風蘭…

看板があっても半分は店を閉めているということだが、半分でも大したものである.

昔は札束で懐を膨らませた漁師で、大変な賑わいだったそうだ.

料理屋で室戸の魚をたらふく味わい、近くの旅館に泊まる.

2次会のスナックにも事欠かない.

 

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(おわり)

2015年12月3日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一