高知学17 森林鉄道機関車のチャレンジャー中屋、そして魚梁瀬で残るレールを発掘

高知には至るところに森林鉄道があった.

総延長は740kmで、東京・岡山間に等しい.

今はすべてなくなってしまったが、木材を運び出す重要な役割を果たしていた.

立派なものは魚梁瀬の鉄道であり、蒸気機関車まで走っていた.

トンネルや鉄橋が残り、産業遺産として重要文化財に指定されている.

しかし忘れてはならないのは、一介の職工でありながら、敢然と新技術に挑戦した中屋熊太郎である.

 

2018年6月29日 改訂版 

 

 

 1. 森林鉄道の運転

 

(魚梁瀬森林鉄道の体験運転)

 

伐採は山奥で、材木を積み出すのは海岸である.

したがって材木を積んだ台車は、勾配を利用して動力なしに、ブレーキを適宜かけることで下って行くことができる.

しかし空になった台車は山に引き上げなくてはならない.

当初は犬が使われた.

牛や馬であると力は強いが、わざわざ海岸まで連れて行かなくてはならない.

犬なら材木の上に乗せて下って行けるからである.

昨今なら動物愛護で問題になりかねないが、犬は相棒として大事にされていたし、重労働で餌代も嵩んだといわれる.

急勾配では、乗った親方が線路を棹で押して助けた.

 

2.チャレンジャー中屋熊太郎

 

高知の森林鉄道で、最初に蒸気機関車が使われたのが1919(大正8)年、米国製ガソリン機関車が使用され始めたのが1923(大正12)年である.

しかしこれらより先の1914(大正3)年、5馬力焼玉エンジンの機関車で、新技術に敢然と挑戦した人がいた.

それは高知市下知(しもじ)の中屋熊太郎である.

下知は鉄工所が多い地域であったが、中屋の名は工業会名簿にない.

ベンチャー精神を持った、一介の職工であったと思われる.

営林局に願い出て、自作の機関車を本山町の軌道で試験することになった.

本山の白髪山で産する桧は高価で珍重されたが、搬出は吉野川を通って150km離れた河口の徳島に持って行く必要があった.

山越えをして高知に出したこともあり、機関車化に期待もあったと思われる.

条件は空のトロッコ7台を引き上げることであったが、中屋の機関車は4台しか引くことができなかった.

スリップで脱線を繰り返して中屋は怪我をし、多額の借金を背負って、失意の内に高知を去る.

そして山奥の地蔵寺村の軌道で、修理に雇われて暮らしたという.

すぐに牽けなくても、改良を重ねれば不可能ではなかったと思われる.

しかし営林局自身が機関車を発案したわけではない.

下手をすれば、いま牛馬で運送を行っている親方衆の反感を買って、業務に支障が出るということだったのではないか.

 

(地蔵寺)

 

地蔵寺は今も行き難いところで、ここなら債鬼からも逃れ易い.

もしやと通りすがりの墓地をみたが、それらしいものは見当たらなかった.

パイオニア、中屋熊太郎の消息は杳として今も知れない.

 

3.機関車の導入

 

中屋の機関車は残念ながら失敗に終わったが、搬出量の増加と共に蒸気機関車が導入される.

しかし重いので路線に制限があり、やがてガソリン機関車が広く使われる.

現在魚梁瀬に車両が保存されていて、体験運転ができる.

 

(秋田県仁別で保存の機関車、魚梁瀬でも同型が使われた)

 

4.レールの発掘

 

高知の森林鉄道のレールは全て撤去されたと思われていた.

しかし、魚梁瀬の奥で、忘れられたようにレールが残っていることがわかり、発掘する催しが行われた.

 

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(レールの発掘)

 

森林鉄道のゲージは762mmで、JRより30センチも狭い.

線路の幅は車道の1車線にも満たない.

山腹をほとんど削らず、等高線に沿うように山肌や谷筋を急曲線で通っている.

谷川は木橋で渡る.

自然を損なわないエコな輸送機関である.

ガソリン機関車は、やがて木炭、薪ガスを使うようになる.

木炭ガスというと、戦争中の石油不足のためと連想されるが、当初はそうではなかった.

ガソリンを山奥まで運ぶのが困難であったため、手近に利用できる木材資源を利用したのである.

地産地消のバイオエネルギーである.

持続可能な体系も提言されている.

針葉樹100石を搬出して、空車を機関車で引き上げるには、濶葉樹からつくる木炭5俵を要する.

そのために全林地の5-6%を木炭のための濶葉樹帯として確保すれば、外からエネルギー源を持ち込まなくてよいと算定されている.

魚梁瀬では、小さな客車も連結されていた.

ただし乗車は「如何なる災害が生じても補償はいたしません」という条件付きである.

 

(安芸市花に残る、伊尾木川森林鉄道の橋梁)

 

しかし他の路線での便乗は、空の台車の上であった.

線路が貧弱なので脱線が多く、乗客が飛び降りる必要があったからである.

利用した山本淳一氏は次のように述べている.

「木材を積んだトロッコが、カーブで大きくバウンドして脱線するのが見えると、乗客は飛び降りる構えをする.

前方の様子を注意して、いつでも飛び降りる態勢で乗るので非常に疲れた」

風雨は避けるすべもない.

蓑笠でじっと何時間も耐え忍ぶしかなかった.

 

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高知県内の森林の蓄積量は1億8千万立方米とされる.

50年で伐採に至る成長ならば、年率2%、年間360万立方米が増加していることになる.

これに対して現在の伐採量は50万立方米であり、まだまだ蓄積が進んでいることになる.

これは森林鉄道の時代にも繰り返し言われたことであり、伐採が進んでも植林さえ行えば、永遠に生産が持続される.

 

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(羽根の植林地)

 

しかし急傾斜地での植林には、想像を絶する苦労が必要である.

登るだけでも大変な斜面で、枝葉で土手を築き、苗木を植える.

下草刈り、間伐も必要である.

全国各地で植林は行なわれているが、高知ほど厳しい条件は少ない.

植林での利益は自分の世代が得られはしない.

子供、孫の時代になってようやく報われる.

次世代、次々世代の未来と、環境の持続を頭に置いた高知の植林は、「世界遺産」に値するものではないだろうか.

 

参考:河田耕一「高知営林局の森林鉄道」、鉄道ピクトリアル、2011年12月臨時増刊号

 

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(おわり)

2015年5月10日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一