高知学18 高知のショッピング、最高は1億円の珊瑚原木だが

観光の目的は、食べることとショッピングと言ってよい.

京都、金沢、高山などの有名観光地で賑わっているのは、ショッピングと食事の通りである.

パリ、ヴェネチア、サンフランシスコなども同じで、国籍を問わず行動は変わりない.

高知のショッピングで、一番高価なものはサンゴである.

サンゴ原木の入札が行われるのは、日本では高知だけである.

過去の最高額は1億円であった.

 

2018年7月6日 改訂版

 

1.お茶屋餅

 

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(峠の旧道)

 

昔、高知城下から東に行くとき、平地を抜けるとまず「手結山坂」を登る.

峠というには低く標高50mほどであるが、頂上には茶店があり、餅を売っていた.

その後車道がつくられ今はトンネルであるが、旧街道は残っている.

落葉が散り敷き、早春には椿の花が落ちている.

坂本龍馬も岩崎弥太郎も通った道であり、今にも編笠の侍が出てきそうである.

茶店は現在国道傍に移り「お茶屋餅」を売っている.

 

⒉.芋ケンピ

 

芋ケンピは、さつま芋を短冊に切って揚げたもので、ポテトチップスの甘味版のようなものである.

単純なようだが、大小、甘辛、いろいろあって、好みが分かれる.

 

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(芋ケンピを売るレストラン)

 

3.塩

 

海水を天日干しにした塩は人気がある.

海がきれいで日照時間が長い高知では、あちこちの海岸で塩がつくられている.

味が少しづつ違うのは、海水の成分に微妙な差があるためかもしれない.

 

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(田野町のE製塩所)

 

4.果物

 

文旦、水晶文旦、小夏、スイカ、メロンなど豊富である.

フルーツトマトの最高級品は1kgで1万円である.

高知産トマトジュースも自然の味で純粋である.

糖度によって値段に差があり、1Lで1,000円から500mLで5,600円まである.

 

5.酒

 

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(安田町 M酒造場)

 

 高知には蔵元が18ある.

それぞれで数種類の酒があるので、とても全制覇とはゆかない.

お勧めには個人差があるが、高いところでは、T酒造の720mLで3,800円、大正町栗焼酎の5,700円は異論のないところであろう.

もっとも県民が日々このような高い酒を呑んでいるわけではなく、あちこちに手頃な宴会銘柄が存在する.

 

6.珊瑚

 

珊瑚には、造礁珊瑚と宝石珊瑚の2種類がある.

前者は光合成が必要なので、水深20mまでで育つ.

高知の海岸にも広く分布していて、大小の破片が浜に打ち上げられている.

白色だがいろいろな風合があり、高知では拾うことには支障ないが、取引は国際的に禁じられている.

ただ宝飾としての価値はない.

後者は桃太郎が持ち帰った赤やピンクのもので、水深300mくらいで育つ.

石の錘をつけた網を海底で引いて採取する.

免許が必要であり、網の数、期間、時間が厳しく規制されている.

年に1回、住んでいる市内で宝石珊瑚原木の入札が行われる.

日本の珊瑚の90%が取引される.

珊瑚はほとんど日本で産出されるので、世界の珊瑚の80%が高知で取引されている.

バイヤーは珊瑚の入ったケースを見定め、順に入札が行われる.

価格を記したバイヤーの帳面が宙を舞い、開札される.

漁師さんは背後で固唾を呑んで見守っている.

おおむね1ケースで2、3百万円程度が多いが、今年の最高値は一本7,500万円であった.

昨年は1億円であった.

足摺岬に近い土佐清水市では、珊瑚の産出が年間20億円に上るという.

 

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(珊瑚原木の入札)

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原材料で終わるのはもったいない.

高知でも宝飾品の販売はされている.

しかし失礼ながら、旅館の浴衣姿で土産物を冷やかす、観光バスの昼食後に土産物を選ぶ、といったイメージなのは残念だ.

 

関連記事リンク:高知のどぶろくと酒蔵

高知の魚市場、イモ、スイカ

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(おわり)

2015年5月19日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学17 森林鉄道機関車のチャレンジャー中屋、そして魚梁瀬で残るレールを発掘

高知には至るところに森林鉄道があった.

総延長は740kmで、東京・岡山間に等しい.

今はすべてなくなってしまったが、木材を運び出す重要な役割を果たしていた.

立派なものは魚梁瀬の鉄道であり、蒸気機関車まで走っていた.

トンネルや鉄橋が残り、産業遺産として重要文化財に指定されている.

しかし忘れてはならないのは、一介の職工でありながら、敢然と新技術に挑戦した中屋熊太郎である.

 

2018年6月29日 改訂版 

 

 

 1. 森林鉄道の運転

 

(魚梁瀬森林鉄道の体験運転)

 

伐採は山奥で、材木を積み出すのは海岸である.

したがって材木を積んだ台車は、勾配を利用して動力なしに、ブレーキを適宜かけることで下って行くことができる.

しかし空になった台車は山に引き上げなくてはならない.

当初は犬が使われた.

牛や馬であると力は強いが、わざわざ海岸まで連れて行かなくてはならない.

犬なら材木の上に乗せて下って行けるからである.

昨今なら動物愛護で問題になりかねないが、犬は相棒として大事にされていたし、重労働で餌代も嵩んだといわれる.

急勾配では、乗った親方が線路を棹で押して助けた.

 

2.チャレンジャー中屋熊太郎

 

高知の森林鉄道で、最初に蒸気機関車が使われたのが1919(大正8)年、米国製ガソリン機関車が使用され始めたのが1923(大正12)年である.

しかしこれらより先の1914(大正3)年、5馬力焼玉エンジンの機関車で、新技術に敢然と挑戦した人がいた.

それは高知市下知(しもじ)の中屋熊太郎である.

下知は鉄工所が多い地域であったが、中屋の名は工業会名簿にない.

ベンチャー精神を持った、一介の職工であったと思われる.

営林局に願い出て、自作の機関車を本山町の軌道で試験することになった.

本山の白髪山で産する桧は高価で珍重されたが、搬出は吉野川を通って150km離れた河口の徳島に持って行く必要があった.

山越えをして高知に出したこともあり、機関車化に期待もあったと思われる.

条件は空のトロッコ7台を引き上げることであったが、中屋の機関車は4台しか引くことができなかった.

スリップで脱線を繰り返して中屋は怪我をし、多額の借金を背負って、失意の内に高知を去る.

そして山奥の地蔵寺村の軌道で、修理に雇われて暮らしたという.

すぐに牽けなくても、改良を重ねれば不可能ではなかったと思われる.

しかし営林局自身が機関車を発案したわけではない.

下手をすれば、いま牛馬で運送を行っている親方衆の反感を買って、業務に支障が出るということだったのではないか.

 

(地蔵寺)

 

地蔵寺は今も行き難いところで、ここなら債鬼からも逃れ易い.

もしやと通りすがりの墓地をみたが、それらしいものは見当たらなかった.

パイオニア、中屋熊太郎の消息は杳として今も知れない.

 

3.機関車の導入

 

中屋の機関車は残念ながら失敗に終わったが、搬出量の増加と共に蒸気機関車が導入される.

しかし重いので路線に制限があり、やがてガソリン機関車が広く使われる.

現在魚梁瀬に車両が保存されていて、体験運転ができる.

 

(秋田県仁別で保存の機関車、魚梁瀬でも同型が使われた)

 

4.レールの発掘

 

高知の森林鉄道のレールは全て撤去されたと思われていた.

しかし、魚梁瀬の奥で、忘れられたようにレールが残っていることがわかり、発掘する催しが行われた.

 

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(レールの発掘)

 

森林鉄道のゲージは762mmで、JRより30センチも狭い.

線路の幅は車道の1車線にも満たない.

山腹をほとんど削らず、等高線に沿うように山肌や谷筋を急曲線で通っている.

谷川は木橋で渡る.

自然を損なわないエコな輸送機関である.

ガソリン機関車は、やがて木炭、薪ガスを使うようになる.

木炭ガスというと、戦争中の石油不足のためと連想されるが、当初はそうではなかった.

ガソリンを山奥まで運ぶのが困難であったため、手近に利用できる木材資源を利用したのである.

地産地消のバイオエネルギーである.

持続可能な体系も提言されている.

針葉樹100石を搬出して、空車を機関車で引き上げるには、濶葉樹からつくる木炭5俵を要する.

そのために全林地の5-6%を木炭のための濶葉樹帯として確保すれば、外からエネルギー源を持ち込まなくてよいと算定されている.

魚梁瀬では、小さな客車も連結されていた.

ただし乗車は「如何なる災害が生じても補償はいたしません」という条件付きである.

 

(安芸市花に残る、伊尾木川森林鉄道の橋梁)

 

しかし他の路線での便乗は、空の台車の上であった.

線路が貧弱なので脱線が多く、乗客が飛び降りる必要があったからである.

利用した山本淳一氏は次のように述べている.

「木材を積んだトロッコが、カーブで大きくバウンドして脱線するのが見えると、乗客は飛び降りる構えをする.

前方の様子を注意して、いつでも飛び降りる態勢で乗るので非常に疲れた」

風雨は避けるすべもない.

蓑笠でじっと何時間も耐え忍ぶしかなかった.

 

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高知県内の森林の蓄積量は1億8千万立方米とされる.

50年で伐採に至る成長ならば、年率2%、年間360万立方米が増加していることになる.

これに対して現在の伐採量は50万立方米であり、まだまだ蓄積が進んでいることになる.

これは森林鉄道の時代にも繰り返し言われたことであり、伐採が進んでも植林さえ行えば、永遠に生産が持続される.

 

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(羽根の植林地)

 

しかし急傾斜地での植林には、想像を絶する苦労が必要である.

登るだけでも大変な斜面で、枝葉で土手を築き、苗木を植える.

下草刈り、間伐も必要である.

全国各地で植林は行なわれているが、高知ほど厳しい条件は少ない.

植林での利益は自分の世代が得られはしない.

子供、孫の時代になってようやく報われる.

次世代、次々世代の未来と、環境の持続を頭に置いた高知の植林は、「世界遺産」に値するものではないだろうか.

 

参考:河田耕一「高知営林局の森林鉄道」、鉄道ピクトリアル、2011年12月臨時増刊号

 

関連記事リンク:魚梁瀬森林鉄道とトリュフ

        アンパンマンと植物園

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(おわり)

2015年5月10日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学16 大鶴津、小鶴津.雨の日は通れない断崖にかかる鉄板の道

高知の中で、海岸だが、もっとも行き難い集落はどこだろうか.

高知を1/25,000地図で隈なく調べた結果、窪川町・大鶴津、小鶴津であると判断した.

2007年に訪ねた.

そして再度、2015年に訪ねた.

天候を見計らい、崖崩れのない晴天続きの日を選んだ.

そこは8年でこのように変わっていた.

 

2018年2月4日 修正版 

 

 

 1.   小鶴津へ

 

高知の西南、志和漁港より山道を登る.

最初に訪ねたとき、麓でこの先に今も住人がいるのか尋ねたが、わからない、と言われた.

しかし、伊能忠敬が作成した地図にも、大弦津、小弦津、と記されている、古い村なのである.

やがて断崖の上に出る.

そこには、「雨天は危険なので通行禁止」の表示がある.

 

鶴津の表示

(道路の表示)

 

ここから断崖の中ほどを伝う.

 

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(断崖を行く)

 

(鉄板の道)

 

崖を削る余地がないので、岩と岩の間に鉄骨を渡し、鉄板を載せている.

ガードレールが曲がり、すっかり錆びたところもある.

ただ手入れはされ、舗装もされた.

向こうから来ると、すれ違いのためバック、ということもあり得る.

少し広いところもあるので、進退窮まることはない.

もっとも来る可能性はゼロに近い.

やがて行く手に入江が見えてくる.

 

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(断崖の中ほどが道路)

 

曲がりに曲がって下ると平地に出る.

三軒の家がある.

防波堤のある小さな浜もある.

 

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(小鶴津)

 

8年前は絵を描きに来た.

一 軒の裏手からの構図がよかったので、そこのおばあさんに断わって腰を降ろした.

おばあさんはウチのお母さんと話し始めた.

 

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(2007年.恥ずかしい!)

 

3時間ほど経っただろうか.

戻ってみると、ウチのお母さんは、疲れて頭が垂れ、半ば目が白くなっていた.

久しぶりに話しのできる人が来たというので、ずっと話していたという.

・ここには舟でお嫁に来た.

・子供は山を越えて学校に通っていた.

ある時忘れ物をして学校から帰ってきて、また山を登って行った.

・つれあいは自分がいないときに、乗っていたトラクターが倒れて下敷きになった.

だれも通らない.

夕方になってやっと発見された.

救急車が入れないので、途中まで軽で運び、中継して病院に行った.

このときは助かったが、しばらく前に病気で亡くなった

・息子と孫は遠方にいるが、ときどき帰ってくる

・町の保健師さんが週に一度来るので心配はない

・自分でも車でときどき買い物に出る

・崖から落ちた車もあるが、土地の者ではない

2015年、また会えるかと思いながら行った.

その家は板を打ち付けて閉ざされていた.

息子さんのところに行ったのだろうか.

それとも施設に入ったのだろうか.

スケッチした場所に、前には無かった新しいお墓がある.

10年ほど前に亡くなった男性の名が最後に刻まれている.

ご主人なのだろう.

辺りの家には人影がないし、畑には丈高く草が生えている.

しかし、植付が行われたところもある.

 

2.   大鶴津へ

 

大鶴津はさらに先の入江になる.

断崖で隔てられているので、行くにはひと山越えなくてはならない.

より狭く、落葉が重なり、軽でも廻り難いところがある.

転向は困難だから、もし崩れていればそのままバックで振り出しに戻ることになる.

バイクの男性に会った.

イノシシの罠を見回りに行った帰りで、昨日は80キロがかかったという.

「落石で裂かれるからパンクに気を付けて」と言われる.

やがて草原に出る.

昔は水田であったと思われるが、20年は耕作されていないのではないだろうか.

 

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(大鶴津)

 

廃屋がいくつかある.

8年前、海岸に近い一軒には住人がいた.

道沿いや庭に、きれいに石を並べて谷川の水を流し、小さな畑があった.

人影がちらと見えたように思った.

絵のポイントを探していたので、そのまま通り過ぎてしまった.

前のおばあさんの話では、おじさんが一人住んでいる.

小鶴津で酔っぱらって道の真ん中で寝てしまった.

車の邪魔になったが、起きないので、そのままにした.

今回行くと、誰もいなかった.

庭も畑も草に覆われている.

こんなことなら時間を取り、話を聞いておいたらよかったと思う.

しかし瓦屋根はきれいに葺かれ、周囲は整頓され、近くには新しいお墓がある.

昭和22年に14歳で亡くなった少女の名がある.

戦後の混乱期、病気だったのだろうか.

一方、95歳の男性もある.

詮索するようだが、最近に女性がない.

おじさんは独身だったのだろうか.

それとも別居していたのだろうか.

どこへ行ったのだろうか.

なぜ行ったのだろうか.

遠い地域に移ったという情報も聞くが.

お墓だけが、いろいろのことがありながら、ある一家が長い間ここで生活した記念碑として残っている.

最後の晩はどう過ごしただろうか.

また帰ってくると思っていただろうか.

それとも帰ることはないと考えただろうか.

お酒が好きだったから、波の音を聞きながら呑んだくれたのだろうか.

 

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岸にはだれもいない.

何もない.

 

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(大鶴津の海岸)

 

道はここで尽きる.

この先の海にも、山にも、道はない.

草原を戻り、山を越え、断崖を通って帰ることにする.

 

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(小鶴津へ戻る)

 

リンク:高知の離島・沖の島、鵜来島

    知られざる断崖と入江の大月

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(おわり)

2015年5月1日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一