33 高知の池川にあったカイコ団地.そして山岳ハイウエイ・大規模林道

昔の地形図には、蚕を飼う桑畑の記号があった.

地図を眺めていると、池川(現仁淀川町)の標高800mの辺りに、大規模な桑畑があることに気がついた.

何だったのか、今はどうなっているのか、訪ねてみた.

1972年に造成された、養蚕団地であった.

もう蚕を飼ってはいないが、残る人たちはいる.

そこには、交通量ゼロの、驚きの山岳ハイウエイ、大規模林道もあった.

 

2017年7月28日 修正版

 

 

ikegawatyou

(池川)

 

1.養蚕団地

 

池川から見ると、目指す集落、ツボイは山に隠れているが、尖った山の茶色と緑色の境界辺りである.

山道をどんどん上がって着く.

老婦人がエンジン草刈機の用意をしていたので、訊ねた.

 

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(ツボイの集落)

 

果たせるかな、ここは昭和47年につくられた養蚕団地の跡であった.

50人くらい住んでいたという.

棟割住宅が2棟ある.

 

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(養蚕の名残り)

 

ブランコ、鉄棒、滑り台もある.

下の集落から上がった人もいるが、各地から入植した.

蚕を飼っていた建物が何棟かあり、残っているものもあるし、崩れているものもある.

レールを引いて桑を運んだ.

年に5回繭をつくった.

標高が高いので、真冬は下からトラックで桑の葉を持ってきた.

先ほど上がってきたのは、まさに蚕の「命の道」である.

蚕が桑を食べる音が辺りに響いていた.

今は5人が住んでいて、牛を飼ったり、トマトをつくったりしている.

1980年代に生糸の価格が暴落したから、10年ほどしか活動できなかったことになる.

今も桑の木は少し残っているが、葉を取っていないから、随分背が高い.

 

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(トマトのハウス)

 

⒉.放牧地

 

桑畑はいま広大な放牧地になっている.

高知と牧畜など結びつかないように思われるが、結構各地で放牧が行われている.

地場のジャージー牛乳、地域ブランド牛肉が地元スーパーで売られている.

 

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(桑畑はいま放牧地)

 

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(牛たち)

 

冬なので、牛たちは長時間外には出ていないが、見晴らしの良い山上の牧場は、「アルプスの少女」の世界である.

 

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繋がれっ放しでロクに外に出ず、高価な餌でメタボに育った、とろけるような牛.

自然の中を歩いて牧草を食べて育つ、筋肉質?の牛、どちらが良いかだが.

以前室戸で、シャモ肉を売っていた.

闘鶏をやっていた土地であり、雄は負けた鳥だったのかもしれないが、おそろしく堅い.

しかしだしは抜群に濃厚である.

雌は安いのだが、ブロイラーとそう変わりはない.

池川にもすき焼きの店があるが、ツボイの牛だろうか.

 

3.水ノ峠

 

牧場をさらに進み、広い道路を横切って上がると、標高1,120mの水ノ峠に至る.

高知と松山を最短距離で結んでいた古い峠である.

ここはなかなか楽しい土地である.

ハム局の小屋があり、蝙蝠傘の骨を広げたような大アンテナがいくつかあり、電動ウインチで上下させる塔もある.

趣味の楽園である.

折から通信中と見え、コールサインの声が外まで聞こえてきた.

 

(峠のハム局)

 

4.大規模林道

 

「広い道路」と述べたが、完全2車線の道路が、山々の標高1,000mの辺りに存在する.

 

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(大規模林道)

 

延長は15kmくらいあるのではないだろうか.

ところが、両端はどこにも通じていない.

交通量は限りなくゼロである.

小田池川大規模林道である.

林道でも道路交通法は適用されるが、相当のスピードでぶっ飛ばすことはできる.

ただ大きい岩石が落下していたり、路面が窪んでいたり、希に工事のダンプが通るから油断はできない.

1969年に林野庁が策定した、土佐清水市から現いの町北部まで、山岳地帯を貫く延長188kmの幹線林道計画の一部なのである.

 

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(山々を縫って)

 

全線の建設はあり得ないだろうが、工事はわずかづつ続いている.

沿道に伐採地はあるし、ツボイの人も大勢働いたということだ.

 

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(新装なった2車線が続くが…)

 

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(突然に終わる)

 

ガイドブックめくが、大規模林道は、南北とも山の中で唐突に終わる.

しかし、終点の手前から、狭い林道で下れないことはない.

南はかなり狭い道で、舗装はされているが、吹き払われた杉や桧の葉が散り敷き、ほとんど車の通った跡がない.

しかし崩れてはいない.

何しろ標高差800mを下るので、下りても下りても、曲がっても曲がっても、谷底が見えてこない.

しかし、やがて峡谷の北川に出て、さらに下ると中津渓谷に至る.

北は、大規模林道がかなり下っていることもあり、標高差600mくらいで用居に至る.

 

5.池川

 

池川は昔、松山街道の宿場であった.

仁淀川沿いに国道が開削されて置き去りになった、馬篭や大内と同じ境遇の町である.

民宿に泊まった.

二間続きで、窓の下は清冽な流れが音を立てている.

1泊朝食付きで一人5,500円.

夕食は町に出て食堂兼居酒屋に入った.

5時を回ったところだったが、すでに出来上がっているおじさん、おばさんたちが居た.

「池川の顔ではないね」などと話しかけられた.

3、40分共に居たが、聞き耳を立てたわけではないが、大声がよく聞こえる.

しかし、その間理解できたのは、おばさんの「やかましい.大声を出して」だけであった.

いったい何で盛り上がっているのか、わからず仕舞であった.

朝は霧であったが、中天には三日月と星が出ている.

 

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(民宿の部屋から)

 

宿では夕食を部屋まで運んでくれるようで、そうすると民宿と旅館の違いは何なのだろうか.

旅館は布団を敷いてくれる、民宿は自分で敷く、ということだろうか.

発つとき、老おかみが、昨日の夕食の献立はこうこうであったと残念がった.

オーベルジュでもあるらしい.

 

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(おわり)

 

2015年12月30日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

32 JR四国のバースデイ切符で四国東部を回る

JR四国にバースデイ切符がある.

誕生月に3日間、10,280円で、四国内の特急グリーン車が乗り放題になるお得な切符である.

最寄駅、土佐くろしお鉄道(切符に含まれる)夜須を出発して、高松、徳島、室戸と、四国の東半分を1周した.

ただし、阿佐海岸鉄道と室戸岬を回るバスは、料金が別になる.

朝7時に出発し、夜7時に帰った.

 

(2017年3月14日 修正版)

 

 

ごめん・なはり線 夜須714発、後免736着

 

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(通学生の朝)

 

普段は1両だが、通学時は2両である.

よく晴れて青い海が広がっている.

スマホをいじったり、ノートを広げたり、通学生たちに朝日が射しこんできた.

 

土讃線 後免809 発 南風6号 宇多津955着

澄み切った冬空の下、凛とした空気をついて列車が次々やってくる.

朝の駅は、通勤、通学客で活気がある.

乗車する特急がやってきた.

グリーン席に落ち着いたところで、急坂をぐんぐん登る.

昔は蒸気機関車が前後について、「なんだ坂、こんな坂」と喘ぎながら登ったのであるが.

 

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(高知工科大学付近の坂を上る)

 

今朝は冷え込んだ.

大歩危、小歩危の辺りでは、水温より気温が低いのか、激流の飛沫から湯気が上がっている.

 

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(小歩危)

 

予讃線 宇多津1020発 いしづち10号 高松1038着

電車の世界にやってきた.

ディーゼル車のおかげで早く来れたのだが、やかましいことはやかましい.

欧州のように、機関車が引けば静かだろうが、急勾配、急曲線では無理がある.

 

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(場内よし!)

 

町に出た.

兵庫町商店街、県庁の辺りはうどん激戦区である.

セルフうどんは各地に展開され、手軽な昼食として愛用する.

しかしおおむね全国的外食チェーンによるものである(讃岐風ネーミングはあるが).

さすが香川では地元店が強いが、なんとなく庇を貸して母屋を取られた感がしないでもない.

 

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(高松の商店街)

 

高徳線 高松1206発 うずしお11号 徳島1304 着

途中、讃岐白鳥は手袋の産地で、工場や販売店が多い.

以前「これは石川遼の手袋をつくっている職人のものですよ」などというので、思わず買ったことがあった.

車窓で気が付くのは、ソーラーパネルを設置した土地がどんどん増殖していることである.

今や日本の田園風景をつくる要素の一つと言ってよい.

地主の遊休地が利益を生んでいるのだが、小さな土地に無秩序に広がる状態は、景観としていかがなものか.

 

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(播磨灘を見下ろす)

 

大坂峠のトンネルを抜けると徳島県で、蓮根や鳴門金時 の畑が広がる.

徳島で昼食し、ワインなど飲む.

鉄道旅行のよいところで、車の運転ではこうはゆかない.

 

牟岐線 徳島1420発 むろと6号 牟岐1531着

牟岐線は海岸線に沿ってはいるのだが、海が見えるのはわずかで、ほとんどは山の中である.

特急はここで終わり.

日が傾いてきた.

 

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(牟岐駅)

 

牟岐線 牟岐1607発 海部1621着

阿佐海岸鉄道 海部1627発 甲浦1638着

牟岐からは山が海に迫り出してくる.

工事が困難であったため、最近につくられた区間で、新幹線的にトンネルが連続する.

海部でJRが終点になり、阿佐海岸鉄道に乗り換える.

 

海部

(阿佐海岸鉄道 海部.左はJR)

 

といってもレールは連続している.

もともとこの線区は室戸を回って高知に至る計画であった.

しかし国鉄時代に中止になり、工事が進んでいた部分を第3セクターとして運営しているのである.

巨額の費用を難工事に投じて、延長されることはもうないであろう.

室戸でも鉄道への「悲願」の声は聞かれない.

270円を支払う.

 

高知東部交通バス 甲浦1644発 奈半利1832着

終点、甲浦では2人が降りた.

町外れで周辺には何もない.

こんなところでバスに置いてゆかれたらどうしようもないが、一人の老婦人がベンチにいるので、まだ来ていないようだ.

間もなくバスがやってきた.

 

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(甲浦駅)

 

ここから海岸の道が続く.

この道がなかった時代、お遍路さんは波打際を歩くしかなかった.

バスの高い位置から見ると、改めてその厳しさがわかる.

 

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(室戸への道)

 

転がっている岩石を絶えず登り下りする.

大きい波にさらわれる危険もある.

しかし今でも危険はある.

歩道のない場所がある.

人家がなく、交通量が少ないので、車は70、80キロと飛ばしている.

白い遍路装束は目立つので、交通事故防止には役立つが.

この時間になると、歩いている人も、バスに乗ってくる人もいない.

ところどころにある民宿には明るく灯がともっている.

 

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(室戸の残照)

 

室戸岬を回るころ、西の空だけが赤い.

このバスは通学バスを兼ねていて、途中室戸高校に寄り道する.

十数人の高校生が乗ってきた.

女子生徒は一人、また一人と集落で降りて行ったが、数名の男子高校生は、後部座席に陣取って、大声で他愛のない話をしている.

これは懐かしい光景である.

昔、高校生の下校時に汽車に乗り合わせると、体をぶつけあってふざけたりで大変騒がしかったが、今はスマホで静かである.

 

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もっとも揺れるバスではスマホはやり難いのかもしれない.

彼らは奈半利の町で降りた.

1時間の長いバス通学である.

 

ごめん・なはり線 奈半利1835発 夜須1917 着

バス代2,340円を払い、鉄道に乗り換えて、出発した夜須に戻った.

赤いテールランプを光らせて列車は去る.

 

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(おわり)

 

2015年12月25日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

31 高知のシルクロード、越知の別世界、黒森山上の集落に行く

日本各地の野でも山でも、養蚕は農家の大きい仕事であった.

蚕を飼い、繭を育てた山の集落は、いまどうなっているだろうか.

繭を背負って山を上がり降りした、高知のシルクロードを辿る.

高知の西北、越知町から山を登る.

黒森山の中腹の標高500mに広がる、日ノ浦、稲村の集落を訪ねた.

眺めは素晴らしい.

ここは、山上の別世界である.

 

2017年3月29 日 修正版

 

 

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(仁淀川・浅尾の沈下橋)

 

1.あじさい街道

 

黒森山に上がるには、東西二つのルートがある.

東は、浅尾橋付近の、廃校になった中学校近くから山道に入る.

 

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(元小学校のプール)

 

上がって行くと、やはり廃校になった小学校がある.

学校のプールは空中にあり、コンクリートの高い橋脚の上につくられている.

昔は子どもたちの歓声が山にこだましたことであろう.

今は鯉が泳いでいる.

最近に廃校になった学校は、どれも鉄筋の校舎、体育館、広い運動場、プールが備わっていて、ハコモノとして力が入れられてきたことがわかる.

この辺りから「あじさい街道」になる.

地元の方が、延々10kmに渡って植えたアジサイが連なっている.

 

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(西側から見た日ノ浦)

 

標高500m辺りに、黒森山に連なる山腹を巡るように、点々と集落がある.

南向きで日当たりはまことに良い.

毎年、季節に神社境内で「あじさい祭」が開かれていた.

高齢化のため、準備ができず中止となった.

祭は宴会と同じで、そのときは賑わうのだが、それで儲けが出るというものではない.

主催者の苦労は大変なものである.

しかし、道のアジサイは今も手入れされている.

 

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(日ノ浦.彼方は黒森山と稲村集落)

 

⒉ 山上の集落群

 

山では桑や三椏を主に栽培していたが、水田も希にある.

文字通りの「棚田」で、よくこれをつくり、維持してきたものと思う.

それだけ米への思いが強かったのだろう.

野菜もつくられている.

シカに食べられないのか、道路を調査していた町の職員に訊ねた.

ここにはイノシシはいるが、シカはいない.

イノシシのいるところにはシカはいないし、シカのいるところにはイノシシがいないものだそうだ.

 

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(日ノ浦のお宅)

 

老婦人が日向ぼっこをしていたので、しばらく話をした.

家の前にある巨岩の割れ目から見事に松が生えている.

この辺りは都合のよい割れ目があると見えて、上の斜面の岩からも松が何本も生えている.

樅の幹はすっかり空洞になっているが、すっくと立っている.

富豪は、豪邸の庭に、と考えるだろうが、移植は無理というものだ.

ヤマガラが何羽も来て、ぶら下げた皿の餌をつつき、山から引いた流れの水を飲んでいる.

ネコもいるのだが.

空家もあるが、定年になったら帰るという人もいるし、茶の手入れにときどき来る人もいるという.

週二日、移動スーパーが来る.

風呂は太陽熱温水器でまかなえるから、薪を割らなくてもよい.

一日2回、町の無料の「患者バス」があり、通院証明書があれば乗れる.

すれ違ったが、乗客はなかなか多かった.

地元でつくったヘリポートもある.

 

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(生姜の採り入れ)

 

今は山椒、生姜、ゼンマイがつくられている.

漢方薬の企業と提携して、薬草も栽培されている.

 

3.山上の眺め

 

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(稲村の夕暮れ)

 

陽が傾き、みんな家に帰った.

狭い谷間に多い棚田の景観とまた違って、広がる眺めはどこからでも素晴らしい.

ここまで上がるのはちょっとした登山だが、上がれば高低差のない山腹を巡るウオーキングは楽しい.

外国人に喜ばれる日本の山村である.

先ほどの職員に訊いてみたが、「以前外国人に道を尋ねられたという人はいたが」ということであった.

外国人ならずとも、ここで泊まることができれば、なおよい.

東側のあじさい街道は昔からの道で、狭く屈曲が多い.

一方、西側の道は新しく、1.5車線あり、カーブも緩い.

20分ほどで上がることができる.

高知市内から1時間半ほどで到達できるのである.

 

4.越知の町

 

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(越知の旅館)

 

山を下りて、越知の「谷脇旅館」に泊まった.

越知は昔から松山への交通の要所である.

黒森山も旧道が通っていた.

築80年、部屋の造作はなかなかのものである.

朝食付き一人5,100円.

都会の格安ビジネスホテルと同程度だが、次の間付きで、占有面積は比較にならない.

廊下の鏡には「サクラビール、ミヨシノサイダー」の文字が入っている.

サクラビールは昭和18年に統合されているので、建築当初からあるのだろうが、剥がれもなく立派なものである.

風呂にでも入ろうかと思うが、おかみさんはどこに行ったのか、所在不明である.

廊下を見当をつけて行ったところ、風呂場があり、沸いていたので勝手に入る.

大分後で「風呂が沸いています」と顔を出してくれた.

気ままな下宿である.

 

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(早朝の越知)

 

休憩後、夜の街に出た.

入った居酒屋「狩女」では、ちゃんこ鍋を勧められた.

一人前2,900円.店員さんの話では、これで三人はゆけるという.

実際二人では、おじや迄たどりつけなかった.

力士の一人前なのかもしれない.

「ちゃんこは越知に限る」と引き揚げた.

テイクアウトして、山の上に宿があって、囲炉裏に掛けて味わえられれば最高だが.

 

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(おわり)

 

2015年12月12日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

30 1年で7mm高くなる室戸岬と海岸段丘.室戸の魚

高知県民にとって、室戸はシンボル的な土地である.

初日の出には、暴走族を含めて、たくさんの人が押し寄せるので、交通規制が敷かれる.

「室戸貫歩」という催しが秋にある.

高知大学空手部が始めた行事だが、キャンパスから室戸まで、約90kmを歩き通す.

一般人も可で、500人が参加し、思い思いの服装やグループで歩いている.

また、室戸岬は、地殻変動観測の最前線である.

1年に7mm沈みつつあり、限度に達して跳ね返ると、地震になる.

 

(2017年3月29日 修正版)

 

 

1.室戸と台風

 

(室戸岬)

 

高知に住んでいると言うと、「台風は大変でしょう」ということになる.

中でも「台風イコール室戸」という印象がある.

しかしその理由は、室戸の被害よりも、大阪への影響から来ている.

台風が室戸岬の東を通り、紀伊水道を勢力が衰えぬまま北上すると、大阪に大被害をもたらす.

これらの台風が、室戸台風、ジェーン台風、第二室戸台風、とネーミングされてきた.

 

2.高速隆起

 

高知市から室戸に行くと、2回はだまされる.

「あっ、室戸が見えた」と思うが、これらは羽根岬と行当岬である.

みな室戸岬と形が似ている.

 

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(羽根岬と行当岬.先を回ると室戸岬)

 

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(26番金剛頂寺から見た室戸岬)

 

各岬の上は標高約170mの台地になっている.

海底から隆起してできた海岸段丘である.

室戸岬は次の特徴がある.

1)隆起の速度が異常に早い

地域全体を平均すると1,000年で2mだが、岬はもっと早い.

2)沈降と隆起が規則的である

室戸の沖150km、水深約5,000mで、南からのプレートが日本のプレートの下に潜り込んでいる.

南海トラフである.

そのため、日本のプレートは引きずり込まれて、陸地は沈み込む.

年間7mmの速度である.

しかしある限度に達すると、耐えられなくなり、一気にはね返って跳び上がる.

南海地震である.

長年かけて沈んだ以上に押し上げられ、差引きで隆起する.

地震の周期は100から150年である.

このような規則性は他の土地では見られない.

したがって、精密に大地の動きをモニターすれば、活動に推測ができるとされる.

 

3.室戸岬

 

このような結果で、室戸岬周辺は、最近に深海から上がってきた、各種の異様な岩石で満たされている.

 

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(御蔵洞)

 

室戸岬を東に回ると、弘法大師・空海が修行をされたという、御蔵洞がある.

洞内から外を見ると、まさに空と海で、「空海」の名が実感できるというものである.

空海の頃は波打際に近かったが、今はかなり上で、その時代から1200年で、6ないし10m隆起しているらしい.

これは相当に異常な値である.

 

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(岬の東、海洋深層水汲上げ施設)

 

岬の東側は特に急傾斜である.

この傾斜がそのまま海底1,000mまで続いている.

深海がすぐ傍にあるのだから、金目鯛などの深海魚がよく獲れる.

水深370mで、海洋深層水が汲み上げられてもいる.

一般に急傾斜地は次第に浸食されて緩やかな勾配になる.

ここではその暇なしに(ときどきは崩れるが)どんどん隆起している.

 

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(室戸・津呂港)

 

4.室戸の港

 

室戸には、岬に近い津呂と、室津の二つの港がある.

室戸は元来、捕鯨と共にマグロ遠洋漁業船の基地であり、津呂も大堤防とともに拡張されている.

ただ、冷凍倉庫など大型施設の設置が困難であり、今では大消費地に近い港に基地が移ってしまった.

マグロはえ縄のハイテク漁労機械をつくっているI 鉄工所は健在である.

はえ縄は、幹綱が大阪-岐阜間に相当する150kmの長さであり、そこに50m間隔で長さ30mの枝縄がついている.

枝縄に餌の魚を付けるのは人がやるが、勢いをつけて海に向かって振り出さなくてはならない.

急回転・停止を行う、特別な大型サーボモータが使われている.

また150kmの綱を適当に引き上げると、からまってどうにもならなくなる.

そのため、コンピュータ制御で、綱を順次規則正しく折り返して、槽内に収めるようになっている.

 

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(室津港)

 

室津は、陸地を掘りこんで江戸時代につくられた姿を残している.

地震の都度隆起すると、船が入れなくなり、その分毎回掘り下げられてきた.

岸との高さの差が隆起の大きさを示している.

 

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(25番 津照寺)

 

港の前に札所の寺がある.

漁の安全を祈り、また遭難者を弔う石碑の多い港の寺である.

連絡の手段がなかった昔、全員の遭難で、いくら待っても帰らなかった舟も多かった.

漁師と家族の嘆きを、お大師様が聞き受けているのがこの寺なのである.

山門は派手である.

しかしこれは、海に沈んだ人は、今このように美しい竜宮城で暮らしていますよ、ということではないだろうか.

 

5.室戸で食べる、飲む

 

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(室戸の魚屋)

 

港の近くには魚屋がある.文字通りの「室戸直送」である.

 

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(港の横丁)

 

横丁に入ると、料理屋、寿司屋、旅館が並んでいる.

 

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(港のスナック街)

 

さらに裏通りは、スナック、バー街である.

ノア、エルメス、進出、風蘭…

看板があっても半分は店を閉めているということだが、半分でも大したものである.

昔は札束で懐を膨らませた漁師で、大変な賑わいだったそうだ.

料理屋で室戸の魚をたらふく味わい、近くの旅館に泊まる.

2次会のスナックにも事欠かない.

 

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(おわり)

2015年12月3日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

29  盛んであった高知の生糸産業.今はどうなっている?

明治では、生糸は日本の輸出の50-70%を占める、最重要な産業であった.

高知でも大変盛んであり、繭から生糸をつくる、いくつかの大きい工場があった.

蚕は農家で飼われるが、ひたすら桑の葉を食べて、やがて繭をつくる.

1匹の蚕は、1,500mの糸を吐き出す.

糸は織られて絹となり、着物となる.

ナイロンの出現まで、絹は女性のストッキングの材料でもあり、世界中で使われた.

高知の農家を支えた蚕はどうなっているのか、元の産地を訪ねてみよう.

 

2017年3月29日 修正版

 

 

1.集落群

 

(黒森山と稲村)

 

1/25,000地形図を眺めると、高知の中北部、仁淀川流域の山間部には、特別な集落群が形成されていることに気付く.

標高の高み、山の中腹のあちこちに集落が点在している.

一か所にかたまっているのではない.

仁淀川は断崖が連続しているので、川岸に道や集落をつくることは困難である.

したがって山に上がることにはなる.

傾斜が多少緩いところにつくられているが、ここまで高いところでなくても、という気がする.

ここまで散らばらなくても、とも思う.

互いの集落を往き来することも大変なのである.

何を仕事としてきたのだろうか.

下から眺めると、標高1,017mの黒森山中腹に、そのような集落の一つ、鎌井田が見えた.

桑畑をつくり、養蚕を仕事としてきたのである.

 

⒉.蚕から繭へ

 

麓の越知に蚕糸資料館がある.

 

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(越知の資料館)

 

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(蚕の発育:奈半利資料館)

 

蚕は桑の葉しか食べない.

小学校のとき、夏休みに蚕を飼ったことがあった.

朝昼夕、絶えず葉を取ってこなくてはならない.

最近まで、国土地理院の地形図には、桑畑を示す記号があった.

生糸が重要であった時代、高知はもちろん、日本全土に桑畑が広がっていたのである.

 

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(蚕を育てる農家:越知資料館)

 

蚕は4回脱皮を繰り返し、孵化後25日で繭をつくり始め、3日で完成させる.

生き物だから、病気もあるし、発育不良もある.

立派な繭ができたときには、牡丹餅をつくってお祝いをしたという.

「お蚕さま」は生活を成り立たせる、神から授かった生き物であった.

出来た繭は籠に入れ、背負って山道を工場に運ぶ.

 

3.山上の集落

 

(鎌井田清助)

 

桑は、水田や畑作が困難な、高知の急傾斜の山地に適している.

また、養蚕は個人的な仕事であり、共同作業を必要としない.

家々が孤立していてもよいのである.

 

4.   高知の絹産業

 

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生糸と絹は弥生時代からつくられてきた.

江戸時代、すでに生糸は輸出商品になっていた.

しかし、当時は家内生産で、品質、数量が安定しなかった.

明治新政府は、有力な財源として生糸に着目した.

当時技術の中心であったフランスのリヨンからお雇い外国人を招き、明治5年に官営富岡製糸場を設立した.

翌年、岩崎弥太郎が同様の試みを行っているが、成功には至らなかったという.

高知では、近代養蚕発祥の地は土佐山田である.

明治10年に桑園伝習所が設けられ、技術の向上を目指した.

これを引き継いで、同地に蚕業試験所がつくられているが、現在は閉鎖されている.

 

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(土佐山田の元蚕業試験所)

 

明治30年に越知、明治34年には、現在の高知工科大学に近い、片地に製糸工場がつくられた.

奈半利の藤村製糸は大正6年の創業であるが、2009年当時、その工場はそのまま残っていた.

清掃が行き届き、作業の標語や、250人いた従業員の名札もそのままである.

いまは昼休みであり、電気を入れればすぐ動き出すようにも思われた.

案内してくれた先代の社長に、保存してゆくのか訊ねたが、「富岡があるしね」ということであった.

 

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(藤村製糸工場、2009年撮影)

 

その頃、ブラジルに工場があり、某有名スカーフの絹もつくっていた.

現在はすべて操業を止めているが、跡地に資料館があり、機械の一部が保存されている.

 

5.蚕業の現在

 

生糸、絹の生産は1980年代に著しく縮小したが、いまなお関東を中心に生産が残っている.

他地方でも、地域おこしで進めている町村もある.

農林省生物資源研究所、各地の試験所、メーカでは研究が続けられている.

長野では、別の個体である薄緑の山繭がつくられている.

クヌギなどの葉を食べるので、ハウス内の樹木で育成されている.

高知ではアート、趣味で蚕を育て、絹をつくっている人たちがいる.

業としての養蚕は、ただ1軒だけ残っているらしい.

繭というと、親指大の白い塊を思い浮かべるが、明治以前では小指大であった.

大きくなったのは、機械化、生産性向上のための品種改良の結果である.

しかし、繭が小さいほど糸は細く、繊細ではある.

昔の品種の代表は「小石丸」であるが、今は皇居と資源研究所のみに残っているという.

皇居では、皇后陛下が加わられて蚕が育てられている.

いま「新小石丸」など、DNA操作によって蚕の新品種が生まれているようだ.

人工飼料の入った、「養蚕体験セット」も売られている.

 

関連記事リンク:越知、山の天空の郷

        池川、カイコと大規模林道

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(おわり)

 

2015年11月14日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

28 高知の酒を訪ねる.三原、吉川のどぶろく.芸西、山田の蔵元

高知の酒として、土佐鶴、司牡丹が全国銘柄だが、計18の蔵元がある.

加えて、最近では「どぶろく特区」が容易に設定できるようになり、高知の各地でどぶろくがつくられている.

飲む楽しみが増えて、うれしい限りである.

どぶろくの産地、三原、吉川と、土佐山田などの酒蔵を訪ねてみよう.

 

(2017年3月24日 修正版)

 

 

1.三原

 

三原村は、四万十川河口の中村と、海に面した宿毛との中ほどを、山に入った台地の上である.

トマトの大工場がある.

一日の温度差が大きい清涼な気候で、水もよく、「三原米」として売られている米もよい.

その特質を生かして、特区の設定が可能になった2004年からどぶろくがつくられてきた.

 

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(三原村)

 

どぶろくは個人がつくるもので、7軒で醸造されている.

道の駅で買うこともできるが、やはり現地で農家を直接訪ねて、話しながら買う方が趣がある.

地図や道標があり、醸造を行っている家には幟が立っているので、迷うことはない.

大体は主要な道沿いにあるが、山道を辿る少し遠いところもある.

7軒全部を訪ねたが、1軒だけはいつ行ってもお留守で、まだ全軒制覇を果たしていない.

 

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(どぶろく 桂)

 

「桂」醸造元で、たまたま出会ったご主人は、「つくるのは家内で私は何も」と言っておられたが.

足摺岬の金剛福寺から宿毛市の延光寺まで、三原村を遍路道が通っていて、お遍路さんによく出会う.

50km以上の山間の道のりになり、途中宿泊が必要なので、どぶろく醸造元で民宿を行っているところが多い.

 

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(どぶろく 川平郷)

 

多くの家では甘口、辛口、両方のどぶろくをつくっている.

 

⒉.吉川

 

どぶろくの醸造というと、密造というわけではないが、何かしら奥深い山の中を連想する.

ところが、高知空港の近くでもどぶろくはつくられている.

その工房はコンクリートブロック工場の中にあった.

率直に言って、工場の現場事務所の印象である.

 

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(吉川のどぶろく工房)

 

4年前に始めたが、3年連続して全国どぶろくコンクールの金賞を受賞しているという.

すべてに徹底してこだわる主人が目指すのは、斯界最高のどぶろくである.

吉川は物部川河口で、米もよい.

それを精米歩合50%に研ぐ.

まさしく大吟醸である.

最初、某所の岩から滴り落ちる水を考えたが、湧出が安定しないので、室戸の海洋深層水を使っている.

酵母は国の醸造研究所に行って、選定したということだ.

 

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(どぶろく工房のあるじ)

 

高いがたしかに大吟醸である.

マニアックに入れ込んだ成果である.

 

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3.芸西村

 

現在高知に18の蔵元があるが、かつてはもっと多かった.

昔は今の一升瓶による流通はなく、各自大徳利を下げて酒屋に買いに行くことが普通であった.

村々で酒がつくられていて、そこで買う.

住んでいる町でも、昔は蔵元があった.

今は住宅地になっている.

隣村には2軒あった.

1軒は健在だが、もう1軒はやめてしまっている.

やめた蔵元は「響灘」という銘柄であった.

酒蔵の象徴である煙突に名が残っている.

いい名前である.

醸造場は旧道からすぐ松林になり、向こうは荒波が寄せる浜である.

波の音が響いてくる場所なのである.

スコットランドのアイラ島では、ウィスキーの貯蔵所が海岸にあり、海藻のヨードの香がつくということだが.

 

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(かつての蔵元)

 

響灘の酒蔵は今も残っている.

国道に面した一部を使って、食料品兼酒屋が営まれているが、さすがに置いてある酒は吟味されている.

 

4.土佐山田

 

高知の蔵元は、東の奈半利から西の中村に至る各地に点在し、各地域を代表する銘柄になっている.

地域に密着する蔵元、生産は少ないが知る人ぞ知る銘柄、高知を代表する全国銘柄、などいろいろで、それぞれに特色がある.

土佐山田には2軒の蔵元が健在で、その一つが「松翁」である.

この地域はもともと林業を背景にした刃物の産地であって、秋に公園で刃物祭りが行われる.

その日のために「土佐打刃物」なる銘柄がつくられている.

売りの一つは濁り酒の「蔵酒」である.

白濁しているところはどぶろくと似ているが、軽度に濾過されているので、米粒は入っていない.

また発酵は止まっている.

分類は「清酒」である.

松翁の蔵酒は9月、早くも刈り取りを行った新米で仕込まれる.

毎年、地元新聞に「新酒の仕込み始まる」と、松尾酒造の社長が、蒸した米に麹を混ぜ込む姿が掲載される.

 

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(土佐山田の松尾酒造)

 

失礼ながら某県は、米もよい、水もよいが、どうもお酒はいまいちのように思う.

昔、「ビールは仕事じゃつくれない」という広告があった.

酒を造ることが好きで仕方ない、いい酒をつくりたい、という気合いが左右するのではないか.

日課だから、うまいのまずいのと贅沢は言わないが、同じ値段なら、おいしくないよりは、おいしい方が望ましい.

 

関連記事リンク:高知の呑み鉄・ごめんなはり線

                                  高知の酒の呑み方は?

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(おわり)

 

 

2015年11月1日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

-番外編- おはなし:「島のイノシシ」

(2016年1月6日 イノシシから聞いたおはなしです)

 

1.はじまり

 

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海にちかいある山に、イノシシの一家がすんでいました.

お父さんとお母さん、そして子どものイノ太郎とイノ子です.

ある日お父さんがいいました.

「なみがしずかになったら、みんなでずっとむこうにみえる島に、およいでいってうつりすもうとおもう.

よあけまえにでれば、ゆうがたにはつけるだろう」

みんなびっくりしました.

「え~.なんで?」

「いやだ、そんなの.

いっぱいいるともだちとわかれるなんて」

「べつにいま、たべものがなくてこまっているわけではないでしょう.

そういえばだいぶまえ、おじさんとおばさんが、そんなことをはなしておよぎだしたが、どうなったかしら.

そのごなんにもれんらくがないわ」

 

⒉.イノシシ父さんの話

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「イノシシとヒトは、ずっとずっとずっとむかしから、おたがいにちかくでせいかつしてきた.

つちの中から、むかしのヒトがつくったイノシシのおもちゃがでてきたそうだ.

ところが、さいきんヒトは私たちのたべものになる、くりやどんぐりの木をきりたおして、実がたべられないすぎやひのきをうえた.

そうするとわれわれはたべものがなくなって、ヒトの家のそばのやさいやおいもまでたべることになってしまう.

やがてヒトは、われわれをやっつけることしかかんがえなくなった.

でもヒトは気がついて、暗い森ではなく、明るい森が山くずれをふせいで、じぶんたちのせいかつをまもるのだとおもいはじめている.

ヒトもかわろうとしているが、われわれイノシシも、あらそいのないようにすむところを広げなくてはならない.

にげだすのではない.

いまのイノシシがしらない、あたらしいとちをさがすのだ.

いちにちおよぎつづけるのはたいへんだ.

でもだれかがやらなければならない」

 

3.海へ

 

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その日がやってきました.

お日さまがかおを出すまえ、みんなは海にはいりました.

「つめたいよう!」

子どもたちはひめいをあげました.

「さいしょはつめたいが、われわれの毛はあぶらがあって水をはじくから、すぐなれるよ」

そのとおり、しだいにリズムにのって、四本の足がうごきます.

お日さまがまうえをすぎるころ、島がだいぶ大きくみえるようになりました.

そのときいへんがおきたのです.

いくらいっしょうけんめいに足をうごかしてもすすみません.

おもっていたよりながれのはげしいところがあったのです.

すこしでもちからをゆるめると、島とちがうほうこうにながされてしまいます.

「足がうごかないよ~」

「あたまがあがらない~」

こどもたちは、とうとうお父さんにしがみついてしまいました.

いくら力のつよいお父さんでも、たいへんです.

うっぷ.

波がくるともぐってしまいます.

 

4. たすけ

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そこによってきたのが、クエ、グレ、イシダイの魚たちでした.

「イノシシくん.きみたちはなにをしているのかね」

「あ、あそこのしまに行きたいのですが、ご、ごらんのとおりで」

「そうか.それならこどもたちは、わたしたちがたすけてあげよう」

なにしろ、たいちょう1メートルいじょうで、きんにくもりもりの魚たちですから、イノシシの子どもなどかるいものです.

「さあ、つかまりなさい」

つかまらせてひっぱったり、下からおしあげてくれました.

おかげでながれの急なところをだっしゅつできました.

島のすなはまがみえてきました.

「もうだいじょうぶだ.ゆきなさい」

「ほんとうにありがとうございました.なんとおれいをもうしあげてよいやら」

イノシシの父さんも、母さんも、子どもたちも、心からおれいをのべたのでした.

こうしてイノシシのかぞくは島にじょうりくしました.

「ここはいいところだ.くりも、どんぐりも、やまいももおおい」

みんなとびあがってよろこんだのです.

イノシシはその場で2メートルはとびあがれるのです.

 

5.母さんイノシシのしんぱい

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そのとき母さんイノシシがいいました.

「でも、われわれがいいとおもう島には、ヒトもいいとおもってやってくるのではないかしら」

父さんイノシシは、あさでてきた山のほうをじっと見ていいました.

「むこうではヒトもすくなくなっているし、子どももいない.

まずやってくることはないだろう.

でもなにかのりゆうで、この島をりようしようとするかもしれない.

そのときはわれわれがじゃまになる.

てっぽうをもったヒトが、イヌをつれてやってくる.

イヌはわれわれをほえたてておいだそうとする.

そのときあわててにげだすとうたれてしまう.

そんなときは、にげずにイヌをじっとにらんで、よってゆくのだ.

そうするとイヌのほうがびっくりしてにげだす.

でも、なかにはとびかかってくるイヌもいる.

そんなときはキバでやっつけるしかない.

ないとはおもうが、子どもたちにもおしえておかなければ」

 

6.みんなのゆめ

父さんイノシシがいいました.

「みんなつかれただろう.

こんやはこの草の上でねよう.

あしたから、つちをほって木の実をうずめたり、どろのおふろをつくったりで、いそがしいからね」

みんな、こんなことをかんがえながら、ねむりました.

 

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父さんイノシシは

「さかなくんには、ほんとうにおせわになった.

どうおれいをしたものか.

そうだ、なかまがときどきつりあげられる、とはなしていた.

もしそんなことがあったら、つっているヒトを、うしろから、はなでつっついてやろう.

そうするとびっくりして、ちからをゆるめるだろうから、そのすきににげることができる.」

母さんイノシシは

「おじさん、おばさんはこのしまにおよいでこなかったようね.

もしここにきていれば、すぐにあいにくるだろうから.

でもべつのしまにいるなら、においがつたわってくるでしょう.

わたしたちのにおいも、べつのしまにすぐつたわるでしょう.」

イノシシはにおいで、たがいにつうしんするのです.

イノ太郎は

「きょうはたいへんだったが、おもしろかった.

ヒトのこどもも海をおよぐのかなあ.

でもまるいものにのっていたから、らくそうだ.

空に光るあそこにゆこうとするかなあ.

でもそれはたいへんだ.

とびあがってもすぐおちるからね」

イノ子は

「こまっているときには、たすけてあげなくてはね.

このあいだ、ヒトのおばあさんが、はたけでおいもをほっていた.

こしをまげたり、たいへんそうだった.

ほりかえすのを、たすけてあげたらよかった.

そうしたら、もしかして、おいしいおいもを、すこしわけてもらえたかもしれないね.」

 

なみはしずかに音をたて、そらには月がひかっていました.

 

(おわり)

 

2015年10月27日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

27 高知の離島、沖ノ島と鵜来島.だれが住む?何ができる?

高知にも離島がある.

西南端の沖ノ島と鵜来島である.

磯釣りで知られている.

宿毛から市営定期船が朝夕2便あり、約1時間で着く.

沖ノ島の母島、弘瀬の二つの港と鵜来島を巡る.

海が荒れた時は欠航になるが、昔と違って2,3日も続くことはないそうだ.

行きは白波が立っていて左右に揺れたが、荒れた道路を通るようなものである.

無重力状態で奈落の底に落ちるようなひどい揺れではない.

 

2017年9月4日 修正版

 

 

1. 定期船

 

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(宿毛片島港.右は80トン・アルミ合金の定期船、左は瀬渡し船)

 

市営定期船は離島の生命線である.

食料その他生活物資のすべてを運んでいる.

フェリーではないが、修理や車検に出す軽自動車も運ぶ.

 

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(左が沖ノ島、中は姫島、右は鵜来島)

 

沖ノ島がもっとも大きく、かつては500人以上の住民がいたが、今は150人ほどである.

鵜来島は約20人である.

四国西部の豊後水道に面した地域は、沈降と浸食で複雑な地形になっていて、半島や島嶼が多い.

その中で高知のこれらの島は最南端になり、太平洋に向かっている.

他にも姫島、蒲葵島などがあるが、断崖で囲まれ、小さくて水も得難いので無人島である.

さらに小さく、波に耐えて辛うじて残った、硬い岩盤からなる岩礁があちこちにある.

 

⒉ 沖ノ島 母島

 

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(沖ノ島 母島)

 

母島がもっとも大きい集落である.

何軒かある旅館の一つに泊まった.

夕食では、同席の客の釣果である、サバの刺身のお裾分けをいただいた.

夕暮れの港での生ビールはうまい.ジョッキを重ねた.

丁度秋祭りの日で、島を出た人や親戚も来て賑わっている.

神輿も出て、それぞれの船に祈願をする.

離れる人はテープで見送ってくれる.

 

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(出航する定期船)

 

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(母島から見た姫島)

 

母島からはいくつかの島が見える.

姫島が大きく、海面に女性が横たわったように見えるので、そう名付けられている.

手前は三ノ瀬島で、右の西洋の古城が海に沈んだように見えるのは水島である.

 

3.瀬渡し

 

これらの島や各地の岩礁は大物の磯釣りで知られる.

南からの黒潮がまず日本に当たるのがこの地である.

潮流に乗って遊弋してくる魚は多い.

しかも岩場は深い海底から塔のように突き出ている.

深みにすぐ糸を落とすことができる.

宿には1.26m、35kGのクエ、70cm、8.6kGのイシダイの魚拓があった.

20-25cmの小魚はリリースするよう、港に掲示してある.

 

(母島の夕)

 

釣り船というと、老練の船頭が小舟を操って、などと連想するが、今の瀬渡し船はそんなものではない.

40人ほど乗れるクルーザーで、中には1,000馬力級エンジン2基を備えた船もある.

舳先にタイヤが三つ重ねて付けられていて、そこを岩礁に押し当て、釣客は船首から岩場に乗り移る.

同じ岩礁に集中しては混乱するので、12隻ある船には日ごとに瀬が割りあてられている.

さらに一つの岩礁でも混雑を避けるため、下船前に釣客同士が自主的に場所を決める.

夜明け前、目覚めると何隻かいた船は、いつのまにか離れていた.

大馬力船ながら静かなもので、昔のように漁船のポンポンという音がするわけではない.

沖を見ると、岩場を照らして釣客を乗り移らせる船の明るいライトがいくつも見える.

 

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(家々をつなぐ石段)

 

沖ノ島にはこの時、2人の小学生と、5人の保育園児がいた.

2017年夏に、東京での「全国小さな音楽コンクール」に、沖ノ島小の6人が出て、2位に入賞した.

保育園から進学したのだろう.

この子たちが残り、伴侶を島外から連れて来れば、14人の人口は確保される.

当然ながらお年寄りが多い.

しかし、瀬渡し、接客を業とする若い人もいるし、島外から来て別荘風に住んでいる人もいる.

生活費は極限まで少ない.

大体店がないが、物品の共販所はある.

魚は漁師がくれるが、自分でも防波堤で釣ることができる.

月に1回くらい宿毛に行って、若干の買物をすればそれで十分である.

診療所があり、交代で医師が来ている.

山上にはヘリポートがあり、緊急の対応ができる.

石段を上がり降りする脚力は必要だが、逆にこれが日々のトレーニングになっているとも言えよう.

 

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(沖ノ島 弘瀬)

 

4.イノシシ

 

野菜は張り出したテラスに、わずかばかりの土を入れた前庭で育てる.

ここに立ちはだかるのがイノシシである.

せっかく育てた野菜を食い荒らす.

昔はいなかった.

本土に地続きの柏島から泳いで渡ってきたとされている.

柏島から沖ノ島までは直線距離で5.5km、間に小さな無人島があるので、「遠泳」の間で一休みできる.

小学生は以前は徒歩で登校していたが、イノシシが出るので今はスクールバスを利用している.

 

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(鵜来島.大きい建物は休校になった小中学校)

 

さらに沖ノ島から鵜来島は6.5kmあるが、その間には休むところはない.

しかしイノシシはこれを泳ぎ切って鵜来島に到着した.

小さく見える島を彼らはどうやって認識したのだろうか.

視覚なのか臭覚なのか.

なぜ荒海をついて渡ったのだろう.

一頭では繁栄しない.

イノシシに本土で食い詰めたとか、駆け落ちするとかの理由はないであろう.

志半ばにして体力が尽き、流されてしまったものもいるかもしれない.

生物には、いかなる難関があっても未知の領域に挑戦し、自己のテリトリーを広げるというDNAがあるのだろうか.

それが故に、人類はアフリカを出てマゼラン海峡まで達し、さらに太平洋を渡ってミクロネシアの島々に至ったのかもしれない.

 

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リンク:雨の日は通行禁止、断崖の大鶴津、小鶴津

    宿毛から柏島、断崖と入江

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(おわり)

 

2015年10月16日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

26 高知で外国人観光客の案内.市内では?本山の棚田は?

外国人観光客が増えている.

高知では、どこがおすすめになるだろう.

高知市内では?周辺では?

観光客もいろいろで、一泊100万円でも安いという富豪もいる.

山谷、釜ヶ崎の格安ホテルで泊まる人もいる.

1人から、数人のグループの旅行者を想定しよう.

 

2017年4月24日 修正版

 

1.外国人観光客の求めるもの

 

ベテランの日本旅行、次が条件になる.

1)京都、奈良、金沢は行ったので、違う感じのところに行きたい

2)ローカルな日本を味わいたい

2)日本的な城、神社仏閣に行きたい

3)ぶらぶら歩きで生活に触れたい

4)日本的な食事をしたい

5)日本的なショッピングをしたい

6)B&Bのベッドルームで快適に泊まりたい

中四国なら、岡山は後楽園、広島は宮島があるが、金沢と似た都市で新味がない.

松江は宍道湖、出雲大社に近いのはよいが、ぶらぶら歩きの魅力に欠ける.

松山は瀬戸の島々に近いのはよいが、岡山、広島と似ている.

高松は栗林公園があるが、金沢を越えるものではない.

徳島は阿波踊りの時には訪ねるべきだが.

ベストは意外に高知かもしれない.

 

2.高知市では

 

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(高知城から見た高知市街)

 

高知市の魅力である.

1)コンパクトで歩いて回れる.

路面電車を使えば、和紙の町や美術館に行ける.

後免から伊野まで乗れば、日本はこういうところなのか、日本人はこういう生活をしているのか、素顔が実感できる.

浦戸湾を船で巡ることもできる.

2)高知城に加え、五台山、善楽寺など、観光地的でないお寺がある.

京都では感じられない、お遍路さんの民衆信仰が実感できる.

3)商店街、スーパー、パチンコ、学校、病院、役所など、狭い範囲に集まり、異国のぶらぶら歩きに適している.

母国と違う仕組みばかりである.

パチンコなど、京都で触れた日本文化との相違に驚嘆する.

 

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(帯屋町の仏具店.エキゾチックな商品が並んでいる)

 

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(帯屋町のH店.和服でも洋服でもない、よさこい衣装が並んでいる)

 

4)レストランの中が見えるので、入り易い.

ひろめ市場、藁焼きたたき、屋台など、厨房と客の姿が見え、異国人にも料理が理解できる

5)ぶらぶら歩きでお土産が買える.

海苔(黒い紙を食べる?)、削り節(鉛筆の削りかすを食べる?)、青海苔(緑の粉が食品?)、

干椎茸(ポルチーニ?)、お多福ソース(パスタで焼きそば).

地元スーパーで買える.

ただしどこにも英語の看板と英語のメニューがない.

ミャンマーに行って、ミャンマー語しか書いていない店に入るようなもので、これは難しいのだが.

 

 

3.高知の田舎

 

高知市で、まず3泊4日は十分に楽しむことができよう.

その後である.

せっかく高知まで来たのだから、さらに日本のカントリーに行ってみたいという気になる.

条件は次の通りである.

1)鉄道で行ける(バスは知らない土地では乗り難い、左側通行の異国でレンタカーの運転は難しい)

2)清潔なホテル、旅館、B&B がある

3)町のぶらぶら歩きができる

4)食堂、パブがあって、気軽に食事ができる

5)ハイキング、トレッキングができる

 

高知市の近くでは、棚田のある本山、田井が挙げられる.

本山は「日本のもっとも美しい村」のガイドブックにも載っている.

 

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(土讃線大杉駅.しかしバス停はどこ?)

 

高知からJRに乗り、大杉で降りる.

直接町に入ることができればよいが、本山へバスがあるので、いいとしよう.

本山には旅館があるし、食堂、パブもある.

 

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(本山の旅館)

 

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(本山の横丁)

 

観光客にとって好ましい日本の辺境?である.

付近一帯は、怒田、八畝、吉延、伊勢川、高須、とそれぞれ趣の異なる棚田地帯である.

本山を基地にする、ハイキング、トレッキングにまことに好適である.

 

(棚田の秋)

 

棚田で、子どもを散歩させる男性に出会った.

棚田は圃場整理の結果、今の姿になっているという.

今の1枚は、昔の2,3枚ということである.

昔の棚田のサイズは想像を絶する.

 

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(キャンペーンガール、「棚田をよろしくね」)

 

棚田を歩き回り、お弁当を食べ、木陰で寝転ぶ、だれもが喜ぶ最高のロケーションである.

 

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4.おもてなしの現状

 

ただ、外国人観光客への仕組みは目下ゼロである.

・バス停標識には英語もローマ字もない

・バスを降りてもインフォメーションがない

・棚田には距離があるが、公共交通機関、タクシーを使った移動が不案内

・歩くためのマップがない

・持って帰れるお土産(棚田を耕す人の彫刻とか)がない.

もっとも、これらは日本人観光客に対しても同じである.

高知県民はみんな車で移動しているので、観光関係者も、観光客は車で来るものと思っている節がある.

そうではない.

都会の人が、レンタカーを借りて高知の山道を移動することは考えられない.

外国人観光客の前に、まず日本人観光客への配慮が必要かもしれない.

 

関連記事リンク:山の道と山の子ども

        秘境駅とかつ丼

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(おわり)

2015年10月6日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

25 高知はビヤホールで子供会?敬老会は呑み会?そして宴会の仕組み

高知のお酒は、居酒屋以外にもあちこちで展開される.

ビヤホールと敬老会を覗いてみよう.

そこには、他府県では絶対に見られない情景がある.

ビヤホールには子ども会があり、敬老会には盃の応酬がある.

さらに、宴会を盛り上げる遊びは、結局酒を大量に呑むことが目的である.

 

2017年4月25日 修正版

 

1.ビヤホール

 

(新阪急ホテル、ビヤホール入口)

 

夏の飲み会といえば、ビヤホールである.

高知も同様である.

普通ビヤホールというと、仕事帰りのサラリーマンが連れ立って、というイメージである.

しかし高知にはビジネス街というものがないので、普段の飲み会を屋上で、という展開である.

ビヤ庭園や、ビールの入れ方がうまいとされるビヤホールもある.

しかし、もっともポピュラーな場所は、新阪急ホテルの屋上である.

ホテルそのものは、高知を代表して格調が高い.

屋上ビヤホールも昔からなのであるが、これは極めて大衆的である.

ただ酔客がロビーでうろうろしても困るので、外から専用エレベータで上る.

入口で3,000円を払う.

後は飲み放題、食べ放題で、ビールは自動スタンドで銘柄を選び、自分で入れる.

食べ物はバイキングである.

ただあまりにも皆の飲む量が多いせいか、最近料理の質が落ち気味なのは残念であるが.

家族連れもあるので、子供は半額になる.

あるとき、やたらに子供が多い.

家族連れにしては多すぎる、

果たせるかな、テーブルに「××町子供会様」とあった.

もちろんビールは飲まないが、ソフトドリンクは飲み放題である.

バイキングには、子供の好きな、焼きそば、タコ焼き、唐揚げ、ピザがあり、フルーツ、デザートも食べ放題である.

ハタと膝を打った.

これは格好の夏休み子供会会場である.

しかしビヤホールで子供会とは、そもそも高知以外では思いつかないのではないだろうか.

 

⒉.身近な酔っ払い

 

地元新聞のキャラクターは、つなぎを着た大きいイヌ君である.

毎週、イヌ君と新聞社の女性にまつわる4コマ漫画が掲載されている.

その中でよく出るのは、プシュッと缶ビールを開ける、うー・酔った、などというシーンである.

キャラクターは子供向けのように思うのだが.

ことほど左様に、高知の子供は酔っ払い慣れしている.

反面教師になっているとも考えられる.

「またあんな馬鹿をやっている」

「大人になってもああはなりたくない」

他地域のように、呑めもしない酒を粋がって飲んで醜態をさらす、ということは少ないのではないか.

 

3.敬老会

 

毎年秋に、町内で市の主催の敬老会がある.

「後期高齢者」が招待される.

まずホールで、小学生の作文朗読、コーラス、地元伝統の盆踊り披露などがある.

その後折詰と1合瓶が配られ、福祉センターで懇親会を行う.

 

敬老会

(敬老会懇親会会場.ただし開会前)

 

出席しないと、民生委員の方が家まで届けてくれるので、お手数をかけては申し訳ないと参加した.

果たせるかな、予想通りこれはまさしく呑み会であった.

テーブルには既にビール瓶が置かれている.

何しろ年寄りばかりなので、全員揃うのに時間がかかる.

席に着いた者から呑み始める.

やがて開会である.

挨拶は「始めましょう.乾杯」の二言のみ.

直ちにカラオケが始まる.

応酬も始まる.

毎年のことであり、福祉職員の方も慣れたもので、次々とビールを運んでくれる.

潤沢に用意されているようで、この辺りで、などというようなことはない.

順次、燗をつけた大徳利が各テーブルに運ばれてきて、宴会はますます盛り上がる.

わしはこれでなければ、とペットボトルに詰めた持参の焼酎を取り出す人もいる.

ついにお開きとなる.

しかし各地に送ってくれるマイクロバスに、誰一人として、足がふらついて乗るのに難儀することがないのは、さすがである.

 

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4.宴会グッズ

 

正統的?な宴会では、座を盛り上げる仕組みがある.

1)箸拳

3本の箸を相手に見られないように背後に隠し、相手はその本数を当てる.

負ければ盃の酒を干す.

芸妓さんが相手のイメージだが、スポーツ的な地域の大会もある.

先日ある地区で、中学の女子生徒が優勝したそうだが、まさか酒がかかったわけではあるまい.

2)可く杯

ひょっとこ、おかめ、天狗の三つの盃とコマがセットになっている.

「べろべろのー神さんは 正直な神さんで…」(節回しは料亭で訊ねていただきたい)

と囃しながらコマを回す.

コマの各面には絵が描かれていて、止まったコマの先が指示する人はその絵の盃で飲む.

天狗は大きく、半合あまり入る.

子どもは牛乳やジュースで飲むとゲームになる.

 

べく杯

(べく杯.天狗を飲み干す)

 

3)菊の花

人数分の盃を用意して逆さにする.

一つだけ、親が花びらを入れておく.

「菊の花、菊の花」と囃しながら、一人づつ表返す.

花が入ってなければ酒を注ぐ.

順に返すが、出れば、それまで入れられた分を全部飲み干す.

 

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(菊の花)

 

いずれにしても、高知の宴席の仕組みは、大量に酒を呑み干すようになっている.

 

リンク:高知の居酒屋三つ

    高知の酒の飲み方教えます

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(おわり)

 

2015年9月27日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一