梼原は、1,500mクラスの山に囲まれた高知県の西端にある.
雪国で、寒波の厳しいときには3、40cm積もる.
龍馬脱藩の地である.
高知市から車で2時間近くかかるので、ひどく辺鄙な土地のように思われている.
しかし、実際は海岸の宇和島に近く、昔は海と山で隔てられた高知市より、ずっと開けた土地であった.
2016年1月 初版
2018年5月16日 修正版
1.梼原
(梼原の町)
梼原の歴史は平安時代まで遡る.
木材は産出するが、特別に多いわけではない.
薪炭も生産されるが、木材同様、大きい川がないので搬出には不便である.
点在する山村の中に、藩の機関、庄屋が集まって生まれた行政の町である.
梼原出身の方が話していた.
まとまった買物は高知の須崎か、愛媛の宇和島に出た.
どちらも等距離であり、瀬戸内の大洲にも近い.
高知でもなく、愛媛でもなく、山の中の独立国である.
⒉.梼原と高知
梼原は高知市より宇和島に近い.
宇和島は今でこそ陸路行き難い土地だが、海路が中心であった昔は交通の要所であった.
それ故に先進的な地域であった.
蒸気船の建造も手掛けたし、西洋医学も入ってきた.
英米の艦船も薩摩と共によく立寄った.
一方、梼原から山を越えた長浜港は、長州が対岸である.
梼原には、薩摩、長州、外国の情報が詳しく入ってくる.
幕府の政治、土佐藩の農民への苛斂誅求、これではどうしようもない、ということになる.
革命気運が生まれる.
梼原は志士たちの土地となった.
梼原が辺境なのではなく、高知が辺境なのである.
(志士・吉村虎太郎像)
3.龍馬の脱藩
坂本龍馬は、革命家として行動すべく、1862年3月24日、脱藩の行動に出た.
本街道は通れないから、それまでの脱藩者と同じく、革命の拠点、梼原を目指し、そこから国境を越える.
突発的な行動ではなく、一党の周到な計画と準備のもとに実行される.
辺りが暗くなった頃、龍馬と、すでに脱藩していた(不法入国者である)沢村惣之丞の2名が城下を出た.
町外れまで1名が護衛する.
梼原まで65km.当時一日40kmを歩くのは普通であったし、比叡山・千日回峰の行者は連日84kmを歩く.
トレイルランニングで直行できないことはないが、暗い山道は足元が悪い.
峠の麓になる佐川は、アンチ山内の土地だったので、夜遅くアジトに着き、小休止後夜明け前に出立したのではないか.
25日、梼原に到着.
26日、那須俊平、信吾と共に標高950mの韮ヶ峠に向かう.
(韮ヶ峠へ)
土佐、伊予の境界で、ここを越えて脱藩となる.
信吾は吉田東洋暗殺のため、引き返す.
(雪の韮ヶ峠)
いくつかの峠を越え、途中宿泊.
27日、内子で川船に二人を乗せ、俊平は戻る.
河口の長浜港でシンパの家に入る.
28日、長州に向け、船が出る.
息をつかせない連係プレーである.
4.龍馬脱藩の道
高知から脱藩ルートを踏破する人もいる.
街道は時代で次のように分類される.
1)徒歩の道
龍馬の頃はこれである.
かぼそい山道で、峠はいかに傾斜が厳しくても直登、直降である.
今はほとんど廃道になって、通行不能である.
2)明治の車道
明治になって牛馬車を通すため、傾斜の緩い車道がつくられた.
峠はくねくねと曲がる「羊腸の小道」である.
(布施ヶ坂、茶畑の中の旧道、向うは現在の国道)
最近までトラックやバスが通っていた.
巾が狭いので、行き違いのときは、女車掌が笛を吹いてバスをバックさせる.
時間はかかるが、今も歩くことができる
3)現在の国道
直線的なトンネルや橋梁で、車は早いが歩くには不向きである.
今は、2)を通り、高知から梼原へ3日、梼原から内子へ3日あれば、十分歩けるだろう.
5.梼原の町
(梼原の街路)
通りは拡幅され、電線は地中化されている.
派手な看板はない.
木の柱の、柔らかな明かりで品の良い街灯がある.
ベンチや小さな彫像が置かれている.
周辺の商店や家々、駐在所も景観に気が配られている.
高知県で一番いい通りである.
梼原はまた、町役場を始め、国立競技場で有名な隈健吾の作品展示場でもある.
(梼原町役場.夏は前面を開放する)
本格珈琲の店、パスタのカフェがある.
夕食は焼肉店に入った.
「地元の人が食べないものが郷土料理」と定義した人がいるが、「梼原牛のタン」などメニューにあるので、立派な「郷土料理」である.
気持よく飲んで、暗い山の中、人通りの絶えた通りを星空を仰ぎつつホテルに帰る.
6.観光
(四国カルスト、天狗高原)
北に広がる標高1,400mの四国カルストは、素晴らしい高原である.
ただし、JR須崎から梼原へ、バスがあるが3分の差で特急に連絡しない.
天狗高原にはバスの便があり、上れば、快敵な散策やトレッキングができる.
山荘に泊まり、明日の雲海を期待する.
宇和島に至るJR予土線松丸は、須崎より近い.
ここに出れば、四万十川を下るなり、宇和島に出るなり、周遊ルートが組める.
ところが、愛媛県への「脱藩」はご法度らしく、繋がる交通機関がない.
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(おわり)